Act24:俺ではないことだけは確かだな
妹成分多め(当社比)
あくとにじゅうよん。
兄と並んで電車に揺られること暫し、他愛無い話をしつつ駅からの道を歩くことまた暫し。
休日の私の姿は私立彩陵台高等学校の女子学生寮の門前にあった。
駅前の喧騒から程好く距離を置いた、閑静な高級住宅街を背後に臨む好立地に佇む、格調高く古式ゆかしい洋建築。見た目の景観は宗教施設もかくやと言わんばかりの歴史の風格が漂うが、その実中身は潤沢な財源にモノを言わせた徹底的な近代化を施されており、すぐ明日から即日でホテルとして営業開始できる程度には設備が充実している、とは姉の言だ。
「相変わらずすげえな」
「ねー」
「とても学生寮とは思えん貫禄だな」
門前から眺める兄も呆れと感嘆を混ぜ合わせたような顔をしている。
ここを訪れるたびに同じような反応をしている気がするが、きっと慣れることなどないのだろう。
「この寮に住みたいからって理由で受験する人も居るみたいだし」
「さやも彩陵を受けるのか?」
兄に問われて「んー」と考える。
偏差値とか内申点的には無理ではないけど、あんまりそのつもりはないというのが正直なところだ。
確かに、目の前の女子寮とか『お嬢様校』というフレーズには心惹かれるものがあるけど、
「どーせお姉ちゃんが死ぬほど伝説作ってるだろうからなぁ……」
「あー……」
私のぼやきに、兄が諦観っぽいため息を返す。
あの完璧超人の姉が生徒会長まで務めて、幾多の伝説を残しているであろう学校に、その妹として入学する気概は私にはない。中学の時点でじゅうぶんに懲りたとも言える。少なくとも、姉の名声が風化するまでは勘弁願いたいところだ。
それならば、私は親友の葉月ちゃんや美幌ちゃんと一緒に、ごく普通の平穏な高校生になりたい。親友たちが彩陵に行きたいと言うのであれば、まあそのとき考えよう。
「さて、眺めるのはこれくらいにして、用件を済ませるか」
「うん」
何故私が兄と一緒にこんな場所に居るのかというと、もちろん女子寮を眺めに来たのではない。
今日は姉が待ちに待った……かは知らないが、お泊りの日である。
折角だから兄妹三人でそろって実家に顔を出すことにしているので、姉を迎えに来たのである。私と兄が生活しているマンションから実家に向かえば、彩陵台方面とはほとんど逆方向になるのだが、その道のりを姉に一人で来させるのもなんだから、と。
門の横手に存在する守衛の詰め所に向かう兄の背を追って歩く。
女子の園であることを考慮してか、守衛もまた女性だ。
若干年嵩の、そこはかとなくふくよかな感じの、威圧感よりは気さくさを感じさせる風貌。言うなれば警備のおばちゃん、と言った雰囲気である。訪問者が門の前で呆けている光景も珍しくないのか、私たちを訝るでもなく笑顔で迎えてくれた。
たぶん、兄が不審者扱いされなかった最大の理由は私が一緒に居たからだろうけど。
「旭遥佳さんのご兄妹のかたですね。ええ。伺っておりますよ」
お呼びしますので少々お待ちを、と言って守衛の女性は内線を取った。
もともとは上流階級の家庭の令嬢が通うような学校であっただけあって、セキュリティは学生寮にしては過剰なくらいに厳しいのだとか。訪問者がある場合は事前に守衛室に申請を出しておかないと、たとえ家族でも門前払いを食らうというのだから大概である。
もちろん、我が家の出来た姉がその辺を疎かにするわけがないので、私たちには無縁の心配ではあるが。
「すぐにいらっしゃるそうなので、ロビーでお待ちください」
そう告げた守衛の女性に促され、私たちは通用門を通って敷地内に入り、正面玄関から寮棟の中へと入る。
待合所と掲示されたスペースで、ソファに並んで腰かける。
即日でホテルに転身できるなどと評されるだけあって、たかが学生寮のロビーとはとても思えない内観に圧倒される。右を向けば壁面のガラス張りからは綺麗に整えられた庭園を望むことができ、左を向けば鑑賞用の熱帯魚が泳ぐ巨大な水槽が見える。
奥にはラウンジのような空間があり、寮生と思しき女子たちがお茶を楽しんで談笑する姿がある。
これは暗黙の了解というやつだが、彩陵という教育機関の本体は学び舎ではなくこの女子寮である。
かつて経営の危機に陥った際にも、この女子寮の品位だけは意地でも落とさなかったというのだから相当のものだ。そして見ての通り、今となっては完全に持ち直している。男女共学化した際に、メインターゲットを上流階級の子息令嬢からちょっと裕福な中流階級へとシフトし、それに伴って維持費ばかりが嵩んでいた無駄に豪華な設備群を思い切って全部ポイしたのが良い方向に作用したのだ。
まあ、ぜんぶ姉の受け売りなんだけど。
ちなみにこのロビーまでならば守衛のセキュリティを抜ければ外来者が足を踏み入れることが可能だが、ここからさらに奥の寮生たちの居住スペースに入るには更に強固なセキュリティを通過する必要があり、寮生と寮の管理者以外は基本的には入れないらしい。
「やっぱり私、普通の学校でいいかな」
「そうか?」
「うん。こういうところに住むより、お兄ちゃんと一緒にごろごろしながらゲームしてるほうがいい」
私がそう言うと、兄はくつくつと笑った。
「なんでもありそうなすげえ学生寮にも流石に兄貴は付いてないからな」
そういう顔が少し嬉しそうに見えるのは、私の願望がそう見せているのだろうか。
というか、私なんかはこの環境における自分の場違い感に早くも居心地が悪くなり始めているのだが、兄は物珍し気にしているもののすっかり寛いだ様子を崩さない。豪胆なのか鈍感なのか、もしかしたら開き直っているのかもしれないが。
どうせこんな機会でもないと入れない場所だから、存分にキョロキョロしておこう、的な。
「そんなに珍しい?」
「ん?ああ、実はな――」
兄の様子が少し気になって訊ねてみると、兄はバツが悪そうに笑った。
「俺も今朝知ったんだが、実は[アリア]と[Canaan]は彩陵に通ってるらしい」
「え!?そうなの?」
寝耳に水である。
それはなんともタイムリーな、と思わなくもないが。
彼女たちが高校生であることは知っていたけど、私にとっては彼女たちはあくまでも兄の友達と言う認識なので、そこまで突っ込んだ会話をしたことはない。
ちなみに、私の所感としてはあの二人は予想外のかたまりみたいな人たちだ。[アリア]さんは明らかにゲーム慣れしていないビギナープレイヤーと言う印象で、切った張ったに向いているようにも全く思えなかったので、失礼ながら適度に『Zillion Ray'N』を遊んだらフェードアウトしていく類の人かなと思っていたのだ。ところがどっこい、彼女は毎日元気にログインしているし、きゃらきゃらと楽し気に笑いながらエネミーをぶちのめしているし、ごりごりレベルも上がっている。最近に至ってはたぶん私よりもログイン時間が長くなっているくらいだ。誰がどう見てもドはまりしている。
そして[Canaan]さんに至っては失礼ながら、そもそも兄となんで仲が良いのかまったくもってわからない。
少々どころでないコミュ障(直球)だが、悪い人ではないのはわかるし、いろんな意味で兄が構いたくなるのも頷ける人物ではあるのだが。ではなにが予想外なのかというと、ああいう人種が兄と友人関係を築けた事実そのものが、である。
そもそもどうやって知り合ったのだろう?
「んで、もしかしたらその辺歩いてんじゃねえの?って思ってな」
「かもしれないね」
あ、でも――と首を傾げる。
「寮でオンゲってできるのかな?」
今どきネット環境が整っていないわけがないし、普通ならば寮の部屋でゲームしようが個人の勝手ではあるだろうが、この彩陵の寮を見て普通と思うやつはまず居るまい。私の勝手な思い込みだけど、お嬢様校とか称される場所って大抵規律に厳しいイメージだ。
と、私の素朴な疑問には背後から答えが与えられた。
「オンラインゲームだろうが生配信だろうが、自分の部屋でやるぶんには自由ですよ」
良識の範囲内であれば、ですが――と続くのは聞きなれた平坦な声音だ。
ソファの背もたれ越しに振り向くと、休日の装いをした姉が立っていた。
下が絨毯なので足音がしなくて、接近に全然気付かなかった。
シンプルなシャツに、ロングスカート、それから白いカーディガンを羽織って完成するテンプレみたいなお嬢様ファッションだが、黒髪ロングの大和撫子を(外見だけは)地で行く姉には正攻法が良く映えるのだ。
背もたれに片腕を掛けて振り向き、兄が「よお」と軽く手を上げる。
「こんにちは。お兄さん、明佳。態々迎えに来てくれてありがとうございます」
そう言って律儀に頭を下げる姉の傍らには、もう一人別の人物の姿があった。
ピンピンと外に跳ねる活動的なショートヘアーに、少し面長気味の中性的な顔立ち。暗色系のサマーセーターと細身のパンツというユニセックスな装いが助長する、カッコいい系女子を地で行くこの人は姉の親友の北条志弦さんだ。
姉が会長を務める生徒会の書記でもあるそうな。
姉が一人でないことに気付いた兄がソファから立ち上がって向き直ったので、私もそれに倣う。
「そちらは確か、北条さんだよな?」
と、兄が言うと志弦さんは少し驚いたような表情を見せた。
「よくわかりましたね。数えるほどしかお会いしたことはなかったはずですが」
「そりゃあ妹と仲良くしてくれてる相手だからな。忘れねえだろ」
厳密に言えば、姉と連れ立って現れるような関係性の人物など志弦さんしか存在しない様な気はする。
とはいえ、私は妹と言う立場もあってか志弦さんにも可愛がってもらっていたのでそれなりに会う機会もあったのだが、兄のほうはそれこそ、なにかの折にニアミスした経験くらいしかないはずで、そもそもちゃんと対面するのも初めてなのではなかろうか。
そう考えれば、即座に彼女の名前が出てきたことは確かに驚くべきことかもしれない。
「改めまして、北条志弦です」
「旭彼方だ」
簡素な自己紹介を済ませ、姉と志弦さんが自然な流れで私たちが座っていたソファの向かい側に腰を下ろしたので、私と兄も元の場所に再び腰を下ろした。ローテーブルをはさんで向かい合ったところで、姉がスッと片手を挙げた。
なんだろう?と私が不思議に思っていると、どこからともなくウェイターの格好をした女性が現れたのでびっくりしてしまう。
どうやら、片手を挙げれば給仕が現れるのがこの場においては普通らしい。実は私と兄が最初にこのソファに座った段階で一度現れるはずだったらしいが、別に居座るつもりもなかった兄が仕草でこっそりと遠慮しておいたみたいだ。全然気付かなかった。
喫茶店ではないのでメニューのようなものは当然存在せず、とっとと注文を告げた他の三人に続いてウェイターから視線を向けられた私は慌ててしまう。
「あ、あの、なにがあるんでしょうか……?」
「ご所望とあらば、なんなりと」
ウェイターの女性はにっこりと上品かつ余裕の笑みを浮かべた。
追従するように志弦さんがいたずらっぽく笑う。
「ちなみに、ここで悪ふざけして変なもの注文すると、ほんとに出てきちゃうから気を付けてね」
「えっと。じゃあ、りんごじゅーす」
「畏まりました。お嬢様」
一口にウェイターと言ってもそこいらの喫茶店やレストランとかのそれとは格が違っていて、明らかに専門の訓練を受けた本職の給仕であることが伺える佇まいであった。
立ち去りかたまで洗練されていて隙が無いのだ。
「変なもの注文したやつが居たのか?」
「朝っぱらからピザを食べる羽目になった愚か者なら居ましたよ」
「ラウンジがチーズ臭いんだけど!って他の寮生から大顰蹙買ってたね」
あれは嫌な事件だった……としみじみ呟く姉たちを見ていると、なんだか意外と愉快に生活しているようである。
ちなみにこの場での飲食の代金は寮費に上乗せされるそうだ。外来客のぶんは招待者が払うので、私と兄の飲食費は姉の来月の寮費に加算されるわけである。
素晴らしい早さで出てきた注文の品で喉を潤しつつ、最初に切り出したのは志弦さんだった。
「突然お邪魔してしまって済みません。噂のお兄さんがいらっしゃると聞いて、どうしてもお会いしたくて」
その大仰な物言いに、兄が思わずといった様子で苦笑を漏らす。
「初対面ってわけでもないだろうに」
「まあ、そうなんですけどね」
「噂の、って?」
志弦さんの言葉の一部分が気になって私が問い掛けると、志弦さんは『待ってました』とばかりに笑みを深め、その横で優雅に紅茶を味わっていた姉がほんの一瞬だけ僅かに肩眉をピクリと持ち上げた。
「遥佳って身内の前ではこんなんだけど、猫被るのは得意なんで、これでも結構モテるんですよ」
「ほう?」
「人気のイケメンとか、インテリとか、スポーツマンとか、そりゃもう色んな殿方から熱烈なラブコールを受けてたんですけど、それを一切合切全部袖にしたっていう伝説がありまして」
興味深そうにする兄に気をよくしたのか、志弦さんがノリノリで語り始め、姉はそんな二人を白けた視線で見遣りながら「大袈裟に言っているだけですからね」としっかり釘を刺している。
姉が被っている『猫』の理由を知っている私としては表情を引き攣らせるしかない。
姉が猫を被って接する相手というのは、姉の中では『まったくもってどうでもいい』と分類された人物なのだ。恋に浮かされた殿方の眼には寛容で、慎み深く、常に相手を立てる、絵に描いたような撫子に映るようなのだが、その実態はなにも期待していないからこそどんな行為にも憤らないし、自らを主張するリソースすら割く気が無いので相手の話に合わせてあげているだけなのだ。
つまりは究極的に当たり障りのない対応をしているだけ。
笑顔という名の無関心だ。
タチが悪いのは、文句なしに頭の出来が優れているせいで適当な相槌すらもレベルが高くてボロが出ないし、戴天流を身に着けているおかげで男性の側が多少強引に迫ろうとしても、それと気づかせずやんわりと自然にいなせてしまう点だ。
「それで、遥佳が『お断り』の返事をするときの定型文が、『既に心に決めた人が居る』っていうので」
「そう言ってるのに、何人も告白する人が居るんですか?」
「遥佳に恋人が居る気配がないから、片思いならまだ割って入れる余地があると思ったんじゃないかな?」
「いい迷惑です」
姉はそれこそどうでもよさそうな表情で愚痴めいた呟きを零すだけだが、対照的に兄はすごく楽しそうな顔をしている。
私はというと、よりによって兄と姉が揃った場でその話題を出した志弦さんの無意識の暴挙に戦慄していた。
「んで、実際心に決めた相手が居るのか?」
「居ない。と先日も申し上げたはずですが」
「だけど、俺が聞いてた話とは随分違うモテっぷりみたいじゃねえか」
「私が猫を被っていることすら見抜けない殿方など、ものの数には入りません」
地雷原でタップダンスをするような会話に、私の胃が痛くなってきた。
高級品であろうと予想されるリンゴジュースの味がわからない。
余程私の顔が引き攣っていたのか、対面に座った姉が一瞥を寄越してくる。その怜悧な視線はなによりも雄弁に『なにも言うな』と語っており、私は内心で『言えるか!』と叫びながらも視線で頷くことしかできない。
「そう。で、どうやら遥佳の定型文が告白を断るための方便だというのは男子諸君もなんとなくは察してきたみたいなんですが、だとすれば当然の疑問が出てくるわけで」
「そもそもなんでそこまで頑なに断るのか、ってことか」
「ええ。女子の視線を一身に集めるような王子様が相手でも問答無用でバッサリですからね」
ちなみに彩陵台高校は男女共学校になったとはいえ、五年前までは女子校だったという事情もあって、いまなお生徒の男女比は女子のほうが多いのだ。しかも学費の高さもあいまって、この高校にわざわざ進学してくる男子と言えば、結構な割合で裕福な家庭のお坊ちゃんらしい。もちろん、それがすべてとは言わないが。
競争率が高い、家柄良しの優秀な男子とくれば、それは女子の視線を集めることだろう。
その彼らを魅了するだけしといて、告白されればにべもなく袖にするという行為が癇に障って、一時は周囲の女子による姉への嫌がらせなんかもあったのだとか。
無論、私はそれを聞いたところで『自殺志願者なんだな』としか思わなかったが。
「ここでようやくお兄さんの出番です」
「お?」
「誰が言い出したのか知らないけど、どうやら麗しの旭さんには兄が居るらしいぞ、と」
まあ昔の同級生とか、知っている人は知っている情報だろうし、別に不思議なことでもない。
ところで、姉を評して『麗しの~』とか言うのは切にやめて欲しい。それは私の腹筋に効く。
「曰く、あの旭さんの兄なのだから、さぞや眉目秀麗、謹厳実直、文武両道の完璧超人に違いない!」
「え?誰の話?」
「俺ではないことだけは確かだな」
私が思わず横に問い掛けると、兄がすっとぼけた返事をくれた。
「とまあ、そんな噂が流れた結果なにがどうなったのか、遥佳が異性からの告白を断り続けるのは、完璧すぎる兄を見て育ったためにそれ以下の男には靡かないのだという風潮が、彩陵男子の間でまことしやかに囁かれているのです」
「ちょっと待って志弦。それは初耳なのだけど」
「私も一昨日知ったからね」
過程はともかくとして、結論そのものはそこまで間違っていない気がする私である。
そもそも、うちの姉が猫を被らずに接する異性というのは、私の知る限りでは現状たった四人しか居ないのだ。これは男性が相手に限った話ではないが、姉にとってはこの世の中の大半の人物はどうでもいい存在だということだ。
どうでもよくない四人の内訳は兄以外では、現在の保護者である父方の祖父と、兄の親友にして私たちにとっても兄貴分の城戸貴彰さん。それから家族ぐるみで付き合いのある城戸家のお父さんだ。
少なくとも、彼らに続く五人目になれなければ、姉と交際するなど夢のまた夢だ。
まずは姉から興味を持ってもらわなくてはならないが、そのために一番手っ取り早い手段は、うちの兄を上回ることであるというのは間違いではない。ただし、兄は完璧超人どころか極振り系の武力特化人間なので、その兄を上回る(物理)のは容易ではない。
妹の立場として一つだけ言いたいのは、そこまでして姉(地雷)にこだわらなくても、きっと他にも良い人いっぱい居るよ~ということだが。
そう考えると、現状最も姉の恋人になり得る立場に居るのは貴彰さんということになるのだが、あの人はあの人で、一見わかりやすいように見えて本心だけは巧妙にぼかすような食えない部分がある人なので、貴彰さんに関してはむしろ彼のほうが姉のことをどう思っているのかが未知数だ。
「これはつまり、あれか」
コーヒーを啜り、神妙な面持ちで兄が口を開く。
「妹が欲しければ俺を倒して見せろという、夢にまで見た台詞を言える時が来たんだな……!」
冗談めかしたようなその言葉に志弦さんは乗っかるように笑っているが、当の妹である私たちにはわかる。
絶対本気で言うつもりだ……!
いやいや冗談ではない。私自身はまだ恋愛のれの字も知らないわけだが、兄に勝てる相手なんてハードルを設けられたら、私の彼氏になってくれる人なんて存在しなくなってしまう。
この兄と勝負して勝てる男の子なんて……――
「ねえお兄ちゃん」
「なんだ」
よく考えれば、別に兄に負けを認めさせるだけならガチンコバトルにこだわらなくてもいいのでは。
だから、そう、例えば――
「オセロでもいい?」
「いいぞ」
あ、いいんだ。
◇◇◇
北条さんの話で気付いたのだが、もしかして、俺が遥佳の兄であると知った時に[アリア]たちがあそこまで驚いていたのは、彩陵男子の間でまことしやかに囁かれているらしい件の噂を知っていたからなのだろうか。生憎と本物の俺は噂の中の『俺のような何か』とは異なり、完璧でもなければイケメンでもないので、噂と現実の乖離に世の無常さを悟ったことだろう。
結局なにが目的で現れたのかよくわからなかった北条さんとの邂逅を経て、俺たちは兄妹揃って実家へと帰ってきた。
都会の喧騒から離れ、鉄道や国道などの交通網からも少し外れ、山間に半ば溶け込むようにして佇む今どき珍しい武家屋敷めいた日本家屋こそ、俺たちの父親の実家である旭家だ。
正門からは道場にしか入れないようになっているので、勝手知ったる俺たちは裏手に回り、梢に埋まった勝手口から屋内に入る。
「よう来たな」
ぶっきら棒にそう言って出迎えてくれたのが、俺たちの現在の保護者にして、血縁上は父方の祖父にあたる旭玄三だ。
旭家の現当主であり、『旭戴天流勁応術』の継承者だ。その腕前は達人という表現すら生温い、遥かな高みにある。流石に歳が歳なので、真正面から殴り合えば俺のほうが勝るだろうが、単純な武術の技量という意味では俺は未だこの爺さんの足元にも及ばないのだ。
若い時分にはそれはもう筋骨隆々の大男だったらしいが、老いに衰え、今となっては目つきの悪いひょろりとした爺さんにしか見えない。
その実態は、人を見かけで判断してはいけない、という言葉が服を着て歩いているような人だ。
「ただいまー。おじいちゃん」
「ご無沙汰してます」
にっこり笑って挨拶した明佳とは対照的に、遥佳は殆ど無表情のまま僅かに会釈するだけだ。
爺さんはそんな二人を視界に収め、俺に対した時の表情がウソのように、莞爾と笑う。まさしく好々爺の見本みたいな顔である。その反応の落差は相変わらずと言うかいつものことなので、今更思うところもない。
婆さん曰く、これは旭家の遺伝子のなせる技なのだとか。
端から見てると、爺さんが孫娘に相対した時の姿と、俺が妹と相対した時の姿は、雰囲気がそっくり過ぎて笑えるレベルなのだとか。
「おばあちゃんは?」
「居間におるよ。遥佳たちが来るのを今か今かと待っとったでの。顔を見せてやっておくれ」
「勿論です」
婆さんに会うために居間へと歩いていく妹たちを見送る。
これもまあ、いつものことだ。
俺も当然後で顔は出すが、それよりもまずは。
「どれ、少し見てやろう」
「おう」
示し合わしたように俺と爺さんが向かうのは敷地内の道場だ。
なんのことはない。会えばこうして打ち合いをして実力を確かめるのが、俺と爺さんのコミュニケーション法なのだ。俺も爺さんも根っこの部分で似通った武術バカなので、結局これがなによりも雄弁な近況報告なのである。
道場へと続く廊下を歩きながら、「そういえば」と雑談を振る。
「この前、勁応術の使い手に会ったぞ」
「うん?」
「たぶん救心流だと思うんだが、爺さん心当たりあるか?」
言うまでもないが、『Zillion Ray'N』をプレイするなかで遭遇した女性プレイヤー『焔星』のことだ。
俺の質問に、爺さんは片手で顎をしごきながら思案しているようだった。
「どこで会った?」
「オンゲの中だよ」
「ふむぅ……どんなヤツだ?」
「アバター越しだから正確にはわからんが、十中八九、俺と同年代くらいの若い女だ」
そう教えると、爺さんはますます思案気な難しい貌になった。
ちなみに、爺さんは古武術を継承する一族の当主とかいう肩書を持っているくせに、意外とハイテクに明るい。スマホやPCを普通に使いこなすし、オンゲやアバターなんていう単語も普通に通じる。
「救心流勁応術を伝える家なら知っとる。あすこの当主は儂と同年代のじじいだが」
「つーことは、俺が会った彼女は後継者か」
「たぶんの。一昨年の会合で会った時には『後継者に恵まれない』と嘆いとったが、どうやら解決したようだの」
なるほど、と頷く。
手前みそだが、俺と張り合える実力を持つ『焔星』であれば、流派の後継者としては申し分あるまい。
一昨年の時点で後継者不在であったということは、『焔星』が救心流勁応術を学んだのはそれ以降ということになり、たった二年程度であれだけの実力が付くのかと言われれば難しいと言わざるを得ない。
だが、横の繋がりがある家同士であれば、似通った流派に途中から転向するというのはわりと有る話だ。
おそらく彼女もその口で、高いレベルに築かれた基礎の上に、救心流勁応術の骨子を刻み込んだ結果が、あの実力なのだろう。
「ときに彼方よ」
「ん?」
「その女子とは親しいのか?」
何故いきなりそんなことを訊いてくるのかさっぱりわからんが、とりあえず答える。
「顔見知り程度だな。そもそも一回会っただけだ」
それがどうかしたか、と問うと、爺さんは『くわッ!』と擬音が付きそうな形相で瞳を見開いた。
「口説け」
「は?」
「その女子を口説き落として、なんとしても嫁に来て貰え」
あまりに唐突な、しかも意味不明な暴論に俺がフリーズしていると、爺さんはまるで嘆かわしいものを見るような視線で淡々と語り始めた。
「よく考えてみろ彼方よ。お前と来たらいい歳して口を開けば武術とゲームの話ばかりで、そのうえ女心も解さぬ唐変木ときておる。そんなお前に真面な女性が嫁に来てくれるとは思っておらん」
「概ね事実だが失礼だなオイ。あと女心云々に関しては爺さんには言われたくねえが」
「やかましい。儂には少なくとも婆さんを口説き落とした実績がある」
「んなことで孫相手にマウントとるなよ……」
「まあ儂のことはどうでもよいが、そこを行くと件の救心流の使い手はお前の理想そのものではないか」
言われてみれば、そうと言えなくもない……のか?
少なくとも、武術やゲームについて同レベルの会話が成立しそうな異性なんて、家族以外では『焔星』くらいしか思いつかないが。実際のところそんなプライベートな会話をするほど親しくなってはいない(重ねて言うが、そも一回しか会ってないし)のだが、ユニオンレイドの最中に交わした短い会話だけでも、その確信を得るにはじゅうぶんなくらいに馬が合ったのだ。
あんなに楽しげに武術を使うヤツと気が合わないわけがない(筋肉理論)。
「賭けても良いが、そんな奇跡の如き廻り合わせ、今後一生訪れんぞ」
「だからっていきなり口説けって言われてもなぁ……」
俺が曖昧に応えを濁していると、隣を歩く爺さんが溜息を吐いた。
「まあ嫁云々は半分冗談だが」
「……半分は本気かよ」
「お前のことは然して心配しておらん。なんだかんだで上手くやるだろう。だが……」
爺さんはそこで言い淀むが、その先を聞くまでもなく、俺にはその言わんとするところが理解できる。
「あの子は歪んでおる。歪んだまま育ってしまった。お前が悪いわけではないが、だが、あの子の歪みを糾せるのはお前だけだろう」
「…………俺になにができる」
「当たり前のことをすればいい。それが一番効くだろうて」
知らず、いつの間にか立ち止まっていた俺を置いて、爺さんの背中が遠ざかっていく。
「当たり前、ね…」
これほど難しい言葉もないな、と俺は独り言ちた。
あくとにじゅうよん。えんど。
本日の捕捉。
妹「そう言えば男子寮ってあるの?」
姉「ありますよ。ごく普通の集合住宅ですが」
姉友「あっちは新築だし、無駄なセキュリティもないから、綺麗で快適らしいよ」
妹「そっちのほうが住みやすそう」
姉「皆が思っていることを言ってはいけません」




