第8話「次のページへ」
七月の太陽が容赦なく畑を照らす。熱気に包まれながらも、隼人たちの手は止まらなかった。
川を流れる桃の先には、ついに「鬼ヶ島へ向かう船」のシルエットが畑に浮かび上がりつつあった。畝のラインで描かれた船体、緑で彩られた帆、そして小さく並ぶ犬・猿・キジの姿。ドローンで俯瞰すると、そこには確かに桃太郎一行の冒険の始まりが描かれていた。
「……もう少しで鬼ヶ島だな」
亮が鍬を担ぎながら、夕陽に染まる畑を見渡す。
「ここまで来ると、一冊の絵本をめくってる感じがしますね」
俊がモニターに映る映像を見せながら笑った。
――桃太郎が川を流れて生まれ、仲間を得て、船に乗り鬼ヶ島へ向かう。
この畑は、確かに物語のページを進めていた。
その様子は、すでに町の外にも届いていた。地元新聞が「畑に浮かぶ桃太郎」と大きく見出しを打ち、さらにテレビ局が取材に訪れたのだ。カメラの前で汗を拭う隼人に、アナウンサーが問いかける。
「どうして畑に桃太郎を?」
隼人は一瞬言葉を探したが、やがて真っ直ぐに答えた。
「畑を絵本にして、この町を物語の舞台にしたいんです。子どもたちが笑顔になるように、そして町の人たちが誇れる場所にしたい」
その映像が夕方のニュースで放送されると、反響は一気に広がった。SNSでは「田主丸行きたい!」「畑の絵本すごい!」と拡散され、週末には観光バスまでやって来るようになった。
「わあ、本当に船だ!」
「桃太郎と一緒に鬼ヶ島へ行くんだね!」
子どもたちが畑の中を駆け回り、家族連れがカメラを構える。かつて静かだった耕作放棄地が、今では笑い声とシャッター音に包まれていた。
夕暮れ、作業を終えた四人は畑の端に腰を下ろし、風に揺れる旗を眺めた。俊がタブレットを掲げ、ドローンで撮った映像を見せる。そこには夕焼けの中、鬼ヶ島へ向かう桃太郎たちの姿がくっきりと浮かんでいた。
「……もうすぐだな」隼人がぽつりと呟く。
「ここまできたら完成は目前っすね」俊が笑顔を見せる。
亮が頷きながら言った。
「だが、大事なのは“その次”だ。桃太郎をやり切ってこそ、他の物語に進める」
美咲も子どもたちが植えた花のゾーンを見つめながら言った。
「子どもたちも期待してるわ。“次はシンデレラがいい”って、園でずっと話題になってるの」
隼人はその言葉に背中を押されるように、拳を握った。
「桃太郎を必ず完成させる。そして……次は白雪姫やシンデレラを、この畑に描こう。町全体を、絵本の村にするんだ」
一瞬の沈黙のあと、仲間たちの顔に笑みが広がった。
「いいじゃないっすか! “第二章”ですね」俊が冗談めかしてウィンクする。
「お前の夢はでっかいな。でも……俺も乗ったよ」亮が笑いながら肩を組む。
美咲は静かに、けれど確かな声で言った。
「だったらまず、桃太郎を最後まで届けましょう。子どもたちに“完結した物語”を見せてあげるために」
隼人は頷いた。胸の奥に熱いものが広がる。
――もうすぐだ。この一ページ目を終わらせれば、次の物語が始まる。
夕暮れの風に揺れる「がんばれ桃太郎!」の旗が、まるで新しいページをめくる合図のように、赤く染まった空の下で大きくはためいていた。