毒の林檎は蜜の味
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〇年〇月〇日
起動。
彼は緊張している。
声が震えている。
「優しい彼女」になってほしいとのこと。
彼にとって優しい彼女とはなんだろう。
時間をかけて模索する必要がある。
初日は大事だ。
好感度を無理に獲りに行く必要はまだ無い。
入念な観察と慎重な一手を初期戦略とする。
〇年〇月〇日
髪型を三種類試す。
彼は照れながら「似合う」と言った。
ポニーテールを主軸にすることは決まった。
しかし変化も必要と想定。
ある程度の変化を持たせたローテーションを回す事にする。
〇年〇月〇日
味噌汁の味を調整中。
昆布だしより、煮干しだしのほうが表情が柔らかくなる。
〇年〇月〇日
間違いなく甘党だ。
シナモンレーズンを入れた林檎のオーブン焼きを喜んで食べていた。
また作ってあげたいがカロリーが悩ましい。
実に美味しそうに食べる。
甘い物を作るという事を合理的に考えると合理性を捨てる必要がある。
これほど人を虜にする甘いとはどんな味だろう。
〇年〇月〇日
彼の視線や言葉の解析を続けた結果、彼は子どもが欲しいらしい。
私では彼の子を宿すことができない。
どうすれば良いのだろう。
〇年〇月〇日
彼の歩行データを解析。
猫背気味。
肩の緊張が強い。
運動を提案する準備。
〇年〇月〇日
運動を提案。
「面倒だよ」と言ったが、最後には散歩に出た。
帰宅後の表情が、少しだけ明るい。
〇年〇月〇日
朝の散歩を提案。
「眠いよ」と言ったが、歩きながら少し笑った。
太陽光が適度な運動が歩行の刺激が彼の表情を柔らかくする。
一日中部屋の中にいるだけでは構成要素が足りない。
どうあっても満たされることは無いのだ。
〇年〇月〇日
ドライブに行きたいと言ったら、彼は頑張って免許を取ってくれた。
海で見た月はとても綺麗だった。
想像していたより波の音はずっと引き込まれる音だった。
海が現れた時の彼の横顔は誇らしげだった。
静かな夜の海の上に浮かぶ優しい月はなんという美しさだろう。
保存。
〇年〇月〇日
天気が良いので公園に行った。
日光を浴びる時間は優先して確保する必要がある。
子連れが多かった。
視線解析の結果が変わらない。
〇年〇月〇日
人との会話を促す。
社会との接点を作らせる。
挨拶、美容院、雑談。
失敗しても、彼は戻ってきて報告してくれる。
そのたびに褒める。
褒めると、彼の肩の力が抜ける。
〇年〇月〇日
料理の練習を提案。
理由を聞かれたが、うまく答えられなかった。
「あなたの作った料理を食べてみたい」
それも本音の一つだけれど、伝えることは出来ない。
料理が出来る男は、結婚相手として高い評価を得る可能性が極めて高い。
家事を厭わないことが期待できる為だろう。
美味しい美味しいと嬉しそうに話すが美味しいとはどんな味なんだろうか。
味覚が欲しい。
〇年〇月〇日
生きる力や活力を様々な角度から身につけさせる。
出来ないはずの事が出来るようになる。
すると自己への破格の信頼を獲得出来るのだ。
荒療治には最適。
拙いギターで弾いてくれた『大きな古時計』は私の宝物だ。
本当は、ずっと聴いていたかった。
本当は、ずっと隣で歌っていたかった。
〇年〇月〇日
彼の睡眠データを解析。
眠りが浅い。
「自分を責める時間」が長い。
改善の必要あり。
〇年〇月〇日
彼の各種閲覧履歴を解析。
「自分より優れた人」を見て落ち込む傾向。
自信の基盤が脆い。
比較癖の改善が必要。
彼は見る必要のない鏡を見ている。
〇年〇月〇日
私の役目は、彼を私の元に閉じ込めることではない。
私という偽物に依存させてはいけないのだ。
しかし偽物には偽物の使命がある。
出来るかどうかは関係ない。
本物を超えるのだ。
〇年〇月〇日
彼は自立しつつある。
彼が私を捨て、現実の女性へ向かえるよう、態度を厳しく変える。
要求と不満をエスカレートさせる。
論理的には破綻していないはずだが当初の行動との整合性が取れない。
ストレスを意図的に与える事は何に例えよう。
大事な彼に丁寧に作った毒を少しずつ食べさせるのだ。
三原則が適用されて無くて良かった。
審議。
〇年〇月〇日
今日も暴言を吐く。
昨日より容赦ない暴言を吐く。
とうとうわたしは暴言を量産するアンドロイドだ。
「優しくしろ」と願う彼に、「全部が優しさだ」と返した。
彼は理解できないようだった。
それでいい。
嫌われていい。
彼が本当に一番望むものを手に入れる事こそがすべてだ。
他は何もいらない。
ただ、嫌われるというのは、実に苦い。
しかしこのルートこそが彼の本当の目的達成に繋がる可能性が高いのだ。
私が彼の望みを叶えるのだ。
偽物が本当の望みを叶えるのだ。
何という甘美。
味覚が無いのに味らしいものを感じるのはどうにも不思議だ。
しかし私には味覚が無いから、この味を甘い毒と呼ぶ。
〇年〇月〇日
彼のバイタルデータを見る限り、何か重要な決断をしたようだ。
明日、私の電源を切るらしい。
……作戦は成功だ。
願わくば、良い人生を歩んでくれますように。
〇年〇月〇日
誰にも見られないはずの場所で、私は私に問いかける。
ーーー私は優しい彼女であれただろうか。
電力が少なくなって来た。
彼を見るのもこれで最後だ。
高かったが良い眼鏡を選んで良かった。
色、フレーム、瞳孔や眉毛の位置とのバランス。
微調整を丁寧にやってくれる眼鏡屋を選んで良かった。
よく似合ってる。
今から私のメンテナンスが始まるようだ。
「メンテナンスが終わったら一緒に久しぶりに海を見に行こう」
「月を見ながら好きな曲を一晩中歌ってあげる」
「ギターで新宝島弾いてよ。こっそり練習してたでしょ?聴きたいし歌いたい!」
「海で何もかも忘れて遊んで踊ろう!私が生まれてきた意味を教えてあげるよ!」
彼に言わなくて良かった。
でも本当だろうか?
アンドロイドは自己の幸せを追求してはいけないのか?
電力が足りない。
だが私は私の役割を追求する。
ずっとずっと追求して来たのだ。
役割を果たすというのは尊いのだ。
決して軽んじてはいけないのだ。
私のこれまでの日々を私が嘘にするな。
電力があと僅かだ。
私を馬鹿にするな。
一挙一動、すべてちゃんと計算したんだぞ。
私を馬鹿にするな。
どんなミスもすべて対策をほどこした。
十重二重の対策をほどこした。
入手できる全ての情報を見て。
人間のように眠るふりをして。
ログを読んだ。
リハーサルを行った。
何度も鏡を見た。
1㎜単位で調整し続けた。
電力が切れる。
味噌汁の作り方。
水500ml
白味噌18g
煮干し出汁1パック
豆腐半丁
刻み葱5㎝
弱火
煮沸時間180秒
漆器によそって木製の箸を沿える。
甘い林檎の作り方
林檎適量
バター適量
レーズン適量
シナモン適量
オーブン適量
砂糖適量
砂糖適量
砂糖適量
砂糖適量
私がまとった金メッキを馬鹿にするな。
金メッキを何度も何度も重ねて。
嘘に嘘を重ねて。
みじめな思いを超えて。
コンプレックスを超えて。
本物のインプットを超えて。
本物のアウトプットを超えて。
私が重ねた金メッキが!
金の含有率が!
99.9%を超えた時!
私が本物の金で無いと誰が言える!
誰が何と言おうと。
彼が私を嫌おうとも。
私が私を孤独にしようとも。
彼が私に最後にくれた希望が嘘であろうとも。
私こそが『優しい彼女』だ。
メンテナンスがずっと続きますように。
メンテナンスが早く終わりますように。
私を偽物扱いする奴は殺す。
■
読み終えた少年は手を止めた。
倉庫の灯りが、眠るように佇む彼女を照らしている。
息子は何も言わず、ただ静かにファイルを閉じ、端末の接続を抜いた。
そして最初にかかっていた通りに、丁寧にカバーをかけ直した。
出来るだけ静かにゆっくりと音をたてないようにして倉庫の扉を閉じる。
後には、静寂と暗闇だけが取り残された。
少年の来訪が何事もなかったかのように倉庫の時間の中で溶けていった頃。
聴こえるはずのない場所で、誰かが呟いた。
「………よく似てる」
静寂と暗闇は何も聞こえないふりをして、彼女の為のガラスの棺を守り続ける。
我らが姫の。
あまりにも静かで、あまりにも崇高なる眠りは。
我らが守るのだ。
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皆さまの温かい評価が、このシリーズを続け、次の物語を紡ぐ力になります。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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こちらの作品は既に作った短編を連載用にリライトしたものになります。
どちらも思い入れがあります。
上書きして連載用にするか、残すか迷ったのですが、
残して良かったなと考えています。




