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山桜だった彼女の話















「ねぇ、俺達、前に会ったことあるかな?」


 そう尋ねられて、私は飲んでいたサクララテを噴き出した。


 今日は入学式の次の日。時間は十二時半過ぎ。

 入学式は午前中のみだったので、ランチタイムは実質今日からだ。

 中学からの友人と向かい合ってお弁当を食べていたので、彼が接近してきたのに気づかなかったのは落ち度と言える。すごく油断していた。だって、彼は昼休みになると一番最初に教室から出ていってしまったのだから。


「えっと…」


 ちなみに、会ったこと、という質問に、3歳の頃、親の友人が主催したバーベキューに彼も参加していたことと答えてひかれないだろうか?たくさん並べられたテーブルの端と端で全然喋ることなど出来なかったのだけど。

 それとも5歳の秋?親に連れていってもらった動物園に、たまたま彼も来ていて、人混みのなか彼の隣に陣取って並んでライオンを見たことがあった。親にピースを向けた結果撮ってもらった隠し撮りツーショットはいまでも部屋の机の引き出しの奥にしまっている。

 それともそれとも十一歳のとき?たしかあの時はうっかりたまたま下校途中の彼と擦れ違った。(だからといって私は数十メートル先でUターンを決めるとうっかり彼の家まで着いていってしまったのは苦い過去である。)

 数ヵ月前の受験の日は試験を受ける教室が違ったのか接近はなかった。まぁ、そこで同じ高校を受けるなんて知った日には理性が飛んで受験どころじゃなくなっただろうから本当によかった。

 そして教室に入った瞬間彼を見つけてそのままぶっ倒れた昨日。倒れるのが早すぎて目すら合わなかった。


 さぁ、どれの事だ…。


 考えながらも噴き出したラテを出来るだけ優雅に見えるようにハンカチで拭く。すると「やっぱり俺の気のせいかな?」とちょっと悲しげに彼が見てくるので私は慌てて立ち上がった。


「でも!私も、はじめて玲也くんをみたとき会ったことがある気がしたんです!」


 立ち上がると彼との目線が近くなった。「俺の名前…」とつぶやく彼に「馴れ馴れしくごめんなさい」と慌てて謝る。でも彼は「いや、嬉しい。俺も眞子さんって呼んでいい?」と尋ねてくれる。もちろん私の答えも嬉しいの一言しかない。あぁ、好きだ。ここで会えたのも、彼にとって私に見覚えがある気がするのも神様の思し召しだろう。

 だから、私は暴走する。一方的に見ているだけは、もう、嫌だ。


「私は玲也くんを運命の相手だと思っています。だから、付き合ってください」


  思い切りお辞儀をしながらそう告白した。視界の隅に先程の私と同じようにカフェオレを噴き出す友人が見える。すまん。許せ。

 ここが教室だとか、玲也くんにとってはほぼ出会った瞬間だとかは頭から抜けていた。ただ、そこに山があったか登る。そんな感じで、ここに彼がいて、私を認識してくれたから告白した。

 ただ、「うん、良いよ。付き合おう。」ととろりと微笑んだ彼の顔は死んでも忘れない。

 だって、前世での玲也くんが私を「綺麗だ」と称した時と同じ表情だったんだもん。


 会ったことがある気がする、というのは嘘ではない。最初、バーベキューで見かけたときはその程度の認識だった。見たことがある気がする。気になる。だからずっと記憶に残っていた。生まれる前の記憶を思い出したのは動物園で見かけたときだ。ただその時は知り合いでもなかったので話しかけられずに終わった。うっかり家まで着いていってしまった事件のは思い出すと穴に入りたくなるのでもう触れないでくれたまえ。


「ねえ、眞子さん。学校終わったら、一緒に帰ろう?」


 と、首をかしげて微笑む彼に、私は両手で顔を覆いながらその場にしゃがみこんだ。雄たけびをあげなかったことをだれか褒めてほしい!













 昔の私はとある田舎の山深い一角に根を生やす、まだ若く頼りない山桜だった。


 あれはまだ梅の蕾は膨らんで暦は春を告げるけれども、

 ちらちらと雪の降る、まだ寒い時期のことだ。

 小鳥は告げる。

 近くの廃墟だった建物に人が住みはじめたのだと。

 ピーチクパーチクと情報を囀ずる小鳥にありがとうと枝を揺らすと、彼女は満足げに飛び立っていった。

 私は意識を土の下に潜らせる。深く張った根の先へ先へと意識を伸ばせば、確かに山への入り口あたりの廃墟に人の気配が感じられた。

 三人から五人程だろうか?

 思ったよりも人数が少なくて良かった。

 人間をまだ近くで見たことはなかったが、他の生き物達に聞いたところによるととてもやっかいな存在らしい。生き残るために必要ならともかく、それ以上の便利さ等の為に他の種を淘汰して自然界の頂点に君臨しているらしい。


 ただの山桜であった私は、人間とはその程度の認識だった。



 ある日、一人の男が私の元に来た。

 男は酒を飲んでいたのかほろ酔いで近寄ってきた。若い。15歳くらいだろうか?周りを見渡してから、私に気が付いたように近づいてきて、まだ蕾もつかぬ私の枝に触れるとそのまま黙って立ち去った。

 何故かそれから男は毎日のように来た。そしていつも枝に触れ、立ち去る。酒が入っている日、素面の日、供がいる日、一人の日。それはまちまちだが、毎日、同じ時間、夕暮れより少し前に来た。そしてぽつりぽつりと山桜の私に向けてしゃべってくる。

 前帝の三ノ宮として生まれたこと。すでに兄が帝位についていること。弟が東宮になったこと。最近元服したのだが兄の帝や東宮とは母が違うため地位がすごく微妙なこと。逃げるようにこの地に来たこと。

 私は困惑した。何故そのようなことを私に話していくのだろう?私はなにも答えることはできないのに。


 ただ、いつの間にか、彼がここに来る時間を待つようになっていた。


 ある朝、私の枝に一つの蕾がついた。毎日、彼が触れ続けたこの枝だった。

 彼は気づいてくれるだろうか?


 彼は気づいた。

 笑みを浮かべると、あの日のように枝を触れるだけで帰っていった。

 毎日、彼はその枝に触れた。他の枝に蕾がついても、その枝を愛でた。


 そして、その蕾が咲いた。

 私は彼が来るとはやくその花を見てほしくてその枝を揺らした。

 正真正銘、彼だけのために咲いた彼だけの花だ。出来れば手折ってほしい。そうすれば朝も昼も夜でさえ、彼と共にいれるから。


 彼はまず枝に触れた。それから指を滑らせるようにして花弁に、触れるか触れないかの優しさで撫でた。


「あぁ、綺麗だ…」


 と、とろりとした微笑を浮かべた。それは、はじめて私の心を震わせた瞬間だった。手折ってほしいとか思ってたことも忘れるくらいに感動した。


 花が咲いてからは彼は朝から晩まで私の元にいた。

 彼に触れられるのは私の歓びで、彼に見つめられるのは私の幸せだった。彼に向けて枝を伸ばし彼のために花をつけた。


 それは、私の知っている概念でいうなら春だ。今までの春はなんだったのかと空に向かって叫びたいほど、小鳥は歌い、山は色づき、暖かな風がさまざまな薫りを運んでくる。世界はとても幸せに満ちていた。


 そんな幸せは、いつまでも続くと、どうして思ってしまったのだろう?春だって一年中続くことはないと桜である自分こそ分かりきっていたはずなのに。



 その日はきた。

 枝につくすべての蕾が咲ききって、溢れんばかりに咲き誇る花は風もないのにひらひらと花弁を散らしていく。


 朝日があがる前の薄暗いなか、そんな曖昧な視界のなかで彼は来た。ふらりと揺れるように歩いていた。


 彼が来てくれて嬉しくて嬉しくて枝を揺らす。その度にはらはらと花びらが舞う。


 彼は滲むような笑みを浮かべ、いつのも枝に触れた。その枝の花びらはもう1枚しか残っていない。

 その1枚に、彼は唇で触れるとすくいとるように食んで呑み込んだ。彼の中に自分が存在する。


 が、その歓喜の中の違和感を感じた。


 匂いだ。彼からは濃厚な血の匂いがした。


 はらはらと花びらが落ちる。

 彼は力尽きるように私に凭れ座り込んだ。

 それでも枝に手を伸ばす。

 もう触れることができないと知りつつ枝に手を伸ばした。


 私はそんな彼に触れてほしくて触れたくて、枝を伸ばし、花びらを落とした。


「…泣いて、いるの?」


  泣いてはいない。

  山桜の私は、泣くことができない。それなのに、私を泣いていると称するのは、彼が私に泣いてほしいと思っているからか?


 風が吹き、枝が揺れて、指が届いた。

 その直後、その指は落ち、彼は倒れた。


 土に、彼の赤い血が染み込む。


 根がその血を吸いあげる。


 それは絶望の中の歓喜だった。私の中に、彼がいる。彼が私の花弁を食んだのと同じくらい喜ばしいことだ。なのに、彼はもう動かない。甘美なはずの血はそこまで私の心は動かさなかった。


 しばらくすると彼がたまに連れていた人間が来た。乳兄弟とか言っていたか?それは彼の血をべったりとついた着物を着ていた。

 それは彼が息をしていないのを確認すると私の根元に埋めた。

 そやつが彼を傷つけたのだろう。苦しげな表情で彼を埋めていた。彼を憎くて殺したのではないのだろう。苦しい選択の上での行動であったのだろう。それでも私は彼を傷つけたその男を赦せなかった。根を伸ばしその男の足首に巻き付けると一気に土の下に引きずり込んだ。山桜の根元。土の中は私の根が蔓延る私の領域だ。沢山の根で締め付けてぺちゃんこにするとその男の血が広がった。これもまた、甘い甘い味がした。



 この日、私というまだ若く細い山桜は、その彼の尊い血肉と、彼の乳兄弟の血肉を得て妖樹となった。


 これはまさしく恋だったのだと知ったのは、彼の死を理解した後の事だった。


「千年…千年後に待っていて…!」


 それほどの時間があれば、私は貴方を守る力をつけることができるから!


 そして千年後。

 彼の転生を風の噂で知ると、山桜の私も眠るように目を閉じてから人間の女の腹に憑いた。

 一度は流れそうになった腹の子を、両親はたくさん慈しんでくれた。でも両親は知らない。実の娘だと思っているのがこんな化け物だということを。

 ごめんなさい、とは思うけど、後悔はしていない。親孝行はちゃんとするから許してほしい。








 高校からの帰り道は、念願の彼と二人きりだ。

 満開に咲く桜坂を二人仲良く並んで歩いた。

 道沿いに咲くのはソメイヨシノで、山桜とちがって薄紅が鮮やかで花もたくさんつける華やかな種だ。あまり、ソメイヨシノを見てほしくなくて、必死に話しかけながらその坂を降りていった。


 駅までたどり着くと、彼は言った。

「ちょっと遠いけど、見せたいものがあるんだ」と私のSuicaにお金を入れ、手を引いて改札を通る。そして家とは別方向の電車にのった。ガタンゴトンと、電車に揺られながら親に友達と遊ぶから帰宅が遅くなる旨をLINEで伝える。

 わりといままで良い子にしてきたためか、親からは快くオッケーのスタンプが来る。


 電車の中でもぽつりぽつりと会話をした。

 その中で、私は彼を玲也と呼び捨てるようになった。

 彼も私を眞子と呼んだ。



 彼に促されて降りたのは、無人駅とはいかないまでも小さな駅だ。

 そこから少し歩くと、馴染みある気配を感じた。

 まず、分かったのは道のわきを流れる用水路だ。この水は、あの山にいるとき、いつもお世話になっていた湧水と同じ気配がした。そして鳥、花、草と、私が通る度に歓迎してくれるのがわかった。


 そして、


「あ、あ、ぁ…!」


 私は叫びそうになる口を両手で押さえて崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。

 彼はそんな私を包み込むように抱き締めてくれた。



 そこには、私がいた。

 千年の時を経て、大樹とも呼べるほど大きくなった山桜の私が。



 彼を見ると、あの日のようにとろりとした笑みを浮かべて山桜を見上げる彼がいた。


「ずっと、あの桜が、女の子に見えて仕方がなかった。不思議だけど…初恋だった」


 そして、と、私を見る。


「入学式の日、桜坂を登ってくる眞子を見たとき、この桜そのものに見えたんだ。こんな馬鹿げた話、信じてもらえないと思うけど、今日、話しかけた時まで、こんなこと忘れようとも思ったんだけど…一度、逃げるように教室を出たんだけど…」


 逃げ込んだ中庭で、鳥が話しかけてきた気がしたんだ。と彼は呟いて、ポケットからなにかを取り出して私に見せる。白い桜の花だ。山桜としての私の花だった。


「小鳥が、これを俺の手のひらに落として飛び立っていったんだ。そしてすぐに花がこの山桜のものだと分かってしまって、いてもたってもいられなくて君に話しかけにいってしまった。…あの桜は、君だね?」


 私は立ち上がると飛び込むように玲也に抱きついた。


 一瞬驚いたように両手をさ迷わせた玲也だが、すぐに抱き締めてくれる。



「あぁ、ようやく、触れられる…」



 そう呟いたのは彼か私か。

 ただ、これはまたしても恋であり、同時に愛だった。

 終わったはずの春の始まりだ。


 春が終わっても、夏が過ぎて秋が来ても、たとえどんなに寒い冬だって、今度は二人で乗り越えたい。

 そのために、私は千年の時を越えたのだから…。




  終

 次は玲也目線のお話し。




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