17話:ただのクラスメイトだし。
△▽△▽
「ねえ、森川」
「えっ、な、なに?」
突然、前の席の子が振り返ってきた。
ちょうど林くんのことを考えていたところだったせいで、思わず声が裏返ってしまう。
「そんなにびっくりしなくてもいいじゃん。森川って最近、なんかぼーっとしてるよね」
「私が?」
言われてみれば、そんな自覚はなかった。
けれど、最近は林くんのことを考えている時間が増えている。授業中も気がつけば彼のほうを見てしまったり、何かをしていてもふと頭の中に林くんの顔が浮かんだりすることはあった。
……まさか、それが原因?
「まあ、別にいいんだけどさ。それより先生が、アンケート回収してって言ってたよ」
「アンケート?」
「うん。だって森川、副委員長でしょ? 今日は委員長が休みだから、残ってるやつを回収してきてほしいんだって」
「ああ……そういうことね」
「じゃ、私はちゃんと伝えたからね。はい、これ」
そう言って、彼女は折り畳んだメモを私に渡すと、そのまま教室の外へ出ていった。
私は手元のメモを眺めながら、小さく息を吐く。
副委員長。
そもそも私が副委員長になったのだって、水野が「森川がいいと思いまーす」なんて勝手に推薦したせいで、クラスのみんなまでその気になってしまったからだ。
まあ、なってしまったものは仕方ない。
私はメモを開き、そこに書かれている内容を確認する。
体育の授業で、プールにするか、卓球にするか。
学年全体で多数決を取って決めるらしい。
「……プールは絶対に嫌」
思わず呟いた。
これは私だけじゃない。クラスの女子の間では、すでに意見が一致している。
できることなら、全員卓球に投票したい。
問題は男子だ。
男子はどう考えてもプールを選びそうな気がする。
女子の水着姿を見たいって不純な理由で選ぶ人もいるみたいだし。
「まあ、男子でも泳げない人はいるだろうけど……」
実際、クラスの女子は男子には内緒で、卓球に投票するよう密かに結託していた。
ただし、それにも一つ大きな問題がある。
男子のほうが人数が多いのだ。
女子が全員卓球に入れたところで、男子の大半がプールを選べば、普通に負ける可能性がある。
つまり、男子から何人か卓球派を引き込まなければならない。
私は腕を組み、しばらく考え込んだ。
そして、ようやくメモを開く。
そこには、まだアンケートを提出していない生徒の名前が並んでいた。
女子が二人。
そして男子が三人。
「……」
一人ずつ名前を目で追っていく。
その一番最後に書かれていた名前を見た瞬間、私の思考が止まった。
――林くん。
「……え」
よりによって。
どうして最後が林くんなの。
私は思わずメモを持ったまま固まってしまった。
つまり、私が林くんのところへ行って、直接アンケートを回収しなければならないということだ。
「……」
急に顔が熱くなってきた。
別に、アンケートを受け取るだけ。
たったそれだけなのに。
どうしてこんなに緊張するんだろう。
私は気持ちを落ち着かせるため、まず女子二人のところへ向かった。
「アンケート、お願い」
「はい、これ」
二人から用紙を受け取り、そのまま男子のところへ向かう。
「アンケート出してね」
「お、悪い。はい」
男子二人からも無事に回収する。
残るのは、一枚だけ。
林くんのアンケート。
それを意識した途端、さっきまで普通だった足取りが、妙にぎこちなくなった。
私は自分の席に戻り、集めたアンケートを机の上に置く。
あと一枚。
林くんの分だけ。
……おかしい。
どうして私は、こんなことで緊張しているの?
ただアンケート用紙を受け取るだけなのに。
私は胸元にそっと手を当てた。
「……」
ドクン、と心臓が鳴った気がした。
違う。
これはきっと、罪悪感だ。
この前のセイゼリアでも、林くんに余計なことを意識させてしまった気がする。
そんな状態で、また私から話しかけたら、林くんはもっと私のことを意識してしまうかもしれない。
それは申し訳ない。
だから緊張しているだけ。
私はそう結論づけると、一度深く息を吸った。
そして、ゆっくり吐き出す。
大丈夫。
アンケートを受け取るだけ。
それだけ。
そう自分に言い聞かせながら立ち上がり、林くんの席へ向かった。
「……ねえ、林くん」
「あれ?」
しまった。
今、声が少しつっかえた気がする。
どうして?
たった一言なのに。
私が戸惑っていると、林くんがゆっくりと振り向いた。
「えっと……どうかした?」
「……」
どうしよう。
こっちを見ないでほしい。
そんなことを思ってしまうくらい、林くんは今日は妙に晴れやかな顔をしていた。
最近までずっとぼーっとしていたくせに、私が話しかけた途端、なんだか嬉しそうにこちらを見ている。
……もしかして。
いや、考えすぎ。
「えっと、その……」
私が言葉に詰まっていると、
「アンケート!」
突然、水野が横から口を挟んできた。
「アンケート用紙の回収だよね? 森川」
「……え?」
「林くん、まだ出してないでしょ」
水野はそう言いながら、森川さんの腕をクイッと持ち上げるような仕草をした。
「……ああ、あれね」
林くんは思い出したように机の中を探る。
「出すの忘れてたよ。ごめんね、森川さん」
「……」
その瞬間。
私の頭のてっぺんから、プシュ~ッと蒸気が抜けていくような感覚がした。
「じゃあ、これ預かっておくね!」
気づけば水野が横からアンケート用紙をひょいと取り上げていた。
「ほら、森川。行くよ!」
「え? ちょ、ちょっと……」
そのまま私は水野に腕を引かれ、半ば強引に教室の外へ連れ出された。
廊下に出たところで、ようやく水野が私の顔を覗き込む。
「おーい、森川? 大丈夫?」
「えっ? な、何が?」
私が慌てて答えると、水野は一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。
「ふふっ。なんでもなーい!」
「……?」
「ねね、それ、林くんのアンケート用紙だよね?」
水野が手にしていた用紙を私へ差し出す。
「うん、そうだけど」
「じゃあ、見てみようよ」
「何を?」
水野は楽しそうに笑った。
「林くんが、どっちを選んだのか。林くん、森川の水着姿見たさにプールにしてたりしてね」
「……え」
そうだった。
これは体育の授業をプールにするか、卓球にするかを決めるアンケートだ。
林くんがどちらを選んだのか。
私は手元の用紙を見る。
「見たらダメ!」
「なんで?」
「だ、だって……プライバシーとか。ほら、その……」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
アンケートの結果を集計するだけなのだから、本来なら見てはいけないに決まっている。
でも。
「気になるくせにー」
「……」
気にならないと言ったら、嘘になる。
だって相手は林くんだ。
……いや。
別に、林くんだから気になるわけじゃない。
林くんがどちらを選んだって、私には関係ない。
そもそも、林くんのことを特別に意識しているわけではない。
だから、見たところで何も思わない。
「……いいよ。見てみよう」
「ほんと?」
水野が嬉しそうに笑う。
私は自分でもよく分からないまま頷いた。
「うん。別に……どうってことないし」
そう言った直後だった。
ドクン。
また、胸の奥が大きく鳴った。
……どうして?
相手は林くん。
ただのクラスメイト。
別に、気になる人でも何でもない。
そう思っているのに。
水野が用紙を開いた。
バサッ。
そして、数秒ほど眺めたあと、目を丸くする。
「……なるほど」
「え? なになに? どっちだったの?」
水野は答えない。
ただ、意味ありげにニィッと笑うと、用紙を折り畳んだ。
「ちょっと、水野?」
「じゃ、これ回収ボックスに入れとくねー」
「え?」
水野はそのまま歩いていき、私が止めるより先にアンケートを回収ボックスへスッと入れてしまった。
「ちょっと! 何するのよ!」
「えー? だって森川、林くんの選択が気になったんでしょ?」
「そ、そんなこと……」
「気になったんでしょ?」
「……」
何も言い返せない。
私は腕を組み、顔を背けた。
「別に? 別に気にならないもん。林くんのことなんて、どうとも思ってないし」
「……」
水野が黙った。
「水野?」
振り返る。
けれど、そこに水野の姿はなかった。
「ん? あれ……?」
廊下の向こうから、ぱたぱたと走っていく足音が聞こえる。
「教科書借りてくるねー!」
「教科書? なんで今……」
私は呆れながら、その背中を目で追った。
そして、ふと気づく。
さっきまで水野が立っていた場所に、別の人影が立っていた。
「……え?」
振り返る。
そこにいたのは、水野ではなかった。
「……林くん?」
林くんが、こちらを見ている。
「……」
……え。
まさか。
さっきの、聞いてた?
『林くんのことなんて、どうとも思ってないし』
頭の中で、その言葉が鮮明に蘇る。
「…………」
やばい。
ものすごく、やらかした気がする。
私は何もなかったふりをして、そっと視線を逸らした。
けれど、もう遅い。
林くんとの間に、なんとも言えない気まずさだけが残っていた。




