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 暗い森の中を走る。


「はあ……!はあ……!」


 女は怯えるように後ろを振り返りながら、もつれそうになる足を懸命に動かす。

 なぜ自分がこんな目に、女は目に涙を溜める。しかし、過去を振り返っている暇など無い。既にあいつらは女の追跡に熱をあげていることだろう。

 バサバサバサッと、カラスの群れが羽ばたいた。

 静かな夜に突如として響く音に、女が一瞬気を取られると地面の段差に躓き、倒れこむ。


「う、ぐっ……!」


 木々の隙間から覗く月光が女の顔を照らす。


「誰か……」


 月に乞う女の声は、静かな闇夜に霧散するのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「強くなりたい?」

「うん、僕今よりもっと強くなりたいんだ」


 日が昇り始めた七時頃、神代家の一室にて蓬、累、緋紀の三人はちゃぶ台を囲むように座っていた。

 蓬の話を聞いた緋紀はショックを受けた表情でちゃぶ台をドンっと叩いた。


「お、俺クビィィ!?」


 緋紀のうるさい声が神代家に響き渡る。

 累は迷惑そうに緋紀を一瞥しながら口を開く。


「どうして急にそんなことを?戦いなら緋紀に任せておけば良いと思うけど」

「そうだそうだ!リストラ反対!」

「緋紀うるさい」


 緋紀を叱りながら累は問う。


「別に緋紀にもう頼る気がないとか、そういうことじゃないんだ。でも、この前祓い屋に襲われたでしょ?ほら、あの九条家の人」

「九条有馬ね」

「そうそうその人。……あの人、すごい強かった。僕が戦ったら多分戦う前に殺されちゃうと思う」


 蓬は九条有馬の戦いを思い出す。最初に襲われた祓い屋二人組にも、鎌鼬のレンにも全く遅れを取らなかった緋紀が有馬にはいとも簡単に傷をつけられた。あの時は累が機転を利かせてくれたおかげで事なきを得たが次どうなるかは分からない。緋紀が相手に苦戦したという事実が蓬に決して小さくない衝撃を与えていたのだった。


「次また、あの人や同じくらい強い人と戦うことになった時、せめて不意打ちを凌げるくらいには強くなってたいんだ。それに僕の身体貧弱っぽくて、緋紀を纏った後結構筋肉痛酷かったりするし、ある程度は鍛えないとなって。……もう守れないのは嫌だから」


 蓬の脳裏に過ぎるのは幼少期の記憶。友達が殺されていくのをただ見ることしかできなかった時の記憶。

 嫌な記憶を思い出し、沈んだ表情で俯く蓬の肩を緋紀に強く叩かれた。


「良いじゃねーか蓬!強くなりたい、漢ならそうでなくちゃな!な、累?」

「そうだね。蓬にやる気があるなら早いとこやっちゃおうか」

「やった!」


 蓬が嬉しそうに立ち上がる。蓬はそのまま緋紀に向かって頭を下げる。


「それじゃあ緋紀、これからよろしくお願いします!」

「おう、任せとけ!」

「ん?何言ってるの?教えるのは私だよ?」


 え?という困惑の声が重なる。緋紀に教わる気で、蓬に教える気マンマンだった二人は顔を見合わせる。


「か、累が教えてくれるの……?武術とかだよ?」

「うん、技術だけなら緋紀よりあると自負してますけど」

「おいおいおい、冗談もほどほどにしとけって累。お前が俺に勝てるわけが―――」


 揶揄うように半笑いで近づく緋紀は累の肩を掴む。

 ―――掴んだ瞬間、天地がひっくり返った。


「へ?」


 間抜けな声と共にドスンと鈍い音が鳴る。

 どうやら一瞬の隙をついて累が緋紀を投げ飛ばしたらしい。蓬には全く目で追うことなど出来なかった。

 呆気にとられたように天井をぽけーっと見ていた緋紀の顔を累が覗き込んだ。


「まだ文句が?」

「いえ、ありません……」


 緋紀が黙らされた。撃沈した緋紀に累は満足そうに頷く。


「それじゃあ、早速今日から始めようか。やるからにはビシバシ行くからね。弱音吐いても止めないよ?」


 累が可愛い顔で全く可愛くないことを言う。


「ははっ……話す人、間違えたかも」


 蓬のぼやきは既に中庭へと足を向けている累には、幸運にも届かなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「おろろろろろろろろろろ……!!」


 累の特訓が始まって一時間ほどが経過した。

 蓬は絶賛、嘔吐中だった。

 朝ご飯を全て吐き出す勢いの蓬に累は流石に想定外といった表情で驚いている。


「ええぇ、まだ準備運動のつもりだったんだけど……」

「こ、これが、準備運動……!?馬鹿言わないでよ……!?」


 蓬は真っ青な顔で苦言を呈す。

 この一時間で何をしたかと言えば、ずっと走っていた。一時間ずっとである。

 ―――今の蓬はそもそも基礎的な体力や筋力がないからね。その状態で技術的なのを習っても効率が悪いよ。

 累にそう言われて始まった身体づくりだったが、蓬の想像以上に辛かった。神代家は神社の境内の裏手に位置しているため、神代家全体の敷地は結構な広さがある。その敷地内を一時間永遠に走らされたのだ。それも常に累が並走しており少しでも速度が落ちると尻を引っ叩いてくる、さりげなく手を抜くことも許されない。そんなこんなで一時間目一杯限界まで走らされた蓬は、結果吐いた。それはもう物凄い勢いで。


「と、とりあえず、少し休憩の時間を、ください……」


 胃酸に喉をやられしゃがれた声で蓬は訴えるが、鬼教官累はうーんと、悩むように頭を捻る。

 ―――まさか、続行するとか言わないよな、こっち吐いてるんだけど。

 蓬が戦々恐々していると、緋紀から助け船が出される。


「まあ、追い込みすぎても身体壊すだけだし、休むのも大事だろ。特に蓬はリハビリみたいなもんなんだし」

「え、リハビリ扱い?僕ってそんな貧弱なの?平均はあると思ってたんだけど……」

「ははっ、普通に運動不足過ぎてやばいぞ?絶対長生きできないタイプだな」

「まじか……」


 流石にへこんだ。口では自虐気味に貧弱、などと言っていたが内心平均くらいはあるものだと思っていた蓬はがっくりと項垂れる。

 心身共に打ちのめされた蓬を見て、さすがの累も気の毒に思えてきたようだ。


「じゃあ、一旦休憩にしようか。その間に蓬の装備でも決めようか」


 累は水を差しだす。ありがたく蓬はその水を飲みながら首を傾げる。


「装備を決める……?」

「うん、ついてきて」


 言われた通り累の後をついていくと、離れの蔵へと案内される。所々に苔や蔦があり、相当年季が入っている蔵だということが予想される。

 蔵の扉を開けると蓬の目でも確認できるほどの埃に覆われる。けほっけほっ、と咳き込みながら蔵の中を見ると、刀や槍、弓などの無数の武器が飾られている。


「あちゃー、結構埃被っちゃってるなー。定期的に手入れしないと……」


 近くにあった刀を抜刀した累が刀の状態を見て顔をしかめる。対照的に蓬は目を輝かせていた。


「凄い……!これ、全部累のなの?というか法律的に大丈夫なの?」

「まあ、全部神代家が所持してるものではあるね。あと法律に関してはバレなきゃ犯罪じゃないんだよ」


 累が笑顔でとんでもないことを言う。思わず蓬から冷や汗が出た。いきなり肝を冷やすようなことを言うのはやめてほしい。


「良いんだよ別に。祓い屋だって持ってるけど黙認されているんだし、どうせ戦っているときは一般人には見えないんだから」

「まあ、確かに。それだったら、良いのかな……?」


 全然良いわけがないのだが、一先ず蓬は納得してしまう。

 蓬は蔵の中を見渡すと、感嘆する。


「この中から自分の武器を探すってことだよね?」

「うん、何か使ってみたい武器とかある?」


 蓬は周りを見渡しながら口を開く。


「うーん、やっぱり刀かなぁ」

「ほう、その心は?」

「かっこいいから」

「……なるほど」


 累が神妙な顔で頷く。

 何か変なことを言っただろうか。蓬が心配そうに累の顔を伺うと、ぶつぶつと何かを呟いている。


「最近の男の子はそういう考え方をするんだ……よく言うロマンってやつ?私は全然理解できないけど……」

「か、累……?どうかした?」


 蓬からの声掛けにハッとすると、累は誤魔化すように口を開く。


「ははーごめんごめん、ちょっと考え事してたや。蓬が使ってみたいのは刀だよね。だったらこれとか良いんじゃないかな?」


 累は一つの刀を手に取る。


「陽炎丸って言うんだけど、この中じゃ一番良い刀じゃないかな」

「おっと、その必要はないぜ?」


 手に持っている刀の魅力を累が説明しようとしていたところを呼び止める声がする。声の主を見るといつの間にか付いてきていた緋紀の姿があった。


「必要ないって、どういうこと?」


 累が問うと、緋紀は得意げな顔をする。


「蓬の刀は、俺が作る!」


 緋紀の声が蔵の中で反響する。


「……はい?」

「だから、俺が作るって。蓬にぴったしなとびきりの名刀をな!」


 自慢満々な緋紀に累は理解が追い付かない。


「ええと、そもそも緋紀って鍛冶出来るの?」

「当ったり前よ!鍛冶に関しては一家言あるぜ?俺はよ!」


 緋紀は力こぶを見せつけながら言う。まあ、出来るというなら出来るのだろう。


「うーん、蓬はどうしたい?緋紀に頼んでも良いけど、とんでもない粗悪品が来るかもしれないよ?」

「おいそんなことねぇよ」

「せっかくだし、緋紀に頼もうかな。緋紀が作ってくれた刀の方が力が湧く気がするよ」

「蓬ぃ……!」


 緋紀は目を潤ませながらにじり寄ってくる。このモードになると緋紀は結構面倒くさくなる。蓬は早々に話を切り上げた。


「それじゃあ緋紀、よろしくね!」

「おう、任せとけ!あ、鍛冶場の手配よろしくな、累。どうせアテあんだろ?」

「はいはい……知り合いに話付けておく」


 面倒な仕事を押し付けられたと言わんばかりに累は嫌そうに承諾する。

 蓬の武器事情が一段落したため、三人は蔵の外に出た。

 蓬はグーっと伸びをする。蔵の武器を見せてもらっているうちに体調も大分良くなってきた。


「蓬、体調はどう?」

「うん、大分良くなってきたよ」


 蓬は笑顔で答える。


「そっか!じゃあ、特訓再開できるね!」


 蓬の笑顔が固まる。


「……え、まだ、やるの?」

「うん、一旦休憩って言ったよね。なんで終わると思ったの?」

「……思ってないよ?」


 こうして特訓が再開され、蓬はこってりと絞られることになる。

 今日だけで三回吐いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 特訓が始まった次の日、蓬はいつものように登校し、教室の席に着く。席に腰を落ち着かせると無意識のうちにため息が出る。


「はあ……」

「お、どした蓬?ため息なんかついて」


 ため息に反応してクラスメイトが話しかけてくる。茶髪のクルクル頭の青年は東 照久。蓬が妖怪を見えないように振舞っていた生活の中で出来た友人だ。

 蓬は照久の方を向こうと身体を動かしたとき、電流が走ったかのような痛みに襲われる。


「いやー、今日すっごい筋肉痛でさ。生きてるだけですんごいストレス……」

「ちぇ、せっかく面白い情報を仕入れたってのに……」


 ローテンションに答える蓬に照久はつまらなそうに口を尖らせる。

 照久は校内一の噂好きを自称している情報通だ。入学したての時なんかは一学年の女子全員の情報を集めるために校内中を駆けずり回っている姿が報告されていた。

 桜ヶ埼高校一年生の男たちは、気になっている女の子の情報を集めるために、日夜照久と購買のパンで闇取引されているという噂だ。

 蓬も試しに累について情報を買おうとしてみたのだが、累の情報は何ら集まっていない、全くのミステリーだと断られてしまった。だから正直なところ、照久の情報屋としての腕はそれほど勝っていないのが蓬の心情だ。


「ごめんねぇ、無反応で良いなら聞いて上げれるけど?」

「いいよーっだ。他の人に構ってもらうよー」


 蓬の席から離れ別の席に向かう照久に蓬は手を振って見送る。手を振った際にすら起こる筋肉痛に蓬は顔をしかめた。


 


 学校のチャイムが鳴った。

 チャイムと同時に先生が教室の中に入り、授業が始まる。一限は国語の授業だ。


「そういえば、午後は体育があったっけ……」


 教室の時間割を確認すると、確かに今日の午後は体育の授業が入っている。蓬はがっくしと肩を落とす。この筋肉痛の中運動なんてしようものならのたうち回ること確定だろう。そんな醜態は晒したくない。

 よし、サボろう。体調が悪いとか言って今日は見学にしてもらおう。蓬はそう心に決め、机に突っ伏し英気を養うのだった。


 

 今日の体育はサボると言ったが、あれは噓だ。今日テストだった。すっかり忘れていた。蓬は体操服に着替えながらため息をつく。今日はリフティングのテストらしい。

 そりゃまあ、サボることは出来る。今日は見学にして、次の授業でテストを受ける。それも可能だ、可能ではある。でもよく考えてみてほしい。自分以外の生徒は今日テストを受けるのだ。するとどうなる、次の授業でテストを受ける自分は生徒たちの前で一人でリフティングをする羽目になるではないか。それも体育の授業は隣のクラスと合同だ。三十人以上の前でテストを受けることになる。それは蓬にはいただけなかった。

 しかし、なんだろう、鬱だ。蓬は歩くだけで痛みが走る身体を引きずりながら校庭へと向かっていく。

 靴を履き替え、校庭に出ると既にクラスの生徒の大半が集合している。どうやらノロノロと歩きすぎたらしい。蓬の姿を見つけた照久が大きく手を振った。


「おーい蓬!もう授業始まるぞ!」


 蓬は痛む身体に鞭を打ち、駆け足で向かう。


「ごめんごめん、ちょっとゆっくりしすぎた」

「まったく、お前が遅いからもうテストのペア決まっちまったぞ」

「え!?僕のペア誰になった……!?」

「おーい篠宮ー!」


 蓬がコソコソと照久と会話をしていると体育教師に声を掛けられる。蓬は教師の下へと向かう。


「はいはい!なんですか?」

「おう、居た居た。お前遅いからもうテストのペア勝手に決めちまったぞ」

「あー、はい、聞いてます。それで僕のペアは?」

「こいつだ」


 体育教師はすぐ隣を指差す。そこで蓬は教師の隣に生徒がいることに気づいた。


「え……?」


 自分のペアとなる男の顔を見て、蓬は思考が止まった。


「なんで―――」


 蓬の声が霞む。


「―――九条、有馬」

「ああ。久しぶり、でもないな」


 その男が口を開く。


「見つけたぞ、神代千獄斎。いや、篠宮蓬。こっちが本名か」


 そう言って九条有馬は、獰猛な笑みを浮かべた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 トントントンと、サッカーボールを蹴る音が校庭中に鳴り響く。

 体育のテストのためにリフティングの練習を生徒たちが行っているなか、蓬と九条有馬はサッカーボールを蹴らずに抱えたまま向かい合っていた。向かい合っているものの二人の間に会話はない。


「あー、君もこの学校だったんだ。ははー奇遇だね」

「そんなわけあるか。わざわざ転校したんだ、お前に会うためにな」


 有馬の回答に蓬が黙り込む。

 まさかここまではっきりと答えられると思わなかった。

 蓬に会いに来たということはなんかしらの目的があるはずだ。真っ先に思い浮かぶとすれば、抹殺しに来た、とか。

 恐怖に耐えかねた蓬はとりあえず抱えていたボールを宙で離し、リフティングをし始める。一、二、三、とボールを蹴ったあたりで想定外のところにボールが吹っ飛んでしまう。


「あ……」


 吹っ飛んでしまったボールが有馬の足元で止まる。有馬はボールを一瞥すると足でボールを掬いリフティングを始める。一、二、三、四、ボールは均一の高さで蹴り上げられ、失敗する様子は見えない。


「え、上手。サッカーやってたの?」

「別に、簡単だろこんなの」


 ぶっきらぼうに言うと、有馬はつまらなそうにボールを足で止める。


「あれ、やめちゃうの?もうすぐで十点の記録だったのに。あーまだ本番じゃない―――」

「そんな話をしに来たんじゃない」


 有馬の苛立った声に蓬は口を噤む。

 ―――そりゃあ、まあ、リフティングの話をするために祓い屋がここまでくるわけがない、か。

 蓬はいつでも千獄斎に変身できるように構える。


「それじゃあ、何しにここに?僕を、殺しに来たとか……?」


 蓬は唾をごくりと飲み込んだ。なにせ九条有馬とは一度襲われた上に、しっかりと敵対の意思を示している。妖怪を殺すうえで邪魔になるであろう千獄斎から排除しようとするには至極当然と言える。

 蓬と精神の中でパスが繋がっている緋紀も、蓬の中から様子を伺っていることが感じ取れた。

 警戒している蓬の気持ちが伝わったのか、有馬は息を吐いた。


「お前が妖怪なら容赦なく殺したところだが、生憎俺に人殺しの趣味はない」

「……戦いに来たわけじゃないってこと?」

「ああ、とりあえず、俺の中でお前の扱いは保留になっている。敵となるかは、これから決める予定だ」


 一先ず、戦闘にはならなそうでに蓬は内心ホッと息を吐く。しかし、まだ警戒を緩めるわけにはいかない。


「じゃあ、何をしにここへ?」

「神代千獄斎。九条家や知り合いの祓い屋たちの文献であらかた調べた。神代千獄斎を名乗る者は様々な時代に度々現れている。最後に現れたのは江戸時代末期のおおよそ百五十年前だ。お前は百五十年前ぶりに現れた神代千獄斎ということになる」


 有馬が語ったことは蓬からすれば初耳の情報しかない。蓬自身、自分が八代目とは知っていたものの、百五十年ぶりとは流石に予想だにしなかった。


「過去の文献によれば、千獄斎は度々、予想だにしない動きをする。妖怪側に肩入れするときもあれば、人間と一緒に妖怪を払うこともある。文献にはこう書いてあった、神代家とは人間と妖怪の境界を司っている、と」


 ここら辺の話は累から聞いていた話と同じだ。


「うん、僕もそう聞いてる」

「だが、今の時代、そんなものは不要だ」


 蓬は息を吞む。


「祓い屋の方針は妖怪の殲滅だ。境界など存在する必要がない。だからここでお前に問おう、神代家はどちらの味方だ?」


 有馬の鋭い視線が蓬を穿つ。

 妖怪の殲滅、何度も聞いて、見てきた話だ。

 蓬もつい声を荒げてしまう。


「どうして……そんな極端な話しかできない……!?妖怪のなかにだって良いやつはいる……!人間と一緒にいたいって思う妖怪だってたくさんいる……!それを、どうして君たちは否定するんだ……!?」

「ああ?人が襲われてからじゃ遅いんだよ……!妖怪のなかにだって良いやつはいるだと?なら悪い妖怪はそれ以上だ……!お前はそれを知らないだけだ……!!」


 有馬が蓬の胸倉を掴む。二人の怒声に気づいたクラスメイト達からの視線が集まってくる。

 有馬はバツが悪そうに蓬の胸倉を離す。


「人を化かし、騙す。それが妖怪の本質だ。どこまで行ってもそれは変わらない……もし次、俺の邪魔をするなら……その時は、斬る」


 有馬は蓬に背を向け、歩き出す。


「おい九条、どこいくんだ?」

「体調不良です。保健室行ってきます」


 体育教師からの声掛けに軽く返した有馬は校舎の中へと消えていく。

 ―――人を化かし、騙す。それが妖怪の本質だ。

 有馬の言葉が蓬の頭の中で反射するように繰り返される。


「違う……妖怪はそんなんじゃない……!」


 既に有馬が去った校庭で、蓬はただ虚空に反論することしかできなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「どう思います部長!?何様だって感じじゃないですか!?」

「う、うむ。それは災難だったな、篠宮後輩。と、ところで、その文句を言ってきた転校生の名前は何と言ったかな……?」


 放課後になりオカルト研究部の部室にて、今日の体育の授業での出来事を天寧に蓬は愚痴る。最初は優しく聞いていた天寧が話が進むごとに顔を青くしていく。心なしか声も震えているように感じる。黙って聞いていた雫も汗をダラダラと流している。


「……二人ともどうしたんですか?」

「ここがオカルト研究部か。邪魔するぞ」


 部室の扉が開けられる。

 そこにいたのは九条有馬だった。


「あ!この人ですよ!?僕にいろいろ言ってきた人!」

「有馬様!ご無沙汰しております!!」


 蓬が有馬を指差す横で、雫が立ち上がって勢い良くお辞儀する。


「へ?」


 蓬は目が点になる。


「ああ、朝船家の嫡男か。……なぜそんな格好をしているんです?」

「聞かないでください……!」


 有馬がそんなこともあるだろうと、困惑気味に頷くと天寧の方に首を向ける。


「ご無沙汰しております。千ヶ宮天寧殿」

「あ、ははー、お久しぶりです……有馬殿」


 頭を下げる有馬に天寧は冷や汗を掻きながら不格好な笑みをつくる。


「……どういう状況?」


 蓬の困惑だけが広がっていく一方だった。




「ちょいちょいちょい……!?なぜ彼がここに居るんだ!?聞いてないぞ!?」

「いや言ったじゃないですか、転校してきたんですよ」

「聞いて……ったわ!?いやもっと早く伝えてくれよ!?」

「そうですよ!?心臓止まるかと思いましたよ!?」


 部室の隅っこでオカルト研究部の三人が固まっている。話すことと言えばもっぱら九条有馬についてである。当の本人は勝手に紅茶を次いでくつろいでいる。どっちが家主かわかったもんではない。


「し、知り合いなんですか先輩たちは?」

「知り合いも何も―――!ってそうか、後輩は祓い屋について詳しくないから九条有馬について知らないのか」

「ああ、なんか、名家の祓い屋の人なんですよね。それで凄い妖怪嫌いだとか」

「知ってるじゃないか!?そうだよその通りだよ!だからこんなに焦ってるんじゃないか!?」


 天寧が蓬の顔をぐわんぐわんと揺らす。


「千ヶ宮家は祓い屋の中の四代名家の一つなんですよ。その中で九条家は代々千ヶ宮家派閥の一族なんです」


 雫が蓬に耳打ちで教えてくれる。


「え、じゃあ千ヶ宮先輩ってもしかして物凄いお嬢様ってことですか!?」


 蓬の質問に雫は小さく頷く。


「朝船家も千ヶ宮家の一派ですから。僕は部長の護衛役ってわけです」

「はえぇー」


 蓬は間抜けな声を漏らす。

 千ヶ宮家の派閥ということは有馬は天寧の家の部下みたいなものなのだろうか。ということは天寧の言うことに有馬は逆らえないということではないだろうか。蓬は閃いた。


「先輩!ガツンと言ってやってくださいよ!彼、妖怪は全員抹殺だ。とか言うんですよ」

「あ、いや、ええと……」


 キラキラと輝かせる蓬の視線に天寧はしどろもどろにしか言葉を返せない。


「え、どうしたんですか先輩?」

「ちょ、ちょっと篠宮君……!こっちきてッ……!」


 慌てたように手招きする雫のもとに首をかしげながら蓬は近づいていく。


「あ、あのね篠宮君」

「はい?」

「今の千ヶ宮家の当主様は部長のお兄さんなんだけど―――」

「お兄さん」


 蓬は相槌を打つ。

 それはなんというか、素晴らしい話じゃないか。御当主がお兄さんとなれば天寧の権力もなかなかのものだろう。その権力で有馬を一捻りにできないものだろうか。


「千ヶ宮家のスタンスは妖怪の絶対殲滅。千ヶ宮一派は祓い屋の中で一番過激な思想なの」

「はぁ」


 蓬は中身のない相槌を打つ。一拍遅れて雫の言っている意味が理解できた。


「え!?じゃあ先輩って―――」

「千ヶ宮家の中じゃ異端も異端。正直親戚の集まりとかだと、白い目で見られる毎日です……」

「マジですか……」


 予想外の天寧の家庭事情に蓬はショックを受ける。では誰が有馬を権力で押しつぶせば良いというのだ。


「情報共有は終わったか?」


 有馬が紅茶の入ったカップを机に置く。カツンとカップの置いた音に天寧がビクッと肩を揺らす。


「は、はい……!それで一体どのようなご用件でしょうか……?」


 怯えながら天寧が有馬に用件を言うように促す。


「先日、そいつが俺の祓い屋の仕事の邪魔をした」


 有馬が蓬の方に視線を向ける。

 邪魔をした、というのは河童の小吉の件だろう。


「天寧殿は祓い屋の家業には手を出さないと言う話だったから放任されてはいたものの、祓い屋の邪魔をするということなら話は別だ。オカルト研究部とやらの活動は慎んでもらう」

「な、そんな……!?」


 天寧は悲痛な声を上げる。


「そもそも、妖怪と仲良くするだの、知るだの、そんな活動を許していたのがおかしいんだ。いつまでそのおままごとを続けるつもりだ」

「わ、私はおままごとのつもりなんて―――」

「話は以上です。今後、俺の邪魔をするようなら貴女の兄上に報告させていただく」

「ッ……!?」


 有馬はそれだけ言い残すと部室から去っていった。

 天寧は思いつめたような表情で地面を見つめている。

 兄上、という言葉を聞いた途端、天寧の抵抗が勢いが消沈した。白い目で見られていると言われていたし、あまり良好な関係ではないのだろう。

 蓬は天井を仰いだ。まさかこっちが権力に押しつぶされるとは。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「なんなのさあの人は!?急に好き放題言ってきて……しかも言うだけ言ってどっか行ったし……!」

「珍しいなー蓬がそんなに怒るなんて、そんな頭にくること言われたの?」


 授業が終わった放課後、蓬は照久と二人で帰り道である河川敷を歩いていた。

 蓬は体育でも一件の怒りが収まらない様子で怒りを発散させていた。


「うん、言われた!多分僕、あの人とは仲良くできないと思う!」

「転校初日からよそのクラスと喧嘩とは転校生もクレイジーだね」


 照久の言葉に蓬が立ち止まる。


「うん?喧嘩したのが転校生なんて話したっけ?他のクラスの転校生なんて誰か分かる?」

「そりゃあ、知ってますよ。朝から話題になってたし、顔も朝のうちに確認しに行ったから」

「ええ!?知ってたの!?教えてよ!」

「いや、蓬朝ダウンしてたじゃん。せっかく話してやろうかと思ってたのに」


 朝のうちに聞いていたら、有馬とのエンカウントを回避できていたじゃないか。蓬は頭を抱えた。


「人の話は、ちゃんと聞くべくだね……」

「おん?まあ、そうだな」


 項垂れた蓬にポンと照久が肩に手を置く。

 二人が他愛のない会話に花を咲かせながら歩いていると、川に何かキラキラと輝いているものが見えた。


「うん……?」


 蓬が目を凝らす。

 あれは魚の鰭、だろうか。いや、そうだとしたらこの距離から見えるのはおかしい。あまりにも大きすぎる。

 太陽の光に照らされて輝く何かは体を動かし、陸の方へと近づいていく。その最中、動く何かの全容を蓬は捉えることが出来た。

 長い黒髪の人の姿に下半身が魚の鰭のようなものになっている。


「人魚……?」


 その姿は蓬がイメージする人魚の姿に酷似していた。


「ん、なんか言った?」

「ちょ、ごめん照久、僕行くとこできたから、これで!」

「え、おおう、分かった……」

「じゃ!」


 蓬は河川敷を下って川の方へと近づいていく。

 別れた矢先、川へと一直線に向かう蓬の背中を見て―――


「あいつも大概変わってるよな……」


 と、照久は呟くのだった。




 照久と別れた蓬は川に見えた影を追いかける。川の麓まで近づくと川から上がろうとしている人魚らしき姿が見える。


「ねえ、何してるの?」


 蓬が話しかけると、その女は怯えるように後ずさる。見れば全身にたくさんの切り傷があり、多量に出血している。顔も青白く、蓬の目には瀕死の重体に見えた。


「だ、大丈夫!?」

「ち、近づくな!」


 蓬は咄嗟に駆け寄ろうとするが、女がそれを止める。こちらを威嚇するように睨み、警戒している。


「お前、祓い屋だろ。私を追っていた連中の中には見えない顔だったが―――」

「ちょ、ちょっと待って!僕は祓い屋なんかじゃないよ!?」

「……なに?」


 女が怪訝な目で蓬を見る。

 妖怪が見える人間のほとんどは祓い屋の関係者になる。戦う人間やサポートに徹する人間など、何をするかは人それぞれだが大抵の霊力を持つ人間は祓い屋連盟の庇護下に入る。理由は単純明快、そうするだけで妖怪に襲われる可能性が格段に減るからだ。そのため、妖怪を見える人間は全員祓い屋だ、と考える妖怪は少なくない。

 

「僕は篠宮蓬。祓い屋じゃなくて、うーん、千獄斎って伝わるのかな……?」

「千獄斎だと……!?まさかお前が神代千獄斎か……!?」


 蓬は頷く。

 どうやら神代千獄斎の名は蓬が思っているよりも有名な者らしい。そのおかげで蓬が祓い屋である、という疑いは解けたようだった。先人たちに感謝である。それでも女は蓬が敵かどうか、判断に困っているようだった。


「君は、もしかして人魚の妖怪とかかな……?あんま見たことないからわからないけど」

「人魚……」


 女はぼそりと呟く。


「ああ、そうだ。私は人魚のサザレ。どうやら私の命を狙うものたちとは違うらしい」


 そう言ってサザレは警戒を解く。その姿に蓬は胸をなでおろしていると、サザレが苦しむように顔を歪める。


「ああそうだった!その傷大丈夫?誰にやられたの!?」


 蓬は腹に刻まれた傷を抑えるが、出血が止まる気配はない。このままじゃ、死ぬかもしれない。


「とりあえず累のところで傷を治してもらおう……!立てる?掴まって!」


 サザレに肩を貸すと、蓬はゆっくりと神代家に向かって歩き出した。




 神代家の玄関をガラガラと開ける。


「累ー?いるー?」


 玄関から大きな声を出して蓬は呼び掛ける。すると奥の方から足音が聞こえてきた。


「はいはい、緋紀の方から聞いたよ。変な拾い物したんだってね」


 家の奥から累が顔を出す。蓬の事情を察しているようだった。どうやら蓬とパスを繋いでいる緋紀は事前に話をしてくれていたようだ。


「うん、すごい傷で……どうにかなりそう?」


 家の廊下にそっと寝かされたサザレの様子を累が見る。


「大分瀕死だけど、まあ、ギリかな?奥の部屋連れてって」

「う、うん!」


 蓬はサザレを持ち上げると、累が指定した部屋に急いで運びに行く。

 部屋に運ぶと、これから治療をするから、と累に部屋を閉め出される。

 カチッ、カチッ、とどこかで時計の針が刻む音が聞こえてくる。時間は刻一刻と進んでいくのに何もすることが出来ない、中の様子を伺い知ることもできない。蓬は歯痒い気持ちに急かされる。

 落ち着きのない肩にポンと手が置かれる。


「緋紀……」

「よっ、また面倒ごと背負ってきたみたいだな。何があったんだ?」


 蓬の方に手を置いた緋紀が訳を聞いてくる。しかし、蓬は首を横に振ることしかできない。


「分かんない……急に倒れてるところを介抱しただけだから。僕にも何があったのか……でも、祓い屋のことを酷く怯えているように見えたけど……」

「なるほどな……ま、累の治療が終われば分かる話か。心配しすぎても気が滅入るだけだ、とりあえず風呂でも入って来いよ、沸いてるぜ」

「うん、ありがとう……」


 蓬は累とサザレがいる襖を眺めた。胸に確かな不安を抱きながら。


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