第九章 旧友とフラグと懐かしき人 その二
自宅マンションに戻り化粧を落として部屋着に着替えた涼子は、夕飯をテーブルに並べつつお気に入りのソファに座った。
「あー疲れた……」
涼子はそう言いつつテレビの電源をつけると同時に、目の前に用意した缶ビールを開けてコップに注ぐ。白い泡と黄色い液体の黄金比がグラスの中で作られ、それをぐいっと飲むと親父のように息を吐き、唇についた泡を拭った。
「うん、うまい。」
テレビのチャンネルを変えながら涼子は満足そうに呟き、半分まで中身の減ったグラスを置くと箸に持ち替え目の前の夕飯というよりは酒の肴へと箸を伸ばす。
本日の肴はキャベツをレンジで温めてマヨネーズと醤油、そして鰹節をかけたもの、実家からパクって……もとい貰って来た焼豚を切ったもの、あと帰る途中でコンビニに寄って買った焼き鳥だ。女子力皆無な食卓だが、あいにく一人暮らしの為それを咎める者もいない。
(キャベツ、買い置きなかった気がしたけど、あって助かった。)
さすがに肉だけの食卓では体に悪い。忙しくて買い出しも行けてなかったから、野菜室は空だと思っていたのだがキャベツだけ半玉残っていたのが幸いだった。ざく切りキャベツのレンジでチンは涼子の中で定番の野菜料理である。
「ふう……」
一通り肴を摘まみビールを飲んだ涼子はため息を漏らす。
いつも通りのテレビを見ながらひとり晩酌なのだが、今日はどうにも箸の進みが鈍かった。その原因は解っている。
ビールを飲んでいても、肴を食べていても、テレビを見ていても、頭の中で再会した小鳥遊の顔がチラチラと浮かぶのだ。新作ゲームを買った日は食事もそこそこにしてゲームを始めるのに、今日はどうもその気になれなかった。
ちらりと視線をテーブルに置かれた名刺に向ける。
(小鳥遊君、思った以上にイケメンになってたな。)
スーツの似合う仕事の出来る男となった友人。別れ間際の異性を感じさせた微笑み。
(……まさか、本当に私に気がある?)
ゲームでは百戦錬磨の恋愛上級者だが現実は単なる干物女。そんな女の前に十年以上ぶりに再会をした高校時代のイケメン同級生。しかも命を救われていて相手は結婚もしていないフリーの異性。
ゲームではフラグ立ちまくりの状態だ。だが涼子は否定する。
「ない、絶対ない。ありえない。」
現実はゲームのようなご都合主義な展開はない。夢じゃあるまいし、そんなオトメなことを信じる年でもない。
ふとテレビから音楽が流れてきた。テレビを見るとひとりの歌手がバラードを歌っている。
「あ、この子ついにテレビに出たか。」
その歌手はアニソンやゲームソングしか興味も持たなかった涼子が、珍しく興味を持ち更にはCDも買った歌手だった。自分で作詞作曲をしているという彼女は、とても心に残る歌詞を書き、歌声も聞いていて心地がいい。
本当ならネットで買う予定だったとあるキャラソングが、店頭だと限定のおまけがつくということで恥を忍んで買いに行った時に、一押しの新人として店内に流れていた曲を聞いたのが出会いだった。
(そういや最近、この子の曲聞いてないな。)
涼子は彼女が歌い終わるとテレビを消し、小型のオーディオプレイヤーをステレオに繋ぐ。このマンションの壁は防音となっているが、夜ということもあり音を小さく設定して再生した。
懐かしい曲が流れ始める。
(久々に聞いたけど、やっぱりいい歌だな。)
ゆったりとした曲調に心の籠った歌詞。落ち込んだ時や苛立った時にこの曲を聞くと穏やかな気分にさせてくれた。
涼子は音楽に合わせて口ずさむ。そして一番好きなサビに差し掛かろうとした時ズキリと頭に痛みが走った。思わず額を手で押さえると脳裏に一人の少女が思い浮かぶ。少女の赤銅の色のさらさらの髪が揺れた。
(え?)
見覚えのない少女だった。だがなぜか胸を鷲掴みされたような息苦しさを覚える。
(なに? あの子は誰……?)
だが涼子が疑問を解こうとする前に頭痛が響く。その痛みが脳裏から少女の姿を消し去った。
(……雨にもあたったし風邪でも引いたかな。早めに寝るか……)
涼子はため息を漏らすとステレオの電源を切る。
ふとすぐよこに懐中時計が転がっていた。銀古美の古めかしい懐中時計だ。
「あれ、こんなの持っていたっけ?」
涼子は首を傾げ懐中時計をとろうと手を伸ばすが、脈打つように痛みが激しくなり小さく呻いく。
「……本当に風邪かも。早く寝よう。」
涼子はそう呟くと、懐中時計には触れず背を向けた。そしてテーブルの上に放置したままだった残っている食事にラップをかけて冷蔵庫にしまい、頭痛の痛み止めの薬を飲むと歯を磨いてベッドにもぐりこむ。
いつもなら寝る前にシャワーを浴びるのだが、薬を飲むと眠くなるので諦めた。明日も仕事の為、いつもより早めに起きてシャワーを浴びないといけないのが、今からでも億劫だなと思いつつ瞳を閉じる。涼子はすぐに意識を手放し、少女についても銀古美の懐中時計についても忘れ去った。
週末、涼子は実家に帰った。家族が自分の為に三十五歳の誕生日を開いてくれるのだ。ちょっとお高いアイスを片手に自宅マンションから歩いていて向かう。マンションと実家の距離は歩いていける距離だし、冬がすぐそこまで来ている為、保冷剤を入れておけば溶ける問題はない。何事もなく実家に到着し門を潜ると我が家の番犬が尻尾を振って鎮座していた。
「クロ、いい子にしてた?」
そう涼子が問うと、お座りをしていても腰の高さほどの大きさである大型犬のクロはわふっと吠えた。ふと脳裏に黒髪の青年が思い浮かぶ。
(あれ?)
見た事があるようなないような……と涼子は思い出そうとするが、ズキリと頭痛がしてその思考を妨げた。
(まだ風邪治ってなかったかな……)
涼子は眉間を抑える。ここ最近、なにかと頭痛がひどいのだ。
職場でも頭痛が酷くて表情が強張っていると、上司に怒っている?と聞かれる有様だ。
(あんまり薬飲みたくないんだけどなぁ。)
薬を飲みすぎると効きにくくなってしまう。いざという時に効かなくなると困るのだ。
少しでも痛みが緩和できないか、と眉間をもんでいるとクロが心配したのか足にまとわりついてきた。涼子がその頭を撫でてやるとクロははち切れんばかりに尻尾を振る。
「後で散歩行こうね。」
涼子の言葉にクロは再度嬉しそうに吠えた。
涼子は実家に入り母と父に話しかけつつ冷蔵庫にアイスを仕舞っていると、つつつと母が背後から忍びよってきた。
「あんた、何かあったね。男か、ついに男なのね。」
「はぁっ!?」
母親の言葉に涼子は肩を震わせアイスを落とす。丁度おこうとしていた所だったため、うまい具合に空いているスペースに収まったが、がたりと音を立ててしまった。
振り返り母親を見るとにんまりと笑っている。さらにその向こうではソファに腰掛け新聞を読んでいる父が、ちらちらとこちらに視線を向けていた。
「なにいきなり。」
「いや、あんたいつもとなんかちがうのよ。そわそわしてるっていうかね。」
母親を甘く見るんじゃない、という母に涼子はたじろぐ。昔から母は鋭い。特に家族ことになるとシックスセンスか!? と思えるほどその能力を発揮し、隠し事ができないのだ。
「んでいつから? というかいつ結婚するの?」
「なんでそんなに話飛躍するのよ。」
「あ、やっぱり男だった。」
にやりと笑う母に、涼子は乗せられたと気が付く。三十後半に入ったというのに、いつまでたっても母には勝てる気がしない。
「……男だったとしても、母さんには関係ないでしょ。」
このまま母のペースではいられないと涼子はそう言って突き放そうとする。言い方がつい学生のようになってしまったのは母の前だからだろう。
「だって私もお父さんも心配なのよ。」
視線を逸らす涼子に母は先ほどまでのにやりとした顔を改め、子供を気遣う母の顔で言葉を続ける。
「あんたいつまでたっても結婚しないから。まあ結婚するために男をつくれっていうのは目的と順番が逆なのはわかるわよ。だけど私達がいなくなった後どうするの。」
「別に一人でも大丈夫だし。」
本当に心配をしてくれている母に涼子は強くは言えない。そんな涼子に母は言葉を重ねる。
「そう言ってもいざ一人になったら寂しいもんよ?」
「そう、かなぁ……」
母の言葉に涼子は思いふける。
(一人か、か。)
一人孤独に年を重ねていく。誰にも頼らず、ただ一人自分だけで。
ふと頭の中に暖炉の前に一人、ソファに座った銀髪の男性が思い浮かんだ。だがそれも頭痛が響きかき消される。
「あ、今の間。男の顔思い浮かべたでしょ!!」
母の言葉に涼子は頭を振る。頭痛が酷くて今はなにも考えたくなかった。
「……クロの散歩行ってくる。」
涼子はまだまだ聞き足りないという母をかわし、意味ありげな視線を投げてくる父はあえてスルーし、玄関へと向かった。
外へ出るとクロが待ってたぜ! と言わんばかりに待機していた。その様子に涼子は笑うと玄関を出る時に持ったお散歩バックの中からリードを取り出し首輪に繋げる。
クロは敷地内では放し飼いをしているが、玄関が開いていたとしても、リードを繋がない限り外にはでないとても頭がいい番犬なのだ。
クロを伴い外へ出る。クロは自分の歩幅に合わせて歩き、決してリードを引っ張るような散歩をしない。時々振り返り自分を確認する愛犬に涼子は話しかける。
「まったく母さんはどうしてあんなに結婚結婚いうのかね。結婚したら幸せになれるわけじゃないのに。ね、クロ。」
わふっとクロが返事をした。クロはいつも根気よく話を聞いてくれて相槌を打ってくれる。たぶん理解はしていないだろうが、その相槌に救われたこともあった。
「いつもありがとうね、クロ。」
その涼子のお礼の言葉もクロは同じように吠えて答えた。
ふと前から小学生くらいの女子たちがくる。
「クロ、お座り。伏せ。」
涼子の言葉にクロは瞬時に従った。決して愛犬が子供に襲い掛かるなんて思わないが、顔が怖いクロは中学生でさえビビらせる。女子小学生がびっくりして道路に飛び出したりしたら危険だと思ったのだ。
女子小学生とすれ違うと褐色の巻き毛が揺れた気がした。涼子が振り返ると、黒髪の女子小学生のおさげがゆれているだけだった。
(見間違いかな?)
首を傾げる涼子にわふとクロが鳴く。涼子は謝りつつふせを解除し散歩を再開したのだった。
いつもの決まった散歩コースを歩き、最後に通り抜ける公園に辿りついた。空は茜色に染まり、視界に映った風景を染め上げていた。
「綺麗な夕焼けだー。」
冬が近い為太陽が沈むのも早く、平日はいつも仕事を終え会社を出ると夜だった。ひさびさにみた夕焼けは、とても懐かしく感じる。
『そんな事態にさせないからな。』
声が響く。誰に言われたかまでは覚えていないが、それはとても大切なことのような気がする。
思い出そうと記憶を探ると、またあの頭痛が響いた。まるで考えることをやめさせるための様に。
(なに……?)
ここ最近、何かを思い出そうとすると頭痛がひどくなった。まるで思い出すことを妨害するかのように。
なにか大切なことを忘れていないか、そう涼子は頭痛に耐えつつ自分に問いかける。なにかを忘れている気がした。だがそれがなにかはわからない。ただ忘れちゃいけないことではないのか。
思い出そうとすると頭痛がひどくなる。たがそれでも涼子は思い出さねばと思う。
ふとニャーンと声が響いた。涼子が視線を向けると、ベンチの上で橙色に染まった猫がいた。本来は真っ白な猫で、誰にも懐かない猫。自分から泣き声を上げるのは珍しい。
「あ、シロだ。ひさしぶりー」
涼子が呼ぶとうざったそうに尻尾を一振りする。そして金色の瞳がじっと涼子を見つめたと思うと、すくりと立ち上がりその場から去った。
さもいつまでいるんだ? と言っている風だ。
「今日もつれないな。」
そんな態度に涼子は笑う。
(デレたと思ったらツンとしちゃって。まあツンツンの彼よりはマシか。)
そこでふと固まった。
(……彼って誰?)
だがその答えは自分の中を探してもみつからなかった。
クロが動かない主人の足にすり寄るまで、涼子はその場から動くことができなかった。
自分の三十五歳誕生日パーティを終え帰宅した涼子は、妹達からもらったプレゼントを整理していた。いくつもプレゼントを用意してくれてあったが、その中でも一番は妹達がくれたプレゼントは丁度自分が欲しがっていた限定のアニメDVDだ。欲しかったが生産が終了しており、またオークションにも出品されず涙をのんでいたのだが、偶然にも妹達が見つけプレゼントしてくれた。さっそく鑑賞しようとしていると自分の携帯の着信ランプが光っていることに気が付く。
携帯を開くとメールが届いていた。そして発信元を確認し鼓動が早くなる。小鳥遊からのメールだった。
(来週水曜、美味しい店にいかないかって……まさか本当にデートのお誘い?)
生まれて初めての異性からのお誘いメールに涼子は心が高鳴る。
『一人になったら寂しいもんよ。』
母の言葉が頭の中で響いた。だからだろう、涼子は意を決し返信をしたのだった。
水曜日、涼子は落ち着きなく定時まで三十分をきった時計をみていた。いつもだったらあっというまに過ぎる時間が今日はやけに長く感じる。
そんな落ち着きのない涼子に、隣の席にいる後輩が話しかけた。
「早川さん、なんだか今日はいつもと違うお化粧ですね。」
「……そ、そうかな?」
涼子は反射的に自分の頬を抑える。今日はいつもとチークやアイカラー、リップの色を変えてみたのだ。だが決して派手ではない。注視しなければわからない程度の変化だ。
(さすがはリア充の後輩ちゃん……)
彼女はとても可愛らしい後輩だ。今時の若者でセンスもよく、社内の男性社員にも人気がある。ちなみ彼氏はいる。ちょっと天然っぽいところもあるが、涼子には許容範囲だった。
「はい! いつもと違って可愛らしいかんじがします……はッ! さては先輩デートですね!」
「ちょ、ちが!」
まるで自分のことのように瞳を輝かせる後輩に涼子はたじろぐ。
(そんなにわかりやすかった……?)
狼狽える涼子に周りもピクリと反応したが、自分のことでいっぱいいっぱいだった彼女は気が付かない。
「そう言えば今朝の私服もいつもと違ってカラフルでした!」
「だからちがうって。てか声大きいから……」
確かに今日はいつもの地味な服ではなく、昨日一時間かけて選んだ色のある服だ。
声を抑えるように言う涼子だったが、後輩はお構いなく涼子が脇にどけてあった仕事を奪い取った。
「早川さん、これは全部私に任せて上がる準備をして下さい!」
「だけどそれは……」
「いつものお礼です! 早川さんにはいつも助けてもらってますから! 他に仕事はありませんか?」
明日の分の仕事だけど。と続く前に後輩に遮られる。あまりにも彼女がいうので涼子はお礼を言って定時と同時に席を立った。
涼子が部屋をでると後輩の周りに「涼子ちゃんに彼氏ができたの!?」「うそ、寿退社なんて本当に困るんだが! 仕事やめないよね!?」「てか支店で涼子ちゃん狙ってる人いる結構いるのにどうするの!?」と、後輩の机の周りで、部長まで集まり緊急ミーティングが開かれたのを涼子は知る由もない。
更衣室で涼子は着替えつつ今日の私服をみる。フリルのついた白いブラウスに大きな花柄の膝丈スカート。決して派手ではなく、だからといっておばさんっぽいかんじでもない上品なコーディネートだと思う。
(確かにちょっと明るい色の服にしたけど。)
後輩にバレバレなあたりかなり浮き足立っていたのかもしれない、と涼子は反省する。
生まれて初めての異性とのデート。しかも現実世界でだ。ふと視界の端に体重計が見えた。誰かの私物だろう。更衣室は女子の私物があちらこちらに置いてあるのだ。
(最近のってなかたし……)
おばさん化していく体形を直視したくなかったともいう。だがもし、将来的に誰かと付き合うなら。女子力が低いままではよくないと思った。恐る恐る体重計に乗る。体重が表示された時、パンッと頭の中でなにかが弾けた。
(うん、だよね……)
涼子は悟ったような顔で、壁にサルの反省ポーズをしつつ、体重計の数字を見つめ続けた。




