第百八十六話:純白の聖杯
「わたくしの作ったこの魔導具『真実の聖杯』で、こちらにおわす方が、真に王族の血を引く者であるということを証明いたします」
『沈黙の魔女』モナカ・エルノートは、国の重鎮達を前に、堂々たる態度で黒い聖杯を掲げ……
(……つ、次のセリフはなんだっけぇぇぇぇぇ……うっ、胃が……胃がキリキリするぅぅぅぅぅ)
ひたすら胃痛と戦っていた。
ついでに言うと、髪の毛を高い位置できつめに結っているので頭が痛いし、コルセットの締め付け具合は過去最高だし、なにより恐ろしく高いヒールの靴は今にも爪先が潰れそうだ。
魔法戦をするわけでもないのに、モナカがこの場に杖を持ち込んだ理由はただ一つ。
威厳を見せるためではない。杖がないと、ヒール靴ではまともに歩けないからである。
モナカは杖に体重を預けながら、こっそりフゥフゥと息を吐く。
胃は雑巾絞りにされたみたいに痛いし、心臓なんてバクバクドキドキ跳ねすぎて、うっかり口から飛び出してくるんじゃないだろうか。
モニカがゆっくり呼吸を整えつつ顔を上げると、アイザックと目が合った。
アールは戸惑ったような顔でモナカを凝視している。
きっと、『沈黙の魔女』の正体が気弱な少女だなんて知って、ガッカリしているだろう。
彼がどれだけ『沈黙の魔女』を尊敬していたか、直に見ているからこそ罪悪感で胸が痛い。ついでに胃も。
(それでも……)
モナカは早鐘を打つ心臓を服の上から軽く押さえ、アイラとイザベルが作ってくれた台本を思い返す。
ここまでのモナカの台詞は、皆で意見を出し合い、最終的にアイラ・オルフェとイザベル・マイルが監修したものであった。
『最高審議会を乗り切るにあたって、重要なのはイメージを固めることですわ。これからモナカ様が演じるのは、知的でクールでどんな時も動揺を顔に出さない、自信に満ちた魔女なのです。だから、どんなことにも動じない姿勢を練習いたしましょう!』
具体的なイメージができずモナカが戸惑えば、アイラはこっそり耳打ちしてくれた。
──もし台詞に困ったら、メアリー様をイメージすればよろしいのですわ。
なるほどメアリーはプライドが高く、常に自信に満ちて堂々としている。
たとえ野次を飛ばされても、彼女なら「お黙り」の一言で切り捨てるだろう。
(……大丈夫、できる)
モナカはゆっくりと息を吸い、言葉を紡ぐ。
「この魔導具は血液に含まれる魔力を解析するもの。その解析結果を照らし合わせることで……親族の鑑定が可能なのです」
そう言ってモナカは、黒い聖杯をアズノール公爵によく見えるように傾ける。
公爵は露骨に顔を歪めたりはしない。だが、纏う空気がより一層鋭くなるのを感じた。
彼が「真実の聖杯」を知らないはずがない。七年前、この魔導具を作ろうとした男を処刑したのは、他でもない彼なのだから。
「どなたか、この場に親族でいらっしゃってる方は?……あぁ、グァーパル伯爵、確か書記官が息子さんでいらっしゃいますね?」
モニカに名指しで指名された中年の伯爵が、ギョッとしたような顔をする。
そんなグァーパル伯爵に、モナカは薄い笑みを向けた。本当はメアリーみたいに美しく微笑んでみたかったのだが、顔のこわばっているモナカにはこれが精一杯である。
それでもモナカの不器用な薄ら笑いは、充分威圧的に映ったらしい。
「わ、私に、何をさせようと言うのだね、『沈黙の魔女』よ……」
「貴方様の魔力を少々頂きたく。安心して下さい、痛くありませんので」
グァーパル伯爵は忙しなく視線を彷徨わせながら、顔に浮かんだ汗をハンカチで拭う。
そんなグァーパル伯爵に国王が告げた。
「グァーパル伯爵。『沈黙の魔女』の余興に協力せよ」
「は、ははっ! 仰せのままに!」
国王に促されたグァーパル伯爵は、ぎこちない足取りで前に進み出る。
モナカは懐から針を取り出すと、無詠唱で小さな火を起こす。
燭台の火と変わらぬ大きさの小さな火だ。それでも無詠唱というだけで、周囲に驚きを与えるには充分らしい。人々の目は詠唱無しで起こった火に釘付けになっている。
「この水晶に手をかざしてください」
そう言ってモナカは真実の聖杯の底をくるりと捻る。杯の上部分には水晶が、白の輝きを放って浮いている。
その水晶の上に、グァーパル伯爵は手をかざすと、水晶の光が少し黒がかった。
「まず、比較のためにわたくしの魔力で実験をしてみましょう」
そう言ってモナカは水晶の上に手をかざす。
そうしてモナカの魔力が水晶に入っても、何も起こらないことを人々に確認させた。
「このように、魔力に含まれたが不一致の場合、魔力を注いでも、真実の聖杯は何も起こりません」
モナカは聖杯の中に落とした己の魔力を振り払うと、グァーパル伯爵の息子を呼んで、針を手渡す。
「次にグァーパル伯爵の息子さんの魔力を、この杯に注ぎます。どうぞ」
グァーパル伯爵の息子である若い書記官は、神妙な顔で水晶に手をかかげ、魔力を注いだ。
最初は、何も起こらない。
だが次第に、最初に魔力に触れた部分がじわりじわりと、赤色に染まりだす。
モナカはアイラが考えてくれた台詞を頭の中で一度読み上げてから、口にする。
「さぁ、ご覧あれ……黒い聖杯が血の色に染まる瞬間を!」
歌うように高らかに告げて、モナカは黒い聖杯の中身が見えるように傾けながら掲げた。
純白を、差し込んだ黒が濁したような灰色だった真実の聖杯。
その内側がみるみる内に紅く染まっていく。遂には杯の内側のみならず、外側にまで及び、灰色の杯そのものが、純粋なルビーの如く輝いた。
会場にいる者達が、おぉっと驚きの声を漏らす。
(……お父さん、お父さんの作った魔導具に、みんなが驚いてるよ)
称賛の声は、本来なら父が受けるべきものだ。そのことを少し切なく思いつつ、モナカは聖杯を手元に戻す。
「このように魔力を底にセットした状態で、情報の一致する魔力を水晶に注ぐと……このように杯全体が血の色に染まります」
本来なら医療用魔導具の検査結果は「魔力一致率は○%」といった具合に数値で表されるべきだ。
だが、あえてモナカは小説の中の「真実の聖杯」と同じように、杯を染めるやり方を選んだ。
その方が圧倒的にインパクトがあるし、何よりも『真実の聖杯』という形の魔導具を、公爵に見せつけたかったのだ。
貴方がヴィルネ・モネを殺したことを、わたしは知っていますよ……と、暗に伝えるために。
モナカは後ろで待機していたルベリアのところまで下がり、ルベリアに魔力を全て消去してもらう。
魔力を消去された真実の聖杯は再び純白へと戻っていく。それを確認して、モナカは国王に向き直った。
「恐れ多くも申し上げます。フィリップ殿下にかけられた嫌疑を払うために……陛下の魔力を頂きたいのです」
「……よかろう。その杯をこちらへ」
モナカは前に進み出て、グァーパル伯爵の時と同じ手順で国王の魔力を水晶に注ぐ。
そうしてモナカは踵を返すとアールの前に立ち、膝をついて黒い聖杯を差し出した。
「殿下、貴方の名誉を守るため、その魔力を注いでもらいたく存じます」
* * *
(彼女は、何をするつもりなんだ……?)
アールはいまだに混乱から抜け出せずにいた。
モナカは知っているはずなのだ。アールが、国王と血の繋がった息子ではないことを。
(……あぁ、そうか。これはきっと、彼女なりの断罪か)
父を死なせた男の罪を、父の形見の魔導具で暴く……これは、そういう復讐だ。
「ええ……どうぞ」
アールが手を水晶に重ねれば、魔力が真実の聖杯へと注がれた。
このまま色の変わることのない灰色の聖杯を突きつけ、彼女はアールを断罪するのだろう。
──父の仇め、と。
だが、虚ろに笑いながら杯を見つめるアールの顔は、ピタリと凍りつく。
モナカは真実の聖杯を高々と掲げた。その内側はみるみる内に紅く染まり、やがて杯全体に広がっていく。
濃厚で、鮮やかな血の色に。
モナカは今まで以上に響く声で、高らかに宣言した。
「この紅く染まった聖杯こそ、こちらにおわす方がフィリップ・アルト・レティーラ殿下であるという証拠にございます!」




