ACT.25
ACT.25
ヴー、ヴー……。
パソコンを打つ手を止めて、ポケットの中で振動する携帯を取り出す。
『ごめんね、今日も出張で夕方まで帰れません』
「……せんせー、ソゲ刺さったからぬいてー?」
携帯を閉じるのと、保健室のドアが開くのは同時で、思わずジロリと入ってきた男子生徒を見てしまった。
「……自分でぬいて」
「ちょ、職務放棄するなよ、先生」
ドサッと透の机の横に置かれた回転する丸椅子に座るとニヤニヤと笑う。
「最近、星村先生とご飯食べてないから、欲求不満なんじゃねーの?」
「あのね。
モノは言い方ってものがあるでしょ?」
「俺たちだって、図書室が閉まってるときが多いし、星村先生いないときが多いし、つまんねーんだよ」
ため息をつきながらも、手際よくソゲを抜く透に、男子生徒は時々眉をしかめながら呟く。
「今まで、ほとんど出張とかなかったのにな」
「この近くに、新設高校が出来るでしょ?
その図書室の準備の手伝いだって。
何でも、その高校の図書室司書をやる人が急に出来なくなったから、七海ちゃんがピンチヒッターに抜擢されたって」
「……ふーん」
ソゲを抜き終えて、消毒しておしまい、と軽く透に頭をポンと叩かれながら、男子生徒は唇を尖らす。
「……なぁ、川並先生。それって、ヤバくねぇ?」
「なにが?」
「星村先生が、ピンチヒッターに抜擢されたってことは。
来年、春雪高校に異動じゃねぇの?」
「……」
ただ黙って消毒薬を片付ける透に、男子生徒は更に声を上げる。
「そんなんで……先生、いいのかよ?
星村先生がいなくなっても、いいのかよ?」
「あのね。元から、あたしたちは異動があるのが必然なの。
だから、そんなの今更アレコレ言うこと出来ないんだけど」
「じゃあ、星村先生に告白しないのかよ?
このままじゃ、離れ離れになっておしまいだぜ?」
「……そうね」
本当の意味での『告白』は、まだ。
その告白を、七海が受け入れてくれるかどうかも分からない。
「機会があれば、ね」
……今はこの安らかな関係のままで。
そう願うのも、限界なのかもしれない。
「……よしっ!」
うっかり閉じそうになってしまう瞼に、気合いを入れてパソコンに向き直る。
春雪高校の図書室司書のピンチヒッターを校長に申し出て、3週間。
早速、翌日から春雪高校との打ち合わせで出張することが多くなった。
春雪高校は商業学科があるので、専門書や授業関係などの書籍も購入しなければいけないし、それプラス小説や図鑑など、必要な本を選ぶのだけでも大変だ。
近隣高校の図書室司書や、臨時で県が雇ったパートの図書室司書もいるが、開校を4月に控えた今、中心となって動いている七海に負担がくるのは当然のことで。
「……たまっちゃったなぁ」
こっちの高校にも、放課後はなるべくいるようにしているが、昼間は空けてしまうため昼休みを閉室にしたり代理の先生にお願いしていることもある。
本の予約など、溜まっていく業務は多く、もうすぐ8時を回ろうとしているのにやることは尽きない。
(……とりあえず、明日も来て仕事しよっかな……)
はぁ、とため息をついて、溜まっている仕事を見る。
明日は土曜日で、仕事も休みだがこのままじゃ今日中に終われない。
(最近、透にもあまり会えないなぁ……)
はぁ、とまた一つ大きなため息。
淳とは、会わないのが当たり前だったが、同じ学校で姿は目にするのに話している時間がないのが、これほどまで辛いことだとは思わなかった。
「………」
携帯をそっと取り出し、そして迷う。
メール、しようか。
いや、でも今日は金曜日だし、誰かと飲みに行っているかも。
(……意気地なし)
また、はぁ、とため息をついてパソコンに向き合おうとした時。
「ため息ばっかりついてると、そのうち幸せが逃げてくぞ?」
「ひゃああ!?」
ぴと、と冷たいものが頬にあたる感触に、悲鳴をあげた七海が目をまん丸にする。
「……――透!?なんで、いつから……!?」
「うたた寝するくらいなら、仕事切り上げろよ?」
差し入れ、とミルクティーのペットボトルを七海に手渡す。
さっき頬にあたったのも、このペットボトルだったのか、と七海は胸をなで下ろした。
「……うん。って、透?本当、いつから……」
「ついさっき。ウトウトしてるうちにここに座って、ここで七海を見てた」
「……なら声かけてよ」
うたた寝だって、ほんの数分だ。
それなのに、何度もため息をついていたりメールの受信画面を睨んでたり、そんなところを見られていることに気が付かなかったなんて。
「七海の仕事してる姿見るの、好きだし。いつ気が付くか試してたんだけどな」
「……全く気が付かなかったです」
「七海」
「うん?」
カウンターの中に入り、椅子に座る七海を立ったまま抱きしめる。
「……透?」
「抱きしめていい……?」
ふわりと香ったシトラス。
思わず瞳を細めて、ぎゅっと拳を握る。
「……もう抱きしめてるでしょ」
「うん」
「……ここ、学校だから……」
「もう、あまり先生も残ってないって」
「でも」
「……煩いお口は」
――塞いじゃいましょうね?
そっと重なった唇。
あぁ。もう。
せっかく我慢してたのに。
触れ合う暖かさに、我慢の糸がきれる。
透の背中を抱きしめて、シトラスの香りを感じながら久しぶりの透の温もりを甘受する。
「七海」
そっと唇を離した透の瞳に宿っていたのは。
「……今日、俺の部屋に来る?」
紛れもない『欲情』
それと同時に。
「…………」
こくん、と頷いた七海の背中をそっと透は抱きしめる。
欲情と、『悲しみ』が浮かんだ瞳の理由。
胸に大きな決意を固めながら、透は強く強く、七海を抱きしめた。