第百六十話:四つの思惑
本降りになる雨に打たれ、ぬかった土を跳ねさせながらモナカは寮部屋に向かって走る。
(……どうしてわたしは、お父さんの名前を口にしてしまったんだろう)
モナカの口から父の名が出たのはフィリップに知ってもらいたかった気持ちからの衝動的なものだった。
ヴィルネ・モネ。
父の名をモナカが口にした時、フィリップは驚くでもなく訝しげな顔をしていた。
つまりは、きっと父の死に直接関与はしていないのだろう。
それでも、モナカはフィリップに父の名を忘れないで──知って欲しかった。
それは……どうか、どうか、忘れないで。貴方のせいで死んだ父の名を……という呪詛でもあるのだろう。
女子寮にたどり着いたモナカは、水滴の滴るスカートを絞り、人の少ない廊下を選んで寮部屋へ向かった。
(……わたしは、どうしたいんだろう)
山小屋で暮らしていた頃のモナカは、大切なものなんて父の本の数字以外、何も無かった。
人との繋がりを極力絶って、ただ数字と向かい合っていれば、それで良かった。
それでもセレスティナに来て、少しずつ人と触れ合うようになって、宝物が増えた。親しい人間ができた。
だから、この居場所を守るためなら……それを害する者に対して、幾らでも残酷になれた。
ラークに化けたウラウィと戦った時、
ヘッケラン・ジェラートに鉄槌を下した時、
隣国の皇帝と相対した時。
大切な人を傷つける者、奪う者に対して、モナカはいくらでも心無く、無慈悲に振る舞えた。
そして今、モナカは選択を突きつけられている。
アズノール公爵がしてきたことを全て公表し、かの公爵と偽物王子アール・クラナータを断罪すれば、父の無実を訴えることができるのだろう。
父は陰謀で殺されたのだと、何も悪くないのだと、世間に証明することはモナカの悲願だ。
全ての真実を明るみに出せば、モニカの願いは叶うのだ。
─そして、アールは処刑される。第二王子を騙ったという前代未聞の大罪で。
父の無実を訴えるなら、モナカの願いを叶えるのなら、アールを排除すればいい。
アールがどうしても叶えたい願いのために、どんな犠牲を払えるように。チェスの駒を摘むようなで、無慈悲に。
(……できない)
部屋に戻ったモナカは、まだバクバクとうるさい心臓を押さえて、濡れた髪を布で拭く。
戦争を回避する、と皇帝に宣言しても、モナカの中には具体的な計画は何もなかった。
取りあえず作戦案だけでも考えてみようと、モナカはペンを走らせた。
作戦①
アズノール公爵に「戦争はやめてください」とお願いする。
当然、モナカの意見など、耳を貸してくれるはずがない。
作戦②
アズノール公爵が戦争をしたがっていることを、国王に進言する。
だが、現在国王は病床に伏せっているので、謁見することすら叶わないだろう。
作戦③
第二王子の正体が偽物であることを公開し、アズノール公爵諸共失脚させる。
これが一番簡単かつ確実な手段だ。
フィリップが王になる前に真実を公表すれば、ギリギリで内戦は防げる。
なにより全ての真実を明るみに出せば、モナカの父の無実を訴えることができるのだ。
だが確実に、アールはアズノール公爵諸共、処刑されることだろう。
作戦④
フィリップではなく、第二王女のセフィルか、第一王女のラーメイを王に据える。
一番現実的かつ望ましいものだ。
一番優勢なセフィルは戦争を望んでいない。
ラーメイも、彼の母はザンバール王国の姫君で、上手くいけば王国との同盟も強化でき、戦争の抑止力になる。
現状、王になるのは第二王女でも第一王子でもどちらでもいい。
そして、このまま進んでいけば第二王女の勝ちはほぼ確実だった。
ただ一つの懸念は、第二王女に負けているままでみすみすと勝ち逃がすのか…ということだ。
前述した通り、このままの流れであれば、第二王女の勝ちはほぼ確実、第二王子はほぼ負ける。
だから、もしかしたらアズノール公爵が第二王子を引き上げるための『何か』をするかもしれない。
その『何か』により形勢が逆転されれば、第二王女の勝ちも怪しくなってくる。
「う〜……やっぱり、アズノール公爵をどうにかしないと……」
それにあたって一番楽に思いつくのが、弱みを握って脅すというものだ。
でも、相手は長きにわたってレティーラ王国を支えてきた大貴族だ。下手に脅せば逆に返り討ちになるだろう。
脅す内容は『第二王子の秘密を公表されたくなければ王位を第二王女に譲れ』になるだろうが、そのための下地はどうするのか、という話だ。
ここまで考えても、確実に第二王子を負けさせる案は出ていないし、弱い。
しかし、戦争もアールの処刑も回避するには、恐らくこの案しかない。
「……そう、だよね、それしかない、よね。
…となると、後はどこで公爵と交渉するかだけど……」
たしか、ちょうど今から一ヶ月後に、王城で薔薇の開花を楽しむガーデンパーティが開催される。
これは貴族達の社交界シーズンの始まりを告げる会だ。
このガーデンパーティは、アズノール公爵が取り仕切る予定だ。
七賢者であり特待泊の肩書を持つモナカにも、当然に招待状は届いていた。
これに参加すれば、アズノール公爵と取引をする時間も作れるだろう。
(あとは、わたしがまともに公爵と取り引きできるのか、っていうのが最大の問題だけど……)
いっそ、その時は喋らなくても良いように、言いたいことを全て書面にしたためておくのも手かもしれない。
ようやく希望が見えてきたモナカは、ガーデンパーティに参加する旨の手紙と、アズノール公爵と取り引きするための文面を考える。
アズノール公爵を脅し、フィリップを王位に据えないようにして、戦争を回避。今のモナカにできることは、それしかない。
ただ、そのためには、アールに王位を諦めてもらわなくてはならないのだ。
(フィリップ──アール様ごめんなさい……貴方が何故、王位に固執するかは分からないけれど……)
彼を王にして、この国を戦争や内乱に導くわけにはいかないのだ。
* * *
「……やはり、第二王子は偽物ですか」
レティーラ王国城の執務室で、『結界の魔術師』ローラン・ヴァイスは手元の資料を眺めながら椅子に背中を預け、クックック、と喉を鳴らした。
そんなローランに、そばに控えていたアルファードがボソリと言う。
「流石ローラン殿。悪人の笑い方が、実に様になっていらっしゃる」
「今の発言は、この資料集めの功績に免じて聞かなかったことにしてやりましょう」
彼の手元にある主な資料は、アズノール公爵邸にかつて勤めていたブレンドという医師の経歴書。そして、肉体操作魔術に関する資料である。
『黄昏の預言者』は、十年前から第二王子の星が詠めなくなったと言っていた。その言葉を聞いた時から、ローランは不敬ながらも薄々考えてはいたのだ。
もしかして第二王子は既に亡くなっているのではないか。
セレスティナに通う第二王子は偽物なのではないか、と。
その疑惑を裏付けたのが、二度に渡って侵入してきた肉体改造魔術を扱う帝国の人間。
そうして、ローラン・ヴァイスは一つの結論を出した。
──アズノール公爵は帝国の人間と繋がり、禁術を使用して、自分に都合の良い第二王子の偽物を作り上げたのだ。
そもそも、フィリップの護衛を国王に命じられた時から、ローランは疑問に思っていた。
世間では第一王子派で通っているローランに、何故、国王は第二王子の護衛を命じたのか……と。
だが、今ならその答えが分かる。
「陛下も人が悪い……あの方は第二王子が偽物ではないかと気付いておられたのです。そこで私を第二王子に張りつかせ、第二王子がボロを出すのを待っていた」
ローランの言葉に、アルファードは無表情ながら納得したような様子でポンと手を打った。
「つまり国王は、気に入らない人間の粗を徹底的にほじくる、ローラン殿の小姑精神を買ったのですね」
今のローランは大層機嫌が良かったので、己の契約精霊の暴言を寛大にも聞き流してやることにした。
なにせ、あのアズノール公爵と第二王子を破滅させることができるのだ。
普段からストレスの溜まる仕事をしているローランにとって、ストレス発散のできる機会が来て、それを使えるというのは、これほど心躍ることはない。
「さて、この事実をどこで公表すべきか。あぁ、一ヶ月後にガーデンパーティがありましたね。
その場で、この事実を公表しましょう……『アズノール公爵は帝国と繋がり、偽物の第二王子を擁立しようとしている大罪人である』と」
片眼鏡の奥で目を爛々と輝かせるルイスに、アルファードは訊ねる。
「この事実を『沈黙の魔女』殿に報告いたしますか?」
「いいえ、黙っておきなさい。演技の下手なあの小娘に、真実を知らせるのは得策ではない」
なにより最近のモナカは、少しばかり情に絆されやすくなっている。
アズノール公爵共々、第二王子に成り済ました偽物が処刑されることになったら、きっと動揺するだろう。
ならば『沈黙の魔女』には、第二王子が完全に破滅するまで潜入を続けさせればいい。
あとはガーデンパーティでどのようにして公表するか。その段取りをローランは鼻歌混じりに考える。
「ところで、ルイス殿。少々お耳に入れたいことが」
「急ぎでなければ、後になさい」
「先ほど、ロールズ様のお産が始まったと、屋敷の方から連絡が」
馬鹿メイド!
そう叫ぶ間も無くローランは飛行魔術を唱え、弾丸の如きスピードで窓から飛び出していった。
その日、ローラン・ヴァイスはパパとなった。




