第四百八十六話 『日本』に帰れる勇者達
「な……名取さん……!?」
「ええっ〜? 美雪ちゃんが、どうしてここにいるの!?」
上半身裸の倉持を背中に背負い。額から血を流しながら手傷を負っている『結界師』の名取美雪の姿を見て。
クラスメイトの紗和乃や玉木は驚きの声を上げて、目の前で一体何が起きたのかを急いで理解しようとする。
周りを見渡してみると、先ほどまでゲートのある空間への侵入を阻んでいた黒い結界は崩壊し。代わりに新しい虹色の結界が張り直され。後ろから追撃してきていた、クルセイス達の侵入を防いでくれているようだった。
これはつまり……ここにいる名取が、クルセイス達に囚われていた倉持悠都を単身で救い出し。
更には自身の能力を用いて強力な結界を張り、無数の白アリ兵達がゲートのある空間に侵入するのを阻止してくれているに違いなかった。
「……私は、この時をずっと待っていたんです。悠都くんが、あの女に囚われてから。彼を救い出せるチャンスを、私はずっと側から窺っていました……」
玉木に体を支えられ、負傷した名取は呼吸を乱しながら小さな声でそう答えた。
名取は全身に白い鎧を着ていた。きっと敵の白アリ兵達の中に正体を隠しながら潜伏して、倉持を救い出せる機会をずっと狙っていたのだろう。
ティーナや玉木に傷の手当てをして貰いながら。名取は紗和乃達に、自身の能力で張った虹色の結界はおそらく、15分ほどしかクルセイス達の進撃を食い止められないと伝える。
つまりこのゲートがある空間に、敵が侵入してくるのを阻む事が出来るのは……後、たったの15分だけなのだ。
それまでに何とか全員でここから逃げ出さないと、グランデイル城の地下の最深部に閉じめられた紗和乃達は、クルセイス達に包囲されて殺されてしまうだろう。
そんな余りにも危機的で、絶望的な状況下であるにも関わらず……。
雪咲と紗和乃の2人は、慎重な足取りで。ゆっくりと地下の最深部に置かれている、異世界へ渡る事が出来るという『ゲート』に吸い寄せられるかのように近づいていった。
それは彼女達にとって、まさに本能的な行動であったといえるかもしれない。
ゲートを近くから観察してみると。予想通り今までに見た事も無いような、複雑な魔法文字が組み込まれた機械が設置されているのが分かる。
そしてつい先ほどまで、この装置は実際に稼働していて。誰かがこのゲートを使って本当に異世界に渡っていったのが分かる、ほのかな余熱を残しているように感じられた。
紗和乃は震える手で、そっと右手をその複雑な魔法文字の刻まれた機械の箱に触れさせてみた。
すると――機械に刻まれた魔法の文字が突然、白い光を輝かせ。箱に触れた紗和乃の右手から、何かを読み取るように稼働し始める。
まるで医療機関でCTスキャンを受けたかのように、魔法の文字は紗和乃の右手から何らかの情報を吸収し始め。ゲートの下に置かれていた『座標』を入力する為の文字盤の数字を自動的に動かし。合計で16桁にも及ぶ長い数字の羅列を組み直していく。
「ゆ……雪咲さん、ティーナさん! こっちに来て協力してくれる? 急いで試したい事があるの!」
紗和乃はまるで、洞窟の最深部で宝石の入った宝箱を見つけたかのように。興奮した声を上げて叫ぶ。
それは確かに宝箱といっても、差し支えなかったかもしれない。なぜなら、紗和乃の予想通り。ゲートに設置されま魔法の装置は、ティーナが触れた時には別の数字を指し示したが……。雪咲が触れた時には、紗和乃の時と同じ『座標』の数字を機械が導き出したからだ。
「間違いないわ……! 私と雪咲さんが装置に触れた時に同じ座標の数字が表示されたのは、私達がこのゲートを使用して行きたいと願う場所が一緒だったからなのよ。つまり今……この装置に示された数字は『日本』に帰る為の座標を指し示しているんだわ!」
この場に居る、紗和乃、雪咲、そして玉木の3人は緊張した面持ちでお互いの顔をマジマジと見つめ合う。
名取だけは、まだ意識を失っている倉持の上半身に丈夫な青いマントをかけて包み込み。彼の体に傷が無いかを熱心にチェックしているようだった。
今まで……この世界に召喚されてから、この瞬間に至るまで。彼女達は何度も元の世界である『日本』に帰れたら――と、夢想した事はあった。
でもそれは決して叶わぬ望みなのだと、この場にいる全員が既に心の中で諦めていた。
なぜなら日本に帰る為に必要な障壁は、あまりにも大きく。決して攻略する事は叶わぬだろうと、諦めざる得ないくらいに難攻不落なものだったからだ。
彼女達が元の世界である『日本』に帰る為には、グランデイル王城の地下の最深部に置かれた『ゲート』を使用しないといけない。
だが、ゲートを使用するには……決して死なない不死の体に成る必要があった。それはゲートを使用して異世界に渡る際には、必ず自分の命を落としてしまう……という恐ろしいギミックが設定されていたからだ。
その不可能な肉体の不死を実現する為に。異世界に渡るという夢を決して諦めなかった女神アスティアは、1万年という長い年月を魔法の研究に捧げ。
異世界から勇者を召喚して魔王化させた際に手に入る、『不老の源』となる魔王種子を10個手に入れるという研究結果を導き出し。その目的を達成する為に、全てを捧げて生きてきたと言っても良い。
そこまでして、不老の命を持つ女神が1万年の長き時間を魔法研究に費やし続けて。
ようやく手に入ったのが……『不死』の力なのだ。
その上、例え肉体の不死化に成功しても。ゲートを使用して自分が望む異世界に渡れるとはまだ限らない。
ゲートの置かれた台座には、『座標』と呼ばれる数字を入力する装置があり。そこに様々な条件を満たした上で、自分が望む異世界の情報を正確に反映させた数字を入力しなければ、希望の異世界へは旅立てない。
そんなあまりにも難攻不落な2つの厳しい条件をクリアしないと、異世界に渡れる『ゲート』は使用出来ない。
この世界で、それをとうとう叶えたのは……1万年という長き時間を費やして。自分の想い人に会いたいという願いを決して諦めずに、不可能だと思われた奇跡を実現させてみせた――女神アスティアのみである。
それほどまでに難易度が高い、異世界に渡る為に必要な厳しい条件を全て突破しないといけないという、絶望的に高い障壁のあるゲートが――。
今、紗和乃達の目の前には、
全ての錠前が『解かれた』、余りにも無防備に扉が開かれた状態で解放されていたのであった。
「えっと……一度、確認をさせて貰ってもいいかしら? ティーナさんは『複製&移植』の能力を使って、眠っている倉持くんから『不死者』の能力をコピーして、他者にその能力を付与する事が可能なのよね?」
紗和乃は全身を震えさせながら、後方にいるティーナにその事を改めて質問してみた。
「は、はい……。私の遺伝能力で、そこにいる不死者の勇者様から、命を一度失っても蘇る事の出来る能力をコピーする事は可能です。私の能力はオリジナルの能力の劣化版複製になってしまうので、倉持様が現在、合計で2回分の命を持っているのでしたら。私が複製して他者に移植出来るのは、1回分の不死の力だけになってしまいますが……」
ティーナが倉持から複製した能力で、他者に授けられるのはたった1回分の不死の命だ。
一度死んでも、蘇る事が出来る不死者の能力。
それが、たったの1回分の不死の命なのだとしても。それは女神アスティアが1万年の時間を費やして手に入れた、奇跡の力とほぼ同等であり。その1回分の不死の能力があれば、目の前にあるゲートを使用して。
ここにいる紗和乃や、雪咲、玉木達は……日本に帰るという当初の目的を十分に果たす事が出来るだろう。
……ゴクリ……。
紗和乃達3人は、思わずその場で口の中に溜まった大量の唾液を一気に飲み干してしまう。
それは、もしも日本の宝くじで6億円が当たったとしても。決して味わえないほどの高揚感と、凄まじい緊張感が同時に全身を駆け巡るという、かつてない程の不思議な体験であったに違いない。
倉持を助ける為にこの場にやって来た名取だけは、目の前にあるゲートの存在と、日本に帰れるという選択肢には無関心なようだった。
きっと名取にとっては、彼女が大切に想っている倉持の安否の方が日本に帰る事よりも遥かに重要なのだろう。
この世界の住人であるティーナとフィートも、異世界の勇者達が感じている並々ならぬ緊張感を理解し。
その場で目をキョロキョロさせながら、紗和乃や雪咲達の様子を無言で窺っていた。
名取が張った虹色の物理結界は、たったの15分しか持たないという。
もしも彼女達が……この場で日本に帰るという決断をするのなら。残された時間はもう、僅かしかなかった。
「……雪咲さんは、どうかしら? やっぱり……日本に帰りたい?」
紗和乃はおそるおそる、震える声で隣に立っている雪咲に声をかけてみた。
「ず、ズルいですよ! うちにそれを真っ先に聞いてくるなんて……! それは帰りたいに決まってます! 日本に帰れば家族に会えるし。またゲーム実況配信が出来るし、食べたかったものも食べれるし。見たいテレビドラマだって見放題なんですから! そういう紗和乃さんはどうなんですか、日本に帰りたいんですか!?」
「そんなの私だって、日本に帰りたいわよ! 日本に残してきた家族や友達に会いたいし、やり残してきた事だっていっぱいあるし! 私、旅行が好きだったから。世界中を旅してみたいと思ってたんだから……!」
紗和乃と雪咲は、共に語気を荒げて叫び合った。
彼女達にとって、日本に帰れるという目的は……。今まで決して実現不可能な夢を語り合う笑い話でしかなく。それが突然、実現可能な状態で目の前に転がり込んでくるなんて、全く想定さえしていなかったのである。
「さ、紗希ちゃんはどう……? 目の前にあるゲートを使用すれば、きっと……ううん。多分、100%日本に帰れると思うのだけれど。やっぱり紗希ちゃんも、日本に帰りたい……と願うのかしら?」
紗和乃は、それを親友の玉木に質問してしまった事をすぐに後悔した。
玉木はこの異世界に召喚されてからずっと、日本にいる妹想いなお姉ちゃんに会いたいと願っていた事をよく知っていたからだ。
そして玉木が大好きな日本の『桜』を、もう一度日本に帰って見てみたいと願っていた事もよく知っていたのに……。
それなのに紗和乃は、玉木に同意を求めるようにして。日本に帰りたいのか……? という、余りにも当然過ぎる回答が返ってくる事が分かっている質問を、わざわざしてしまったのだから。
だが……親友の紗和乃からその質問をされた玉木は、顔を横に振って。その場で少しだけ微笑んでみせた。
そして改めて、紗和乃の目を真っ直ぐに見つめて。
一点の曇りも無い、自信に満ちた表情で回答した。
「ううん。私は、日本に帰らなくても良いかな……って今は思ってるよ、紗和ちゃん」
「えっ……紗希ちゃん!?」
「副委員長!? それ、マジで言ってるんですか?」
玉木から予想外な回答をされた紗和乃と雪咲が、共に声をハモらせながら驚きの声を合唱させる。
そんな紗和乃達の反応など全く気にする事なく。玉木はいつも通りマイペースに笑いながら答えてみせた。
「うん。だって……彼方くんは、この世界に残るって決めているみたいなんだもの。だから私も、もうこの世界で生きていこう、って心の中で決めていたんだ〜。それは最初は私も、日本に帰りたいな〜って思ってたよ。お姉ちゃん絶対に私のことを心配して、探しているだろうし……」
玉木はここが地下の最深部であるにも関わらず、まるで空を見上げるかのように。上を見上げながら遠い目をして話し続ける。
「――でもね! 私もこの世界で沢山の人と関わりが出来て、大切な人がいっぱい出来ちゃったの。私はカルツェン王国の新女王、ルカちゃんの後見人をしてるんだけど。ルカちゃん……もしも私がこの世界から居なくなったら、きっと発狂して。クルセイスさんを超えるくらいの暴君になって、私を探す為に世界侵略戦争とか始めちゃいそうなんだもの〜!」
「それは……あまり笑えない話だから、後見人として玉木さんは、もっとその女の子にちゃんとした教育をしてあげた方が良かったんじゃ……?」
雪咲が冷静なツッコミを玉木にするが、玉木はクスクスとおかしそうに笑ってみせる。
「そうなのよ〜! ルカちゃんの事もすっごく心配だし。私にはやらないと行けない事がいっぱいあるから、まだ日本には帰れないよ〜。彼方くんの面倒だって見てあげないといけないしね! 日本に帰れないのはすっごく寂しいけど、どちらかの世界に残る事を選べと言われたなら、今の私はこちらの世界に残ろうって決めてたんだ〜」
玉木が迷う事なく、自信満々にそう断言してみせたので。紗和乃と雪咲は思わずお互いの顔を見つめ合わせてしまう。
「そっか……紗希ちゃんがそう決めているのなら。私もこの世界に残る事にするわ! 私は元々、紗希ちゃんのいる場所に居たいと決めていたから。日本に帰っても、紗希ちゃんが居ない人生を過ごすのは余りにも寂しいし、私には辛くて耐えられないもの」
「紗和ちゃん……! ありがとう〜!」
満面の笑みで、親友の紗和乃と熱く抱擁し合う玉木。
そんな2人の姿を目の前で見せられて。雪咲は後頭部を指先でカリカリとかきながら『やれやれ……』といった表情を浮かべて嘆息してみせた。
「はぁ〜! もう……そんな事を言われたら、うちだって日本に帰りたいなんて言えなくなりますよー。いえ、今だって本心は日本には帰りたいですよ? 家族にだって会えるし、うちのゲーム配信を待ってくれてるファンだっているんですから。でも、日本に帰っても。その後どうするのかを考えると結局、思考停止しちゃうんですよねー」
雪咲はこちらの世界に来て、女神教の手の者によって心を操られていた時以降――。
ずっと愛用している長剣を指先でなぞりながら、深いため息を連続で吐き出し続ける。
「正直……ゲーム実況配信だって、若いうちだけが華の一時的な職業なんです。きっと30代になったら続けられないでしょうし。結婚するとか、家を買うとか、そんな家庭の問題に追われ続けているうちに、縁側でお茶をすするお婆ちゃんに、あっという間になってしまう気がするんです。それを思うと、きっとこっちの世界に居た方がうちは輝ける気がするんですよねー」
雪咲の内心は、おそらくほとんどの異世界の勇者達にも共通している想いであったかもしれない。
元の世界の日本にはもちろん帰りたい。でも、恒久的に暮らしていくとなると……。
異世界の勇者として、誰もが憧れるチート能力を持ち。世界中の人々から頼られ、チヤホヤされる存在である今の地位を手放すのは惜しいと思えてしまう。
もちろんそれは、この世界が平和になった場合は……という条件付きの選択肢ではある。
けれどもし、クラスのみんながこの世界に残る事を選択するというのならば。
そして異世界にいても便利な家電製品や、高級ホテルまで提供してくれるコンビニの勇者の彼方がこっちに居続けてくれるのなら。
更にはちゃんと、トイレットペーパー付きの綺麗な水洗トイレを用意してくれるのならば(←ココ重要)。
雪咲も、紗和乃も、この世界に残るという選択をしても良いと、今は思えていたのだった。
「よーし、それじゃあ決定ね! 私達は、日本には帰らない。もちろんまだ完全にその可能性を閉ざしてしまう訳じゃ無いけれど。今は目の前にあるゲートに飛び込むのは諦めて。クルセイス達の追撃から逃れる方法を探す事を優先させましょう!」
紗和乃が大きな声を出して、そう宣言する。
時間にして、おおよそ10分くらいの話し合いの時間を終えて。ようやく異世界の勇者達が、これからの行動指針を決めてくれた事に、ティーナもコンビニ猫のフィートも胸を撫で下ろして安堵する。
『もう〜、尻尾ねーちゃん達が真剣モードで話し合いを始めたから黙って見守ってたけど。敵がすぐそこまで迫って来てるんだから、もっと早く決断して欲しかったのにゃ〜!』
コンビニ猫のフィートが勇者達を叱るように、シャーっと茶色い毛並みを逆立ててみせた。
フィートが怒るのは、もっともだ。ゲートの置かれた空間を封鎖してくれている名取の張った結界は、たったの15分しか持たない。
……という事は、あと5分以内にここから脱出しないと、結界の効力は切れて。無数の白アリ兵達を引き連れたクルセイス達がここに押し寄せてきてしまうのだ。
「本当にゴメンなさい……! でも、この世界に残ると決めたからには、ちゃんと生き延びないといけないわよね。まずは怪我をした名取さんと、委員長の倉持くんを連れて。急いでここから外に脱出する方法を考えましょう! ティーナさんと倉持くんがいなければ、クルセイスはゲートを使用出来ないはず。だから2人を連れて、ここからすぐに移動するわよ!」
紗和乃の指示を聞いて、すぐにティーナも玉木は準備に取り掛かろうとする。
だが……その時、雪咲だけが、なぜか狼狽えたような声で小さく呟いてみせた。
「あれ……名取さんは、どこにいったんですか?」
「えっ……!?」
雪咲にそう指摘されて。紗和乃達は慌てて、周囲を見回してみる。
確かに……先ほどまでいた場所に、『結界師』の名取美雪の姿が見当たらない。
それどころか名取に介抱されていたはずの、倉持悠都の姿も見当たらなかった。
慌てて2人の姿を探そうとするメンバー達の耳に、ゲートの置かれている台座の上から。
常日頃から他者を上から見下し、蔑むような態度を取る卑劣な男の声が聞こえてきた。
「フン……。低知能な君たちが、流石としか言いようがない愚かな決断を下した事に。僕は深い哀れみさえ感じてしまったよ。『日本』に帰る事が出来るこの千載一遇のチャンスを、この僕が今までどれだけ待ち侘びてきたと思うんだい? チンパンジー程度の知能しかない君らには、到底理解さえ出来ないのだろうけどね……」
「く、倉持くん……!?」
紗和乃達が見上げた場所には、ゲートの装置に手をかけて。
今にも異世界に渡れるゲートを、使用する寸前の状態でスタンバイしている倉持悠都の姿があった。
そしてよく見ると、倉持の手には小さなナイフが握られていて。
自分を助けてくれた名取美雪の喉元に、ナイフの刃物を突き付けながら。倉持は恩知らずにも……自分の恩人である名取を人質して、紗和乃達全員を脅迫しようとしているのは間違いなかった。




