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無情の魔術師  作者: 情緒箱
第三章:生活編
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番外編:木登りと王子様

 これはエリック・マージェが7歳だった頃の話。

 エリックは父に連れられ、始めてこの国の大貴族の一人、アズノール公爵の屋敷に訪れ、そしてその孫であり、レティーラ王国の第二王子であるフィリップ・アルト・レティーラと出会った。

 フィリップは体の弱い少年で、城を離れて祖父─つまりは公爵─の家で療養しているらしい。

 そんなフィリップの遊び相手になるためと、エリックは連れられたのだった。多分、同い年だからとかいう適当な理由なのだろう。

 だがそんなエリックの父の期待とは逆に、エリックはフィリップが嫌いだった。

 フィリップは、学もなく運動神経も悪く鈍くさい少年だった。

 貧弱でお子様の訓令用の剣すらまともに持ち上げられず、乗馬も従者に後ろから支えてもらわねばろくに出来ない。

 勉強もできないし、遂には社交ダンスも下手くそ。物覚えが悪いから何をやらせても駄目な、典型的なグズでノロマな人間だ。

 おまけにすごい人見知りときた。人前に出ればうまく喋れないし、下を噛んでうつむく。最初に来た時は会話どころか挨拶すらできていなかった。

 フィリップよりも、いつも側にいる従者の方が、よっぽど立ち振る舞いも喋り方も堂々としている。


フィリップ(あんなの)が主人なんて、可哀想で大変な奴だなぁ)


 この時のエリックは既に階級至上主義だった。

 だからこそ、こんな無能が、いずれ自分達のうえに立つかもしれない─そう思うと腹立たしさを通り越して寒気がした。

 だから、当時のエリックは、少年らしい意地悪さで、フィリップを馬鹿にしたりからかったりしていた。

 その度に、フィリップは目に涙をためてこう言うのだ。


「ちゃんと、出来なくて、ごめんなさい…」


 どうして堂々と振る舞えないのだ。なんて惨めな奴だ。

 エリックよりもずっとずっと偉い人間のくせに。

 人の上に立たなければいけなくなる人間なのに。


 * * *


 そんな人より劣ったフィリップだったが、唯一詳しい事があった。天文学だ。

 天文学なぞ王族が学んで何の意味がある─と言いたくなるエリックだったが、毎度、星の話になると目をキラキラとさせるフィリップの勢いに呑まれていた。

 だからエリックは、フィリップの本の1冊を木の上に隠してやった。


「か、返してよぉ!」


 案の定フィリップはエリックに返せと半泣きで縋り付いてきた。

 エリックは思った通りの展開に、人の悪い笑みを浮かべて言った。


「本なら木の上にあるぜ。取ってきてみろよ」


 フィリップは真っ青な顔で木を見上げた。だがどうすることもできない。

 運動神経の悪いフィリップでは木に登るなんて高等なことは出来ない。エリックはそうと知っていて木の上に隠したのだ。

 エリックはニヤニヤしながらフィリップをからかう。


「またあの従者に泣きつくか?それとも偉大なお祖父様に?自分じゃ何もできないのって大変なもんだなぁ」

「………っ」


 フィリップは強張った表情で木を見ていたが、やがて唇をキュッと噛みしめると、木に登り始めた。

 しかし、手足の使い方がなっていない。

 エリックも、フィリップを上から見下ろしてやろうと木の上に一瞬で登った


(どこまでいけるか見物だな)


 なんてエリックが思っていると、フィリップは登ってすぐにも関わらず、体をカタカタと震わせる。

 そしてすぐに上に登ったエリックを見て動かなくなってしまう。

 エリックがそんなフィリップを冷たい目で見下ろしていると、フィリップは意を決めたのか震える手で木の枝に手を伸ばし─枝をつかみ損ねて落下した。

 高さのない木だったからエリックは黙って見ていたが、フィリップは倒れてから動かない。

 エリックは飛び降りて、恐る恐る近づいてみると、鋭い枝がフィリップの脇腹に突き刺さっているのが見えた。落下地点にあった枝が突き刺さったのだ。

 枝が刺さった脇腹からじわじわと、赤いシミが広がっていく。

 エリックは血相を変えて大人を呼んだ。


 * * *


「お前は何をしたか、分かっているのか…!」


 そう言い、エリックの父は彼の頬を殴った。

 言い訳はしなかった。自分の軽率な考えと言動が原因だと分かっていたからだ。

 幸い、フィリップの怪我はそれほど深くはないそうで、貧弱な彼でも、命に別状はないとのことだった。

 だがそれでも数針は縫うことになった怪我だ。


「お前はあの方に、一生物の傷をつけたのだぞ。

 この罪は、お前の命程度であがなわれるものではない」


 彼の父は自らの首も差し出す覚悟を決めていた。

 そうして父が公爵の元へ向かおうとエリックから踵を返した瞬間、扉が開かれた。

 そこに来たのは、エリック達を処罰しようとしたアズノール公爵ではなく、処置を受けたばかりのフィリップだった。


「お待ちください!」


 フィリップは従者の少年に支えながらも、自分の足で立っていた。

 顔色は真っ青で汗は滲んでいる。当然だ。縫合手術を受けたばかりなのだから。


「エリックは悪くありません。わたしが、ふざけて木に登ったのです。

 エリックはわたしを止めようとしてくれたのです。それに、身をていしてわたしをかばってくれたんです」


 大嘘だ。フィリップが樹から落ちた瞬間をエリックは見ていたが何もしていない。ニヤニヤと笑いながら眺めていただけだ。

 だがフィリップがエリックを庇ったおかげど、エリックはお咎めなしで済んだ。父も首を差し出さずに済んだ。


 後でエリックはフィリップの部屋に押し入り、問いかけた。


「なんで、俺を庇ったんだ?あの事故は俺のせいだぞ。俺のせいでお前は大怪我をしたんだぞ?」


 考えても理由が思いつかない。

 …そうか、フィリップはエリックに恩を売るつもりだったのか。そうだ。そうに違いない。

 エリックがそんな事を考えていると、フィリップは困ったように眉を下げて、気弱に笑った。


「木から落ちたのは、わたしが下手だったのが悪いんだ。だから、エリックは悪くない」


 エリックは絶句した。

 フィリップの当然だというような口調で言っていたことに唖然とした。

 フィリップはエリックを庇おうとかそんなことではなく、単純に、上手に木登りできなかった自分が悪いと、そう本気で思っているのだ。


「…その怪我治ったら、木登り教えてやるよ」


 エリックがボソッと言うと、フィリップは空色の目をキラキラと輝かせた。


「本当?嬉しいよ!前から、木の上ならもっと星が見えると思っていたんだ!」


 そう笑って笑顔を見せるフィリップは、キラキラとした王子様のようだった。

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