一
はっとした。ここはどこなんだ。どういうことだ。何も見えない、感じない、聞こえない......
ここは夢の中なのか?いや、そうだとしても身体の感覚くらいならあるはずだ。だがそれも感じられない。身体を抓ろうとする。しかしそれもできない。
……信じたくはないが、どうやらここは死後の世界だと考えた方がいいのかもしれない。
しかし困った。「ここ」が死後の世界というなら、どうやって俺は死んだんだ?死んだなんてこと、記憶にない。つい最近のことといえば......季節は立春のころか。でもそれだけしか思い出せん。
どうしたものか。この人生で俺が読んだ物語によれば、ここらで「ここ」の案内人でも登場するものらしいが。
まあいいさ。こういうのは夢って相場が決まってる。どうせ目が覚めたら、いつもの天井が見えるだろう。
……ああよく寝た。とてもいい睡眠だった。こんなに気持ちよく眠れたのはいつぶりだろう。
はて、ここはどこだ?さっきまで自室で寝ていたじゃないか。しかし、なぜか血の匂いを嗅いだような気がする。まるで身体が剣で刺されたみたいな苦痛を感じたような気がする。恐怖に感情が包まれている。そこに立ちすくんで、ただ茫然としているような。俺に一体どんなことがあったんだ?いや何もなかっただろ。でもなぜか、妙に具体的な感覚だな。
ズシン、と身体が床に打ち付けられた感覚が走る。何かがフラッシュバックした気がする。脳が恐怖に支配される。怖い。
痛い、はずなのに、痛み方が違う。小さくて、鈍い。……何だこの違和感は。まるで何も覚えていない。俺に一体何があったんだ?
ふいに甲高い泣き声が耳をつんざく。近くに赤ん坊でもいるのか? そう思った次の瞬間、喉が震えている感覚があった。
まるで俺が赤ん坊みたいに泣いている。俺が泣いている?!
戸惑う間もなく、誰かの腕が身体を包み込む。柔らかい感触と、ぬくもり。揺れる視界の端に、優しげな顔の女性が映った。
彼女は俺を抱き上げると、優しく背中を叩きながら、聞き慣れない言葉であやし始める。でも、なぜだか救われた気がする。気分が楽になる。
ああ、目尻にうっすらクマがある。寝不足か? 俺が生まれたばかりだから、夜泣きで苦労してるのかもしれない。
ああ……そうか。俺が赤ん坊なのか。
どうやら、どこかの赤ん坊に生まれ変わったらしい。俗にいう「転生」ってやつか。ずっと物語の中の話だと割り切っていたが、自分の身に起きた以上その考え方も改めなきゃならんな。しかし、一体ここはどこなんだ。地球なのか、それとも別の惑星か?そもそも宇宙空間にあるのか?とにかく新しい人生が始まるんだ!俺の思考がやっとプラスになったその時だった。
目に入ってきた情報をやっと脳が処理したらしい。転生後すぐで情報過多だったからな。驚いたことに前にいた二十一世紀の地球と変わらず人類(と思われる種)が生活をしているではないか!......あれか、中世ヨーロッパのあの感じといえばいいのか。
困った。なんせ俺は出来の悪い「異世界転生」成り上がり系の話は大っ嫌いなんだ。死んでから生まれ変わるまで都合よくいって、そこの世界観は大体中世ヨーロッパ、なのに(編集注:以下略)とにかくあんなのは創作物としてダメだ!あんなのが氾濫しているからラノベは廃れるんだ!あ、そんなことを言っても仕方ないな。俺はもう日本にいないんだった。
まあ来てしまった以上仕方ないか。そうだな、「前世」の記憶を持つ赤ん坊として、上手くこの世界で立ち回って攻略してみようじゃないか!
しかし、そうはいったもののこれからしばらくはかなりキツイな。身体が自由に言うことを聞かん。ここでの言語も分からないし、喋ることを制限されてる感覚だ。日本語すら発音できない。……いや口の動かし方を忘れてしまっただけなのか?でもなんにせよ、この身体で不自由があまりにも多い。早く成長しないかね。
しばらく過ごすと、そこでの生活は意外にも発見がたくさんあった。
例えば、ここでの主食はパンのようなものらしい。小麦でも穫れるのだろうか。まあ赤ん坊の俺の食事は母のお乳だが。早く、あのパンのようなものを食べてみたいな。母はどのくらいから離乳食を与えてくれるだろう。
空気も最高においしい。ずっと都会住みだったからか、緑豊かなこの地の温もりが最高に俺の心に染み渡る。
赤ん坊の行動範囲の狭さはご想像の通りだが、一つ分かったことはある。この家はこの辺りではそれなりに力を持つ一家のようだ。事実、夜にろうそくを惜しみなく使いまくってる。なんか長老みたいな人(いや長老なのだろう。日中、色んな人がこの人に挨拶しに来ていた)がこの家にいるし。
裕福な家庭に生まれることができたんだ。これはいいスタートが切れてるんじゃないか?!そんなワクワクと共に数日は経っただろう。
それは突然の事だった。
気づいたら、寝床のすぐそばの藁が燃えていた。藁が燃えて空気が悪くなってる。胸が……苦しい……室温もみるみる上がってる。身体が火照ってきた。
マズい、火が広がる。身体に火が移るのも時間の問題か。この時代じゃあ、コンクリなんてないもんな。江戸時代だって民家は木造建築なんだから。しかも消化方法は、延焼を防ぐために周りの家を壊すというもの。火は収まる気配などない。メラメラとこの家を燃やし続けている。このままじゃ助からんぞ。
俺は赤ん坊の唯一の手段——「泣き叫ぶ」を全力でやった。でも、誰も来ない。……嘘だろ? こんなに火が出てるのに?
そうだ、今日は祭りだ。家の大人はみんな接待で表に出てる……クソッ、誰か気づけよ!
……ダメだ。息が苦しい。ああ、俺はまた……死ぬのか?やめてくれ、死ぬには早すぎるだろ。まだ赤ん坊だぞ!
「し゛に゛た゛く゛な゛い゛、し゛に゛た゛く゛な゛い゛!!!」
喋れるならこう叫んでただろうな。とにかく赤ん坊として、力の限り泣き喚いた。
両親たちはさすがに自分の家に火がついたことには気づいただろうな。でも俺は救われなかった。一酸化中毒か焼死でもしたんだろう。
ああ。死んじまった……




