Act23:その胸はフィクションですって言われても俺は納得できる
あくとにじゅうさん。
「――というわけで、遥佳ちゃんと会う約束があるんだってさ」
「ナルホド。そうでしたか」
女の子たちにハブられて独り寂しくクラフトに興じていた俺の元を訪れたのは、ちっちゃい妹のちっちゃくない友人こと[クロエ]さんだった。
なんでも、彼女は今日は[さや]ちゃんと一緒に遊ぼうと思っていたらしいのだが、ところがどっこい[さや]ちゃんは「用事がありますので」と告げてそそくさとログアウトしてしまい、暇になってしまったのだとか。
仕方がないので、暇つぶしにここに来た、と。
「…………」
俺はカウンター内の定位置に座って、頬杖を付いて[クロエ]さんの姿を眺める。
客商売にあるまじき態度だが、今更そんなことを気にする相手ではないのはわかっているので、遠慮なくダラけさせてもらう。
彼女は、工房内の壁に飾られた武器の数々を物珍し気に見て回っているようだ。
その辺の武器は俺がクラフトしたもので、店内の賑やかしに飾ってあるだけなのだが、リアル指向のこのゲームでは武器のグラフィックも現実さながらに凝っているので、眺めるだけでも楽しいという話はよく聞く。
[クロエ]さんもそのタチらしく、彼女はここに来るたびにこうやって見て回るのだ。
俺のクラフトレシピ解放度に伴って飾る武器は日々更新されているので、たまにしかここを訪れない彼女にしてみれば、来るたびに内装が一変して感じるのだろう。
「楽しいかい?」
毎度のことだが、女性にしては珍しく本当に楽しそうに武器を見て回る[クロエ]さんに、なんとなく訊いてみる。
「ええ。もともとこういうの好きなんですよね。ボク」
「武器を眺めるのが?」
「武器に限らず、ですが。なんといいますか、デザインを見るのが好きなんですよ」
「デザイン?」
「そう。フィクションだからこそ出来る造形ってあるでしょう?」
そう言って彼女が指さしたのは、つい最近作ったばかりの皇虫族産の大剣だった。
[エッジ]に渡した打甲や大鎌と同じシリーズで、黒い光沢を有する生物的な禍々しい造形が特徴的だ。
言うまでもなく、こんな非合理な形状の刀剣、現実世界にありはしない。
「こういうのって、言ってしまえば何でもアリだから、デザイナーの個性がもろに出ますよね」
「まあ、そうだね」
「ボクはその、個性の映し鏡みたいなデザインを見るのが好きなんですよ」
「へー。もしかして、デザインの勉強とかしてるの?」
「いいえ。まったくの素人ですよ。だから、楽しく見ていられるのだと思いますが」
「自分でクラフトしてみる気は?」
「前にも言ったかもしれませんが、作るほうには全然興味がないので」
そりゃ残念、とポーズとして言っておく。
俺と[クロエ]さんが二人のときに交わす会話ってだいたいこんな感じだ。
ミステリアスな美少女を地で行く[クロエ]さんのパーソナリティに迫るべく、俺が適当な質問を投げかけ、彼女がそれに答えたり答えなかったりする。といっても俺は別にこの人のリアルを本気で知ろうとしてるわけじゃなくて、いや知りたいことには知りたいのだが、つまりは真剣に臨んでいるわけではないということだ。
要は、雑談交じりに少しずつこの人のことがわかるようになれば、それでいいやって感じ。
[クロエ]さんも俺のスタンスがわかっているのか、わざと情報を小出しにしたり、意図的に核心部分を逸らして話したりして遊んでいる節がある。
俺にとって、この人の正体というのは非常にぼんやりとしたイメージしかない。
[さや]ちゃんのリアルの友人で、だがおそらく彼女と同年代ではない。
飄々と人を食ったかのようないたずらっぽい態度を取ったかと思えば、交わす会話には深い教養を滲ませることもままある。
ジェネレーションギャップを感じたことはないので、おそらく俺たちとも近しい年齢だとは思うのだが。
ちなみに[エッジ]はリアルの[クロエ]さんとも会ったことがあるらしい。
まあ同居している[さや]ちゃんの友人なのだから、会う機会があっても不思議ではない。
アイツに聞けば一発で正体が割れるのだろうが、俺は少しもそうしようとは思わなかった。
別に他人に訊いてまで知りたいとは思っていないし、逆に今の知らない関係を心地よく思っているからかもしれない。
そんな、考え事とも言えない思考を垂れ流しながら[クロエ]さんの姿を追っていると、彼女は薄く笑った。
「楽しいですか?」
意趣返しのような問い掛け。
俺は先程、俺自身がクラフトした武器を熱心に眺める[クロエ]さんが不思議で、なにがそんなに楽しいのかと問い掛けたが、きっと同じように彼女も彼女自身を熱心に眺める俺の心境が不思議なのだろう。
ともかく、その問いに対する答えなど決まり切っている。
「楽しい」
「ボクを眺めるのが?」
「[クロエ]さんに限らず――と言いたいところだけど、やっぱり[クロエ]さんは別格だなぁ」
もちろん、女性プレイヤーを眺めるのはクラフトと並んで俺のライフワークと言っても過言ではないが、[クロエ]さんほど視線を楽しませてくれる人はそうはおるまい。
ボーイッシュなアイスブルーのショートカット、涼やかな瞳、いたずらっぽい笑みを絶やさない口元。
美少女だが、ただ美しいだけではない、どこか浮世離れしたような雰囲気のかんばせ。
しなやかな体躯は、頭が小さく脚が長い、完全無欠のモデル体型。
そして、魔的な質量を誇る、胸。
身に纏うコスチュームは、非常に安価に手に入る汎用のそれだ。
ディテールに乏しく、のっぺりとした印象のそれは、特徴らしい特徴と言えばボディラインに密着したタイトなシルエットだろう。
つまりは、否が応にもスタイルを強調されるコスチュームなのだ。
見るべきところが、着ている本人の体型くらいしかないほどに没個性であるがゆえに。
それが、[クロエ]さんの誇る最大の武器を凶悪なまでに引き立てる。
キュッと細く引き締まったウエスト、それと対照的につんと張った肉付きの良いヒップ、そして、説明不要のバスト!
なんでこの人、自然体でこんなに姿勢がいいんだろう?
背筋が弧状の美しい曲線を描いていて、下世話ながらあれだけ重たそうなものをぶら下げているのに、立ち姿にまったくもって歪みがない。アバターでそういう姿勢になるということは、普段からそういう立ち方をしているということだ。ソースは[エッジ]。
[クロエ]さんが片脚に体重を乗せて楽な姿勢をとると、自然と臀部が強調されるように突き出されて、なんというかもうありがとうございます。そりゃあ周囲の野郎どもの視線を集めるわけだわ。
ぶっちゃけ、何時間でも眺めていられる自信がある。
「ちなみに、ボクの胸は『フィクションだからこそ出来る造形』ではないのであしからず」
「正直、その胸はフィクションですって言われても俺は納得できる」
挑発的に胸部を強調するポーズをとる[クロエ]さんから露骨に目を逸らしつつ。
そういえば、と話も逸らしにかかる。
「さっきナチュラルに名前出しちゃったけど、[クロエ]さんは遥佳ちゃん知ってるんだよね?」
「露骨に話題を変えましたね……」
そりゃもう。
あのまま胸の話題を続けたら[クロエ]さんに只管セクハラされるのが目に見えてたし。
それはともかく。
「ええ。知ってますよ。お会いしたこともありますし」
「ふーん……」
言葉だけ聞けば、遥佳ちゃんを目上に置いているようだ。
ということは[クロエ]さんは遥佳ちゃんよりも年下だろうか。
[クロエ]さんJK説が濃厚になってきたな……。
でもこの人、普通に会話でミスリード誘ってくるしなぁ。
「いやしかし……――待てよ?」
ここはひとつ、発想を変えてみるのはどうだろう。
むしろ最初から遥佳ちゃんとは知り合いだったという説だ。
つまり、
「実は、もともとは[さや]ちゃんじゃなくて遥佳ちゃんの友達だった説」
「あはは。ないです」
「……もうちょっと引っ張ってくれてもいいじゃん」
「まあ実際のところ当たらずも遠からじ。先に知り合ったのは遥佳さんのほうですから」
「おっと?」
「でもあの人と友人関係を築ける自信は、ボクにはないなぁ……」
そう言って、苦笑気味にひらひらと手を振る。
俺も自分で言っといてなんだけどそう思うわ。
ぶっちゃけ、遥佳ちゃんって[クロエ]さんみたいな人種からしたら一番苦手なタイプだよね。
下手に揶揄ったら、マジレスで千倍返しされそう的な意味で。
「なるほどなぁ……」
これは割かし有益な情報が得られたかもしれん。
[さや]ちゃんよりも先に遥佳ちゃんと出会う機会があって、でも別に遥佳ちゃんとは親しくもなくて、何故かその妹の[さや]ちゃんの友人という立場に収まった、と。
妹を紹介されるような親密な関係でないというのであれば、[クロエ]さんは遥佳ちゃんとは関係なく[さや]ちゃんと仲良くなったと考えたほうが妥当だ。
例えば、遥佳ちゃんたち姉妹が一緒に通っている習い事かなにかがあって、そこに[クロエ]さんも通っている、とか。
いの一番に思いつくのはやっぱり、
「ちなみに[クロエ]さんって、武術とか習ってる?」
「武術……なんて呼べるほど本格的なものではないですが、護身術程度のものなら習ってますよ」
ううむ。また意味深な回答をくれるなぁ。
旭兄妹の実家が経営している道場の門下生でした、とかなら話は早いのだが。
流石にそんなことはなかったか。
あそこの教えは間違っても『護身術程度』のものじゃないしな。なんせあそこの門下生って、[さや]ちゃんみたいな華奢な女の子ですら普通に上段回し蹴りとか習得してるし。あそこ基準で護身術というと、暴漢にまず牽制のローキックをブチ込んで、その隙に両目を裏拳ではたいて眼潰しして、トドメに金的して悶絶させるところまでワンセットだというのだから殺意まみれである。
その手の鍛錬を積んだ人の繰り出すローキックって、まじで見えないし、避けれないし、しかもそれだけで立てなくなるくらい滅茶苦茶痛いんだよなぁ。ソースは俺。
ともかく、[クロエ]さんが門下だとすればたぶん俺も知ってるはずだし、そもそもあそこの道場、女子の部は中学生までしか教えてないんだよね。だから遥佳ちゃんも高校からは武術やめちゃったらしいし。
だが、同じ習い事という考え方自体は悪くないように思えるので、つまりはその『護身術』とやらが出会いの場だったわけか。
それならまだ、納得はできる。
というのも、遥佳ちゃんが世間一般で言うところのよくある『習い事』なんかするイメージが全然わかないのだ。
だって、ポピュラーなところで習字とか、ダンスとか、楽器、料理、あとは水泳とかとか、どれをとっても遥佳ちゃんのことだから普通に真顔で『必要ないです』とか『習うまでもないです』とか言いそう。
結局、あの子が本気になるというか、意地になるのって兄貴が絡んだ時だけだからなぁ。
当の[エッジ]は朴念仁の格闘オタクだし。
というか、遥佳ちゃんがもともと武術やってた理由って、絶対実家の意向とかじゃなくて[エッジ]と共通の話題が欲しかったからなんだよね。[エッジ]のヤツがかなりシスコン拗らせてるから相対的に目立たないだけで、実のところ遥佳ちゃんのブラコンも相当なものだと思う。[さや]ちゃんは言うまでもないし。その辺はまあ、彼らの家庭の事情も多分に関係しているだろうから、一概に一般論では語れない部分もあるが。
だから、もし遥佳ちゃんが今でも何か習い事を続けているのだとしたら、絶対にそっち系統だと思うんだ。
「ん……?」
不意に、なんとなく思い出した景色がある。
いつだったか、俺と[さや]ちゃんと[クロエ]さんの三人でダンジョンに行ったときのことだ。
太刀を振るう[さや]ちゃんと、槍を振るう[クロエ]さんが、武器が違うのに動きが似通っていて。
そのときは少し不思議に思っただけで特に気に留めなかったけど、あれってもしかして……
「もしかして、[クロエ]さんが習ってるのって、薙刀?」
「あれ?[さや]から聞いてました?」
[クロエ]さんの事実上の肯定に、俺は「いや」と首を振る。
俺が知っているのは[エッジ]の話だ。アイツが薙刀術も修めているのは知っているので、なら[さや]ちゃんもやってるんじゃね?と思っただけだ。
「正確には、薙刀と合気道をベースにした総合護身術らしいですよ」
「護身術で薙刀っておかしくね?」
「あくまでも動きのベースですよ。実際には棒状のものなら何でも代用できるように考えられてるので、箒とか、傘とかでも使えます」
「ははあ、なるほどね」
だから、[さや]ちゃんの太刀と[クロエ]さんの槍が同じような動きになるのか。
「そんなわけで、ボクも[さや]も遥佳さんも、全員それを習ってるんですよ」
「俺、[さや]ちゃんの習い事っててっきり実家の道場のことだと思ってたわ」
「そっちも辞めてはないみたいですけどね」
どの道中学を卒業したら続けられなくなるので、早いうちから姉と同じ方向に舵を切ったということだろうか。
というか、そもそもなんで[さや]ちゃんは武術なんかやってるんだろうか。
遥佳ちゃんはわかるのだ。先の[エッジ]と共通の話題が云々のこともあるし、あの子は基本的に他人に借りを作ることも、他人にナメられることも嫌うタチだったので、最低限自分の身は自分で守れるようにと考えたとしても不思議ではない。
そこをいくと[さや]ちゃんは別に共通の話題ならこのゲームがあるし、変な奴に襲われたら反撃するよりも逃げることを選ぶタチだと思う。
なんでだろうね、と[クロエ]さんに訊いてみると、彼女は苦笑した。
「[†TAKUAN†]さんがそう思うのも無理はないですけど、ボクに言わせれば、旭兄妹で一番苛烈な思考回路を搭載してるのは[さや]だと思いますよ」
「そうかぁ……?」
「あの子の持論、『言って解らぬ馬鹿ならば、ぶん殴って解らせる』ですからね」
なにその肉体言語。
実際、その辺のちょっと喧嘩慣れしたヤンキー程度が相手であれば、普通に[さや]ちゃんのほうが強そうだというのだから始末に負えない。なんだかんだで、やっぱり遥佳ちゃんの妹なんだなぁ。と変な納得をしてしまった。
「結局、[クロエ]さんの正体には繋がらなかったなぁ」
「ふふ。そうですか?」
一歩前進には違いないけど。
護身術を教える教室に極端な年齢制限があるとは思えないから、普通に考えれば学生から社会人、主婦、老人まで誰でも対象だろう。俺が一番気になっていると言っても過言ではない、[クロエ]さんの年齢についてはわからず仕舞いだ。
「ただ、新たな説が一つ浮上しました」
「ほう?」
「名付けて[クロエ]さんお嬢様説!」
少なくとも、護身術なんぞを習おうと考えるのはそれなりに防犯意識が高く、それでいて経済的に余裕のあるご家庭のお子様に違いない(偏見)。大抵の場合は、襲われる心配があるから、身を護る術を求めるのだ。旭姉妹のような戦闘民族は例外中の例外だろう。
これで[クロエ]さんJK説と並んで、有力な説が二つに増えたわけだが――
「…………はて」
『JK』で『お嬢様』って、なんか思いっきり同じ生物がさっきまでここに居た気がするな。
具体的にはめちゃくちゃ距離感の近い『ハイエルフ』のお嬢さんのことだが。
本人は『そんなことない』と謙遜してたけど、ぜったいアレいいとこの箱入りでしょ常識的に考えて。性格とか、距離感とか、仕草とか、ものすっごい純粋培養の匂いがするよねあの人。
俺が半ば願望交じりの思考を垂れ流していたそのとき、工房の出入り口のポータルが輝き、来客を知らせる。
思索を中断してそちらに視線を向けた俺は、めっちゃジト目の人と目が合った。
「こんにちは」
実はなんだかんだ言って[エッジ]の次くらいに訪問率の高いプレイヤーである[アステリーゼ]さんのお出ましであった。
相も変わらず素敵なジト目っぷりでなによりである。
艶やかな銀の長髪をなびかせる『ディアボロス』。トレードマークの改造メイド服は、オフショルダーかつローバックという上半身の露出が激しいデザイン。その細い首にはお馴染みのゴツイ首輪のアクセサリーが存在を主張している。
彼女はちょっとだけ首を傾けて、くいと顎を引いて、上目使い気味に俺の顔面に視線を叩きつけてくる。
要するに、ガンを付けられているだけなのだが。
「いらっしゃいませ」
「…………」
ん?なんだ。
ポータルから現れた[アステリーゼ]さんは、しかし工房内に入ってくるでもなく、その場から凄まじい視線で俺を睨みつけてくる。
いや、視線が凄まじいのはいつものことなのだが。
「な、なんすか?」
「一応言っておきますが、私はアナタに気があるわけではありませんので」
「はい?」
いきなりなにを言い始めたのこの人。
「アナタが気付いているかどうかは知りませんが、実は私はこの工房に来すぎています」
あっはい。
二日に一回くらい現れるよね。
「私はログインした際にフレンドリストを確認してアナタがアクティブになっているかどうかを確認してアナタの現在地を確認してもしこの工房に居るようであれば一目散に尻尾を振りながらここに来るのですが決してアナタに会いたくて来ているわけではないということを理解しておいてください」
「お、おう」
「べ、べつにあなたにあうためにきてるわけじゃないんだからねっ!」
「…………」
「…………」
なにこれこわい。
なにが怖いって、[アステリーゼ]さんが微動だにせずジト目のまま抑揚なく呪文のように言葉を垂れ流すその異様な姿だ。
ツンデレのテンプレみたいな台詞を、あそこまで寒々しく言えるのは一種の才能だろう。
「いきなりどうしたんですか[アステリーゼ]さん」
内心ビビりながら訊いてみると、彼女はゆっくりと首を傾げた。
「……ときめきませんか?」
「いえ、まったく」
「おかしいですね…………練習ではうまくできたのに」
おかしいのはアナタです。
というか練習したのか。
練習して今のアレなのか。
それはなんというか、なんもいえねぇ。
「はい。実は昨日[エッジ]さんに同じように言ってみたところ、彼からは『心臓を掴まれたような気分になった』と高評価を頂いております。これはつまりときめいたということですよ」
いや誰も訊いてないし。
案の定被害者はアイツだったし。
どうやらアイツの鋼の心臓も、[アステリーゼ]さんが醸し出す未知なる恐怖には動揺せざるを得なかったようだ。
「新たなキャラでも開拓してるんですか?」
「イロモノなだけでは生き残れないと悟りまして。やはり適度なデレが必要かと思い立ったのです」
「どう考えても手遅r、いえなんでもないです」
「ジト目でデレます。新ジャンル『ジトデレ』です」
「言うほど新しくも――、いえそうですね良いと思いますよ」
俺のその言葉を聞いて、ようやく彼女はポータル前から離れて工房内に入ってきた。
ちなみに、ここまでが挨拶である。
ついでに言えば、彼女が『フレンドリストを確認して一目散に~』とか意味深なことを言っていたが、なんのことはない、俺が収集依頼したクラフト素材の納品に来るだけである。俺は素材収集の依頼を出す時は受ける側のプレイスタイルに合わせて量を決めるので、彼女の場合は基本的に小出しになる。要は、ダンジョンに一回繰り出せば完了できる程度の量にしているのだ。依頼を受け、ダンジョンに行き、収集して、納品というルーチンで動いてくれているので、二日に一回程度のハイペースで依頼を更新する必要があるのだ。
余談だが彼女以外の場合、例えば[エッジ]に依頼するときなんかは『半月で集めてくれればいいや』くらいの気持ちで要求量をガッツリ盛ることが多い。連日同じダンジョンに繰り出しても飽きもしない戦闘バカだからだ。
工房内に他の客が居てもお構いなしに電波を展開する[アステリーゼ]さんも大概だが、そのやり取りをガン無視して武器の鑑賞を続ける[クロエ]さんもなかなか凄い。
まあ、ポータルの前に留まっていた[アステリーゼ]さんの位置からは[クロエ]さんの姿が見えなかっただけかもしれないが。
俺が居るカウンターのほうへと歩みを進める[アステリーゼ]さんは、その途中で壁際の武器を眺める[クロエ]さんの後ろ姿をちらと横目で見遣り、
「え……?」
何故か二度見して足を止めた。
ジト目のせいで分かりにくいが、こころなしか瞳を見開いて、驚愕しているようにも見える。
その気配を感じたのか、[クロエ]さんも振り返り、
「あれ……?」
やはり、目を見張る。
え。なにその反応。
明らかに『予想外の場所で予想外の人に会ってしまった』みたいな雰囲気ですが。
ある意味で動じなさに定評のあるこの二人が、驚愕を露にするというだけでも相当の事態に思える。
もしかして知り合いなのか?
それもリアルの。
このゲーム内での知り合いであれば、偶然に出会ったとしてもここまで驚きはしないだろう。居るはずのない人に出会ったからこその驚きように見える。
いやいや、[アリア]さんたちじゃあるまいし、そんな運命みたいな偶然がそうそうあるわけがない。
逆に言えば、前例があるので、同じことが起きても不思議じゃないのか?
無言で見詰めあう両者を、俺は固唾をのんで見守る。
少しの間をおいて、[アステリーゼ]さんが震えるように唇を開き、そして――
「はじめまして」
「あっはい。どうも」
「って初対面かぁ―いッ!?」
思わず全力でツッコんでしまった。
ビシィッと腕の振り付きで。
そんな俺の姿を[アステリーゼ]さんは珍妙不可思議な二足歩行の豚でも見るような眼でじろりと睥睨する。
「やかましいですね……何故いきなり叫んだのですか?」
「何故はこっちのセリフですから!なんでいま見つめ合ってたの!?二人してめちゃめちゃ驚いたみたいな雰囲気醸し出してましたけどお!!」
「なにを言うかと思えば」
[アステリーゼ]さんは小さく嘆息する。
「驚くに決まっています。万年閑古鳥のこの工房に、まさか客が居るなんて」
「いやおかしいよね。絶対おかしいよね。他の客が居る時に来たこと一度や二度じゃないよねッ!?」
「え?」
え?じゃないよ。
待て待て落ち着け、冷静になるんだ。
この人がおかしいのはいつものことじゃないか。
それよりも、
「じゃあ[クロエ]さんはなんで驚いたの?」
「とりあえず合わせてみただけですけど」
「なにその察しの良さ……」
「あはは。お二人の遣り取り聞いてただけで、どんな人かはだいたい想像つきましたからね」
こともなげに笑う[クロエ]さんの言葉に、俺は脱力してがっくりと肩を落とす。
たぶん、同類故のフィーリングでもあったのだろう。
俺を全力でからかわずにはいられない、的な。
「ちなみにボク、ただの冷やかしなので客じゃないです」
「そういう悲しい事実は言わないでいいよ!」
「そうでしたか……それを聞いて安心しました」
「安心する方向性が甚だおかしいよね!?」
俺のツッコミなどどこ吹く風とスルーして、[エステリーゼ]さんはカウンターの前まで歩いてきた。
[クロエ]さんは『おかまいなく』とでも言うように視線を壁のほうへと戻していた。
場を[アステリーゼ]さんに譲ってくれたようだ。
「依頼の品、納品します。次は――」
いきなり事務的なやり取りを始められて、落差で混乱しながらも、とりあえずシステマチックに素材を受け取り、報酬を渡し、工房のストレージを確認して在庫量から次の依頼を選定する。
この辺はルーチンワークなので、淡々と終える。
いつもならば、次の依頼を受けた[アステリーゼ]さんは挨拶もそこそこにダンジョンへと出撃していくのだが、今日はなにかを待つように、じっとジト目で俺の顔を伺ってくる。
「えーと、まだ何か?」
「いえ、追加の要求をまだ聞いていませんので」
「追加?」
なんのこっちゃ、と俺が首を傾げていると、[アステリーゼ]さんは俯き加減に、
「先日は、ダンジョンに行く際に『水着で行って、証拠のSSを撮ってこい』などと、鬼畜のような要求をしてきたではありませんか……」
「え?[†TAKUAN†]さんそんなこと言ったんですか?」
「ええ。私は彼に弱みを握られているので、断ることもできず……」
「うわぁ……流石にそれはどうかと思いますよ」
[クロエ]さんに気の毒なモノを見るような視線を向けられ、俺は頭を抱える。
あのさぁ……
「ノリノリで百枚以上もSS送ってきたのは誰でしたっけ……?」
「私ですがなにか?」
「というか[クロエ]さんも雑に乗らないでよ」
「これは失礼」
俺はもともとSSを撮る習慣がない人間なので、俺のSSフォルダに入っているのは基本的には同好会関係の、必要に迫られて撮影したようなものばかりだ。それだって大した数ではない。
そんなわけで、現在俺のSSフォルダの中身は過半数が[アステリーゼ]さんの水着セルフィという異常事態に陥っている。
「私には感想を求める権利があると思うのですが」
「SSの?」
「そうです。どうでしたか?」
「どうって……スタイルいいですね?」
「それほどでもないです。…………ときめきましたか?」
「すごく」
「ふふん」
なんか言わされた感はあるが、当の本人がすごい満足気(雰囲気)なので良しとしよう。これでニコリとでも笑ってくれれば愛嬌があるんだが、生憎と彼女の表情筋にそんな機能は付いていないのである。
満足したので立ち去ってくれるかな、と思ったら、どっこい彼女は話を戻す。
「では、今回も水着で行ってきますね」
「待て待て待て」
「心配せずとも、ちゃんとSSは撮ってきますよ」
「じゃなくて、『夢泡の天宮』に行くわけでもないのに水着なんか着てたら、ただの変な人ですよ。『常夏ブースト』期間ならまだしも」
「もうすぐ夏ですし、誤差です」
「その理屈はおかしい」
常夏ブーストとはこのゲームの運営が開催している季節ごとのキャンペーンの一つで、ざっくり言えば夏の間に夏っぽい格好をしてエネミーを討伐すると、ドロップアイテムの質とか量とかにボーナスが得られるというものだ。
ゆえに夏になるとプレイヤーの肌色率が大幅に増加するのがこのゲームの風物詩的光景でもある。
ちなみに他には『お月見ブースト』とか『年越しブースト』とか『この聖なる夜にゲームをして過ごす寂しいやつらに祝福ブースト』とか、結構バリエーションは豊かだ。総じて『季節ブースト』とか『コスプレイベント』とか呼ばれる。
「なるほど、もはや水着程度では満足できないというわけですね」
「人をハイレベルな変態みたいに言うのやめてくれませんかねぇ……?」
まあ変態であることは否定しないけれども。
「ならば、気は進みませんが、アナタに決めさせて差し上げます」
「[アステリーゼ]さんが着る服を?」
「その通りです。さあ欲望のままに命じるがよろしい」
この人めんどくさいな(直球)。
俺が知る限り、前回の水着SS以前はこの人、トレードマークのメイド服以外を着ている姿を見せたことがなかったはずだけど。
もしかして、前回のアレで変な趣味にでも目覚めたのだろうか。
なにはともあれ、なにかしらの答えをあげないと帰ってくれなさそうだ。
「うーん……」
彫像みたいに微動だにしない[アステリーゼ]さんを眺めつつ悩む。
なんでもいいっちゃあなんでもいいんだが。
それこそ欲望のままに際どいコスチュームとか勧めてみてもいいんだが、そしたらこの人たぶん、素直にその格好で出かけちゃうだろうしなぁ。なんだかんだ言って、このめんどくさいコミュニケーション方法はこの人の親愛表現だろうから、めんどくさいけど邪険にはできないし。
「ん?」
その[アステリーゼ]さんの背後に、[クロエ]さんの姿が視界に入る。
と、そこで[クロエ]さんJK説を思い出してピンと来る。
「じゃあ、セーラー服でも着てみたらどうです?」
「学生服ですか?」
「そっす」
これなら無難だろう。
[アステリーゼ]さんがいくつかは知らないが、学校の制服を着たことがないってのはたぶん無いだろうし、それほど忌避感もあるまい。学生服もどきの格好をしているプレイヤーは一定数居るので、悪目立ちもしない。
我ながらいい案だ。
「まあ良いでしょう……アバターで普段と同じ格好をするのもまた一興ですね」
「じゃあそういうことで」
「…………え?」
「…………ん?」
俺が胸をなでおろしていると、[アステリーゼ]さんは緩慢に首を傾げた。
「おかしいですね。私は今けっこう重大な情報を暴露したのですが」
「がくせいさんだったのかしらなかったなー(棒)」
「さては信じていませんね?」
「はい」
アナタの自己申告を鵜呑みにするほど迂闊ではないつもりだ。
その不満げ(雰囲気)な顔をする前に、普段の言動を省みろと小一時間説教したいところである。
「まあ嘘ですが」
「結局ウソかい」
「ええ。私の高校はセーラー服でなくブレザーなので」
ただし現役とは言っていない、ですねわかります。
もうどこからどこまでがウソでホントかわからねえや(諦め)。
「ではアナタのご要望通りセーラー服で出撃します……――ところで」
「はい?」
「下に水着を着てもいいですか?」
「俺にそんなことを訊かれても困るんですけど……なんで?」
「パンツじゃないから恥ずかしくないかと思いまして」
「歳がバレますよ」
「おっと」
まさかスカートを穿かないって意味じゃないだろうな……?
てか、この人の水着に対する並々ならぬこだわりはなんなの?
ちなみに俺はパンチラだろうが水着チラだろうが、どちらでも一向に構わない。
チラリズムに貴賎なしである。
「ではそのように。あとは最も重要なことですが――」
「まだなんかあるんすか」
「いえ、単に、衣装を持っていないので作ってください。この商売上手め」
「あっはい」
クラフトラインは空いてるし、素材なんざ腐るほどあるのでお安い御用だが。
ちなみに値段はまったくお安くない。
学生服系のコスチュームって意味わかんないくらい多数の種類があるんだけど、やっぱりオシャレなヤツとか可愛いのとかカッコいいのとか、あるいはほんのりセクシーなヤツとか、需要が多そうなものほど高難度のレシピでレア素材を要求してくるんだよね。
親愛なる[アステリーゼ]さんに微妙な服を着せるわけにはいかないので、ここは俺が作れる中で一番グレードの高いヤツにしてやろう。
レベル的に彼女が素材を自前で持っているわけがないので、全てこちらで用意するが、そのぶん値段はべらぼうだぜ!
「へっへっへ……!」
「く、くやしい。でも払っちゃう」
まいどありー!
「ではごきげんよう」
とまあ、その後は特に何事もなく、[アステリーゼ]さんはSSを撮って送ることを(一方的に)約束していそいそとダンジョンへ向かって行ったのであった。
どうやら今回も無事に嵐を乗り切ることができたようだ。
俺が安堵の溜息を吐いていると、すっかり背景と化していた[クロエ]さんが話しかけてきた。
「なんだか、怒涛のような人でしたね」
「今日は[クロエ]さんが居たからか、少し控えめだったね」
「あれで……?」
あれで。
いつもだったらもっと際どい下ネタとか平気でぶっこんで来るからね。
あの人のそれに比べれば、[クロエ]さんのからかい交じりのセクハラなんて可愛いものである。
もっとも、俺や[エッジ]のような人種にとってはそちらのほうが対処に困ってしまうのであるが。
「そういえば、[アステリーゼ]さんの話じゃないですけど、[クロエ]さんは季節ブースト期間も着替えたりはしないの?」
「しないですね。ちなみにボク、去年の夏はまだこのゲーム初めてなかったので、常夏ブーストとやらはそもそも今回が初めてです」
「折角だから、夏っぽい格好とかしてみない?」
汎用コスチューム以外を着た[クロエ]さんが見たいという俺の欲望が半分だが、もう半分は折角のリアルなVRゲームなのだから、リアルではできないような体験を楽しんでほしいという老婆心だ。
俺自身は身近に『コス奉行』の[さや]ちゃんが居るので、季節ブーストの期間はちゃんとそれに沿った格好をさせられる。
工房の販促にはなるので悪くないことだが、去年の夏は着流しスタイルで過ごしたし、[エッジ]のヤツはクリスマスにはちゃんとサンタの格好をしていた記憶がある。そういう意味では、俺がおせっかいを焼かずとも、[クロエ]さんもそろそろ[さや]ちゃんの餌食になる時期であろう。というか、知っての通り俺の衣装クラフトのレシピ解放方針は[さや]ちゃんの興味に直結しているわけだが、そんな彼女の最近の興味の傾向を鑑みると、既に[クロエ]さんに対する水面下での攻勢が始まっているような気がしてならない。
[クロエ]さんは少しだけ困った顔になる。
「薄着とか、浴衣とか、基本的に相性悪いからなぁ……」
「そんなことないと思うけどな」
「ボク、リアルでも海水浴とか、プールとか絶対行かないですし」
「泳げないの?」
俺がすっとぼけると、[クロエ]さんは拗ねたように唇を尖らせた。かわいい。
「わかってて言ってませんか?水着になりたくないんですよ。理由は察してください」
間違いなく俺には理解できない悩みがあるのだろうとは察するが。
別に俺も無理強いしてまで水着を着せようとは思っていないわけだし。
常夏ブーストの対象コスチュームはなにも水着に限らないので、探せばなにか一つくらいは彼女のお眼鏡にかなうものがあるだろうとは思う。浴衣とか着物系は確かに巨乳との相性は悪そうだが、花魁系の衣装とかは死ぬほど似合いそうな気もする。
ところで、リアルで海とかプールとかに行きたがらないというと、俺の身近にもまさにそういうヤツが居たりする。
「[エッジ]もそうなんだよね。海とかプールとか、誘っても絶対来ない」
「そうなんですか?」
うん、と頷くと[クロエ]さんは不思議そうに瞳を丸くした。
「意外ですね……それこそ、まさか泳げないわけじゃないですよね?」
「得意じゃないだろうけど、別に泳げると思うよ」
アイツが海とかプールとか、そういう場を厭う理由というのは、実は[クロエ]さんとまったく同じだったりする。
つまり、水着になりたくないのだ。
「アイツ、背中に昔の怪我の痕が残っててさ」
「怪我?」
「うん。火事で、焼け落ちた建物の下敷きになった時の。火傷と裂傷の痕がわりと壮絶な感じで」
俺の言葉に[クロエ]さんは形の良い眉を顰めて「もしかして」と呟く。
「その火事って、彼らのご両親が亡くなったっていう……?」
「[さや]ちゃんから聞いてる?」
「少しだけ」
よりにもよって、家族旅行の宿泊先で火災に巻き込まれ、彼らの両親は帰らぬ人となり、[エッジ]も生死の境を彷徨う重傷を負った。
ざっくり言うとそんな感じだ。
詳しいところを語りだすと長くなるし、具体的には過去編で10話くらい使っちゃうから割愛である。
「傷痕って、そんなに……?」
「うん。結構すごいよ。グロテスクってわけじゃないけど、すげえ痛々しい感じ」
「…………」
「見たほうも、見られたほうも互いに気分が悪くなるだけだし、誰も得しないから人前で傷痕を晒したくない……ってとこかな」
とまあ、[クロエ]さんにはそう説明したものの、本当のところは[エッジ]自身は周囲の視線など大して気にしてないようだが。
要は、視線を受ける煩わしさとか面倒くささと天秤にかけてまで、強いて行うほど海水浴とかプールとかに魅力を見出していないだけのことで。
上着でも羽織っとけば傷痕は隠せるだろうけど、どうせ泳げないなら行く意味ないとか思ってるんだろうな。
俺には理解不能な思考回路だ。
異性の水着姿が見られるだけで行く意味あるだろうに。
「…………困ったなぁ」
と、[クロエ]さんがポツリと呟く。
「うん?」
「そんなことを聞いてしまったら、たかだか胸を見られるのが嫌だってだけで水着を避けているボクが、すごく程度の低い人間みたいじゃないですか」
あれ。なんか予想外の方向でクリティカルヒットしてる?
「水着になりたくてもなれない人だって居るんですよね…………」
なんかすごくションボリしてしまった。
いや[エッジ]本人の心境は前述の通りだろうから、なんかそんな深刻に受け止められるとすごくいたたまれないんだけど。
人によってはセンシティブな話題であることは重々承知だが、今までのイメージから言って[クロエ]さんならドライにさらっと流してくれそうな気がしていたんだが。
「ごめんごめん。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ」
なんにせよ、これでは[クロエ]さんは元より、なんか無駄に同情を引かせてしまった[エッジ]にも悪いので、フォローしておかなければ。
「このゲームの中ではさ、[エッジ]も去年の夏は海パン穿いてたし、『夢泡の天宮』なんかには当然水着で突撃するしさ」
「はい……?」
「まあもちろん、アバターには傷痕が再現されていないからっていうのもあるんだろうけど、要するに、ゲームの中にまでリアルの忌避感を持ち込まなくてもいいと思うんだよね」
リアルな仮想現実はリアルと同じことをするためにあるのではない。
リアルと同じ感覚で、リアルでは出来ないことをするためにあるのだ。ってね。
「[クロエ]さんの場合は、まあ、なんというか、アバターになっても同じ問題が付いて回るのかもしれないけど……ただ、これだけは言える」
「?」
「この仮想現実の利点とは、どんな格好で跳んだり跳ねたりしても、絶対にポロリしないことである!」
どっかのジト目の受け売りですがなにか?
俺の渾身の力説(受け売り)に、[クロエ]さんはきょとんとして瞳を丸くしていた。
非常に珍しい表情だが、気持ちはよくわかる。話の落差に脳が付いていけていないのだ。俺も会長の話を聞いているとき、モーショントリガーに関する専門的な考察からいきなり女性プレイヤーのおっぱいの物理演算に話が飛んだときは同じような顔になったものだ。
余談だが、あまりにも反応に困った俺と[エッジ]と白河先輩は示し合わせたようにログアウトして戦略的撤退を図ったのだった。
畳みかけるように、俺は工房の機能の一つであるクラフトカタログを広げて見せる。
開いたのは当然、水着系衣装のクラフトページだ。
「というわけで、ビキニとかいかがっすか?」
お安くしときまっせ、と冗談めかして言うと、[クロエ]さんはますますきょとんとしていたのだが、ややあって「ふっ」と小さく噴き出した。
「なぁんだ。結局セールストークだったわけですね」
「ソ、ソンナコトナイヨ?」
「というか[†TAKUAN†]さん、ビキニまで作れるんですか。なんでまた?」
それは愚問というものだ。
言うまでもなく[さや]ちゃんのせいに決まっているのだから。
「[さや]ちゃんがビキニ着たいって言うから俺たち超頑張ってレシピ解放したのにさ、あの子いきなり『あ、やっぱいらないです』とか言い出すから、結局一回も作ってないっていうね」
「あらら」
「流石に虚しいから、一回くらいは誰かに注文して欲しいんだけどなぁ……(チラッチラッ)」
明らかにわざとらしい俺の所作に、[クロエ]さんはクスクスと涼し気に笑う。
どうせ、この人相手に誤魔化したって見透かされるに決まっているのだから、開き直るくらいでいいのだ。
[クロエ]さんはなにかに納得したように「うん」と一つ頷くと、その白魚のような手でカタログの一角を指差した。
「それじゃ、一つ作ってもらおうかな」
「おっ、まじで?」
「ええ。確かに、リアルで出来ないことをしないと勿体ないですからね。…………それに、」
[クロエ]さんは意味深に一呼吸置くと、艶めいた笑みを浮かべ、楽しげに瞳を細めた。
「ボクの小さなお友達の好意を無碍にもしたくないですから」
「……そっか」
「ええ」
好意というより欲望だと思うな、というのは言わないが華なのだろう。
俺だってそのくらいの空気は読むのだ。
言っては悪いが、体型的な意味で似合うわけがないスタイリッシュなデザインのビキニのレシピ解放なんぞを[さや]ちゃんが所望した理由が、彼女自身ではなく別の誰かに着せるつもりであったことなど明らかなので。
ちなみにこのビキニ、実装されてから日が浅いので作れるクラフターがあまり居ないのと、作成に最前線のレア素材を要するのでそもそも市場に数が出回らないし、かなり高値が付く。それでいてデザインが秀逸なので、どこかのクラフターが売りに出しても秒で買われるのが現状だ。異常な素材ストックを誇るウチの工房でも最前線素材は流石に取り揃えていないので、今のところ2着しか作れない。なお、その2着分の素材はウチの同好会で唯一の最前線プレイヤーである蒼月さんに依頼して集めてもらったものである。
「たしか、『夢泡の天宮』の適正レベルは22でしたよね」
「そうだね」
「うん。じゃあ、今年の夏は『夢泡の天宮』を攻略するのを目標にしようかな」
[クロエ]さんは今の時点でレベル18の筈だから、それほど無茶な話でもない。
レベル20を超えたらセカンダリのレベル上げも考えなくてはならないが、それを加味してもちょっと頑張れば実現可能な目標だろう。なにも適正レベルを超えなければクリア不可能というわけではないのだから、それこそ[エッジ]みたいな狂戦士とパーティでも組めば、[クロエ]さん本人のレベルは20もあればクリアはできると思う。
まあ、相も変わらず15レベルの俺が――となると、かなり頑張らなくてはならないだろうが。
もっとも、俺は別に『夢泡の天宮』に行く用事などないし、
「いや、待てよ?」
もしかしてと思うが。
「ちなみに[クロエ]さん。常夏ブースト期間中は水着で過ごすの?」
「いやあ、流石に街マップとかでは着ないかな。ダンジョンだけでしょうね」
「てことは、もしかしなくても、俺って[クロエ]さんの水着姿見れない?」
「そうなりますね」
なん……だと……?
あまりにも無情な現実の前に俺の思考は停止した。
必死こいてレシピ解放したビキニを、作るだけ作って、肝心の着用した姿を見ることができないなんて、あんまりではないか。
「なんのために……っ俺はいったいなんのためにレシピを解放したんだっ!?」
「いや、[さや]のためでしょ」
[クロエ]さんは苦笑しながら、ピッと人差し指を立てた。
「それなら。[†TAKUAN†]さんも一緒に行きましょうよ」
「ダンジョン?」
「ええ」
「『夢泡の天宮』に?」
「はい」
「水着で?」
「うん」
いやーまあ当然の結論というかお誘いは非常に嬉しいのだが、生憎と俺のレベルはお察しなので。
言い訳がましくぼやきながら頭を掻く俺に、[クロエ]さんは「なにいってるんですか」と悪戯っぽく笑う。
「レベルが足りないなら、レベリングするだけ。でしょ?」
「5レベル以上も上げるのは、流石にしんどいと思いますよ……?」
「できなくはない。でしょう?」
そりゃそうだけど。
[アリア]さん育成計画ではないが、高レベルのプレイヤーに手伝って貰えれば、決して無理ではない。
前述のとおり、かなり頑張らなくてはならないだろうが。
俺はこのゲームを始めてこのかた、完全無欠にクラフト一辺倒だったので、実はレベリングという行為を行ったことがない。そもそも旭兄妹なんかとは違って、俺はスポーツなんて昔部活動でちょっとやってた程度で、今となっては完全にインドア派。身体を動かすのもそれほど好きではないし、ダイレクトリンクのアバター操作もそれほど得意ではない。
なにが言いたいかというと、レベリングってあんまり気乗りしないなぁ……なんて。
そんな俺の姿を[クロエ]さんはニコニコと、珍しいくらいに愛らしい笑みで見詰めてくる。
可愛いのに、無言のプレッシャーを感じる……!
「はぁ……そしたら、頑張ってレベル上げしますかね」
俺がため息交じりにそう言うと、[クロエ]さんの表情が一層華やぐ。
まあ、この顔が見られただけでも良しとするか。報酬の前払いだと思って頑張るしかあるまい。
気乗りはしない。
しないけど、先程彼女に偉そうに『リアルの忌避感を持ち込まなくても~』なんて語った手前、俺もエネミーとの戦闘から逃げているわけにはいかないのだ。リアルで喧嘩などできないが、ここでは俺も一人の立派な魔法使いなのだから、凶悪なエネミーとだって戦える。
ならば、リアルで出来ないことをしないと勿体ないというのは、尤もな話だ。
「夏までに体作りですね?」
「水着を着るためにね」
レベルが上がったところでウェスト周りが引き締まったり腹筋が割れたりはしないが。
さて、[クロエ]さんに宣言してしまった以上、真面目に作戦を考える必要がありそうだ。
俺にもなけなしのプライドがあるので、やっぱり無理でした――なんてカッコ悪い真似は避けたいし、なによりも[クロエ]さんのビキニ姿は見たい。
マジで見たい。
レベリング素人の俺が闇雲にやっても絶対間に合わないので、ここは素直に知恵袋を頼るべきだ。
なんだかんだで、やると決めたら楽しくなってきた自分を意外に思いつつ、俺は決意が鈍らないうちに今からでも早速行動することにした。
あくとにじゅうさん。えんど。
本日の困惑。
漬物「効率の良いレベリング方法教えてください」
会長「キミがレベリングとは……悪いものでも食べたのかね?」
漬物「いえ、水着を見るためには俺のレベルが足りないので」
会長「????」




