16
「しっかりしろ!」
途中で歩みさえ止めてしまった私を、マークスは荷物のように無造作に抱えあげながら叱り飛ばしてくる。
「こんなことを聞いてどうするつもりだったんだか知らないが、どの道お前にはどうしようもなかったことだろ。変に自分を責めてウジウジするなよ、うっとおしいから」
辛辣な言葉だが、今はその辛辣さが返ってありがたい。
頭の中は混乱をきたしていて、うまく物事を考えられそうにない。
ジョシュアの不気味な姿が、落ち窪んだ眼窩が脳裏から離れずにいつまでも私を責めてくる。
マークスは足早に歩いていく。
重苦しい空気に押し潰されそうだった。
人目を避けるように複雑な通路を抜けたマークスは、部屋に着くとどさりと私を降ろした。
仁王立ちで見下ろすように鋭い視線を向けてくる。
「いいか、余計な事を考えるな。お前は王子を治すためにこの世界へ連れられた。なら自分の役目を果たすことだけ考えろ。できることに集中しろ!」
……そうだ、その為に呼ばれたのなら、せめて、せめて助かる命だけでも――。
「王様に、会わせてください」
マークスは鼻で笑った。
「おいおい、まさかジョシュアの言ってた事、本気にしたんじゃないだろうな?」
「助かる命があるなら、少しでも……」
「残念ながら、あの村の者は全てヴァラキアカの所有物だ」
翠の目にどんよりとした焔が灯る。
「何故お前を六年もの間探す羽目になったのか教えてやろうか? あの神を名乗る得体のしれない化物が、贄が足りないとほざいたからだよ。奴の獲物は決して逃げられない。陛下がこの決定を覆されることはない」
愕然とした。
「……分かったなら、お願いだからもう余計な事は考えないでくれ」
マークスは背を向けると、そのまま扉まで下がる。
それ以上口を開こうとせず、視線も伏せられた。
……この身が悍ましい。
私の存在も、勝手につけられたこの能力も、人とは思えないこの国の王も、何もかもが耐え難いほど悍ましい。
「帰りたい……」
ボタボタと、手の甲に水滴が落ちていく。
「帰らせてよ……」
「帰れたら全て解決するのか?」
非情なまでに冷静な答えだった。
「それでお前が投げ出すことで失われる命は、どれほどのものになるのか分かっているのか」
私が望んだわけじゃないのに、私のこの能力を巡って周りが勝手にがんじがらめに縛っていく。
いっそ投げ出してしまえたら。
私には関係ない!
そう叫んで逃げ出すことができたなら。
でもそうするには私はフィリップと沢山時を過ごしてしまったし、この世界には私を守ってくれた、大切で失いたくない人たちができてしまった。
「わかってる……ただ言ってみただけですから。弱音を吐いただけですから! ちゃんとすればいいんでしょ……」
返事は返ってこなかった。
その日はできるだけ元気に振る舞っていたつもりだったけど、フィリップの目は誤魔化せなかった。
いつものようにエインズワース領の日常について話していると、ふと冷たい手が私の手を包み込んだ。
「フィリップ?」
「大丈夫?」
視線を上げると、気遣わしげな蒼の瞳が向けられている。
「何かあったの?」
「……フィリップには、隠し事できないね」
「そうだよ、隠し事なんてしないで。リリアのこと、何でも教えてほしい。力になりたいんだ」
励ますように笑いかけてくれた彼に、微笑みを返して曖昧に誤魔化す。
「その……ほら、今日は面会に行ってきたから」
「ああ、あの騎士のことか」
途端にフィリップは笑みを消した。
「そっか……正直、リリアが何故彼に会いにいったのか、理解はできないけど」
それは、病の真相について聞きたかったから。
だけど、流石にその話はフィリップにはしていない。
「死刑だって、聞いて……」
「それが不満?」
フィリップの声は冷めている。
それに少し驚いて、頷くしかできなかった。
「僕は、妥当だと思うな」
金色の睫毛が伏せられ、視線が閉じられたカーテンへと向く。
薄暗い部屋の中で、頬に影が落ちる。
「だって、彼が生き長らえたら絶対に同じことを繰り返すと思うんだ。誰かの命を助けたいって、またリリアに縋ってくる。それに、君を拐った彼が軽い刑で終わったら、助長する者が必ず沸くよ。リリアを危険に晒す芽はできるだけ摘んでた方がいい」
いつものフィリップらしからぬ、冷静で、いっそ冷徹なまでのその言葉に、私はなにも返せなかった。
「軽蔑した?」
握られた手に力がこもる。
「僕はこんな奴だよ」
やけに平坦なフィリップの声が、シンと静まった部屋に響く。
「大事なもの以外は割とどうでもいいと思ってる。リリアが無事でいてくれるのなら、あとはどうでも……」
長く喋り過ぎたのか、フィリップが咳き込み出したので、慌ててその背を擦った。
肩で息をするその背をしばらく擦り続ける。
ようやく落ち着き尚も言葉を重ねようとする彼を制して、クッションを除けもう横になるよう促した。
「明日もまた来てくれる?」
不安げに伸ばされた手を握りしめて、頷いた。
「もちろん。また来るから、ちゃんと休んで」
それを聞いて安心したかのようにフィリップは目を瞑った。
しばらくその顔を眺めていたけど、握った手から力が抜けたのを見て、部屋を後にした。