第百話 枢機卿の混乱
「そいつを倒せば、この無数に降り注いでくる戦車の砲撃を本当に止める事が出来るのか、アイリーン?」
「ハイ、店長。私は微弱な電波であっても、それを探知出来る能力を持っています。店長がスマートウォッチでドローンを操作する時に発する電波も、私は探知する事が出来ます。なので今回、敵が使用した戦車隊への攻撃指示の電波も、おおよその位置を特定しています」
そ、そうなのか。アイリーンって結構、色々な能力を持っているんだな……。
確か、食品や物質の成分分析も出来たりするものな。だから毎回俺がコーラや、高カロリーなコンビニ弁当ばっかり食べていると、口うるさく怒ってきたりもするし。
「……って事は、アイリーンは俺が付けているスマートウォッチの位置とかも常に把握していたりするのか? だからさっきはギリギリの所で、俺のいる位置を特定して戻って来れたとかなのか?」
「そうですね。店長がスマートウォッチを操作していれば、おおよその位置は特定出来ます。店長の許可がない時は行いませんが、私はドローンの操作も遠隔で行う事が出来ますので、私自身の体から微弱な電波を発信する事も出来るのです」
「えっ、そうだったのかよ!? アイリーンって物凄く万能なハイテク騎士だったんだな。やっぱりコンビニの守護騎士だから、現代的な装置を使いこなせる能力も備わっているという訳なのか」
珍しくフフン……と、頬を膨らませて。俺に可愛い笑顔を見せながら胸を堂々とはるアイリーン。
アイリーンは、コンビニの機械やドローンを遠隔で操作する事が出来る能力も持っているらしい。
無数のドローンを操り、空中からミサイル攻撃をしながら戦うアイリーンの姿を想像すると……何だか、めちゃくちゃカッコいい気がするな。
――ん?
そういえばアイリーン以外にも、ドローンを自由に操る事の出来る騎士を俺は見た事があった気がする。
確か魔王の谷の底にあった『墓所』を守っていた黒い騎士も、俺が放ったドローンを遠隔で操作して。逆にこっちに攻撃を加えるように、自在に操っていたと思う。
あの黒騎士もアイリーンと同じように、近代兵器を遠隔操作で操れる能力を持っていたのだろうか? 大昔の大魔王を守る黒騎士は、コンビニの守護騎士と似たような能力を備えていたという事なのか?
まあ、もう倒してしまった相手の事だし。今となっては、その辺りの事はもう……よく分からないな。とりあえず今は墓所を守っていた黒騎士の事は忘れて、これから対処すべき問題を先に解決する事にしよう。
「……つまりは、バーディア帝国が引き連れてきたあの黒い戦車隊の暴走は、それを陰で操っている奴がいるって事なんだな、アイリーン?」
「ええ、おそらくはそうでしょう。このような無差別殺戮を帝国が指示をして行うとも思えません。被害の出ている他の国々を敵に回すだけですし、メリットは無いはずです。そして、店長が持っているスマートウォッチと似たような電波が、特定の場所から発信され続けている事を考えますと……。何者かが帝国の率いてきた黒い戦車隊を遠隔操作で操り、乗っ取ったと考えるのが自然でしょう」
「分かった。その電波で戦車を操っている奴は、この付近に潜んでいるんだな? そいつを倒して、この砲撃の雨を止められるなら、すぐにでもそこへ向かおう!」
「了解しました、店長! では、私がその場所まで誘導をします。ただ、潜んでいるというよりは……相手もこちら側に向かって、少しずつ近づいて来ているように感じられます。もしかしたら、私達のいる場所に向かって来ているのかもしれません」
「――そうなのか? それならより早くぶち倒せて好都合じゃないか。行くぞ、アイリーン!」
俺はアイリーンの誘導に従って、森の中を装甲車で走りながら向かっていく。
もちろんこの辺り一帯は、戦車からの砲撃が次々と降り注いでくる危険地帯だからな。
装甲車をクネクネと蛇行運転させながら、砲撃が落ちそうな場所を避け。安全な場所を慎重に選びながら、ゆっくりと進むように心がけた。
それにしても、運転席から見える外の光景はまさに『地獄』そのものだな。
元々あった森の木々は、砲撃でほとんどが薙ぎ倒されているか、焼き尽くされている。
逃げまどう騎士達の数も……もう、かなり少ない。おそらくほとんどは爆発で体ごと吹き飛ばされてしまったか、それとも運良く森を脱出して、逃げ出す事が出来たのかのどちらかだろう。
正直、装甲車を走らせていると、時々グチャグチャと何かを踏みつける音が聞こえてくるのが精神的に辛い。
きっとそれらは、手足を吹き飛ばされた騎士達の死体や残骸だったりするのだろう。
助手席の香苗は、さっきからずっと目をつぶって周りの景色を見ないようにしているようだ。
まあな、俺もここまで酷い地獄は今までに見た事がない。いや、本物の地獄だってここより幾分かはマシなんじゃないかと思える。
ここにはきっと、10万人を超える騎士達が世界中から集まっていたはずなんだ。それが、今では数えるくらいの人数しか辺りには見えない事を考えると……。一体どれだけの騎士達がこの地で命を落としたのだろう。
もちろん、その中にはクラスメイトの水無月の命も含まれている。そしてクソ野郎だったが、あの金森もここで命を落としている。
今日だけで、一体何人……俺は同級生の死体を目にしたんだ?
2軍メンバーのみんなと、水無月。そして跡形もなく吹っ飛んでたけど、金森もその数に入れてやるとしたら、合計で10人か。
俺は心のどこかで、クラスのみんなにはまだ誰も犠牲は出ていないんだって安心をして、あぐらをかいていたんだと思う。
それが、今回は一気に10人もかよ……。
本当に笑えない事態のはずなのに、心のどこかで乾いた笑いを浮かべている自分自身に驚く。
きっと今、目の前で起きている出来事をどうにかしないと。何も解決出来ないという事を本能的に理解しているからなんだろうな。
だからまだ、悲しみに暮れている余裕なんて俺には無い。絶対にこの悪夢を、この手で終わらせないといけないんだ!
「――よし、この戦車の砲撃を続けているクソ野郎を見つけたら、全力でそいつを始末するぞ! アイリーン、遠慮はいらないからな! そいつがとんな奴だったとしても。犯人を見つけ出した瞬間にすぐに始末して、この酷い蛮行を絶対に止めよう!」
「分かりました、店長。もうすぐです! あの丘の下の辺りから、微弱な電波が発せられているのを感じます!」
俺とアイリーンは、敵が潜んでいるらしい丘の近くに装甲車をいったん停車させた。
距離はそんなに離れていないので、装甲車の中に杉田と香苗は残していく事にする。万が一に備えて香苗には、絶対に音を立てないで車内で静かに待っていてくれと伝えておいた。
「……うん。何かあったらすぐに大声をあげるから、ちゃんと戻ってきてね、彼方くん」
「ああ、敵のいる場所はすぐそこだからな。何があってもすぐにここに戻って来れるさ。だから、本当に息を潜めて静かに待っていてくれよな。杉田の事を頼んだぞ!」
俺は香苗と別れて、コンビニに現在地を知らせるメールだけを送って、急いでアイリーンと敵が潜んでいる場所へと向かう。
やはり、戦車を暴走させる電波を送っている張本人がいる場所だからだろうか?
不思議とこの辺りには戦車からの砲撃が一切なく。俺とアイリーンは安全に森の中を歩く事が出来ていた。
まあ、自分達がいる所に砲撃をさせる訳はないだろうからな。その辺りは上手く調整しているんだと思う。
歩きながら、ふと思い付いた事を俺はアイリーンに聞いてみた。
「そうだ……アイリーン、1つ聞いてもいいか?」
「何でしょう、店長?」
「さっき、アイリーン自身も電波を発してドローンを遠隔で操る事が出来ると言ってたけれど。この黒い戦車達による砲撃も、アイリーンの方から妨害電波のようなものを送って止める事は出来ないのか?」
俺の質問に、アイリーンは困ったように首を捻った。
「実は何度も試してはいるのですが……。周波数が少し違うといいますか、私が発する電波は受け付けてくれないのです。ですが店長が所有しているドローンや戦車と、同じ種類であるという事は間違いありません。おそらく何かロックのようなモノがかかっていて、他者からの操作を受け付けないようにしているのでしょう」
「それはつまり、パスワード変更をしているようなものなのか? 確かにあの黒い戦車達は、うちの地下駐車場に置いてある戦車と見た目が全く同じに見えるからな。種類的には、ほぼ一緒なんだろう。問題はその戦車を、どうしてバーディア帝国が所有しているのか。そして誰が、こんな暴走を引き起こしているのかという事だろうな……」
頭の中に無限に湧いてくる疑問の波に、心が飲み込まれそうになる。
でも、きっとどこかで気付いてはいるんだ。今、この世界で起きている事態が、何かおかしい……という事に。
あの黒い騎士も、黒い戦車達も。どうしてみんな、俺の『コンビニ』と何かしらの関連があったりするんだ? 黒い戦車達は、どう見ても俺のコンビニの地下駐車場にある戦車と、全く同じ外見をしているじゃないか!
もしかしたら俺は、何か大切な事に気付かないフリをしているだけなのか――?
そしてその答えを知っているであろう人物に、これから出会ってしまうのを、本能的に俺自身が恐れているのだろうか?
俺とアイリーンは音を立てないようにして、少しずつ森の中の小道を進んでいく。
お互いにずっと無言だった。
その間、俺の頭の中にはバラバラに砕け散った水無月の思い出が、まるで自分が死んだ時の走馬灯のように駆け巡っていた。
こっちの世界に来てから、水無月はよく俺のコンビニに遊びに来てくれてたよな……。
選ばれた1軍の選抜メンバーだったのに、俺達3軍のメンバーとばかりつるんでくれて。魔物を殺すのが苦手だと、いつも愚痴や弱音を聞かせてくれてたっけ。
あの臆病な水無月が、あんなにも強くたくましく成長して。今はカルツェン王国の将軍をしているなんて俺に言ってきたんだぞ?
ハハ……水無月が一国の将軍だなんて、それはマジで笑える話だよな!
だから、俺は……。
この先で水無月を殺した張本人に、もし会えるのだとしたら――。
そいつを必ず、この手でなぶり殺しにして始末してやるからなッ! 憶えておけよ!!
「……店長、大丈夫ですか?」
いつの間にかに足を止めていた俺の顔を、アイリーンが心配そうに下から覗き込んでいた。
「ああ。大丈夫だよ、アイリーン。悪い、ちょっと考え事をしていたみたいだ」
少しだけ呼吸が苦しかった。
きっと色々、悪い考え事をし過ぎていたせいだろう。
落ち着いて、心を休めようとしていた俺とアイリーンの前に――。
”ドヒューーーーーッ!!”
突然出現した巨大な青いハンマーが、勢いよく横薙ぎに払われて目前に迫ってきた。
「うおおぉりゃぁぁぁっ!! お前がコンビニの勇者だな!? これでも喰らって死にやがれぇぇぇっ!!」
「――て、店長、危ないですッ!!」
”ガキーーーーン”
すかさずアイリーンが黄金の剣で、巨大ハンマーの攻撃を防いでくれた。
人間の身長を超える3メートル級の巨大ハンマーによる一撃だったが――アイリーンはその場で微動だにせずに、軽々とその攻撃を剣さばきだけで弾き返した。
「……な? 何て馬鹿力をしてやがるんだ、この姉ちゃんは!? オレのハンマーを軽々と弾きやがったぞ!」
「お前は何者だ!? また女神教の関係者なのか?」
俺の問いかけに対して、3メートル級のメガトンハンマーを片手で持ち。上半身が裸で、身長が5メートルはありそうな巨漢の坊主頭の男が答える。
「オレは女神教の魔女候補生の1人。ハンマーヘッドのドトール様だ! 枢機卿様の命令でコンビニの勇者を、オレのハンマーですり潰しにきてやったぜ!!」
「そうか。ならこの場ですぐに『死ね』――!」
俺はすかさず腕のスマートウォッチを操作する。そして既に自分の周りに呼び寄せていたドローン2機から、小型ミサイルを発射させた。
細い白い糸を引くようにして、ミサイル2発が勢いよく巨漢のハンマー男の体に命中する。
”ドゴーーーーン!!!”
魔女候補生って、お前はどう見ても男じゃないか!
――って温かいツッコミの1つも、入れてやるような心の余裕と優しさは、今の俺には無かった。
敵が女神教徒で、俺を殺しに来たというなら。俺にはそいつを逆に殺し返す権利がある。
人を殺しに来たのなら、自分も相手に殺される覚悟を持つべきだ、そうだろう? だから軽口を交わすような隙も与えずに、俺は即座に相手を『殺す』という決断をした。
水無月の時の事もあるからな。油断なんてしていたら、どこかで別の誰かの犠牲が増えてしまうかもしれない。
仮にコイツが黒い戦車を操っている奴なのだとしたら、1秒でも早くコイツを殺せば、戦車の砲撃による犠牲者を救う事が出来るんだ。
だから俺が、俺が、敵を殺せば――!
それできっと誰かが救われるんだ! より早く、より多く敵を殺さないと、もっと沢山の犠牲が仲間に出てしまうかもしれないんだッ!
だから俺が、この手で全ての敵を――。
全部『コ・ロ・サ・ナ・イ・ト』いけないんだよッ!
「ハァ……ハァ……ハァ………!」
「店長、大丈夫ですか? 呼吸が乱れています。きっと過呼吸になってしまったのでしょう。少し落ち着いて下さい……!」
アイリーンが俺の背中をさするようにして、優しく介抱してくれた。そのおかげか、少しずつ俺の心に冷静さが戻ってくるのを感じた。
ククリアも友人達を失う覚悟をした方が良いと、あれだけ忠告してくれていたのに。クラスメイトを失ってしまった俺の心はかなり不安定になっていた。
クソ……! この世界って、やっぱり俺が元の世界で見ている白昼夢だったりはしないのか?
今、突然チョークをぶつけられて、授業中に居眠りしていた所を叩き起こされたとしても。俺はきっと、そのパワハラチックな先生を訴えないと思うぞ。
そんな考えが、ふと頭をよぎった時に。俺の頭の中に、優しいティーナの顔が浮かんできた。
――いや、それじゃダメなんだ。
この世界が、白昼夢であってはならない!
俺はティーナを、必ずこの世界で守らないといけないんだからな!
やっと正気を取り戻した俺は、背中をさすり続けてくれていたアイリーンに声をかけた。
「ありがとう、アイリーン。……もう大丈夫だから、おかげで元気になれたよ!」
「店長、あまり無理はなさらないで下さいね! きっと連戦の疲労が溜まっているんだと思います。コンビニに戻ったら、皆さんでまた美味しいコンビニ弁当を食べましょう。きっと元気が出てきますよ!」
天使のような笑顔を俺に向けてくれるアイリーンに、俺は心が救われた気がして感謝の言葉を伝える。
「ああ、本当に助かった。全部解決して、敵の親玉を倒して。みんなが待っているコンビニに戻ろう。そしたら、俺も今夜はアイリーンの好きな鮭弁当を一緒に食べるよ! でも、今日ばかりはコーラを飲むのを許してくれよな!」
「了解しました。特別に今夜だけですからね! 店長は放っておくと、コーラを1日に3本近く飲んでしまう事がありますから、ちゃんも健康にも気を遣って下さいね!」
俺とアイリーンが、クスクスと小さく笑いあっていると。
「ぐおらぁァーーっ! コンビニの勇者ーーッ!!」
ミサイルの直撃を受けたはずの、巨漢男が煙の中から姿を現し。全身に真っ黒な汚れをつけながら、こちらに向かって走ってきた。
おいおいおい……!?
ミサイルが体に2発も直撃したんだぞ?
マジで有り得ないくらいに、頑丈な体をしていやがるな、このデカ野郎は……!
まあ、こんなにも体のでかい奴なんて元の世界じゃアニメの世界以外じゃ、絶対に存在しないものな。一体どういう栄養をとったら、そんなに成長するんだよ……って、ツッコミを入れたくなるくらいだぞ。
「………ドトール、どうしましたか?」
――その時。
奥の木々の中から、女性の声が聞こえて来た。
その声はあまりにも、小さくて。
耳に聞こえるかどうか、ギリギリなラインの弱々しい声だった。
何だ? 新手の敵が現れたのか?
それとも、このパターンだと。この巨漢男の上司に当たるラスボス級のキャラが登場したって訳なのか?
でも、その小さな声は不思議な事に。俺にはどこかで聞いた事があるような声に聞こえていた。
何か機械の変声器を通したような声にはなっているけれど。どこかで聞いた事がある、とても懐かしい声のような気がするんだ。
「――枢機卿様! コンビニの勇者の野郎が突然、ここに現れました! この野郎、自己紹介もせずにいきなり俺の体にオモチャの爆弾をぶつけてきやがったんです!」
ドトールと呼ばれたハンマー持ちの巨漢男が、憤るようにして大声を上げる。
そんな……? まさか今、あの巨漢男は『枢機卿』と呼んだのか?
もしそうなら、女神教徒達のリーダーみたいな存在の奴が、直接ここに現れたっていうのかよ?
でも、それは好都合だ。おそらくこの状況なら、間違いなく帝国の黒い戦車を陰で操っているのは、その枢機卿とやらなんだろう。
俺達……異世界の勇者を苦しめ続ける女神教の代表のような存在。そしてこの世界の事を全て知っているであろう黒幕であり、謎に満ちている野郎だ。
ある意味、現在の魔王である『冬馬このは』と出会うより。よっぽど俺達にとっては、ラスボス級のクソ野郎と出会えた事になる。
俺とアイリーンがそれぞれ、身構えるようにして巨漢男の見つめる方向を注視していると――。
森の奥の木々の中から、全身が黒いローブとマントに覆われた黒髪の女性が姿を現した。
でも、何なんだ?
この黒いローブの女の外見の見づらさは……。
視界がそこだけぼやけて見える。まるで空気と入り混じったモザイクのような加工処理が、その女の外見にだけ施されているような感じだ。
「………コンビニの勇者ですって? なるほど、私達が向かうよりも先に。コンビニの勇者の方から、こちらに直接出向いて来てくれたという訳なのですね」
俺は全身が黒い影に覆われている、枢機卿と呼ばれた女の姿を凝視する。
……コイツが、水無月を殺したんだ!
コイツが全ての元凶で、俺達異世界の勇者を追い詰める邪悪な存在なんだ!
過去にこの世界に呼び出された全ての異世界の勇者達が、コイツによって苦しめられて、追い詰められて、可哀想な魔王にされてきたんだ。
俺は親の仇を見るような目線で、枢機卿を睨みつける。
すると――。
森の中で、俺の姿を初めて確認した枢機卿が、
突然、俺達……全員の目の前で。
声を荒げて『狂い』はじめた。
「…………!?
…………??
…………??
そんな……?
まさか、そんな事が………!?
あなたは………。
もしかして本当に……あの『彼方くん』なの?」
「ハッ? お前は今、何て言ったんだ!?」
今、コイツは……俺の事を小さな声で『彼方くん』と、呼んだのか?
どういう事だ? 俺の名前を事前に誰かから聞いていたとか、そういう事なのか? 声が小さすぎて、よく聞き取れなかったぞ。
枢機卿の様子は、明らかにおかしかった。
全身を硬直させて。両手をこちらに向けるようにしながら、激しく動揺して震えている。
時折、嗚咽を漏らしたり。激しく咳き込みながら、一人で苦しそうに悶えているようだった。
「………ぐぼら………ぶげ………ううっ………。いやだ、こんなのは………絶対にありえない………! どうして、彼方くんは………もう、死んだはずなのに。みんな死んで………私だけ、この世界に………一人で取り残されて。私は………お姉ちゃんに………会いたくて………。沢山の人を殺してきたのに………そんな、バカな事が………! こんな事は絶対に、あり得ないのよ!!」
女神教の枢機卿の震え方は尋常じゃない。
頭を両手で押さえながら、何かを小さく呟いているようだが、全く聞き取れない。
「……枢機卿様、一体どうしたんですか!? お、お体の調子が悪いのですか!?」
巨漢男が心配そうに、そばに駆け寄っていくが。
枢機卿はずっと頭を両手で抱えながら、体をワナワナと震わせ続けている。
「………うるさい、だまれッ………!」
枢機卿は膝をついて、その場に崩れ落ちる。
「彼方くんが、どうしてここにいるの? どうして……この世界にまだ存在しているの? そうか、もしかすると――。おのれ、クルセイスッ!! 最初から、コンビニの勇者の名前も。その姿も、全て嘘の報告を私にしていたのね。許さない、あのクソ女め、必ず殺してやる………!」
何やら、様子は全然分からないが――。
女神教のリーダーの枢機卿は、かなり混乱しているらしい事は分かった。
でも、とにかくコイツを殺さないと黒い戦車達の暴走は止められないんだ。
俺は再びドローンによるミサイル攻撃を、今度は枢機卿に向けて、行おうとするが………。
「――え? これは一体、どうしてなんだ!?」
俺の手はいつの間にかに激しく震えていて。
スマートウォッチのタッチパネルを、まともに押せない事に気付いた。
……何でだ?
一体何で、俺の手も震えているんだよ……?
アイツを殺さないと、みんなが助からないのに!
敵の親玉であるアイツを、アイツを………俺の手で殺さないといけないのにッ!
もしかしたら、アイツが俺の事をさっき――。
「――彼方くん………」
と、呼んだ事が気になっているのだろうか?
いいや。それは、きっと俺の聞き間違いだ。
何かの間違いなんだ! 俺はアイツと今日、初めて会ったんだぞ!
だから、例えアイツの声が『誰かの声』に似ていても。
そんなのは……全部、全部、俺の勘違いに決まっているじゃないかよ!
体を震えさせながら、正面で膝をついている枢機卿が、こちらを見つめながら、小さく口を動かしていた。
こちらからはよく見えないが、枢機卿は真っ直ぐに俺だけを見つめていて。
その黒いローブの奥にある顔からは、うっすらと涙が流れているようにも見える。
俺には、その小さな呟きを聞き取る事は出来なかった。
だが、なぜか俺の耳には……。
俺が普段よく聞き慣れた『◯◯の声』で、小さくこう呟いているように感じられた。
「………彼方くん、私だよ………。◯◯だよ。本当に、本当に、会いたかったよ………」