悲劇の始まり
時刻は午前1時を回っていた。
私立東峰学園高校2年の浅沼美咲は、布団の中で寝返りをうった。どうしても眠れない。
部屋の外では、大雨に暴風という悪天候で、周りの木々は音を立てて揺れていた。人里を離れた場所にあるこの学校では、ほとんどの生徒が寮生活を送っている。そのため、簡単に帰ろうとはできないのである。
「はぁ…」
ため息をつき、彼女は体を丸ごと隠そうとした。眠れないのは分かっていたが、そうせざるを得なかった。雑念を振り払うように、布団を被ろうとした。だが、次の瞬間、
『あなたは、手に入れたいんじゃないの?』
「えっ?」
清らかな女性の声だった。誰かいるのかと周りを見るが誰もいない。しかし、美咲にははっきりと聞こえていた。
『ねぇ、どうなの?』
再び女は言う。不安になり、彼女は部屋のドアを開けた。
すでに電気は落ちており何も見えない。懐中電灯を持って廊下に出る。しかし、誰もいるはずがない。思わず自分の思い過ごしか、と急に恥ずかしくなって引き返そうとした。
だが、美咲は引き返そうとしなかった。いや、引き返せなかった。奥のホールから歌声が聞こえたからだ。しかもそれは女の歌声に似ていた。
「……っ」
わずかに体を強張らせたが、彼女は意を決してホールに向かった。
ガチャッ、と音を立てないようにドアを開けてみると、その女は窓に向かって『アメージング・グレース』を歌っていた。
服装はよく分からないが、肩ほどの髪の下からは病的な白い肌を覗かせている。不気味に感じつつも、静かにドアを閉めた。
すると、歌っていた女はドアを閉めた音に気付いたのか、美咲の方を見て微笑んだ。
「あなた、浅沼美咲さん?」
「……はい」
名前を呼ばれ、少し警戒するが、当の本人は何も気にせず微笑んでいた。不安が煽られるようだ。
雷鳴。一瞬だけ女の顔が見えた。亜麻色の髪に鮮やかな紅の瞳。少なくとも美咲が校内では見たことのない人間だった。
美咲は口を開いた。
「あなた誰なんですか?どこから入って来たんですか?今から先生呼んで捕まえてもらってもいいんですよ。」
出来る限り平静を装い女を脅した。だが、女は、萎縮する様子も無く「んー」と考える仕草をした。
「心外だなぁ。せっかく君の望む『永遠の輝き』を与えて上げようと思ったのに。」
「永遠の輝き……?」
「あなた同じクラスの西原さんのことが憎いんじゃないの?」
「……!」
どうしてそれを知っているのだろう。あいつはいつも私を見下してくる。他の皆もあいつが一番だからって……。彼女も私のことを馬鹿にするのではないだろうか。女への憎悪がふつふつと湧き上がる。
「私がどうだろうとあなたには関係ないでしょっ?ほっといてよ!」
痺れを切らした美咲は思わず反論し、掴みかかろうとした。次の瞬間だった。
女が目の前から消えたのだ。美咲は突然の出来事に混乱した。頭がおかしくなったのか。そんな訳なかった。
女の吐息が、耳に当たったから。
「!?」
「素敵ね、その憎悪に満ちた表情。私のモノにしたくなっちゃうわ。」
女はやや興奮気味に語り掛けた。恐怖が美咲を支配していく。誰か助けて、という言葉が無意味にループする。
「だから、あなたの血吸ってあげる。」
「や、やめて……!」
そんな懇願は通じるはずもなく女は彼女の肩にかぶりついた。次第に彼女の意識は、薄れていき、完全に消滅してしまった。
女は死体になったそれを無感情に一暼し舌舐めずりで血を拭き取った。
悲劇の始まりだった。