第七話:処刑人の男
「悪いけどな、お前がなんと言おうと俺は諦められない。お前の生態系は健全なモデルかもしれない。でも、俺はそれを認めるわけにはいかないんだ」
陸は翔子を諭すように言った。
まるで抱き合うような距離にいる翔子は、長い睫毛を瞬かせて陸を見る。
「なん……で?」
翔子の手が震える。
その振動が、心臓を破る剣ごしに、直接陸にも感じられた。陸は困ったように笑う。
自分の強さに呆れるように。
「お前な。特区にも十人といない甲種人外を舐めるなよ。まあ、俺は人工だけど」
どぶどぶと、脈打つように傷口から血が止め処なく溢れ続けている。
まるで、無限にあふれ出るかのように。
癒えようとする肉が、身体を貫く異物を噛んできしきしと鳴いている。
陸は気持ち悪そうに小さく眉を寄せた。
その頭は、首のうえにない。
表情筋に沿うように光の帯が脈打っている。銀色に染まった瞳が人形のように翔子を見下ろしていた。首が宙に浮いている。
口が動く。人語を発する。
「俺は人間だから簡単に死ぬ。実衣奈も死ぬ直前まで指一本で落ちる。絶命しにくい人外には分かりにくい感覚かもしれないけどな、俺は人外を何千人と殺して、同じくらい死んできた。人間が死ねば人外が残る。それがどういうことか、想像はつくだろ」
翔子は信じられないような顔で陸を見た。
陸の頭が首に降りる。光の脈が走っていく。
「だからこそ、俺は絶対に誰かに『死んで当たり前だ』と言いたくない。自然の摂理だろうが、生態系だろうが、関係ない。誰かが死ぬことを当たり前にするなんてできない。『お前が死んだのは自然だ』なんて言うのは、ごめんだね」
陸の首はつながった。
まるで当たり前のように、銀色の目の陸はそこに立っている。
「俺は『死ぬ』のは嫌なんだ」
当然のように、当然のことを言い放つ。
あ、と翔子の口が小さく開いた。
彼女の指に手を重ね、胸から剣を引き抜いていく。
ごり、と骨を掠めた感触に陸は顔をしかめる。血が傷口からまた溢れた。
出血はやがて減り、流血が止まる。
傷口が癒えた。
息をついて剣を放した。翔子の手が下がり、剣尖が地面に刺さる。
「なにを」
翔子はつぶやいた。
涙をこらえるような声だった。
「なにを、人間みたいなことを言ってるんです」
「悪いけど、俺の目が黒いうちは俺が人外だなんて言わせないぞ。まあ、人間からもちょっと外れてるけどな」
陸は笑った。
「さて、翔子」
「はい」
両手を重ねて立つ少女に、陸は告げる。
「生徒会処刑執行部として、実衣奈を殺したお前を処刑する」
翔子は微笑んで、直剣を両手にそれぞれ握った。
「実は、そう来ると思っていました」
次の瞬間には火花が散った。
斬首刀を両手の直剣が切り払っている。
振り上げた陸の足を、翔子は足で迎えた。蹴りを踏み台に高く跳躍。翼を広げる。
陸は追う。振り上げた斬首刀が空を切り裂いた。
「空ではわたくしのほうが上です!」
舞うように斬撃をよけた翔子が、引いた腕を閃かせる。
陸の右肩を穿った。骨を割り、剣が貫く。
陸の喉仏が動いた。獣のようなうめき声が漏れる。
笑う。
右目の虹彩から色が抜け、銀色が灯る。
「お前、人外の自覚が足りねぇよ」
「なっ!」
剣を鷲づかみにし、鎖骨を割って肩を貫く剣を固定する。
翔子が固く握り締めた柄を離すより早く、振り上げた斬首刀を翔子の肩口に叩きつけた。
天使は墜落する。
陸の肩が剣に抉られ、肉が湿った音を立てた。
頓着しない。
「堕ちろ、天使!」
陸が腕を振り上げると、斬首刀は鈴を鳴らすような高い音を立てて槍に練り変わった。
堕ちた天使が逃げようと四肢を動かす。
その胸の中心をまっすぐ槍で貫く。
骨を潰す鈍い音。
背骨が砕かれて乱れた脊髄が、感電したように身体を反り上げさせた。
槍がより深く突き刺さる。
手足が校庭を掻いた。ばたばたと震える翼が砂にまみれる。
喘ぐ口に空気は入らない。
校庭の砂が指の線を描く。
糸が切れたように四肢から力が抜け、翼の震えが止まった。
緊縮した胴体の筋肉が少しずつゆるみ、傷口から血が溢れていく。
碧い瞳が、覆いかぶさるように立つ陸を捉え、
翔子は口元に苦笑を乗せた。
血走りかけた目が伏せられる。
身体から溢れた血が、彼女の翼を染めていく。
赤黒く染まっていく翼を見つめ、陸は立つ。
「信賞、必罰……だ」
小柄な亡骸に声をこぼす。
そうして陸は、また一人殺した。
「おはよう、実衣奈」
陸は道の角に立っている実衣奈に声をかけた。
「おはよ、陸」
彼女は黒髪を揺らして微笑む。
「おはようございます、陸さん」
その隣に翔子が立っていた。
翔子は髪を揺らしてニコリと笑い、
「今日も冴えない顔をぶらさげていらっしゃいますね。もう少し愛想を知らないと、特区学生として恥ずかしいですよ。それでなくても、木っ端構成員のくせに生徒会を標榜する悪癖を持っていらっしゃるんですから」
面食らった。
実衣奈が辟易したように、会心の笑みを浮かべている翔子の赤黒い翼を見やる。
視線に気づいたのかどうか、翔子はスカートの端をつまんで一礼した。
「どうも。天使改め、堕天使の天音翔子です」
「だ、堕天使?」
「高等な存在である天使が死に様をさらすはずがありません。ということは殺される天使は天使ではなく、天使ではないわたくしはつまり堕天使と解釈するのが道理というものでしょう?」
翔子は赤黒い翼をわさりと揺らす。
たじろぐ陸に、実衣奈は肩をすくめた。彼女の微笑を見て陸は諦めたように息をつく。
「人外に理屈も常識も説くだけ無駄か」
「そういうことです。それに私、これでも陸さんには感謝しているんですよ」
軽くローファーで地面を蹴って浮き上がった。ぱたぱたと翼を揺らす。
「憑き物が落ちたようです。なぜわたくしは、あんなに秩序秩序と人間や人外なぞのために心を砕いていたのでしょう。他の誰が野垂れ死のうと幸福に生きようと、わたくしの輝かしい生涯にはなんら関係がないというのに。わたくしを惑わしていた幻想が崩れ去って、とても晴れやかな気持ちです」
「そいつ、一度殺し直してやったほうがいいんじゃないのか?」
志乃が苦々しい表情で道の角から現れた。お守りのスライム少女が小さく手を振る。
地面に戻った翔子が勝ち誇った顔で、肩ほどまでしかない小柄な志乃を見下ろす。
「なんですか、嫉妬ですかちんちくりん」
「よし殺す、今殺す。ちょっと顔貸せ、その高い鼻を削いでやる」
「やめろお前ら」
陸を間に挟んで、志乃は威嚇するようにうなり、翔子は満面の笑みを浮かべている。
その騒ぎを見て、実衣奈はクスリと笑った。
「騒がしいねえ」
「他人事みたいにしてないで一緒に止めてくれよ、実衣奈」
「やだよ、めんどうくさい。放っておけば寿命で死ぬでしょ」
「お前のスケールで言うな。あと止めるとは言ったが、口封じするわけじゃな」
陸の眼前を白刃が遮った。
志乃が抜刀して突き出している。翔子は仰け反るようにその刺突を遅れ髪に避ける。
「ほら。背が小さいのに頭を狙うから、角度が急になってしまうんですよ」
「このやろうブチ殺してやる」
「わたくしは野郎ではありませんので。この美貌を美少女と呼ばずなんとしますか」
紫電一閃と刃を翻す志乃を笑い、翔子は高々と避けていく。空に逃げる翔子を追って志乃が塀と壁を蹴って追いかけた。自由落下してゴミ箱に墜落した。翔子が高笑いする。
「……性格変わりすぎだろ」
「まあ、人外だからね。追いかけなくていいの?」
「付き合ってられるか。殺しになってないなら放っておく」
実衣奈は小さく笑う。
「騒がしいのもいいね。日常みたいで」
「まあ、そうかもな。あんまり外で見られる景色じゃないが」
手で庇を作って空を見上げる。
油断した翔子が空で捕まってもみ合いになっていた。
実衣奈が陸の頬をつねる。
「スカート覗こうとしないでよ」
「してない」
「するなら私のにしてよ」
「お前はなにを言ってるんだ?」
「あ、でもここだとちょっと、恥ずかしいな。続きは二人のときに……ね?」
「話聞いてるか?」
居合わせているスライムの少女が顔を押さえて照れている。
陸は溜め息をつき、そして小さく苦笑した。
「ま、これも特区らしい『なんでもなさ』なのかもな」
「どういうこと?」
聞き返す実衣奈に、「なんでもない」と頭を撫でて返した。金の瞳を見開いた実衣奈は、あっさりと思考を放棄して目を細める。
実衣奈の頭を放した陸は、カバンを担ぎ直す。
「さて、あんまりノンビリしてると遅刻する。そろそろ行こ――」
がつべちゃり、と陸の頭に重い塊が直撃した。
落下物は地面に弾んで、泣きそうな声を上げる。
「痛ってェ……翔子コラァ! 今度こそちゃんと殺してやる!」
空にいる翔子は志乃の身体を串刺しにして抱えている。紅くなった顔を押さえて、涙目で地上の生首をにらみつけていた。
「ちんちくりん生首め、このわたくしの顔を八分割しておいてどの口で!」
「うるせぇ、お前なんか爪先から順に千切りしてやるくらいがちょうどいいンだよ!」
陸は黙って地面に転がる志乃の首を持ち上げる。
「お? おお、陸ぅうおおおおあああああああっ!?」
ぶん投げた志乃の生首が翔子に激突する。
反射的に抱きかかえ、翔子と志乃が空から陸を見下ろした。赤と碧の瞳が揃って瞬く。
「あれ、陸? ひょっとして、怒って……?」
「陸さん、違うんですよ。これは正当防衛です」
「あっ、お前あたしを売る気か? 卑怯だぞ!」
「卑怯結構、堕天使は悪魔の類語なんです!」
「問答無用!」
陸は斬首刀を左手にも構え、空の人外を見上げた。
「生徒会処刑執行部として権限を発動する! お前ら、まとめて校則違反で処刑だ!」
ひとまず完結です。
第一部完? 第一章完って感じですね。
ですが、続きを書くかどうか分からないので、ひとまず完結としました。
ひとまずが取れる可能性も十二分に高くあります。
あるいは別の作品で、また。