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「秘密だよ?」(2)






「あ、あの・・・?」


おろおろするばかりの私に、イケメンさんはにっこり微笑んでみせた。


「大丈夫。ちょっと付き合って?いいところに連れて行ってあげるから」


「え、でも・・・」


「大丈夫大丈夫。怪しい人間じゃないから」


いや、自ら怪しい人間ですなんて自己紹介する人間はいないと思うけど・・・・


咄嗟に脳裏に浮かんだ突っ込みは、エントランスに入った瞬間に消え去ってしまった。



真っ白い床が印象的なエントランスは三階まで吹き抜けになっていて、床と同じく真っ白な両壁沿いには各階に続く階段がシンメトリーに設置されている。

昼間にここに来たときも、この大空間には圧倒されてしまったけれど、ガラス越しの夜の暗さと照明の灯りを加味したそこは、昼間とはまた全然違う空間になっていたのだ。


「すごい・・・・真っ白・・・・」


昼間もそう感じたはずなのに、今の方がもっと白さを強く感じた。


その強烈なインパクトに私が歩みをゆるめると、近くにいたネイビーの制服を着た、おそらくセキュリティの担当の男性がこちらに近付いてきた。


昔なにかスポーツをやっていたような、体格のいい中年の男性だ。


イケメンさんに連れて来られたとはいえ、無断で立ち入ってしまった私は思わずギクリとしてしまう。


けれどイケメンさんはセキュリティ担当者に「さっきはありがとうございました」と笑顔で応じたのだ。

そう言われた制服の男性も、同じように愛想よく返してくる。


「いえ、お探し物が見つかって何よりです。それで、まだ何か?」


「ああ、もう一つ忘れ物を思い出してしまって・・・・。それで、この子をずっと外で待たせるのも悪いので、一緒に上に連れて行っても構いませんか?用が終わればすぐに帰りますので」


それが真実なのか口から出まかせなのかは分からないけれど、とにかくイケメンさんはすらすらとそう言い訳を述べたのだ。


すると以前からの顔見知りなのだろう、制服の男性は「どうぞどうぞ」と右手を広げた。

まるでウエルカムと告げるようなジェスチャーである。


「森宮さまのお連れさまでしたら結構ですよ」


「ありがとう。そんなに時間はかからないと思うから」


イケメンさんは私の手を引いたまま、その男性の横を通り過ぎた。


ちらっと私と目が合うと、制服の男性はにっこり笑い皺を濃くして、見送ってくれたのだった。




「あの、どこに行くんですか・・・?」


タイミングよく一階で停止していたエレベーターに乗り込んだところで、私は扉が閉まり切る直前に尋ねた。


けれどイケメンさんは柔和に見返してくるばかりだ。


「いいところだよ。来てみたら分かるから」


エレベーターのボタンは最上階が押されていた。


エレベーターの中でも手を離してくれないイケメンさんに、私はドキドキしっぱなしだったけど、でも嫌な感じはしなかった。


至近距離で見上げると、改めてその背の高さを感じたし、顔のラインもとても綺麗で、フレグランスだろうか、花のいい匂いも微かに漂ってきた。



・・・・・だめだ、こんなハイレベルな人と一緒にいると、緊張感が半端ない・・・・



私はパッと目を逸らすと、イケメンさんの姿を視界から追い出した。



ちょうどそのとき、指定階を告げる音が響いたのだった。



スーッと静かに扉が開くと、そこはカーペット敷きのフロアだった。

今日の昼間、面接を受けたフロアはライトグレーのカーペットだったけれど、このフロアはバーガンディで、なんだか高級な感じがした。


イケメンさんは私の手を握ったまま、エレベーターを降りた。


そこは、静謐な空気が流れていた。


「あの、ここは・・・?」


「いいから、こっちだよ」


きょろきょろ辺りを見回しても、ベージュの壁にダークブラウンの扉が並んでいるだけで、人の気配すらしない。


ただ、全体的な趣はとても品があって、私は腕を引かれつつも、ハッとした。



・・・・ここって、もしかして役員フロアじゃない?





だとしたら、私なんかが足を踏み入れていいわけないし、いくら社員だったとしても、この男の人もただでは済まないんじゃないの?


そう思った私は、勢いつけて手を払った。



「あの!ここって、役員フロアなんじゃないですか?勝手に入ったりしていいんですか?」


私がいきなり手を離したものだから、当然イケメンさんも立ち止まって振り返る。

けれどその表情はなぜか楽しそうだった。


「今は誰もいないから大丈夫だよ。心配しないでいいから、こっちにおいでよ。いいもの見せてあげるから」


そう答えてきたイケメンさんは、立ち止まったまま、私を待っていた。


役員フロアでこんな風に振る舞えるなんて、この人は役員に近い位置で仕事をしている人なのだろうか?


パッと頭に浮かんだのは秘書だったけど・・・・



「でも・・・」


何にせよ、ここに勤めてるのだからこの人の身元はしっかりしてるはず。

それでも、今さっき出会ったばかりの人に、はじめての場所・・こんな分不相応な場所に連れて来られて、警戒するなと言う方が難しいだろう。


私が戸惑いを見せると、彼はしょうがないな、というように苦笑いをこぼした後、くるりと身を返し、廊下の奥に進んでいった。



「オレの今一番好きな場所に案内したかっただけだよ」


そう言って、後ろ姿すらもイケメンなその人は私を置いたまま歩いていったけれど、廊下突き当たりの扉の前でピタリと足を止めた。



「・・・どうする?一緒に来る?」


判断を私に委ねてくる彼。



彼が振り向いて、目が合った瞬間・・・・


その人の優しい表情と眼差しに、ドクン、と心が大きく揺さぶられた。



さっきから会話の所々で何度も目なんか合ってるのに、今回はどうしてか、すぐに逸らすことができない――――――



派手な交遊関係もなく、合コンやサークル活動に熱心だったわけでもない私は、こうやって男の人と夜に二人きりになる状況さえ珍しくて、緊張が増していくばかりだけれど・・・・



なぜだか、この人のことを、もっと知りたいと感じた。



こんなイケメンさん、きっとすごくモテるだろうから女の子の扱いなんか慣れていて、だから私に優しい笑顔を向けるなんて朝飯前で・・・・



そう思うのに、私は、彼のその笑顔に引き寄せられてしまう。



私は、まるで、水が上から下へ流れるように、ごくごく自然に、彼の傍に歩み寄っていた。



私が目の前まで来ると、彼は満足そうな顔で私の手を取った。





他の部屋の扉とは異なり、淡いクリーム色の扉が、静かに開かれる。


その先は、煌々と蛍光灯に照らされた階段室だった。



非常階段になるのだろうか?

でも、私のイメージする非常階段は薄暗い、冷たい、そんな感じだけど、ここは少し違っていて、バーガンディの絨毯は敷かれていないけれど、そのまま高級感漂う廊下の延長のような印象だ。


その階段をしばらくのぼると、突き当りにまた扉があった。

よく見ると、その扉は電子ロックのような機械が付いていた。


けれどイケメンさんは私の手を握ったままで、片手で簡単に電子ロックを解除してしまう。


ピピ、ピ――――ッ という音が鳴って、ガチャン、と扉の鍵が開かれる音が大きく響いた。


そしてイケメンさんがゆっくり扉を開くと・・・・・・


少し開いた隙間からヒュッと流れ入ってきた風に、髪が揺らされる。



「ここ、段差があるから気を付けて」


扉を大きく開いて押さえてくれている彼が、視線で足元を指した。

私は右手を握られたまま、慣れないパンプスで段差を乗り越える。


そうして扉を潜ると、そこは、屋上のようだった。



「・・・・ここって、屋上ですか?」


外に出たらイケメンさんは私の右手を離し、「そうだよ。こっち来て」と慣れた様子で先に進んでいく。



すると、そこには都会の夜の明かりが広がっていた。



「わあ・・・・キレイ・・・」



そう思うと同時に、声が漏れていた。



そこまで高くない建物なので、もちろん、どこかの高層ビルや展望台なんかに比べたら全然違うのだけれど、逆にこの高さゆえの景色が、リアルに感じられたのだ。


例えば近くのビルの室内灯だとか、下の街灯に照らされた人影だったりとか、車のテールランプ、はっきりとディテールを見分けられる、そんな、身近に感じる夜景に、私は感嘆の声を上げた。



「すごい・・・・」


正直なところ、都会で暮らしていると夜景に出会う率は結構高い。

だから夜景自体が珍しいわけではないのだけど・・・


ここからの景色は、なんて言ったらいいのか、ただの光ではなく・・・・例えるなら、”動き” のある光だった。



「いいでしょ?オレのお気に入りの場所」


私がその景色に見入っていると、私より前に行ってたイケメンさんがビジネスバッグを足元に置き、手摺りに腕を乗せながら声をかけてきた。



「とっても素敵です・・・」


彼の隣まで近付いた私は、夜景を見つめたまま答える。



「タワーの上から見る夜景もいいけどさ、あれってほとんど光の点みたいに見えない?でもここからの夜景は光の中に人々の日常って言うのかな、それぞれの暮らしが見て取れるんだよね」


イケメンさんの口から、さっき私が感じたのと似たようなことが告げられる。


私はちょっと嬉しくなって、


「私もそう思います」


と頷いて、彼を見上げた。



するとイケメンさんも嬉しそうに笑った。


「うん、君もオレと似たタイプかなと思ったよ。だからここに連れて来たんだ」



その笑顔にまたドクン・・・と心が震動してしまった私は、慌てて顔を夜景に戻した。



・・・・この人の笑顔は、心臓に悪い・・・



内心でそんなことを思いつつも、近くのビルで残業をしている人影を見つけた私は、彼が言った通り、その光の中に誰かの暮らしを垣間見た気がした。



「あの明かりのひとつずつの中にさ、きっと、それぞれの食卓もあるんだよね」



隣から、まるで舞い落ちるように柔らかく、そう聞こえてきた。



私がもう一度その整った顔を見上げると、今度は彼が夜の風景をまっすぐ見つめていて、視線は絡まない。



「オレ、普段はあんまりこんなこと口にしないんだけど、なんだか、きみになら分かってもらえそうな気がしてさ」


彼は前を向いたまま続けた。



「あの明かりの下には、家族で暮らしてる人、一人暮らしの人、夜遅くまで職場に残ってる人、毎日ちゃんと食事をとる人、栄養補助食品なんかで済ます人、ダイエットで食事を抜きがちな人、いろんな人がいて、その食事パターンも色々あるんだろうけど、人間って、食べないと死ぬからね。どこかのタイミングでは必ず食事はする。そのときにさ、自分の作ったテーブルウエアが使われたら・・・嬉しいよね」



その横顔はとても穏やかで、私が最初に持った ”イケてるビジネスマン” という若干尖った印象が、少し輪郭をぼやかしたように思えた。

もちろん、ルックスがイケてるのは変わりないのだが、少し話しただけでも、この人の持っている優しい雰囲気に触れることができたせいだろう。



「・・・・それで、この会社に入られたんですか?」


私が問うと、彼は夜景から私に視線を移し、ほんの一瞬だけ、固まったようにそのまま見つめてきた。


でもすぐに「そうだよ?」と笑って返事してくる。



「ごめんごめん、きみがあまりにまっすぐな質問してくるから、ちょっとドキッとしちゃった」


若いっていいね。


そう言ってイケメンさんは大きく笑った。


その笑顔に、私の方こそドキッとしてしまう。



だけど、若いというのを、”幼い” と言われたように感じてしまった私は、


「そんなに歳変わらないと思いますけど・・・」


ごくごく控えめに反論した。



「そんなことないよ。オレもうすぐ三十だよ?きみとだいぶ離れてるでしょ」


「三十歳、なんですか・・・・?」


「あ、ちょっと引いた?」


「いえ、思ってたよりちょっと上だったので・・・・」


正直に打ち明けると、イケメンさんは「素直な子だなぁ・・・」と肩を震わせる。


気分を害した様子ではないけれど、私はなんだか申し訳なくなった。


「・・・すみません。初対面の方に失礼ですよね」


「いいよいいよ。素直な子って好きだよ」


イケメンさんは、けろりと、好きだなんて言ってくる。



・・・・・そんなことを言われたら、恥ずかしくなってしまうじゃない・・・・



けれど同時に、この人からしたら私なんてまだ学生で、きっとお子様にしか見られてないから、簡単にそんなセリフを言えるんだろうな・・・・とも思ったりした。


きっと大人の女性にはこんな風に容易く ”好きだ” なんて言わないに違いない。



そう思ったら、かすかにモヤッとしたものが胸を覆った気がしたのだった。



「・・・でも三十歳なんて、まだまだお若いと思います」


モヤッとした気持ちを吹き消したくて、若干声を張ってみせた。



するとイケメンさんが意外そうに目を開いたのが分かった。



「そうかな?まだまだ若いかなあ・・・?ありがと。きみは本当にまっすぐだよね」


彼にしたら、”まっすぐ” というのも誉め言葉のつもりだったのだと思う。


でも、やっぱり私は、それも言外に ”幼い” という響きを感じてしまい、胸中は少々複雑だった。



そんな私が抱いた複雑なんか知らないイケメンさんは、手摺りに腕を乗せてそこに預けていた体をいきなり起こし、「んー・・」と伸びをした。


その拍子にジャケットの袖から手首が露になって、私でも知っている高級ブランドの腕時計が左手首に見えた。

確か、ランクによっては数百万するものもあるブランドだ。


でも三十になる男の人だったら、それくらいの時計を身に付けてても不思議じゃないのかな・・・?


とことん男の人と免疫のない私は、そんなところでも判断に迷ってしまう。


そして、イケメンさんがくるっとこちらを向いて目が合っただけで、心臓が忙しなくなるのだった。



「ねえ、」


イケメンさんが、背伸びをやめて私に話しかけてきた。



その顔は優しいままなのに、なんとなく、目の奥に真剣さが含まれているように見えた。



「・・・あのさ、まっすぐなのはいいことだと思うんだ。・・・・だけど、その道が閉ざされたりしたときは、大丈夫?」


「・・・・え?」


彼の質問の意味が分からず、私はきょとんと訊き返していた。



「だから、まっすぐにこの会社を希望して、でももしそれが叶わなかったら、大丈夫かなと思って」



・・・・つまり、最終面接に落ちてしまった場合を言っているのだろうか?



私は、否定的なことを言われたにもかかわらず、そのセリフに嫌な印象は受けなかった。


この就活中、もし受からなかったら?なんて仮定、しょっちゅう頭を巡っていたからだ。

そしてそうなった場合の道筋も、もう何度も考えていたことだった。


だからできる限りに明るい表情で、「大丈夫ですよ」と答えられたのだった。



「そうですね・・・・こちらで働くのは子供の頃からの夢でしたから、それが叶わなかったら残念ですし、たぶん、落ち込むと思います。でも・・・・」


イケメンさんの視線から逃れるように、私は手摺りの向こうに広がる街の灯りを見つめた。


「・・・・夢って、カタチが変わってもいいと思うんです」


「カタチ?」


「ええ。もし、望んでいた夢が叶わなかったとしても、それに向かって頑張ってた私はなくなったりしませんから。そこで勉強したこととか経験したことは、きっと次の夢でも役に立つと思うんです」


自分の想いを口にしながら、私はふと、昔、誰かから聞いたことがある話を思い出していた。


「それから・・・ただの負け惜しみに聞こえるかもしれませんけど、・・・・夢って、実際に叶えてる人の方が少ないんだそうです。でもその後どう行動するかでその人の真価が問われる・・・って聞いたことがあります。ふて腐れるのか、諦めずにトライするのか、それとも別の道を模索するのか、それは人それぞれですけど、私なら・・・・」



目の前に溢れる明かりのひとつひとつに、生活があって、その中に食卓があるというなら、私が母の料理に魔法がかけられたと感じたような、あんな感動の種は他にも見つけられるような予感がするから。


もし、ここで働くことができなかったとしても、また、新しい種を見つけたらいい。


それが、夢のカタチを変えるということなのだろう。



「”誰か” の食事がさらに美味しくなるような何かを見つけて、それに携われる仕事を探します。もちろん、こちらと同じ業種の別会社にも当たってみると思いますけど、それだけじゃなくて、もっと幅を広げてみるというか・・・すみません、うまく言えないんですけど」


自分の頭では整理できていることでも、相手に伝えるとなるとちゃんと説明できているか不安になってしまう。


けれど、このイケメンさんにはどうにか伝わっていたようだった。



「ううん、きみの言いたいことはよく分かったよ。夢のカタチね・・・・」


隣からぽそりと呟きが聞こえてくると、私はそちらを向いた。


すると、イケメンさんとがっつり目が合う。



やっぱりその顔は、どこのパーツをとっても文句のつけようがないほどに整っていると思った。


そのあまりの整いっぷりを再認識した私は変に焦ってしまい、視線を泳がせた。


「そ、そうです。・・・でもやっぱり、今の一番の夢はここで働くことなので、今は、とにかくそれに全力を尽くすだけですけど」


焦りのせいで早口になってしまう私だったけど、隣から「それでハンカチ・・・」と、まるで独り言のようなイケメンさんの声が聞こえて、ふと、焦りが止まってしまった。



・・・・ハンカチ?



何も言わなくても、表情で疑問を訴えていたのだろう、私の顔を見たイケメンさんがクスッと息を吐いた。


「どんな些細なことでもマイナスになるようなことは避けたい・・・だっけ?」


言われて、それがさっき私がイケメンさんに説明したことだと気付いた。



「あ・・・・そういうことです・・・ね」


私は、左手が握ったままのハンカチを見ながら肯定した。



するとイケメンさんが、ぽんぽんと私の背中を柔らかく叩いてきたのだ。


「心配しなくても大丈夫だと思うよ?さっきあんなこと訊いておきながらあれだけど、最終面接までいったなら、もうほとんど決まったようなものだから」


「・・・・それ、本当ですか?」


思わぬところからもたらされた太鼓判に、当然私は食いついた。


この会社に勤める人からの入社試験に関する情報なら、どこよりも正確に違いない。

だって、これ以上の経験者はいないのだから。



「本当本当。だから安心して連絡を待ってなさい」


彼はそう言って、また私の背中を軽く叩いた。


そしてビジネスバッグを拾い上げながら言った。


「あー、でも、きみと話せてよかったよ。おかげで・・・なんか初心を思い返せた気がする」


イケメンさんが相好を崩すと、私は懲りずにドキドキしてしまう。


でも、さっきの朗報が確かで、もし私がここで働くことができたなら、この人と毎日顔を合わせることになるのかもしれないのだ。

そのたびにいちいちドキドキしてたら、身がもたない。


男慣れしてないといっても、会社勤めがはじまったらそうは言ってられないのだし・・・・



私はキュッと唇を結ぶと、「あのっ」とイケメンさんに向き合った。



「私、野田のだ さちといいます。こちらでお世話になることになりましたら、よろしくお願いいたします」


面接試験のときと同じく、ハッキリくっきりと告げて、頭を下げた。


すると、頭の上から「野田 幸さん?」と私の名前が降ってきた。


私が頭をあげると、彼は、もう一度言う。


「野田 幸さん、また会えたら、そのときはよろしく」


優しい表情をさらに柔らかくさせて、彼は挨拶をくれたのだった。





このとき、私が自らフルネームを告げたにもかかわらず名乗り返さなかった彼に、多少の引っ掛かりがなかったわけではない。


でも立場的には明らかにあちらが上だったから、その引っ掛かりを追及することは失礼だと思ったのだ。



だから、帰りに二人で乗り込んだエレベーターの中、ふと訪れた沈黙に、ついその引っ掛かりのことを考えてしまいそうになった私は、咄嗟に話題を探した。



「そういえば・・・・屋上って、誰でも自由に入ることができるんですか?」


何も考えずただの思いつきで訊いたものだから、私は口にした後、内心で ”そんなわけないじゃない” と激しく突っ込んでいた。


屋上に繋がる階段室の扉は、役員フロアにあったのだから。

ということは、その扉自体、一般の社員が気軽に足を踏み入れられるエリアにはないのだ。



私は、バカな質問してしまった・・・と、足下を見ながら小さく後悔した。


けれど隣で空気が柔らかく揺れたように感じて、ゆっくりと顔を戻してみた。


すると、イケメンさんがクスクス笑っていたのだ。



「きみは本当に素直なんだねえ。そして、嘘が吐けないタイプだ」


「え・・?嘘・・・?」


新に登場したワードに、私はそれこそ素直に戸惑ってしまう。


イケメンさんはそんな私の反応も予想通りだったのか、目が合うと、今度はふわりと微笑んだ。



「会話が途切れてなんとかしたくて話を振ったけど、その内容を失敗したって自分で反省して俯いてしまった・・・てとこだろう?分かり易過ぎて思わず笑っちゃった」


あまりの図星に、私は全身から火が出そうなほど熱くなってしまった。


自分でも単純な性格だと自覚はあるけど、こんな風にカッコいい大人の男の人に指摘されると、それが幼さや未熟さに姿を変えて、私とこの人との ”違い” を見せつけられた気分だった。


そして顔を真っ赤にさせてまた俯いてしまった私に追い討ちをかけるように、


「その反応も素直過ぎてかわいらしいよね」


そう言ってきたのだ。


”かわいらしい” なんて言われ慣れていない私は、ますます赤面してしまう。


けれどイケメンさんは俯いたままの私が顔を上げるのも待たずに、「でもさ、」と続けた。



「きみが嘘が吐けない、まっすぐで素直なタイプなのはよく分かったんだけど、今日きみをここの屋上に連れて来たことは内緒にしてくれるかな」


お願いするような口ぶりでそう言ったのだ。



内緒・・・・・?


ああ、そっか、あの屋上の扉は電子ロックで頑丈に閉ざされていたわけだから、やっぱり、勝手に入ったりしちゃだめな場所だったんだ・・・・・


そもそも、まだ最終面接に受かってもない私をこんな時間に本社に入れたりして、ばれたら責任問題に発展するかもしれないし・・・・



私はまだ頬に熱さを感じていたけれど、そのお願いに応えようとどうにか頑張って隣を見上げた。


「分かりました・・・・」


私の了承を受け取ったイケメンさんは体は前向かせたまま、顔だけをこちらに見せていた。



私は、もう何度めになるのか数えてないけれど、その整いすぎた美貌にドキリとした。



すると彼は人差し指を立てて、そっと自分の唇に当てたのだ。




「――――――――――――秘密だよ?」




少し目を細めて、そう言った彼。



その顔は、姿は、

私が出会ってきたどの男の人よりも、綺麗だった―――――――――



いたずらっぽく告げたセリフにもかかわらず、大人の男性の色気が溢れかえっていて、酔ってしまいそうになる。



・・・・・・こんなに煽情的な瞬間、私には生まれてはじめてのことだった。




男慣れしてないといっても大学時代には告白されて付き合った人も二人いるし、一応の経験は済ませている。


だけど、こんなに自分の中に情欲の存在を感じたことは一度もなかった。




・・・・・私、初対面の人に何を感じてるんだろう・・・・・




そう思った瞬間、心の芯から熱が走った。


突如生まれた自分自身の感情に戸惑ってしまう。



けれど、そんな私の戸惑いをあっさり無視して、チン、とエレベーターが一階に着く音が鳴った。



その無情とも言える音に、私はまだ纏まりがつかない気持ちに無理やり蓋するしかなかった・・・・



そしてエントランスを抜けて、外に出たところで、彼は立ち止まった。



「それじゃ、ここで。新人の頃は色々あるだろうけど、頑張ってね」


優しく笑ってくれる。


私は「ありがとうございます」と答えるのが精いっぱいで、自分がどんな顔をしているかなんて考える余裕はなかった。


ただ、軽く手を振った彼が背を向けて歩いていくのを見つめながら、内心ではどうしようもない予感が渦巻いていたのは、鮮明に覚えている。




・・・・・・・・この人を、好きになってしまうかもしれない・・・・・・・・




そんな予感が、いつまでも彼の背中を見送っていたのだった・・・・・・














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