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第十章 ノエルとヘーニルと儀式 その一



 その日はまるで花弁が風に乗って舞うかのように白い軽い雪が降っていた。

 その雪のように純白の髪を持つ少年はいつものように部屋の隅で小さくなり、子供では到底読めないであろう分厚い本を読みふける。


 化け物と言われた日から、この場所と本だけが彼の居場所だった。

 両親と視線が合えば疎まれ舌打ちされる。外を歩けば村人からは恐れられ子供達からは石を投げられる。今まで優しかった人達が、少年の異能を知った瞬間一変してしまった。


 少年は音を立てないように本のページをゆっくりと捲る。紙の擦れる音でさえ、咎められてしまうのではと恐れてだ。

 ふと、隣の部屋から男女の声が響き渡った。その声に子供は本を置くと両手で耳を塞ぎ膝を引き寄せて俯く。その男女は少年の両親で、ほんの少し前までは仲好い夫婦だったのに、少年が化け物と呼ばれるようになったその日から喧嘩が絶えない。一度止めに入ったら余計喧嘩を悪化させた上、父から自分の子供じゃないと言われた。


「大体、平凡な俺達からこんな子供が生まれてくるのがおかしいんだ!」


 父の吐き捨てた言葉に母は泣き崩れる。愛した者に不貞を疑われたのだ、当然だろう。

 そして母親と同様その言葉は、少年の心にも深い傷を負わせた。


 少年は少女と見間違うくらいの美少年だった。上質な琥珀が嵌った切れ長な瞳が印象的な、美の女神に愛されたとしか思えない美貌。まだ幼いのに可愛いというより美しいや綺麗といった表現が正しいと思える容姿だ。

 だがその少年と比べ両親は平凡だった。似ているところなど皆無。少年が化け物と言われる前は先祖返りかと笑い話だったが、今やそれは過去の話だ。


 両親の諍いを見て少年は誰とも関わらなくなった。家族や人との接触も最低限、日中の外出も控え、部屋の隅で本を読む毎日。


 きっと死ぬまでこのままだと諦めていた彼に一人の男が現れたのは彼が十歳なる直前で、化け物と言われてから三年の月日が経っていた。

 彼は部屋の隅から動かない少年を拾い上げ、名前を問うた。少年は化け物をと呼ばれていると答えると男は苦笑すると少年の頭を優しく撫でる。


「じゃあ今日からノエルと呼ぼう。」


 それが美少女のような少年、ノエルとヘーニルの最初の出会い。

 だがその優しい記憶は、同じ人物によって塗り替えられた。


「おやすみ、私の可愛いお人形ノエル。」


 ぞっとするほど優しい、狂気を孕んだ微笑みを浮かべる彼がいた。





 シロは目を覚ます。頬には冷たい感触があり、自分が地面に転がされていることを理解した。手をついて起きようとしたが、腕は後ろ手で縛られていて動かす事ができない。


 否、全身が自分の物ではなく、他人の身体の様に微動だにしなかった。


(どこだ、ここは?)


 現状を把握しようとシロは視線だけでも動かす。

 全体的に薄暗く灯りは少ない。神々の像が目の前にあり、教会内の礼拝堂だとシロはあたりをつける。

 そして目の前に広がる床には白い線で描かれた模様があった。


(魔法式?……いや魔法陣か?)


 いくつもの複雑な魔法式を組み合わせ、絶大な効果をもたらす魔法陣。だが魔法陣はまだ研究中だったはずだ。余りにも複雑な為、合体魔法と同じく魔法士達はこぞって研究と実験を繰り返すが未だに目ぼしい成果をあげていない。

 なのに、なぜこの場に複雑な魔法陣が描かれているのか。


「起きたかいノエル。」


 シロの思考を中断させたのは、あの人の声だった。


「ああ、喋れないか。そういう風に命令したから。」


 いつもと変わらず微笑む彼に、シロは全てが夢か幻だったのではないかと錯覚を起こしそうになる。だが、未だ呪法で縛られた体がその微笑みこそ幻だと訴えていた。


「さあ喋りなさい、ノエル」


 子供の頃のようにヘーニルがシロの頭を撫でる。それが合図で、自分を支配している魔力が一部解除されるのがわかった。そして喋ろうと声を出そうとするが空気が鳴る音でしかない。喉が渇き乾いた唇が震える。足元から蛇に纏わりつかれるような恐怖が、ゆっくりと彼を支配していった。だがそれでも彼は問わずにはいられなかった。


「な、ぜ……?」


 あんなに優しくしてくれたのに。

 あんなに自分を必要としてくれたのに。

 全てが偽りだったのか。


 擦れた声で出た、たったそれだけの言葉が彼の心を表していた。


「なぜ? 世界の為だよ。」


 そんな彼をヘーニルはいつものような微笑みを作り、子供を諭す親かのように話しかける。


「今この世界は嘆き悲しんでいる。聖フェリスが作った統一されていたはずの世界が今や分裂し争い、多くの血が流れ続けている。そして貧困に喘ぐ多くの人々がいる。」


 この大陸には大国グレイシス王国をはじめ、西の帝国、東の軍国、南の連邦、他にいくつもの小国がひしめき合う。海の向こうには別の大陸も小さな島々からなる国が存在する。さらに別の大陸では魔人が支配する国もある。かつて聖フェリスが統一したはずだった世界は今やその影もない。


 聖フェリスが願った誰もが平和に暮らせる世界。それはこの世界にはもう存在しない。強国が小国を、権力者が民を、強き者が弱き者を支配している。


「間違った道を進んでしまった世界を我々はそれを正さねばならない……ハーシェリク殿下もそう思いますでしょう?」


 ヘーニルが恍惚とした表情で言葉を紡ぎ振り返る。シロもつられて視線を動かすと、淡い金髪を揺らし、いつもの穏やかな表情を捨て去り鋭い眼光でヘーニルを射抜く、自分のことをシロと呼ぶ王子がいた。


「ジーンはどこにいる?」


 敬語をやめハーシェリクは詰問する。ハーシェリクはいつも礼儀を重んじてきた。バルバッセでさえ、心の中では罵ろうとも表面上は礼儀正しく接している。猫の皮を三重にかぶっていると腹心達はいうが、ハーシェリクにとってそれが楽だというのもある。だが今はちがった。目の前のヘーニルの言葉も一切無視し、自分の言葉を突きつける。


「ハーシェリク殿下、そう焦らずとも……」

「貴方の耳は飾り? ジーンはどこかと聞いたんだけど。」


 取りつく島のないハーシェリクにヘーニルは肩を竦めると視線で控えていた神官に指示する。神官は一旦横の小さな扉に消えると、次現れた時は赤銅色の髪を持つ俯いた女性……ジーンを連れて現れた。


「ジーン!」


 ハーシェリクの声にジーンがはっと顔を上げる。たった数日あっていないだけなのに、やつれ疲れているようだった。華奢な腕は後ろ手に縛られ、服は所々汚れた姿は彼女が囚われていたという現実をハーシェリクに突きつける。


「ハーシェリク様!」


 ジーンの声は微かに喜びが混じっていた。だがすぐに表情を曇らせ、切羽詰まった表情でハーシェリクに向けて叫ぶ。


「逃げて下さいハーシェリク様! この人達は貴方をッ!」

「黙れ!」


 ジーンの言葉は頬を叩く音に遮られる。ジーンの細い体が地面に転がった。


「彼女に乱暴なことをするなッ」


 反射的にハーシェリクは叫ぶ。そして自分の中で怒りという炎が燃え上がるのを確かに感じた。

 掌を強く握り奥歯を噛みしめ、その炎のような激情を抑える。


(冷静になれ、ここで自分を無くしては相手の思う壺だ。)


 そう自分に言い聞かせる。


(ジーンもシロもまだ生きている。今までとちがう。)


 彼らはクラウスのように死んだわけじゃない。アルミン男爵のように追い込まれていない。まだ間に合う。助けることができると自分に言い聞かせる。

 そしてハーシェリクは深く息を吸い吐きだす。


(相手に乗せられてはダメだ。)


 相手のペースに乗って冷静さを失っては勝てる戦も勝てない。


(シロさんとジーンの無事も確認できた。なら後は時間を稼ぐだけだ。)


 時間さえあればクロとオランが駆けつけてくれる。

 さらに兄達が近衛騎士を引き連れてきてくれる。

 それに彼らは簡単には自分を殺さないはずだ。


 必死に激情を抑えるハーシェリクを観察していたヘーニルは彼に口を開いた。


「殿下、取引をしましょう。殿下が取引を飲んで頂けるなら、彼のご令嬢はお返ししましょう。」


 その言葉にハーシェリクはジーンから視線を外し、ヘーニルを真っ直ぐとみた。


「その取引とは革命の旗印になれということ?」

「……これは驚きました。まさかそこまで解っていらっしゃるとは。」


 ハーシェリクの答にヘーニルは感心したように呟き、ハーシェリクを値踏みするように目を細める。


「あなたとシロの会話を聞くまでは予想の範囲をでなかったけどね。」


 だけど先ほどの言葉で確信した。


「教会内部に存在する聖フェリスを崇める過激派の中心があなたか。」


 教会は内部で多数な派閥が存在する。その中で一番の過激派である聖フェリスの信徒の一部。


「過激派とは心外です。我々は聖フィリスの信愛なる信徒。他の教会の者のように説法を説くだけの日和見主義な輩とは違います。我々は全世界の人の為に機を待っていました。そして時は満ちたのです。」


 自分に陶酔しきったヘーニルの言葉。自分が正義だと疑っていない言葉。


(これは厄介だ。)


 内心ハーシェリクは舌打ちする。自分が間違っていないと思い込んでいる人間ほど、恐ろしい者はない。このヘーニルという男は狂信者で有り確信犯なのだ。

 自分が正しいと思い込んだ人間ほど危険なのだ。やることに躊躇いがない。


 警戒するハーシェリクにヘーニルは歩み寄ると静かに膝を着き、手を差し出す。


「ハーシェリク殿下、我々は貴方のような人物を待っていました。」


 真っ直ぐとハーシェリクを見つめ、ヘーニルは言葉を続ける。


「貴方が各地で行ってきた善行、全て素晴らしいものです。貴方のように幼いながらも賢く、また民を思う優しい心を持つ王子は他にはいません。正に上に立つにふさわしい傑物です。どうか我々の上に立ち世界を導いていただけませんか?」


 さらにヘーニルは言葉を募る。初めて会った時にみた表情とは別の、熱い感情が籠った視線をハーシェリクに送る。


「殿下が立ち上がり腐敗した国を立て直し治め、そして世界をも統治する。それがこの世界と聖フェリスが望む事であり一番犠牲を出さずに済む方法なのです。」

「……犠牲、ね。」


 自分でも驚くほど冷めた言葉が出て、ハーシェリクはつい口角を上げて嗤う。

 子供にはふさわしくないその笑い方は、狂気に陶酔し邪悪に笑うヘーニルに負けず劣らずシロとジーンをぞっとさせた。だがヘーニルはその言葉を同意として受け取る。


「殿下、大勢の人々を救うには犠牲が必要です。」


 狂気を宿したその瞳でヘーニルは言葉を続ける。


「大勢を救うのにどのくらいの犠牲で抑えるか。上に立つ人間ならわかるでしょう?」


 上に立つ者は何を得て何を捨てるかを選択せねばならない時がある。それはハーシェリクも解っている。どれほど全てを得るのが難しい事なのか、痛いほど理解している。


「最小限の犠牲で世界の多くの者を救う。選ばれた人間には使命があるのです。」

「その選ばれた人間が私だと?」


 ハーシェリクの言葉にヘーニルが力強くうなずく。


「殿下以外誰が存在しましょう……我が君。」


 ヘーニルはまるで蜜月の恋人に甘く優しく囁いた。




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