第十一話 帰れなかった海 死んだことにされた男 改訂版
【あらすじ】
天宝十二載、西暦七五三年。
三十六年ぶりの帰国を決意した阿倍仲麻呂は、遣唐使の一行とともに長安を離れた。
日本へ帰る。
その願いが、ようやくかなうはずだった。
しかし、海は人間の願いなど知らない。
船団は遭難し、仲麻呂の船は日本へたどり着かなかった。唐では、彼が海で命を落としたという知らせが広まる。
親しい友人たちも、彼の死を信じた。
そのなかには、詩人の李白もいた。
だが、仲麻呂は死んでいなかった。
故郷へ帰るために出た海が、彼を再び唐へ押し戻すことになる。
第十一話 帰れなかった海 死んだことにされた男
長安を離れる朝、私は何度も振り返った。
見慣れた街並み。
幾度となく歩いた道。
私を知る人々が暮らす家々。
十九歳で初めてこの都に足を踏み入れたとき、私は、これほど長くここで生きることになるとは思っていなかった。
あのころの私は、唐を知りたかった。
書物で読んだ世界を、自分の目で確かめたかった。
そして、私は知った。
唐は、書物のなかに収まるほど小さな国ではなかった。
人々の暮らしがあり、喜びがあり、争いがあり、政治があり、学問があった。
そのなかで、私は生きてきた。
いま、その都を離れる。
日本へ帰るために。
*
遣唐使の一行には、藤原清河がいた。
船には、唐で学び、働き、長い年月を過ごしてきた者たちが乗り込んだ。
私にとって、帰国は単なる移動ではなかった。
三十六年という時間を越え、もう一度、自分の生まれた国を確かめる旅だった。
日本の人々は、私を覚えているだろうか。
十九歳で唐へ渡った青年が、五十代半ばになって戻ってくる。
その間に、日本の都も、人々の暮らしも、大きく変わっているはずだ。
私の知っている日本は、すでに過去のものになっているかもしれない。
それでも、帰りたかった。
知らない国になっていたとしても、自分の目で見たかった。
私は船の上で、何度もそのことを考えた。
*
海は、いつまでも穏やかではなかった。
船団は、それぞれの船が分かれ、やがて荒天に見舞われた。
波は船を揺さぶり、行く手を見失わせた。
船乗りたちは、風と潮の動きを読み、船を保とうとした。
だが、人間の技術にも限界がある。
海の上では、長安で身につけた学問も、宮廷で得た官位も、何の助けにもならなかった。
私は、ただ生き延びることだけを考えた。
波が船を打つ。
船体がきしむ。
海水が降りかかる。
あれほど帰りたいと願っていた日本は、どこにも見えなかった。
私は思った。
こんなところで、終わるのか。
三十六年。
三十六年も待ったのだ。
ようやく帰れると思ったのに。
私は、海に向かって叫びたかった。
だが、海は答えなかった。
*
船は、安南の地へ流れ着いた。
現在のベトナム北部にあたる地域である。
日本ではなかった。
長安でもなかった。
私は、またしても故郷から遠く離れた場所にいた。
生きていた。
その事実に安堵する一方で、帰国がかなわなかったことを思うと、胸が重くなった。
日本へ帰るために出発したのに、私は日本へたどり着けなかった。
藤原清河もまた、生き延びていた。
しかし、私たちの旅は、当初の目的を失っていた。
帰国の道は閉ざされた。
そして、私たちが死んだという知らせが、唐へ伝わることになる。
*
長安では、私の死が信じられていた。
その知らせを受け取った友人たちは、どれほど驚いただろう。
つい先日まで、同じ街で言葉を交わしていた男が、海の底に沈んだというのだから。
私には、詩人の李白という友人がいた。
李白は、唐を代表する詩人の一人である。
酒を愛し、自由な精神を持ち、月を見ては詩を詠んだ。
彼の詩には、空と山と川があり、人間の喜びと寂しさがあった。
私は、彼と同じ時代を生きた。
同じ都に暮らし、同じ空を見上げた。
その李白が、私の死を知った。
彼は、私を悼む詩を残している。
題は『哭晁卿衡』。
「晁卿衡を哭す」――晁衡の死を悲しむ、という意味である。
李白は、私を晁衡と呼んでいた。
その詩には、こんな一節がある。
「日本晁卿辞帝都」
日本の晁卿は、帝都を去った。
そして、詩は続く。
「征帆一片繞蓬壺」
一片の帆が、蓬莱の島々をめぐる。
李白は、私が日本へ帰るために船出したことを知っていた。
だが、その船は帰らなかった。
彼は、私が死んだと思った。
そして、友人の死を悲しんだ。
*
私は、その詩を読むことができただろうか。
史実として確かめられるのは、李白が私の死を悼む詩を残したということだ。
その詩を私がいつ、どのように知ったのかまでは、はっきりしない。
だから、私は想像する。
もし、いつかその詩を目にしたなら。
友人が、私の死を悲しんでくれたことを知ったなら。
私は、どんな気持ちになっただろう。
長安に、私を悼んでくれる人がいた。
それだけで、帰れなかった旅にも、別の意味が生まれたのかもしれない。
もちろん、私は帰りたかった。
日本へ帰りたいという願いは、消えてはいなかった。
だが、私が人生を築いたのは、日本だけではなかった。
長安にも、私の友人がいた。
私の言葉を知る人がいた。
私の死を悲しむ人がいた。
そのことを思えば、私は、決して一人ではなかった。
*
やがて私は、再び唐へ戻ることになる。
帰国は、かなわなかった。
三十六年ぶりに故郷へ帰るという願いは、海の上で断たれた。
私は、生きていた。
しかし、私が死んだと信じた人々にとって、私はもう、この世にいない人間だった。
長安へ戻ったとき、私は何を思うだろう。
再び友人たちに会える喜びか。
帰国できなかった悔しさか。
それとも、もう一度、この国で生きていくしかないという諦めだろうか。
おそらく、そのすべてだった。
人間の人生は、願いどおりには進まない。
どれほど学問を究めても。
どれほど努力を重ねても。
どれほど長い年月を待っても。
海は、帰りたい人を故郷へ運んでくれるとは限らない。
それでも、人は生きていく。
帰れなかった場所を思いながら。
失った時間を抱えながら。
そして、いつかまた、空を見上げる。
その空には、月がある。
私が十九歳で唐へ渡ったときにも。
五十代半ばで帰国を願ったときにも。
そして、帰れないことを知ったときにも。
月は、変わらず空にあった。
【帰れなかった人】
阿倍仲麻呂は、十九歳で唐に渡った。
帰国を願い出たのは、三十六年後のことである。
人生の大半を唐で過ごした仲麻呂にとって、長安は、もはや異国という言葉だけでは片づけられない場所だっただろう。
学問を学び、官僚として働き、友人たちと詩を語り、数えきれないほどの季節を過ごした街。
そこには、彼が築き上げた人生があった。
それでも、彼は帰ろうとした。
故郷へ帰りたかったのだ。
ところが、海は彼を日本へ運んではくれなかった。
三十六年も待った。
ようやく帰れると思った。
それなのに、帰れなかった。
悔しかっただろう。
悲しかっただろう。
どうして自分は帰れないのか。誰にこの思いをぶつければいいのか。
海に怒ったところで、海は答えない。運命に抗議したところで、失われた年月は戻らない。
怒りの向け先さえない。
それでも、怒らずにはいられなかったのではないだろうか。
長安には友人がいた。唐で築いた人生があった。
だからといって、故郷を諦められるわけではない。
唐を愛することと、日本へ帰りたいと願うことは、矛盾しない。
人間は、二つの場所を故郷にすることができる。
そして、どちらも大切だからこそ、失うことの痛みは深くなる。
仲麻呂は、帰れなかった。
だからといって、唐で過ごした年月が無意味になったわけではない。しかし、その年月がどれほど豊かであっても、帰れなかった悲しみを埋め合わせることはできなかっただろう。
彼は、達観した賢人だったのだろうか。
私には、そうは思えない。
十九歳の青年が抱いた好奇心も、五十代半ばの男が抱いた帰郷への願いも、同じ一人の人間のなかにあったはずだ。
そして、願いがかなわなかったとき、人はいつも立派に諦められるわけではない。
悔しさも、悲しさも、怒りも、消えないまま生きていくことがある。
仲麻呂も、そうだったのではないだろうか。
帰れないまま、生きるしかなかった。
それでも、彼は月を見上げた。
唐の空にも、日本の空にも、月はある。
けれど、同じ月を見られることと、同じ場所へ帰れることは違う。
月は、故郷への道を教えてはくれない。
ただ、遠く離れた場所から見上げることができるだけだ。
仲麻呂の歌を、私たちは美しい望郷の歌として読むことができる。
だが、その美しさの奥には、帰れなかった人間の悔しさがあったのかもしれない。
悲しみがあったのかもしれない。
そして、どうすることもできない現実への、やり場のない怒りがあったのかもしれない。
月を見上げたからといって、すべてが救われるわけではない。
歌を詠んだからといって、故郷へ帰れるわけでもない。
それでも、人は歌を詠む。
言葉にすることでしか、抱えきれない思いがあるからだ。
阿倍仲麻呂。
十九歳で海を渡り、異国を故郷の一つにしてしまった人。
それでも、故郷を思い続けた人。
そして、帰れなかった人。
その人生を思うとき、私たちが見上げる月も、少し違って見えるのではないだろうか。




