第7話「期待と不安」
六月の風が畑を抜けていく頃、桃太郎の輪郭はようやくはっきりと見え始めていた。
雑草だらけだった土地が、いまは大きなキャンバスへと姿を変えている。ドローンで俯瞰すると、川を流れる桃は形を整え、犬・猿・キジの影も少しずつ浮かび上がっていた。
「やっと物語の一ページ目って感じだな」
亮が汗を拭きながらつぶやくと、隼人はうなずいた。
――そうだ。この畑は桃太郎の一ページ目。
そして、隣の畑が二ページ目。そのまた隣が三ページ目。
町全体が一冊の大きな絵本になる。
そう思うと、隼人の胸は高鳴った。
週末ごとに来訪者は増えていた。ドローンの映像を見た大学生グループが「手伝わせてください!」と土を掘り返し、観光がてら立ち寄った家族連れが「ここに桃の木を植えたらどう?」と提案をくれる。子どもたちは「犬のしっぽはもっと長いほうがいい!」と勝手に意見を言い、畑のあちこちに笑い声が広がった。
「わあ、本当に桃太郎のお話になってる!」
園児のひとりが歓声を上げると、美咲が微笑んで答えた。
「そうよ。桃太郎が川を流れてきて、これから冒険が始まるの」
子どもたちは「次は鬼退治?」「鬼ヶ島はどこ?」と口々に叫び、畑を走り回った。
隼人はその様子を眺めながら、心の奥で確信した。
――この町に“物語”が根づきはじめている。
町の大人たちの反応も、少しずつ変わっていた。
「お客さんが思ったより来てるな」
「孫が『桃太郎見に行きたい』って言うんだよ」
「写真を撮ってインスタにあげたら“いいね”がついたわ」
冷ややかな声ばかりだった数週間前とは違い、いまは興味混じりの会話が商店街でも聞こえてくるようになった。完全な理解ではない。けれど「悪くないかも」という小さな芽が、確かに広がりはじめている。
夕暮れの畑で、隼人たちは腰を下ろした。俊がドローンの映像をモニターに映し出す。そこには、夕陽に照らされた桃太郎の物語が映っていた。
「……なんか、ほんとに絵本のページみたい」美咲がぽつりと言う。
「次の畑が二ページ目、ってことっすね」俊が楽しそうに笑った。
「鬼ヶ島も作るのか?」亮が冗談めかして言う。
隼人は頷きながら答えた。
「桃太郎が完成したら……次はきっとできる。シンデレラの馬車だって、浦島太郎の竜宮城だって」
胸の中に広がる未来像を語ると、仲間たちの目も輝いた。
だが同時に、不安もまた影を落とす。
俊がカメラを片付けながら口を開いた。
「でも……このペースで他の物語までやれるんすかね。ボランティアに頼りっぱなしじゃ、続かない気も」
亮も黙ってうなずく。
「俺らが頑張るのはいい。でも、これが何年も続くとなると……資金や人手はどうするんだ?」
美咲も、子どもたちが帰った後の畑を見つめながら言った。
「子どもたちに夢を見せられるのは素晴らしいけど……“途中で終わっちゃった物語”を残すのは、一番つらいと思う」
その言葉に、隼人は胸を突かれた。
――もし完成できなかったら。
――もし途中で立ち消えになったら。
せっかく芽生えた希望が、失望に変わってしまう。
そうなれば、町の人々の心を再び閉ざしてしまうだろう。
風が冷たくなり始めた夕暮れの畑。隼人は拳を握りしめた。
「必ず完成させる。桃太郎を終わらせて、次につなげる。途中で投げ出すわけにはいかない」
その声に、仲間たちは顔を見合わせてからうなずいた。
まだ不安は消えない。けれど、それでも隼人の決意が彼らを支えていた。
畑の奥、夕闇に揺れる「がんばれ桃太郎!」の旗。
その布切れは、期待と不安の両方を背負いながらも、しっかりと風を受けて翻っていた。