第四百五十九話 女神からの試練②
目の前でクスクスと笑う、黄色いチューリップ色のドレスを着た女の姿を見て。俺の頭の中は状況の整理が全く追いつかずに、大パニックに陥ってしまう。
いやいや、何でここに……朝霧冷夏がいるんだよ!?
女神アスティアの試練は、俺にとっての『最愛の人』と2人きりで知の迷宮とかいう、謎のダンジョンをクリアしろというものだったはずだ。
だから、この黒い箱の中に入ってるのは……当然、俺はティーナだと思っていた。
それなのに何で、ここに朝霧が現れるんだ?
まさか俺が潜在的に、本当に心から愛している女性は――目の前にいる、この変態ストーカー読書女の朝霧冷夏だった、なんてふざけた冗談を言うつもりじゃないだろうな?
両手を震わせながらパニックに陥っている俺の様子を、存分に眺めながら。朝霧はクスクスと唇に人差し指を当てて、愉快そうに笑い始める。
「……ウフフ。そんなに悩まなくてもいいのよ、彼方くん。安心して。私は現時点のあなたにとっての『最愛の人』では無いわ。私がこの黒い箱の中に入っていたのは、私の獲得した『新能力』によるものなのよ」
「――新能力だって? もちろん、それが何かを詳しく説明してくれるんだろうな、朝霧?」
「当然よ。でも、まずはこの黒い箱の中から外に出させて貰うわね。彼方くんの驚くリアクションが見たくて、狭い箱の中に入っていたけれど。ほら、私って細身なのに結構スタイルが良くてセクシーでしょう? 体の色々な部分がきつく押さえ込まれて、少し痛かったんだから」
いや、自分で自分の事をセクシーとか言うなよ……と、心の中でツッコミを入れつつも。
俺はついつい黒い箱から体を出した、朝霧冷夏の全身姿に目が釘付けになっていた。
そしてその艶かしい姿に魅了されて、思わず視線をあちこちに泳がせてしまう。
いつもクラスの片隅で1人で読者ばかりしていて、誰とも交流を取ろうとしない変わり者の女。そんな朝霧の性格は、クラスのみんなにも周知されていたので。好き好んで朝霧に話しかけようとする男子はいなかった。
でも……目の前の朝霧は、クラスの中でも間違いなく上位に入るであろう容姿の整った美人であり。男性陣はそれを全員理解していて、魅了されていたのも確かだった。
もちろん、俺だって……その1人だ。
こんな性格の破綻している奴と、話なんかしてやるものかと思いつつも。ついつい美人の朝霧の、一挙手一投足に視線が集中してしまう。
彼女の行動や仕草、その言動に俺が見惚れてしまうのは……。俺の心の中で、潜在的に朝霧が超絶美人な女性である事を認めているからと認識するのが悔しかった。
「……どうしたの、彼方くん? さっきから私の体ばかりじっと見つめているみたいだけど? もしかしたら彼方くんにとっての『最愛の人』が、本当は私だったんじゃないかと、自分の心を疑い始めているんじゃないのかしら? それでそんなに鼻息を荒くして、興奮しているという訳なのね」
「なっ……!? そんな訳ないだろう!! 得体のしれないお前なんかに、誰が欲情なんかするかよッ!」
顔を赤くして、必死に否定する俺の様子がよほどおかしかったのか。朝霧はクスクスと笑いながら、ゆっくりと俺のいる場所に近づいてくる。
そしてあと少しで肌が触れ合う寸前という至近距離にまで、全身を密着させるように詰め寄ってきた。
「ウフフ。私の事を意識してしまうのは、仕方の無い事なのよ。だってこの前、あんなにも濃厚なキスを私としたばかりだものね?」
「お生憎様だな。俺はもう、お前とキスをした事なんて忘れてしまうくらいに濃厚なキスをティーナとしているんだ。だからお前とのキスの味なんて、とうの昔に忘れちまったぜ!」
「ティーナさんとのキスは、彼女の体の中にいる白アリの女王の本体を外に引きずり出す為にやむを得ずした行為でしょう? でも、私とのキスは全然違うわ。獣のように、お互いの舌を濃厚に絡め合う大人の接吻だもの。だから彼方くんの心の中に、私とのキスの記憶は忘れられないものとして残ったはずよ」
肉体を重ね合わせるくらいに急接近した朝霧が、指先で俺の喉元を下からなぞるように滑らせてくる。
途端に全身に電流が走ったような感覚がして、慌てて俺は朝霧の体を強く押して遠ざけた。
「ハァ……ハァ……。それ以上の悪ふざけは、やめて貰おうか! 俺が聞きたかったのは、お前がここにいる理由と、新たに手に入れたという『新能力』についてだ。お前とのキスの話なんて、今は何も関係無いはずだろ?」
「あら、関係はあるわよ? 私は前回、物語の主人公である彼方くんに直接触れて、唇を重ね合わせる事によって大幅な進化を遂げたの。それによって私が新たに手に入れた能力は――『上書き挿入』。歴史上のある一点の時間に、本来存在し得ない別の事象をねじ込み、歴史を上書きさせて書き換える事が出来るようになったのよ」
「……何!? 『上書き挿入』だって!? それじゃあ、まさかお前は……!」
「そうよ。彼方くんも違和感に、薄々気付いていたのでしょう? 私はこの世界の歴史に干渉して、本来出会っていなかったはずの女神アスティアと、今の彼方くんを大昔の迷いの森の中で出会わせたのよ」
朝霧から衝撃的な内容の話を聞き、俺の脳内には鮮明に、1万年前の太古の昔に迷いの森の中で『最初の勇者』と女神アスティア、そして不老カエルのコウペイに出会った、不思議な夢の記憶が全て思い出されてきた。
――そうだ。今ならあの時に見た、不思議な夢の内容をしっかりと思い出せるぞ。
俺はソラディスの森で飛行ドローンから落ちて。森の中で気を失っていた時に、大昔の存在した女神アスティアに出会った夢を見たんだ。
その夢の内容は、今まで俺が朝霧によって見せられてきた『仮想夢』とはだいぶ異なっていた。
仮想夢はそもそも、未来にこれから起こり得るかもしれない世界の出来事を、100パーセント疑似体験出来るものだ。
だが……今の朝霧の説明によると。朝霧は俺とのキスによって手に入れた新能力――『上書き挿入』によって、この世界の『過去』に干渉したらしい。
しかもそれによって、歴史上……本来出会っていなかった俺と女神アスティアが、過去に一度『遭遇していた』という新しい出来事を無理やり上書きして、本来の歴史に置き換えてしまったようだ。
「……俺を1万年前の過去の世界に送って、まだ迷いの森の中で暮らしていた時の女神アスティアに出会わせて、お前に一体何のメリットがあるというんだ?」
「さあ、それは私にも分からないわ。私だって全てを自由に書き換えられる訳では無いのだもの。でも……今回の女神による試練にも、私は『上書き挿入』の能力を使って干渉したのは事実よ。本来この試練の場には、彼方くんにとっての『最愛の人』が用意されているはずだった。でも、それをねじ曲げて。部外者の私がいきなりここに登場するように歴史を上書きしたのよ」
「何だって!? それで、唐突にお前がここに登場しやがったという訳なのかよ……!」
驚くのと同時に、少しだけ自分の心が安堵している事に気付く。
そうだよな……まさか俺が潜在的に、目の前にいる朝霧の事を『最愛の人』だなんて認識をしているはずがないものな。
「これは、女神による『愛』の試練なの。本当は彼方くんが一番想いを寄せている女性が、この黒い箱の中から現れるはずだった。……ウフフ、本来の歴史の中では、誰がここに入っていたのかしらね? ティーナさん? 玉木さん? 皇帝陛下? ククリアさん? それとも、可愛い猫さんかしら? モテる主人公は辛いわね」
「対象の過去と未来の歴史を見通せる能力『叙事詩』を持つお前なら、その答えを知っているんじゃないのか?」
俺の問いかけに対して、朝霧は再びクスクスと思わせぶりに笑ってみせる。
「ええ。私の能力ならその答えを『読む』事が出来たでしょうね。でも、私はその答えを読まなかったの。それどころか私は、この愛の試練の内容さえよく知らないわ。あえて、読まなかったの。だってせっかく物語の登場人物として現れるのに。先の展開を知っていたら、つまらないでしょう? 演者は演者として、舞台の上で起きる出来事を初見で楽しみたいもの!」
「ふざけた事を……! お前はいつだって神様視点で、俺の物語を4次元から読むだけの存在のくせに。何が演者の気分も味わってみたいだ。ゲームプレイヤーは大人しくポテチでも食べながら、こたつの中に入っていろよ! 神様のような存在のくせに、勝手にゲームの中に入ってきて演者を気取るんじゃない!」
「ウフフ。どうしたの、彼方くん? さっきから鼻息を荒く興奮ばかりして。そんなに私に欲情をしているのかしら? いいのよ。4次元世界にいる、物語の読み手である生意気な神様視点の私にイラついていたのでしょう? 今なら力づくで私を押し倒せる、唯一のチャンスよ? 神様が生身の体を持って現世に降臨しているのだから。さぁ、生意気な神様気取りの女をあなたの力で、強引に床に押し倒しなさい。躊躇する事なんてないわ、私の体を欲望のままにあなたの好きにしてもいいのよ?」
朝霧は両手を広げて、俺の顔をじっと見つめ続けている。その顔色は朱色に染まっていて、恍惚な感情に溺れているようにも見えた。
「……ハァ……ハァ……」
どうした、落ち着くんだ……俺……。
どうもさっきから、朝霧のペースに乗せられて。心が卑猥な感情に飲みこまれてしまっている気がする。
ここはいったん冷静になって、目の前の朝霧に対処する事にしよう。
「呼吸か荒れているようね、彼方くん? 遠慮しなくていいのよ。私と本当に、ここで体を交わらせてみない? 私は彼方くんの体も心も全てを手に入れたいと願っているのだから」
「……今日はやたらと俺への誘惑が多いんだな、朝霧? 俺にお前を無理やり襲わせて、それで何のメリットがあるっていうんだよ?」
ジト目で訝しそうに見つめる俺の視線を察して、朝霧はニコリと笑うと。観念したように、クスクスと微笑みならおどけてみせた。
「ウフフ、そうね。物語の主人公である彼方くんと前回、キスをした事で。私はこんなにも凄い能力を手に入れられたのだもの。それなら私が彼方くんと直接体を交わらせる事が出来れば、もっと凄まじい能力が手に入るかも……って、期待をしていたのは事実よ」
「悪いな、そんな話を聞かされた後で……俺が興奮してお前に欲情をするとでも思ったのかよ」
「彼方くんと情熱的なキスをしたおかげで、私はこの『上書き挿入』の能力を得たの。私と彼方くんが協力をして、もっと情熱的にお互いの体を深く交わらせれば。今度はこの世界の歴史を変えられるかもしれない、最強の能力が手に入る可能性だってあるのよ?」
朝霧は意味深な表情をして、俺のすぐ目の前でウインクをしてみせた。
「――ね? よく考えてみてよ、彼方くん。もし、私が歴史をもっと改ざん出来る能力が手に入れられるなら。それこそ、クラスのみんながこの世界に『召喚されなかった』歴史を作る事が出来るかもしれないのよ? そうすれば誰も殺されずに済む、平和な日常を取り戻せるわ。彼方くんも、罪の意識を感じる事なく。平和に毎日を過ごせる、ただの学生に戻れるかもしれないのよ」
「……お前が本当に、その歴史改変能力を手に入れられるという保証は無いのだろう? どちらにしても、俺がお前に手を出す事はない。なぜなら、その瞬間にきっとティーナがコンビニから地対空ミサイルの発射ボタンを押して。俺に目がけて、ミサイルが降り注いでくるのは間違いないだろうからな」
「ウフフ。なら、今はそういう事にしておくわね。ティーナさんがミサイルを発射させる仮定で、話を曖昧にするのが彼方くんのいつもの得意技だものね。でも、一度もそのミサイルが発射された事が無いのを、私は知っているのよ。さぁ、彼方くん。前に進みましょうよ。女神の試練がどんなものなのか、私もワクワクしてるんだから」
朝霧が俺の手を掴んで、知の迷宮のダンジョンを進んでいく。
いつもクラスの片隅で一人で本ばかり読んでいた、あの朝霧が……。こんなにも明るい笑顔を見せる事もあるのかと。俺は一瞬だけ、その魅力的な顔に見惚れて。呆然としてしまった。
だが……すぐに気付いて、慌てて繋いでいた朝霧の手を振りほどく。そして周囲を警戒しながら、側にいる朝霧の挙動にも注意をして前に進んでいく事にした。
そんな俺の様子を見て、朝霧は本当に楽しそうにクスクスと笑ってみせた。
まるで父親に遊園地に初めて連れてきて貰った、無邪気な子供みたいな笑顔を浮かべていやがるな。
でも……それは、遠からず真実なのかもしれない。
ずっとリモコンを操作しながらプレイを楽しんでいたゲームの世界に、現実世界のプレイヤーがもしも入り込めたのだとしたら。
きっと俺だってワクワクしながら、そのゲーム内世界を楽しんでいると思うからな。
朝霧は、この女神アスティアの試練である『知の迷宮』のページを読んでいないという。
それが本当かどうかを、確かめる手段はないけれど。神様視点で俺の物語を読んで楽しんでいた朝霧は今……間違いなくプレイヤーとしてここに存在し。ダンジョン探索を心から楽しんでいるようにも見えた。
俺達はしばらくダンジョンの中をまっすぐに進んでいくと。鋼鉄製の扉を開けた先に、敷き詰められた石の床が広がる、まるで野球場のような広大な空間の場所に辿り着く事が出来た。
「――ほら、見てみて。彼方くん。あそこに玉座みたいなものが置いてあるわ。その前に立て札もあるし、きっとアレが女神による『第一の試練』なんじゃないかしら?」
朝霧が再び強引に俺と手を繋ぐと。ネズミーランドで乗りたいアトラクションを見つけた恋人のように、はしゃぎながら俺の手を力強く引っ張っていく。
仕方なく、俺も朝霧に引っ張られるままに。広大な広場のど真ん中にポツンと置かれた、大きな椅子の前にまで歩いていった。
「また黒い立て札の中に、謎かけみたいな文字が刻まれているみたいだな。どれどれ、書かれている内容は……」
俺はその文字の内容を、読み上げてみると、
『――この椅子にあなたの最愛の人を座らせなさい。そして、本当に大切な人を選びなさい――』
「……ふーん。最愛の人を、この椅子の上に座らせないといけないみたいね、彼方くん。じゃあ、私がここに座れば良いって事よね? ウフフ」
朝霧は俺の顔を、一度見てから。嬉しそうに何の警戒もせずに、そのまま目の前にある大きな玉座の上に勢いよく座り込んでみせた。
すると――。
”――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!”
「彼方くん……!?」
朝霧が玉座に座った途端に、大きなホールのような大地に大きな裂け目が広がっていく。
そして朝霧の座っている玉座は音を立てて、床の裂け目の中に落ちていってしまう。
……気付いた時には、俺の立っている場所を除いて。他の全ての部分の石の床が崩れ落ち。
地面の下には、まるで活火山の火口のような、灼熱のマグマが広がる溶岩の川が流れているのが見えた。
俺はとっさの判断で、近くに転がっていた鎖を手で握りしめる。どうやらその鎖は、朝霧の座っていた玉座に繋がっていたらしい。
朝霧は地下50メートル近くある地底に溜まっていたマグマの川との中間地点で、かろうじて『みの虫』のように、ぷら〜んと上から吊り下げられているのが見えた。
「朝霧ーーーッ!! 大丈夫かーーーッ!?」
「うん。私は平気よーー、彼方くん!」
鎖で繋がれた玉座にしがみついていた朝霧は、マグマの川に落ちる前に止められて、どうやら無事らしい。
「良かった……。今からゆっくり引っ張り上げてやるからな! そこで、じっとしていてくれよな!」
俺は手に持った鎖を力強く握りしめ。渾身の力を込めてマグマの川の上で宙ぶらりんになっている朝霧を、ゆっくりと上に向かって引っ張り上げていく。
すると、俺達の後方から。まるで地獄の亡者の叫び声のように。大人数の人間による、凄まじい絶叫が俺の耳に響いてきた。
『助けてーーーッ!! 落ちちゃうよーーッ!!』
『ママーーッ、怖いよーーッ!! 熱いよーーッ!!』
『旦那ーーッ!! オレ達の姿が見えますかいッ!!』
『秋ノ瀬さん……!!』
慌てて無数の叫び声が聞こえてくる方角に、俺は振り返ると――。
そこには合計で100人近い人々が、朝霧と同じように鎖で繋がれていて。全員が『みの虫』のように天井から吊るされて、マグマの川の上に吊り下げられているとんでもない光景が俺の目に入ってきた。
「な、何だよコレは……!? どうして、みんながここにいるんだよ……!!」
俺は、朝霧とは反対側の方向で大量に吊られている人々に見覚えがあった。
彼らは全員――カディナの街で俺が知り合った、壁外区の元住人達だ。しかもなぜかそこには、ザリルや、区長さんまで混ざっていて……。
全員が今にも溶岩の川の中に落ちる寸前の状態で、天井から鎖で吊り下げられているのが分かった。




