Act25:私、ドッキリは好きじゃないので
ここまででいちおう一区切り。
次話から新章です。
あくとにじゅうご。
夕刻。
祖父母に見送られて実家を後にした私たちは、帰路の電車に揺られ、兄の通う白帝大学最寄りの駅にて降車した。
実家での一時は、基本的に姉が語り手となって近況なんかをぽつぽつと報告し、それを祖父母が楽しそうに聞くという光景であった。私や兄はわりと頻繁に実家に顔を出しているのだが、寮暮らしの姉が帰ってくるのは随分と久しぶりだったはずなので、祖父母も相応に嬉しげであった。
帰路の兄は、肩に小振りな鞄を掛けている。
鞄の中身は実家から持ち出した姉の『お泊りセット』である。
当然、下着を始めとした着替えなんかも入っている鞄を兄に持たせることを姉は渋っていたようだが、そんな微妙なデリカシーをこの兄に求めるだけ無駄なのだ。
余談だが、姉が寮に持ち込んだ私物からでなく、わざわざ実家からお泊りセットを持ち出してきたのは、持って帰るつもりがないからではないかと私は睨んでいる。あわよくば兄の家に自分の私物を持ち込み、次回のお泊りへの布石とするつもりなのだ……!
流石我が親愛なる姉は抜け目ない。
おまいう?あーあーきこえなーい。
改札をでた私たちを出迎えたのは、一人の男性だった。
軽く片手を挙げて見せつつ、
「やあ。こんばんは」
銀縁の眼鏡が良く似合う、理知的な雰囲気の細身の男性だ。
外見の特徴だけ見ればウチの兄とは175度くらい異なる彼は、その実、兄の唯一無二の親友である城戸貴彰さんである。私が生まれたときには既に家族ぐるみの付き合いがあったらしい城戸家の一人息子である彼は、私が覚えている限り、いつでも優しげな表情を崩さない穏やかな人だ。
お手本のようなアルカイックスマイルがトレードマークとすら言える。
もっとも、知っての通り内心はけっこう愉快な人なのだが。
「はるちゃんは久しぶりだね」
「そうですね」
貴彰さんは姉が猫を被らずに接する数少ない異性なので、姉の返答はいやに平坦だ。
ともすれば会話をする気が無いようにも聞こえるが、この姉の場合はにこやかな返答よりもこちらのほうが親密度が高いのである。
ちなみに、姉のことを『はるちゃん』などという命知らずな呼称で呼ぶのは、世界広しといえども間違いなく城戸家の人間だけだ。
「兄と妹が、いつもお世話になっているようで」
「旭に関しては否定しないけど、さやちゃんにはむしろ俺のほうが世話になってるよ」
「確かに」
貴彰さんの言葉を否定するどころか、積極的に肯定する兄。
二人の言葉の後ろには『主にコスチューム的な意味で』という続きが隠されている気がした。
たぶん、私が自分の欲望の赴くままに兄たちを好き勝手振り回してしまっていることへの軽い皮肉だろう。
「それにしても――」
「なにか?」
駅を出て道を歩きつつ、
「いや、はるちゃんは会うたびにどんどん美人になっていくなぁ、と」
「そうでしょうか?」
「うんうん。これ以上美人にはならないだろうって毎回思うんだけど、次会うと毎回裏切られる」
他の通行の邪魔にならないよう、自然と並びは前を行く私と兄、その後ろに姉と貴彰さん、と別れた。
私からは後ろの二人の表情は伺えないが、どうせ姉はいつもの無表情で、貴彰さんはいつもの微笑なのだろう。相変わらず、ではあるのだが、あの姉を眼前にしてまったく気負わずにああいうセリフを吐ける貴彰さんは、わりと真面目に尊敬に値すると思う。
「おだててもなにも出ませんよ」
「じゃあやめとこう」
なんというか、ナチュラルに妹扱いしてる感がある。
だって、貴彰さんは私に接するときと姉に接するときで態度が変わらないのだ。
「ちなみに、俺は煽てられればちゃんと木に登るからね」
「お猿さんは間に合っていますので、結構です」
念のため言っておくと、態度は変わらないが、セリフは相手に合わせてしっかり変わる。
その辺りはどこぞの兄よりも賢明な点であると言える。
「つうか遥佳よ。ラーメン屋でほんとに良かったのか?」
現在の目的地について、兄が振り返り気味に問い掛けた。
なんでも、姉が夕食のリクエストに『お兄さんが普段食べている店に行きたい』とリクエストしたがゆえに、大学近くのコッテリ系ラーメン屋に決まったらしいのだ。
「ではお洒落な高級フレンチでお願いします。などと言ってもお兄さんたちを困らせてしまうだけでしょう」
あなた方にそんなレパートリーは微塵も期待していませんので、と姉は平坦に続けた。
「理解ある妹を持ってお兄ちゃんは嬉しいよ」
「というかはるちゃん、おフレンチとか絶対嫌いでしょ」
「ええ。想像だけで拒否反応が出ます。あのような無駄に長ったらしい名前の付いた料理なのか図画工作なのかわからないような物体を有難がって頂くくらいなら、高架下の屋台でおでん食べてたほうがマシです」
「果てしなく失礼だよお姉ちゃん……」
まあ全方面に喧嘩を売るような物言いはいつものことだが。
言葉の不遜さはともかくとして、意見自体は同意だったりする。思うに、ああいう高級な料理を喜んで食べる人種というのは、それを食する自分が好きでやっているのだ。ステータスのために食事を利用しているのである。
それが悪いとは思わないけど、たぶん私には一生理解不能だと思う。
お出汁の染みたほろほろの大根こそが正義なのだ。
そんなこんなで辿り着いたのは兄たち御用達のラーメン屋『天下三分』だ。
なんだろう。オーナーは三国志が好きなのだろうか。
普段から来ているだけあって慣れた様子で入店する兄たちに続いて、どことなく興味深そうに店構えを観察しつつ姉が堂々と、そして私がおっかなびっくりと追いかける。
店内に入った途端、食欲をそそる匂いと独特の熱気が押し寄せる。ちょっぴり粗暴な感じの店構えを裏切って、店内は広くて小綺麗だった。片側に厨房とカウンター席、もう片側にはテーブル席がいくつか。一般的な夕食時よりは少し早い時間とは言え、休日の夜ということで客の入りは上々に見える。主な客層が大学帰りの学生だとすれば、もしかすると平日の夜のほうがむしろ混雑するのかもしれないが。
「何名様?」
と、先頭の兄に向かってアルバイトらしき女性が声を掛けてくる。
クールな雰囲気の美人なひとなのだけど、客の前でそれはどうなのと思わず心配してしまうくらいの仏頂面だ。ついでに言葉もつっけんどんな印象である。
「四人なんだが……座れるか?」
そう答える兄の言葉に、私は内心『あれ?』と思う。
兄の口調がだいぶ気安い感じだったからだ。
普段から利用している店なので店員とも顔見知りなのかもしれないが、それだけとは思えない気安さだ。アルバイトさんの見た目の年齢的に、もしかしたら白帝大の学生さんなのかもしれないし、普通に知り合いの可能性もある。
「カウンターで良ければ、すぐ座れるけど?」
「じゃあそれで」
アルバイトさんは「かしこまりー」と雑に返答して、私たちを席に案内するのかと思いきやスッと滑るような動作で兄に身を寄せた。
「ところでもしかして――」
そう言って彼女は片手の小指を立てて見せた。
巧妙に、兄の身体が影になって姉からは見えないように、である。まあ姉は貴彰さんとなにごとか話しているのでそもそも見てはいないのだけど。
私からは丸見えだし、考えるまでもなく『そこの美人はあなたの彼女さんかしら?』的な意味だろう。
「妹だよ」
「なんだつまらない」
「悪かったな」
もともと本気で訊いていたわけではなかったようで、彼女はあっけらかんと興味を打ち切って、席へと案内してくれた。
去り際に私に向かってにっこりと手を振ってくれたので、とりあえず私も小さく振り返しておいた。
笑うとすごい可愛いのにもったいないなと、すぐに仏頂面に戻ってしまった彼女を見ながら思いつつ、私にとっては少々高い位置にあるカウンター席に座る。
私たち四人が並べるように場所を空けてくれたみたいで、一席ずつ横にズレてくれたお兄さんたちにお礼を言う。
席順は奥から貴彰さん、姉、私、そして兄だ。私と姉が見知らぬ男性と隣り合わないように気を遣ってくれたらしい。
私たちが席に座るなり、カウンターの向こうの厨房から、店主らしき男性が声を掛けてきた。
「おう坊主!今日はまたえらい別嬪を二人も連れやがって」
兄に向かって白い歯を剥きながら豪快に笑うのは、がっちりとしたガテン系っぽい外見のおじさんだ。
冗談みたいなねじり鉢巻きが、何故かこれ以上ないほどにフィットしている。
おじさんは「もしかしてこれか?」と小指を立てて見せ、それに対し兄が苦笑する。
「妹ですよ。同じことを小鳥遊にも訊かれましたが」
「かぁ~!!こんな別嬪の妹が居るたぁ、坊主は前世でよっぽど徳を積んだに違いねぇ!」
独特過ぎて斬新だが、たぶん褒められているのだろう。
まあ私を見て兄か貴彰さんの恋人だと思う人はまず居ないだろうから、きっとさっきのアルバイト――兄曰く小鳥遊さんも、店主のおじさんも、妹であるとわかったうえでからかっているだけなのだろうけど。
ちなみに姉は上品に微笑んで『お上手ですね』などと言いそうな雰囲気を醸し出している。すっかり余所行きの猫装備モードである。
「なんで誰も、俺の恋人だとは考えてくれないんですかね」
という貴彰さんのツッコミに、おじさんは「そりゃお前」と、
「からかっても面白くないからだろうがよ」
「旭よりはリアクション豊かな自信がありますよ」
「そういうところがよ」
がははと笑ったおじさんは自然な流れで「注文は?」と訊いてきた。
ちなみにおじさんの背後、厨房の奥で黙々と調理をしている若い男性が居り、面立ちから判断するにたぶんおじさんの息子さんだろう。どうやら、親子二代で切り盛りしているようだ。寡黙そうな息子さんは調理専門、おじさんは主に接客だが場合によっては勿論調理もできる、会計とかテーブル席の配膳とかはアルバイトに任せる、という役割分担みたいだ。
そもそも外食でラーメンというのが初めてに等しい私はメニューを見ても良くわからないので、とりあえず一番人気と書かれている最もスタンダードなやつにしておく。麺の太さがどうとか硬さがどうとかトッピングがどうとか言うのは私にはまだ早すぎる。
「ねえお兄ちゃん」
「ん?」
「さっきの人……小鳥遊さんってお兄ちゃんのお友達?」
入口のほうで愛想の欠片もなく「らっしゃっせー」とか言ってる女性を見ながら訊いてみると、兄は頷いた。
「ああ。ウチの同好会のメンバーだ」
「へー」
傍目には全然ゲームなんかやりそうに見えないのに、とちょっと意外に思う。
兄と貴彰さんが所属している同好会とは、つまるところ大学のサークル活動であり、主に『Zillion Ray'N』を遊んで先日のレイド動画のような配信活動をしている。私はそれらの動画には一応一通り目を通しているので、リアルで交流はなくとも同好会メンバーのアバターの外見とプレイヤーネームくらいは把握していたりする。
ということは、もしかしなくても小鳥遊さんは『あの』プレイヤーの中の人か。
オンラインゲームをやっているとつとに思うが、つくづく人はリアルの外見に依らないんだなぁと思う。
「アバターの時とはだいぶ印象が違うんだね」
「俺もどっちが素なのか未だにわからん」
もっともリアルとバーチャルで別人みたいになる人といえば、すぐそこに貴彰さんという典型的な例が居るので今更な話だが。
リアルでは優しげな文学青年風なのに、なんでログインした途端に漬物になってしまうのか謎である。
「そう言えば、はるちゃん薙刀習ってるんだってね」
「ええ。ご存じなかったですか?」
「今日、さやちゃんの友達に聞いて初めて知ったよ」
ふと思い出したように話題を上げた貴彰さんに、姉が応じる。
貴彰さんが言った『私の友達』というワードに、私はすぐに[クロエ]のことだと察する。察しの良さに定評のある姉は、断片的な情報からすぐに誰のことか思い当たったようで、得心した様子で「ああ」と呟いた。
「祖母が講師をやってるんですよ」
「あ、そうなんだ」
うちの祖父は戴天流の継承者で武術の達人だが、その伴侶である祖母もその道ではそれなりに有名な人で、薙刀術の達人として知られているのだ。そんな祖母が余生の楽しみとして始めたのが、自身が修めた薙刀術を応用した護身術教室であり、姉と私と、それから[クロエ]はそこの生徒だ。もっとも、今どき護身術だけでは生徒が集まらないので、謳い文句としては武術を利用して理想の身体が手に入るフィットネスだ。この謳い文句は誇張でも何でもなく、祖父監修のもと戴天流の流れを取り込んだ基礎鍛錬という名の体操を続けることで、ほんとに健康的で引き締まった理想の身体が手に入る。ついでに姿勢がもの凄く綺麗になる。(※効果には個人差があります)
そんな感じで雑談をしていると、注文の品が出来上がったようだ。
「へいおまち!」
もはや様式美とすら言える掛け声とともに置かれたそれぞれのラーメンを、四人で並んでズルズルと啜る。
ウチの家系は基本的に食事時には喋らない人が多い。
別に行儀がどうのとか気にしているわけではなくて、話題があれば普通に食卓でも会話するが、基本的には食べるほうを優先するタチなのだ。自然、黙々と麺を啜る音だけが響く。
その光景を目の当たりにしたおじさんが、小声で「確かに兄妹だわ」と呟いていた。
私はともかくとして、兄と姉の食事風景は完全に同じペースなので、そう言いたくなる気持ちもわかる。
兄は男らしく豪快に。
姉は女らしく淑やかに。
所作が全然異なるのに、まったく同じハイペースで麺が消えていくのだから、なんだか不思議なものを見ている気分になる。
姉は自慢の長髪が器に落ちないように片手で優雅に押さえつつ、一度に掬う麺の量は決して多くはないが、咀嚼して嚥下するペースの速さが尋常ではない。上品なくせに気持ちの良い食いっぷりに、いつのまにか厨房の奥の息子さんが姉の姿を凝視していて、声に出さずに『いい……』と呟いていた。姉の憐れな信奉者がまた増えないことを祈るばかりである。
ところで、小食な私は半分くらいで既にお腹一杯だった。
「お兄ちゃん。おなかいっぱい」
食欲旺盛な大学生がメインの客層だけあって、そもそも量が多いのだ。
私の小さな胃袋ではとても太刀打ちできない。
「お嬢ちゃんにはちっと多かったかもしれねえな!」
「とっても美味しかったです。食べきれなくてごめんなさい」
ラーメンの味の良し悪しを評価できるほど舌が肥えていない私だが、個人的には普通に好きな味だったと思う。
少々コッテリしているが、意外なことに見た目の印象程くどくないのだ。
考えてみればメイン客層のおよそ半数は女子学生なのだから、その辺も考慮されているのかもしれない。
「なぁに。うまいメシは、うまいと思えるだけ食べりゃあいいんだ。無理して食べて嫌になっちまったら、もったいねぇだろ?」
それに、とおじさんは私の横の兄を見遣る。
「残りは、頼りになるお兄ちゃんが食ってくれるからな!」
実のところ、私も最初からそのつもりだったし、たぶん兄もそのつもりだったと思うので、私がどんぶりを横に滑らせると兄は『まかせておけ』と言わんばかりに箸をつけた。
まあ余裕でぺろりだろう。
反対側の横を見れば、姉と貴彰さんは既に食べ終わっていて、食後のお茶を啜りつつ雑談しているようだ。
話題は主に姉の近況である。
私たちは実家に居る時に祖父母と一緒に聞いた内容だ。
「いやぁ、それは無理もないというか」
「皆、大袈裟なんですよ」
姉の最近の懸念事項としては、現在自分が務めている生徒会長という役職の後任が見つからないことらしい。
姉が生徒会長をやれるのはどんなに頑張っても今期で最後だ。今年度の後期からは後輩に役職を譲るため、そろそろ後任を見付けて引継ぎを考えなくてはならない時期らしい。夏ごろに後任の校内選挙があって、それから引き継ぎ期間があって、9月いっぱいで姉は任期終了という流れだ。
例年通りであれば現在生徒会に所属している下級生の誰かがそのまま次の生徒会長になるのだそうだが……
「皆揃って『自分には無理だ』と」
姉はまるで『嘆かわしい……』とでも言うように頬に片手を当てて嘆息しているが、いやそりゃそうでしょうよ。
このバグった性能の姉の後任とか誰だって嫌だろう。比較されるに決まっているのだから。
彩陵と言えば学生自治の気風が強いことでも有名なので、生徒会員の能力が学生生活の快適さにもろに影響するのだから尚更である。
「ちなみに、誰も立候補者が出なかったらどうなるの?」
「私が指名することになります」
「ははぁ……無理強いはしたくないもんねぇ」
「ええ。皆優秀ですから、いざやってみれば真っ当にこなしてくれるとは思うのですが」
余所行きの猫を被った姉の本音が副音声で聞こえてくる。
誰がやったってそう変わらないのだから、後任とか別に誰でもいいと思っているに違いない。たかだか一教育機関の生徒代表に求められる能力値などたかが知れているし、そんなの後付けでどうとでもなるのだから、最低限愚か者でさえなければあとはやる気だけの問題だろう。
とか、たぶん本気でそう思っているのだ。
もちろん、付き合いの長い貴彰さんにはそんな姉の本音は筒抜けなわけで、
「それははるちゃんの怠慢だね」
「否定はしません」
「誰かが名乗り出てくれることに期待するくらいなら、最初から自分で誰かに目を掛けて育てておくべきだ」
「御尤もですが、私の後任というポジションがそれほどハードルの高いものであるとは思っていませんでしたし、今以てそうは思いませんので」
つんと澄ました顔で言い切った姉は、直後に貴彰さんに「現実逃避してもしょうがないでしょ」とツッコミを入れられ、痛いところを突かれた様子で口元をへの字にひん曲げた。
結局、姉の対人スキルの低さが露呈したのだろうな。
一緒に仕事をしてきた生徒会の下級生に後任を辞退されるということは、後輩たちの憧憬や使命感よりも、姉の後任というプレッシャーによる敬遠が勝ってしまったということなのだから。つまりは後輩と仲良くなることを怠り過ぎた姉の怠慢である。
どうせこの姉のことだから、下級生からは尊敬と畏怖だけ集めて、距離を縮めるどころか離す方向の努力しかしてこなかったのだろう。
オサレな言い方をするならば、憧れは理解から最も遠い感情なのだから。
店を出て、駅前で貴彰さんと別れる。
地下鉄で帰宅する貴彰さんを見送り、私たちは徒歩で兄の自宅まで帰る予定だ。
普段からしょっちゅう会っている私や兄はともかくとして、滅多に会えない姉に対しても特に惜しむことなく「じゃ、またね」とだけ告げて彼は去って行った。
「変わりませんね、貴彰さんは」
ぽつりと呟いた姉は、呆れているような安堵しているような、微妙な雰囲気だった。
今日の貴彰さんは、姉が知る昔の彼から変わらないし、私が知る普段の彼からも変わらない。
正直、少し意外ではあった。
身内贔屓を抜きにしても姉は美人だし、スタイルも良い。貴彰さんにとっては姉から気を許された数少ない異性であるという特別感もあるだろう。お互いにいい歳なのだから、少しくらいは『そういう』空気になるのかも、と思っていたのに。
そりゃあ、私と兄が横に居るのだからあからさまにはいかないだろうけど、だとしてもあの人は自然体過ぎる。
もしかして、姉のことを異性としてまったく意識していないのだろうか?
「貴彰さんって、恋人作らないのかな?」
普段ログインしている時間を考えれば、リアルで恋人にかまけている暇がないことなど明らかだ。
かといってゲーム内で女性プレイヤーとそういう関係になっている風でもないし。
「さぁな。そもそも、その気があるのかも良くわからん」
私の疑問に、兄が興味なさげに答える。
「お兄ちゃん、貴彰さんとそういう話はしないの?」
「しないでもねえが」
曖昧な苦笑。
兄は言葉にこそしなかったが、その言わんとするところはなんとなくわかる。
思い出すのは『Zillion Ray'N』をプレイしている時の貴彰さんだ。女性プレイヤーを眺めるのが日課だと豪語してやまない軽佻浮薄な振舞い。たぶん兄と異性に関する会話をするときも、だいたいあんな感じなのだろう。
どこからどこまでが本気なのか全然わからないのだ。
「実際、モテないわけでもねえみたいだけどな」
「そうなの?」
「ちらほら、アイツに気がありそうな女子も居るには居るんだが……」
兄は嘆息交じりに、
「アイツも変なところで鈍感だからな。まったく気付きやしない」
思わず、横を歩く姉に視線を向けると、姉のほうも私を見ていた。
顔を見合わせた私たちは、先を歩く兄に聞こえないように顔を寄せ合って囁いた。
「お兄さんにだけは言われたくない台詞ね」
「ある意味類友ってヤツだよね」
私たちが着いてきていないことに気付いたのか、少し離れたところで振り返った兄が「どうした?」と声を掛けてくる。
姉が平坦な声音で答える。
「お兄さんと貴彰さんの仲の良さを再認識していました」
「なんだそりゃ」
◇◇◇
自宅に戻ってきた俺たちはリビングでそれぞれに寛いでいた。
最初こそ物珍しそうにあちこち歩き回っていた遥佳も、最終的に「思ったよりも片付いていますね」とだけ言ってテーブルに腰を落ち着けた。遥佳はここに来たことが無いわけではないのだが、前に来たのは俺が住み始めて間もない頃で、あの時は殆ど物が無かった。それに比べれば、今のこの部屋は余程生活感に溢れていることだろう。主に、明佳のおかげで。
俺は遥佳に茶を入れてやって、自分も湯飲みを片手に遥佳の向かいに座った。
ソファに寝転がった明佳が、テレビのバラエティ番組を見てきゃらきゃらと笑っている。
休日の夜なんかは俺も明佳も大抵はログインしているので、こうしてテレビ番組を眺めるのは実は珍しい姿だ。
「明佳、ミニスカートで寝転がるのはやめなさい」
さっそく眉を顰めた遥佳の小言が飛ぶ。
うちの間取りはリビングダイニングで、食卓用のテーブルからもテレビが見えるように家具を配置している関係上、俺と遥佳の場所からは明佳の背中が見えている。
まあ、背中というかパンツが見えているわけだが。
「いーじゃん、家の中だし」
遥佳の小言に、明佳が振り返りもせずに答える。
「普段から気を付けておかないと、思わぬ場所で失態を晒す羽目になるわよ」
「お姉ちゃんと違って、一度の失態で死んだりしないからだいじょうぶ」
明佳の返答が言い得て妙で、俺は笑ってしまう。確かに、遥佳の場合は完璧主義が過ぎて、小さな失態でも致命傷レベルのダメージを負いそうだ。
俺としてはどちらの言い分も一理あるので、特に口出しはしない。
家でくらい寛がせろという明佳の言い分ももっともだし、寛ぐにしても節度があるという遥佳の言い分もわかる。外でも同じようなら兄として苦言くらいは呈するが、明佳とてその気になれば隙の無い振舞いもできるのだと知っているので、心配もしていない。
そもそも、『Zillion Ray'N』での明佳の一張羅である『幽冥尚武姫具足』からして結構なミニスカートだが、俺と貴彰が涙ぐましい努力の末に取り揃えたパンチラ対策品の数々を一蹴して、『見せない立ち居振る舞い』を取ることを選択したのは明佳自身だ。
実際に明佳は、男の俺からしたら理解不能なレベルでスカートを翻さないように立ち回るので、俺はむしろ感心しているくらいだ。ロールプレイに対する謎の熱意が為せる業である。
というわけで口出しはしないが、明佳への援護としてちょっとした疑問を訊いてみることにする。
「そういえば、遥佳はいつもロングスカートだな」
俺が覚えている限り昔からずっとそうだ。ミニスカートは元より、ズボンなんかも基本的には穿かない。
例外は学校の制服とか、身体を動かす時の体操着くらいだ。
「なんかこだわりがあるのか?」
「ただの趣味です」
にべもない遥佳の返答の横から、明佳がささやかな反撃を寄越した。
「お姉ちゃん、脚が太いの気にしてるんだよ」
「そうなのか?」
遥佳がそんなことを気にしているというのが普通に予想外で、素で訊き返してしまった。
もちろん、遥佳とて年頃の女性なのだからおかしな話ではないのだが。
遥佳は苦々しい瞳で明佳を睨みつけるが、敢えて否定するつもりもないようだ。
「多少、意識しているのは事実です。…………なんですかその目は?」
「いやすまん。可愛いもんだと思ってな」
普段が普段だから余計に。
俺が素直にそう言うと、遥佳は「んなっ」とこれまた珍しいくらいに動揺を露にする。
じわじわと赤くなる遥佳の姿はかなりレアな光景だ。
ちなみに、俺の個人的な意見としては、遥佳の脚が太いとは微塵も思わない。が、それを口に出さない程度の空気は読める。
成長期に武術をやっていた以上、他の同年代と比べて足腰がしっかりしているのは事実だろうが、別に筋肉質というわけでもないはずだ。ひょろひょろの爺さんが達人級の実力を発揮できることからもわかるように、そもそも戴天流というのは過度な筋力を必要としない術理であり、基礎鍛錬に筋トレは含まない。
かくいう俺が筋肉ダルマなのは、それこそただの趣味だ。
姉に一矢報いて満足したのか、明佳の興味はテレビに戻ったようだ。
レアな表情を晒した遥佳も、お茶を啜って一息ついたころにはすっかりもとの調子に戻っていた。
俺はというと、とりあえず明佳と一緒にテレビを見ていた。
映っているのはバラエティ番組で、どうやらドッキリ企画の特集らしい。
騙し系、驚かし系、色仕掛け系、と様々に趣向を凝らした企画が続き、見事なまでに引っかかって豊かなリアクションを見せているターゲットたちの姿に、明佳はぱたぱたと足を振りながらけらけらと笑い声をあげている。
俺もそれなりに楽しんで番組を視聴していると、ふと遥佳が微妙な顔をしていることに気付く。
「どうかしたか?」
バラエティ番組で笑う遥佳というのもそれはそれで想像できないが、とりあえず訊いてみる。
遥佳は「いえ……」と言葉を濁し、ややあって控えめに告げた。
「何故、笑えるのかがわからないのです」
そこはかとなく気まずそうなのは、今まさに大笑いしている妹がすぐそこに居るからだろう。
流石に明佳も振り向いて、憮然とした顔になる。
「面白いから笑うんでしょ」
「何故、面白いと思えるの?」
「何故、面白いかどうかを考えなくちゃいけないの?」
遥佳の問いが『なにが面白いのか』ではなく『何故面白いのか』であることが、この子の特異さだろう。
面白いかどうかを考えてからでないと笑えないのか、という明佳の皮肉もまた真理だ。
「なにも考えずに笑えるのが理解できないのよ」
「…………まあ、お姉ちゃんが私を馬鹿にしてるわけじゃないのはわかるけどさぁ」
「遥佳は、この番組を見てなにを思うんだ?」
俺が水を向けると、遥佳は「そうですね……」と難しい顔をしてテレビに視線を向けた。
今映っているのは騙し系のドッキリ企画で、お笑い芸人のコンビの片方が打ち合わせのために喫茶店で相方の到着を待っていると、偶然居合わせた相方の恋人が別の男と逢引きしているのを目撃してしまい、その事実を相方に告げるのかどうか、という葛藤を観察するものだ。
言うまでもなくターゲット以外は、相方もその恋人も逢引きの相手も全員が仕掛け人であり、最期には定番のネタばらしが待っている。
少々下世話な感はあるが、やはり恋愛関係の縺れというトピックは人気があるのか、確実にウケるジャンルなのだろう。
その顛末を睨むように見詰めていた遥佳は、ぽつりと。
「劇場型詐欺」
そのあまりに物騒な感想に、俺と明佳はそろって脱力する。
バラエティ番組のドッキリ企画を見ていて出てくる感想がそれって。そりゃあ笑えないわけだ。
「複数の人間がそれぞれに役割を演じ、一人のターゲットを陥れる……という構図はそのものだと思うのですが」
「いやいや、なにもお金巻き上げようとしてるわけじゃないし」
「悪意の有無は関係ないと思うわ。寄ってたかって人を騙して、無様に翻弄される光景を外野から見て笑うという企画でしょう。そもそも企画自体が邪悪だと私は思うのだけど」
これは根が深そうだ。
本気で言っている遥佳に、明佳もげんなりと絶句している。
詐欺の被害者を見て何故笑う気になれるのか、と遥佳は言っているのだ。真実、遥佳にとってはテレビの中のドッキリ企画はそういうものとしてしか見られないのだ。
俺たちの反応に思うところがあったのか、遥佳は「なら、」と今度は彼女のほうから問い掛ける。
「明佳は、あの企画がヤラセだとは思わないのかしら?」
「え?うーん……」
明佳は少し考え、
「わかんないけど、ヤラセじゃなければいいな、と思う」
「何故?」
「だって、シラけちゃうじゃん」
質問の意図はわからないけどとりあえず答えた、という様子の明佳から視線を移して、遥佳はそのまま「お兄さんは?」と訊いてくる。
俺は特に考えず、思うところを答えることにする。
「どっちでもいいから、強いて考えねえな」
俺はもともと、演じるという行為に思うところが無い。
先のドッキリ企画がヤラセだろうが天然だろうが、見える結果が一緒ならば役者の内情など気にするだけ無駄だ。意味がない。明佳の言うように、ヤラセだとわかれば萎えて笑えなくなるという人種も居ることは理解しているが。
ターゲットを含めて登場人物が全員仕掛け人で、テレビの前の視聴者を本当のターゲットとして笑わせにかかっている、と考えると俺の感覚に近いかもしれない。仮にヤラセだとしても演じるのも楽ではないのだから、それはそれで一つのエンターテイメントだろう、としか。
俺たちの返答はわかっていたという表情で遥佳は一つ頷く。
「私はヤラセだったらいいなと思います」
「えー!なんでぇ?」
「もし私があのターゲットの立場で、ヤラセでなかったとしたら、ネタばらしの直後に相方に絶縁を申し送るわ」
は、と明佳が固まる。
「仕掛け人のほうは笑いを取るために、相方を売ったということでしょう。騙して、晒し者にしたのでしょう。後出しで企画だったと言われたところで、一度でもそんな真似をした人間を、今後一生信用できないわ」
「コンビとしての知名度をあげるため、敢えてやったのかもしれんぞ?」
「芸人である彼らならばその可能性もあるでしょう。職業柄、騙されることも織り込み済みの可能性は高い。でも、いつだってターゲットが芸人ばかりではないはずです」
確かに、俳優やアイドルがターゲットになることもある。
芸能人ならばそれも仕事のうちかもしれないが、一般人をターゲットにした企画というのも少なくないのが実際だ。
「たいてい皆、ネタばらしされたら笑って許すけどね」
「あんなのはただの脅迫です」
「はい?」
もはやテレビそっちのけで旭家兄妹会議である。
「カメラを向けられて、アナタは見事に騙されました、などと言われたほうは笑うしかないだけよ」
「なんで?」
「騙された側がそれ以上の醜態を晒さずに己の面目を保つためにはそうするしかないからよ。騙したほうの手腕が優れていたのだと相手を立てて、潔い敗北者を演じることでしか己を守る手段がないのだから。私は『ネタばらし』などというものは『公開処刑』以外の何者でもないと思う」
そこまで言い切って、遥佳はついと瞳を伏せ、声のトーンを落として呟く。
「私の考えは、おかしいでしょうか……?」
ふむ、と考えてみる。
普通の感性ではないかもしれない。
ただ、遥佳の考えは無駄に穿ち過ぎだとは思うが、同じような感性でドッキリの類を嫌っている人というのはわりと多いと思う。それこそ、ヤラセの演技だとわかっていてもなお、人が騙される姿を見て笑うことができないという人だって間違いなく居る。
「少しばかり拗らせてる感はあるが、個性の範疇じゃねえか?」
「……そうやってお兄ちゃんが甘やかすから、いつまで経ってもお姉ちゃんが真人間に戻れないんだよ」
即座にまぜっかえしてきた明佳に、遥佳が半眼になって「アナタに言われたくないわ」とツッコミを入れた。
甘やかしている自覚はあるが、これはもう俺が俺である限り治らない病気だからしょうがない。
世間では主に『シスコン』とよばれる病らしい。
「遥佳はたぶん、フラッシュモブとかも嫌いだろ」
「別に遭遇した経験もありませんが、目の当りにしたら間違いなく顔を顰めるでしょうね」
「フラッシュモブって?」
「通行人とかがいきなり一斉に踊りだすヤツ」
「ああ」
俺の雑過ぎる説明でもなんとなく理解できたらしい明佳は、「確かにお姉ちゃんは嫌いそう」と頷いた。
「結局お姉ちゃんって、自分が蚊帳の外に置かれるのが嫌なんだよね」
「自分の知らないところで事態が進行するのが嫌いなのよ」
「一緒じゃん」
「違います」
明佳の言い方だとまるで自分が混ぜてもらえないことを寂しがっているかのような印象だが、遥佳にそんな可愛げがあるとは流石に思わない。十中八九、不確定要素を嫌う完璧主義の弊害が出ているだけだろう。
先程明佳が冗談で言っていたが、本当に小さな失態であっても自分を許せなくなってしまうのがこの子だ。
そこで不安がるのではなくイラつく方向に行くあたりが、遥佳の遥佳たる所以なのだが。
「なんで得難い光景を素直に楽しめないのかなぁ」
「渡り鳥が突如編隊飛行し始めれば、私も素直に感動するでしょう。道行く人々が突如団体行動し始めたところで『よそでやれ』としか思いません」
「お姉ちゃんってめんどくさーい」
誰かの思惑に乗せられるのが嫌なんだよな。
フラッシュモブの例で言えば、パフォーマンスをする側の『おら見ろよ。すげーだろ?』に乗っかるのが死ぬほど嫌なのだ。
と、その時、壁際の端末から電子音が聞こえてきた。
給湯システムが浴槽の湯張りの完了を伝えてきたのだ。
明佳が跳ねるようにソファから立ち上がる。
「私、お風呂もらうね」
「おう」
明佳は熱々の一番風呂にこだわりがあるようで、大抵はこの子が先に入浴する。
俺は後から適当な時間に適当に済ませる。シャワーだけで済ますことも多いし、気分で追い炊きして湯船に浸かったりもする。要はなんのこだわりもないということだ。
「お姉ちゃん、一緒にはいろ?」
「え?」
唐突な誘いに遥佳は珍しく虚を突かれた様子で瞳を丸くしていたが、ややあって頷いた。
「そうね。たまにはいいかもね」
最近は姉を敬遠したり反抗することも少なくない明佳だが、根っこの部分では変わらずに甘えんぼうなのだ。そんでもって、なんだかんだ言って妹に甘えられると無碍には出来ないのが遥佳という子なのだ。
姉妹の仲が良いのは良いことだ。
うちの浴室は決して広いとは言えないが、かといって狭くもない。
少女二人くらいであれば窮屈もするまい。
「お兄ちゃんも一緒にはいる?」
なにを思ったのか明佳がトチ狂ったので、とりあえず「あほか」と言っておく。
「三人ならギリギリいけると思うんだ」
「そういう問題じゃねえ」
末っ子的に兄や姉に甘えたいだけなのかもしれないが、そういう話題は思春期のお姉ちゃんとかが死ぬほど気まずい感じになるからやめなさい。
まあウチのお姉ちゃんは気まずくなるどころか何故かジト目になっているのだが。
何故俺を睨む……?
「まさかとは思いますが、普段から一緒に入浴しているとか言いませんよね……?」
「あはは、流石にそれはないよ~」
明佳は邪気なく笑って、
「精々三日に一回くらいだよね?」
「………………お兄さん?」
こわっ!?
一瞬で能面のように表情が抜け落ちたぞ。
「明佳よ」
「うん?」
「その類の冗談は、時として男を社会的に抹殺しかねないから、使いどころを考えないとダメだぞ」
「よくわかんないけど、はーい」
そう言って着替えを取りに自室へ向かった明佳の背を見送りつつ、遥佳がこめかみを押さえて溜息を吐く。
「必要なのは性教育かしら……」
「その辺は、任せた」
流石に俺にはどうにもできん。
といっても、あの子も見た目ほど子供ではないような気もするのだが。だからこそたちが悪いとも言える。主に俺の社会生命的な意味で。
早くも疲れたような雰囲気で、すたすたと明佳の背を追って歩いた遥佳が、リビングから半歩出たところで立ち止まった。
「ところでお兄さん」
「んー?」
とりあえずテレビでも見て時間を潰すか、と明佳が退いたソファに座った俺は背もたれに体重を預けつつ、遥佳に声だけで返事をする。
「お兄さんが一緒に入りたいと言うのなら、私は構いませんよ」
「あ?」
俺が首だけを巡らせて廊下のほうを見遣ると、こちらに向き直っていた遥佳と視線が合った。
見慣れた無表情を、瞳の輝きだけが裏切っている。
俺は既視感を覚えた。
昔……過去に一度だけ、これと同じ瞳を見たことがある。
「…………ドッキリにしては、笑えねぇな」
つと視線を外しつつ俺が嘆息気味に告げると、遥佳が微かに笑むような吐息を漏らした。
浴室から明佳が呼ぶ声に応えて、遥佳が踵を返す。
「そうですね……――――私、ドッキリは好きじゃないので」
甘い、毒のような囁きだけを残して。
あくとにじゅうご。えんど。




