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第十四集「今生の別れ」

「閉門間際の西市に行きたい」


 俺がそう言うと、許宇様は「ダメだ」と即座に却下してきた。

 「夕方から外せない会議があって自分がついていけないから」という理由だった。


 それはむしろ好都合――俺は踊る心を必死に抑え、  


「西市ならすぐ近くですし、一人でも行けます。大伴殿の傔従に同伴をお願いするつもりですし」


 嘘である。

 仮に無理やり一緒に行かされたとしても、彼なら一時離れることは可能だろう――そう思った。

 だが。


「閉門までに戻ってこられなければ、大変な事態になる。言葉に不自由がある日本人だけでの外出は許可できない。ましておまえは病み上がりなのだ」


 日没、北の承天門で叩かれる『暮鼓』八百声が打ち終わると、長安城内の坊門全てが閉じる。

 その後も城内を碁盤のごとく一〇八の坊に区切っている大路を歩く者は「犯夜者」として杖打ち刑が待つ――ってドラマで見たけど、演技でも杖打ちは痛そうだった。思い出しただけで顔が歪んでしまう。


 俺の動揺を透かし見たか、許宇様が畳みかけるように、 

「明日にしてはどうだ。明日の午後なら、私が一緒に行ける」


 許宇様が一緒では、俺は自由に動けない、多分。

 それだと俺の計画が果たせない。


 俺は対面に立つ許宇様の袖を握り、

「昨夜から、みんなと歩いた西市の風景が切れ切れですが鮮明に、浮かび上がってくるんです。今、事故に遭った時間帯に西市を歩いたら、何か思い出せるような気がして」と、上目遣いで切々と訴えた。


 俺がやったらぞっとする行為だが、子犬みたいにかわいい壱岐くんがやれば、きっと響く。


 案の定、先に視線を外したのは、許宇様だった。


 彼は小さくため息をつき、「それでは他の者をつけよう。頃合いを見て迎えに行かせるから、それまで部屋で休んでいろ」

「ありがとうございます!」

 前のめりに返事をしたら、許宇様は俺をまじまじと見下ろして、派手なため息をついてみせた。


 部屋に戻った俺には、やるべきことがあった。

 文机の前に座り、見よう見まねで墨を磨る。昨日見つけておいた、余白がある竹巻を机上に広げ、筆に墨を含ませる。

 竹に書くなんて初めてだし、筆を使うのもいつぶりだろう。なんだか手が震えるけれど、悠長なことは言っていられない。

 俺は左手で右手の袖を握りしめて、筆を執った。


 それが数刻前。

 

 そして今――夕刻。

 部屋にはてっきり許宇様が寄越した雑用係が一人がやってくるかと思っていたら、許宇様もついてきた。

 あれ会議は? まさか一緒に来るのか? それだと計画が……と大いに焦る俺の目の前で、許宇様は渋い顔になり、

「交渉してみたが、やはりどうしても欠席ができなかった。少しでも具合が悪くなったら、すぐに戻ってくるんだぞ」


 無念だとばかりにそんなことを言われてしまうと、一瞬でも「ついてこられたら困る」と思ってしまったことを申し訳なく思ってしまう。


 化かし合いはしているんだろうけれど、「私に好ましい」も本当なんだろうな。

 

 三人で鴻臚客館を出てすぐ、「では私はここで」と許宇様が足を止めた。

 俺も足を止めて、許宇様と対峙する。

 柔らかい夕日の光に浮かび上がる白い面に、一筆で描いたかのような切れ長な目元。最初は怖いと思ったものだけれど……。


 これが――最後、かもしれない。


 「ありがとうございました、色々と」そう言って、俺は深々と頭を下げた。

 頭を上げると、許宇様が随分険しい顔をして、俺を見ている。

 だけでなく、俺の両腕を強く掴み、

「何だその、今生の別れのような挨拶は。そんな不穏なことを考えているなら、行かせられない」


 ああ、やっぱりめんどくさいことに……。 


「いやあの――以前を思い出すかわりに、この数日のことは忘れるかもしれない、と思って」


 でも言わずにはいられなかった。

 俺に向けたものではなかったけれど、許宇様に色々と心をかけてもらったのは、紛れもない事実なのだ。


 許宇様の目から険が取れた。

 痛いくらいに腕を掴んでいた手が緩む。


「そうか……」

 そう呟いた許宇様が少し寂しげに見えて、俺は思わず微笑んでしまった。

「だから、今の私の気持ちを、きちんと伝えておきたかった――」


 みなまで言えなかった。

 許宇様に抱きしめられたからだ。


 驚きのあまり硬直し、頭が真っ白になる。

 だけど――背中から射す夕日とは違う温かさに包み込まれてるうちに、なんだか体の力が抜けてしまって、あ、ちょうどいい高さにあるじゃん、そんなことを思った俺は気づいたら、彼の肩に額を置いてしまっていた。

 だけでなく、同じように背中に手を回してみたら、許宇様の腕に少しだけ力が込められた。


 あ、この匂い、なんかほっとする。ほのかに香るこの、お寺を思わせる白檀の香り、部屋に焚かれているのかと思っていたけれど、許宇様のものだったんだ。


 そう思ったら突然、何故か分からないけれど、これでお別れなんだなと思ってしまった。


 額を彼に預けたまま、俺は深く息を吸い込んでから、言った。


「次にお会いした時も、同じようにしてください」



                ◆

 

 ――あの店だ。

 俺は立ち止まり、袖の下でぐっと拳を握りしめた。西市の、事故現場だと教えられたとある十字路、通りを挟んだ向かいに、その店はあった。


 俺は背後を振り返り、半歩後ろで立ち止まっていた雑用係に言う。

「ここで待っていてください」

 

 許宇様に「決して離れるな」と繰り返し言い付けられていた彼は、え!? と驚きの表情を見せたけれど、俺は件の店を指差し、「あの店を見るだけです。すぐ戻りますから」

 言うなり、彼の返答を待たず俺は身を返した。


 「よし!」気合を入れて一歩踏み出そうとしたら、帰路を急ぐ人々の喧騒の中から馬車が突如現れ、目の前を通り過ぎていった。俺は再び足を止める。


 危なかった、さっき立ち止まらなかったら轢かれてた――いや、轢かれておいた方がよかったのか? 

 ちらりとそんなことを思ったけれど、俺はすぐさま首を振る。


 ダメだ死ぬ、あの勢いの重量級馬車に跳ね飛ばされたら、今度こそ死ぬ。


 目の前で巻き上がっている砂塵を袖でばっさばっさと払っていると、通りの向こう、件の店の主が、ふと顔を上げた。


 あれ、あの店主――そう思ったとき、彼と目が合った――。






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