第七十二話:暗殺者
崩れ落ちた顔は、もはや人の形を保っていなかった。
皮膚の下から黒い粘液のようなものが溢れ、目は異様に光り、髪は濁った金髪に変わっている。
エリザ─否エリザの姿をした何者かは、三日月のように口を吊り上げていた。
「凄いじゃない?さすが、ゴードンの生徒ねぇ?」
偽エリザの声は、女にしては低く、人を人でなく獲物、利用する物としての価値しか見いだしていないような声だった。
カイルは冷静を装っていたが、背筋を冷たいものが走り、内心の怯えを隠していた。
偽エリザはリンゴを持つように片手を上げながら、早口で詠唱を始めた。
(魔術師!)
相手が魔術師ならいくら早口で詠唱しようと、短縮詠唱を扱えるカイルの有利は明確だ。
カイルは走った。そして正確な早口で短縮詠唱をした途端、偽エリザが突っ込んできた。
そして、偽エリザの手はカイルの喉を捉えて打った。
「カハッ…ぐ…」
魔術師はどんな強者でも発動─詠唱の要となる喉を潰されたら何も出来ない。
詠唱が途切れたカイルを相手は待ってくれない。
偽エリザは間髪入れずにカイルの首を掴み鳩尾を殴った。
「『捕らえ縛れ』」
そして偽エリザが詠唱の最後の一節を口にし、首を捕まえていた手を解放すると、カイルの体は痙攣したまま落下し、うめき始めた。
「私達暗殺者にとっと、魔術ってあまりいいものじゃないのよ。
大半が目立つ上に影響が必要な分手間がかかるから。やっぱり一番頼れるのは近接戦闘技術よね」
暗殺者、それは今も昔も要人を暗殺する人物のことを指す。
この学園にいる要人を考えれば、この人物の目的は察せる。
(第二王子と第二王女、どちらかもしくは両方の暗殺か!)
王位継承権を持つ人物が殺されれば、間違いなく、国内の政治だけに留まらず、国外の侵攻を目的にした軍事的圧力も強くなる。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。
カイルは偽エリザを睨まながら呟き声でまた短縮詠唱をした。
しかし、偽エリザは話し終えたと同時に詠唱をしていた。
「『闇よ、彼らの心を喰らいつくせ』」
詠唱の一節が終わると同時に、カイルはとてつもない身の毛もよだつ恐怖に駆られた。
「うぐっ………はぁ…はぁ…ぅ…!」
自然と詠唱が中断し、床にうずくまり、カイルは自分の肩を掴んでいた。
先程まで偽エリザを睨んでいた目は、もう偽エリザを直視─それどころか端に入れることすらできなくなっていた。
「すごいでしょぉ?
この魔術は私のとっておきなのよ。
アタシは昔とんでもない化け物と出会ったの。その化け物が放っていたオーラはまさに今あなたが体験しているものなのよぉ。
当時は気まぐれか何かで助かったけど、このオーラはずっと研究してきたのよぉ」
偽エリザが長ったらく説明してる間も、カイルの体は恐怖に震えそれどころではなかった。
膝は床につき、視界は歪み、詠唱しようにも声が出ない。
ならばこの魔法が解除され詠唱がすぐ始められるようにと魔力を練ろうにも、魔力の流れと練りが乱される。
(…クソ…こうなるんだったら、誰か…呼んでおけば…良かっ…た………)
そうして、カイルの意識が途切れそうになったところで、扉が勢いよく開かれた。
「…カイル!」
─少し時間は遡り、モナカ視点─
モナカは俯いたままセレスティナ選手専用の控室に戻ろうとしていた。
求婚騒動やガイルから心無い言葉を言われてまた交流会場に戻れるほどモナカの切り替えは早くなかった。
そうして控室まで後少しの階段まで来た時、後ろからパカっと音がした。
「こんにちは、魔女殿」
「あ、あ、アルファードしゃん!?」
後ろを振り返ると、窓を開けて入ってきたのか、ドレスを揺らしたアルファードがいた。
「はい、ローラン・ヴァイスが契約精霊、アルファードでございます」
「あ、あの…なんでフィーちゃん、さんがここに?
い、いつもは隠れてるます…よ、ね?」
(というか、ドレス姿で来て目立つけど大丈夫なのかな…)
モナカは生徒達にバレないか心配していると、アルファードが先ほどのモナカの問いに答え始めた。
「先ほど魔女殿がいた場所ですが、強烈な魔力反応を感じました。
恐らくは、先ほどの男子生徒と誰かが戦闘中なのでしょう」
「え!」
(…急がないと!)
モナカは一瞬驚いたが、すぐに切り替えて控室へと向かっていった。
そして控室の前に来た時に、付いてきていたアルファードに一言声をかけた。
「フィーちゃんさん、これからは、入るので、見られたら困るので、鳥の姿に戻って、くっださい」
「承知いたしました」
そうしてモナカはアルファード小鳥になったのを確認してから、勢いよく扉を開けた。
「…カイル!」
* * *
モナカは声を失った。
何年ぶりに感じる強烈な何かの感情。
恐怖だ。
モナカは恐怖で動けなくなり、そしてカイルと同じく偽エリザを直視できなくなっていた。
カイルと違ったところは、偽エリザをまだ視界の隅に捉えられていることと、魔力を練れていることだ。
「あらやだ、加勢?
いや、偶然紛れ込んじゃった一般人みたいねぇ?
貴方には何も悪いところはないけれど、ごめんなさいね?見られたからには始末するしかないのよぉ」
偽エリザは面倒臭そうに短縮詠唱をし、魔術を発動するタイミングが若干遅れたモナカを水球で包み込んだ。
偽エリザが発動させた魔術は『内向きに強固な結界』と『結界内を水で満たす』の、2種類の魔術式で主に構成されている。
一度閉じ込められば悲鳴を上げることもできず、魔力消費も少なく簡単に殺すことの出来る、まさに暗殺者の魔術だ。
結界内に閉じ込められた者は、例え魔術師でも脱出は不可能だっただろう。なぜなら魔術師は、詠唱しないと魔術を発動できないのだから。
魔術を発動できなければ魔術師はただの一般人と変わらない。
ただ…無詠唱を扱える魔術師だったならば?
ビシッと言う音と共に水球にヒビが入り、水球は破壊された。
水球は周囲に水を撒き散らし、モナカは倒れながらも偽エリザに反応する隙すら与えずに無詠唱魔術を発動させた。
ゴンッと鈍い音と共に偽エリザは倒れた。
「クッ…一体誰だ!何処にいる!」
偽エリザは倒れながら周囲を見回した。
発動したのはモナカだというのに、辺りを見渡すのは流石に滑稽だと感じざるを得なかった。
(あぁ…そうか)
カイルは納得していた。
確かに、周囲に隠れながら魔術を発動した魔術師がいると考えるのが普通だろう。
誰がモナカを七賢者が一人、たった一人無詠唱魔術を扱える魔術師─『沈黙の魔女』だと分かるのだろうか。
七賢者の情報は殆ど公に明かされていない。
七賢者全員の名前と、受け継がれてきた肩書である『弾劾の魔術師』『結界の魔術師』『黄昏の預言者』を除く半数の住処、顔は不明とされている。
理由はいくつかあるが、そのなかで一番大きいのは情報を漏らさないことで、戦場において相手を油断させられるという有利を取れるからだ。
─まさに、今のように。
偽エリザの恐怖の魔術は解除された。
だから偽エリザを直視することや立つこと、詠唱すること、魔力を練ることは可能になったが、先に雷属性の魔術を食らったカイルはまだ動けない。
モナカはなんとか立ち上がってから、偽エリザの身体に視線を合わせてから雷属性の魔術を使った。
同時に偽エリザは倒れ意識を失った。
「…カイル、大丈、夫?」
「…このくらい…少ししびれているだけですよ」
カイルは本当は涙が出そうなくらい痛かったが、最後のちっぽけなプライドのために我慢した。
「カイル…わたしを、逃がしてくれたの?」
「何のことですか?
さっきも言いましたが、僕は貴方が嫌いなんですよ」
それなのに、結果として自分がモナカに守られてしまったのはいい気分ではない。
苦虫を噛み潰していると、窓から小鳥が入ってきた。
そして、小鳥は人間の姿へと変身した。
「お見事でございました、魔女殿」
「フィーちゃん、さん。この人ってどうなるんですか?」
「隠蔽するわけにはいきませんので、アズノール公爵には伝わってしまうでしょう。
ですが、できるだけ大事にしないようにする予定です」
「刑務所送りと尋問までの間は私が預かっておこう」
いつの間にか運営役だったミリア・マイルもいた。
それから話し合いは進んでいったが、カイルは内心納得していた。
(…なるほど、七賢者の身分を隠して、要人の護衛のために潜入していたということですか)
カイルが結論を出していると、ミリアから声をかけられた。
「すまないが、君にも同行してもらうよ、カイル・ラックゴール。
いろいろ聞きたいことがあるものでね」
「…分かりました」
ミリア・マイルが何故モナカ達側のどんな人間なのかというように気になることはあるが、それを聞こうとしてもはぐらかされるだろうから、時間の無駄だ。
カイルは素直に言葉を聞いた。
そしてその後、カイルはミリアと気絶している偽エリザと共に馬車に乗って移動していった。
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