後編
彼女の名前は神楽坂優花と言った。
僕と同じ高校1年生だそうだ。
驚くべきことに、彼女はこの性癖で(というと語弊があるが)学年の中でもトップクラスの成績で、学級委員長まで務めてるという。
生徒会長補佐という役職まで与えられているらしい。
そんな彼女も、僕と同じで毎日の学校生活に嫌気をさしていたのだそうだ。
来る日も来る日もマナー講座や身だしなみチェック、お嬢様らしい生活を余儀なくされ、うっぷんが溜まっていたのだと。
そこへ、まわりには絶対いなさそうなタイプの僕が現れ、興味を持ったのだという。
その表現がちょっと引っかかったけれど、おかげで学校生活が一気に変わったらしい。
毎朝、僕の臭いを嗅ぐと元気が出るというのだ。
信じられないような話だけど、今ではまわりがドン引きするほど顔を密着させて体臭を嗅いでいる。
学校の中では誰もが認めるほどのとびきりの才女なのに、僕の前では一気にド変態になるのだから人間とはわからないものだ。
今も、胸元に鼻を当ててくんかくんかしている。
「ね、ねえ、神楽坂さん」
「なに?」
僕の声掛けに、彼女は顔を離そうとせず返事だけした。
「あの……今度こっちのお祭りで花火大会があるんだけど。……一緒にどうかな?」
正直、怖かった。
今でこそ、お互い身体を密着させて体臭を嗅ぎ合う仲ではあるけれど、恋人かと言われるとそうでもない。
いや、連絡先は交換しあったし、やってることはノーマルなカップル以上のことなんだけど、決定的な「好きです、付き合ってください」的な通過儀礼は行っていないのだ。
お互いにお互いを求めつつも、その辺はかなりグレーゾーンだった。
僕の花火大会への誘いは、まさにその微妙な関係から一歩進もうと思っての発言だった。
彼女は一瞬「んー」と迷ったものの、「うん、いいよ」と了承してくれた。
心からガッツポーズを決めた瞬間だった。
「じゃあ、浴衣用意しなきゃだね」
「いや、いいよ。そんなに気合入れてこなくても。ラフな格好でいいから」
正直見たいと思ったけれど、僕の勝手なお誘いで彼女に負担はかけたくなかった。
けれども彼女はクスクスと笑いながら
「もう、女心がわかってないなあ、森下くんは」
と僕の胸元に顔をうずめながら言った。
この状態でそんなこと言われても……。
「花火大会はいつ?」
「あさって」
「あさって!? ずいぶん急なお誘いだね」
「ごめん、誘うに誘えなくて……」
「ふふふ、もう。遠慮なんてしなくていいのに」
その言葉がたまらなく嬉しかった。
「じゃあ、あさってここで会いましょ」
「うん」
僕は時間だけ告げて彼女と別れた。
神楽坂さんは浴衣で来るのか……。じゃあ僕も浴衣で行こう。
神楽坂さんの浴衣姿を想像し、一人ニヤける僕がいた。
※
花火大会当日。
いつも登校時にすれ違うあの場所で待っていると、カランコロンと下駄の音を響かせながら彼女がやってきた。
「お待たせ」
「………」
僕は言葉を失った。
水色の可愛らしい浴衣に、大きくアップした髪型。ほんのりと赤みがかった唇。
いつもの神楽坂さんとはまったく違う、まさに“浴衣美女”がそこにいた。
「はうう、森下くんの浴衣姿……、なんか新鮮」
「か、神楽坂さんの浴衣姿も、き、綺麗だよ……」
いまだかつてこれほど緊張したことはあるだろうか。
いつも可愛いとは思っていたけれど、ここまで美人だとは思わなかった。
僕らは抱き合うと、いつものようにお互いの体臭を嗅ぎ合った。
浴衣だからだろうか、今日は一段と香りが強い。
濃厚で甘い蜜のような匂いがする。
僕も僕で、肌着も身に着けていない浴衣姿だったから臭いは相当なものだろう。
案の定、彼女は「はうぅ……すごすぎ♡」と言いながらいつまでも僕の体臭を嗅いでいた。
自分が変態なのは自覚しているけれど、彼女はそれ以上だ。
ハアハア言いながら幸せそうな顔を僕に見せている。
「なんてステキなの、あなたの体臭……。ああ、もう素晴らしいわ。あなたは体臭のチャンピオンね。いいえ、神様よ。体臭の神様」
……ちょっと何言ってるかわからない。
体臭の神様って。
ことここに至って、僕らは周囲から異様な目で見られていることに気が付いた。
そうだ、今日はいつもと違って花火大会当日だ。
当然、多くの人たちが行き交っている。
普段、人通りも少ない道だけど、今日ばかりはたくさんの人たちが僕らの横を通りぬけている。
その誰もが「なんだこいつら」と引いた目をしていた。
さすがにヤバいと思った。
「あ、あの神楽坂さん」
「ん? なあに?」
「ち、ちょっと離れようか……」
「んん……もうちょっと……」
言いながらくんかくんかと鼻を鳴らしている。
誰ですか、こんな美少女に変な性癖を植え付けたの。お礼言いたいわ。
「いや、ていうか、まわり見て」
僕の言葉に彼女は状況を察したのか慌てて離れた。
「ごごご、ごめんなさい! あまりに吸引力がすごすぎて……」
僕はダイ○ンか。
と思わずツッコみそうになり、僕はプッと笑った。
「それを言うなら神楽坂さんだって。強烈だよ?」
「え、臭い? 私、今日臭い?」
「そうじゃなくて、すごくいい匂い発してる」
「そ、そう?」
カアッと嬉しそうに顔を赤らめる。
あまりの可愛さに叫びそうになった。
「森下くんも、今日は一段とすごいわ」
相変わらず褒め言葉なのかなんなのかわからないことを言いながら、彼女はさりげなく僕の右腕に両腕を絡めてきた。
「え?」
「ごめんね、ちょっと歩きづらくて……」
むぎゅっと胸が腕に当たる。
ヤバい、鼻血出そう……。
「い、嫌なら離れるけど……」
「ううん! ううん! とんでもない!」
僕は全力で首をふった。
これが嫌だと言うやつがいたら見てみたい。
神楽坂さんは「よかった」と言いながら嬉しそうに笑った。
ああ、もう!
天使すぎるだろ、その顏!
僕らは腕を絡ませながら花火大会へと向かった。
※
花火大会会場は大きな盛り上がりを見せていた。
そこらじゅうごった返す人、人、人……。
正直、神楽坂さんと腕を絡ませていなければ離されていたかもしれない。
それぐらい混んでいた。
そうか、彼女はこれを見越していたのか。
「すごい人だね、森下くん」
「うん、そうだね。でもそれだけすごい花火ってことだね」
「おお、なるほど! そういう見方もあるか!」
なんか感心されてしまった。
底辺高校の僕の言葉に、名門女学院のトップエリートである彼女が納得する。なんだか気持ちいい。
「離れないようにしなきゃね」
「大丈夫だよ、離れたら離れたで匂いで探すから」
「あはは、なにそれー」
幸せだ。
ほんとに幸せだ。
神様、僕はこんなに幸せでいいんですか?
「じゃあ私も森下くんと別れたらクンクンしながら探すね」
人混みの中、クンクンと鼻を鳴らす彼女の姿を想像して笑った。
花火は予定時間を少しオーバーして始まった。
見物客が多すぎて準備に手間取ったのだろう。
それでもどこからもクレームは入らなかった。
みんな、事情は察しているのだ。
そして花火はそれまでの遅れをチャラにするほどの素晴らしいものだった。
一筋の光が一直線に真上に上がると、大きく花開き、ビリビリと振動と共に音がやってくる。
まさに間近で見る花火の醍醐味。
神楽坂さんは一つ一つの花火が上がるたびに歓声をあげていた。
「すごいねー、森下くん!」
「うん、ほんとにね」
「私、こんな間近で花火見たの初めてだよ」
「そうなんだ」
「素敵すぎる……」
言いながら、僕の首元に鼻を突きつけてくる。
ここで人の匂い嗅ぐのやめてくれるかな?
「花火はすごいし、匂いも最高だし、言うことなしだわ」
「そ、そりゃよかった……」
「森下くんと出会えてなかったら、きっとこんな幸せな気分味わえなかったよ。ありがとう、森下くん」
それはこっちのセリフだよ、と言いそうになったけれど、まわりの視線が怖かったので黙っていた。
代わりに、力強く彼女の手を握る。
彼女もそれを察してくれて「えへへ」と嬉しそうに笑った。
結局、花火は約1時間盛大に打ち上げられ、僕らの心に深く刻まれた。
やっぱり花火はいい。
綺麗だし、迫力あるし、テンションがあがる。
僕らは興奮冷めやらぬまま、帰途についていた。
「はあー、よかったねー花火」
「ほんとだね」
「また来年も来ようよ」
「うん! 行こう行こう!」
来年と言わず、再来年も、そのまた次も……できればずっと。
「……それでね、森下くん」
急に神楽坂さんが神妙な面持ちで話し始めた。
「なに?」
「ずっと思ってたんだけど……私たちって、付き合ってるのかな?」
ドキリとした。
核心の部分をいきなりついてきた。
まさに僕も思っていたことだ。
でもまさか今この場で言われるとは思わなかった。
「ど、どうだろう……」
僕らは恋人なのだろうか。
肯定もできないし、否定もできない。
「ねえ、森下くんはどう思う?」
「へ?」
「私たち、付き合ってると思う?」
「つ、付き合ってるような……付き合ってないような……」
「どっち?」
「えー、いやー、うーん」
付き合ってると言うと自意識過剰かもしれないし、付き合ってないと言うとそれはそれで認めたくない自分がいる。
「やっぱり、こんな性癖の女とじゃ付き合いたくないよね……」
しゅん、とうなだれる彼女に僕は全力で首を振った。
「全然! 全然! むしろ、大歓迎! その性癖、大歓迎!」
我ながら何を言ってるんだと思うが、悲しそうな彼女の顔を見るのは嫌だった。
「逆に付き合って欲しいくらい! ってか、付き合ってください!」
あ……、と思った。
これ、普通に告白じゃん。
まさに勢いでの告白。
ムードもへったくれもない。
しかし神楽坂さんはパアッと顔を輝かせて「ほんと!?」と言ってきた。
「ほんとに!? 私なんかでいいの!?」
「え……、あ、うん。神楽坂さんがいいです……」
言わされた感満載の最低な告白にも関わらず、彼女は「嬉しい!」と言って抱きついてきた。
「これで心置きなく森下くんのありとあらゆる部分を嗅げる」
「ちちちちちょっと、何言ってんのッ!?」
まさかのド変態発言!
そうだ、忘れてた。
彼女、根っからの変態だった。
っていうか、心置きなくってことは今まで遠慮してたってこと?
焦っていると神楽坂さんは僕の首筋に唇を寄せて軽く吸い付いた。
「これからよろしくね、変態くん」
首筋に彼女の吐息を感じながら、僕は頷いた。
「う、うん。こちらこそよろしくね、変態さん」
僕らの夏は、まだ始まったばかり。
これからの変態生活に、僕は心からワクワクした。
お読みいただき、ありがとうございました。