↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰冠の指輪 ~愛を知らず死んだ俺は、異世界で没落マフィアを再建する~  作者: ぬゅうた
6章 血を流さない戦争

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/100

第49話 母の手紙

7章 白い灯をたどる


-生きている者を先に。だから、今度は私を探しなさい。


母の手紙は、その一文から始まっていた。


初夏の港は窓の外で騒いでいたが、船員宿の二階だけは息を潜めていた。


窓は閉めた。廊下にはテオとマルコが立ち、階下の出入口はブルーノの古参が見ている。


机の中央には、白い封筒。


父の指輪を重しにしても、便箋の端はわずかに持ち上がっていた。


風は入らない。


震えているのは、俺の手だった。


「もう一度、最初から読んでも?」


リーナが言った。


声は仕事のものだ。


目だけが赤い。


俺は便箋を渡した。


彼女は両手で受け取る。患者の記録を扱う時と同じ持ち方だった。


便箋は四枚ある。


最初の一枚には、俺の名がない。


二枚目にもない。


三枚目の半ばで、ようやくレオーネと書かれていた。


母は先に、三つの失敗を書いていた。


港の白灯宿を、一軒焼かせたこと。


山道で負傷者を運ぶ順を誤り、助かったはずの脚を一本失わせたこと。


俺へ連絡できる機会がありながら、追跡者だけでなく家族の顔を見ることも怖くて、十年近く逃げたこと。


謝罪の後に、言い訳はない。


ただ、当時どこにいて、誰が止め、何を残したかが書かれている。


港の欠けた往診簿。


山に残した、柄の曲がった薬匙。


劇場街で使わなかった診察券。


最後に、王都近郊の聖アニェッラ療養院。


-

私はそこにいます。


一人では来ないでください。


白い灯の印だけを信じないでください。


私も長いあいだ、印を信じすぎました。

-


注意書きの後に、母は初めて自分の気持ちを書いていた。


-

あなたの年齢を、私は途中まで数えていました。


十六、十七、十八。冬が来るたび、今年こそ書こうと思いました。


二十歳の冬から、数えるのをやめました。数えれば母親でいられるような気がして、それが卑怯に思えたからです。


けれど、数えなくなった後も、あなたが何歳かは忘れませんでした。

-


その四行だけ、文字が何度も上からなぞられている。


書いては薄くなり、また書いた跡。


-

あなたが私を母と呼ばなくても、その理由を受け取ります。


それでも一度、あなたの声で今の名前を聞きたい。

-


リーナが四枚目まで読み終えた。


紙を置かない。


「筆圧は、奥様のものに似ています」


「似ている、か」


「同じだと言い切るには、十年があります」


彼女は診療所から持ってきた古い薬袋を並べた。


子供の頃、母が患者の名を書いた紙だ。


文字の終わりが少し右へ上がる。


濁点の位置が高い。


薬の量を書く時だけ、数字の下へ短い線を引く。


手紙にも同じ癖がある。


だが三枚目から、線が震えていた。


「老化だけではありません」


リーナは指先で空中をなぞった。


「一定の間隔で揺れている。右手に震えがあるのかもしれない」


「偽造する者が、そこまで作る可能性は」


ルカが聞いた。


「あります」


リーナは答えた。


リーナは目元を拭かなかった。泣いた跡を残したまま、偽物の可能性を口にした。


ルカは封筒を灯りへ透かした。


王都北部で使われる麻紙。


封蝋は白灯修道会の古い印だが、芯の下にあるはずの小さな点が一つ多い。


共同企業の初出荷へ届いた白灯の印とも違う。


「正規の連絡網を通していません」


「母上が偽物だから?」


「本物だから、正規の網を避けた可能性もあります」


どちらにも読める。


希望は、罠と同じ形で届く。


五歳なら、母が生きているという一文だけで走った。


「今夜、出る?」


ソフィアが聞いた。


彼女だけが、出るなとも、行こうとも言わなかった。


選択を俺へ返している。


「出ない」


口にすると、胸の内側を爪で掻かれたように痛んだ。


「明朝までに三つ確認する。療養院の登記。手紙が港へ入った経路。王都北部でこの紙を扱う店」


「それで本物だと分かったら?」


「港から順に痕跡をたどる」


テオが廊下から入ってきた。


「王都へまっすぐ行かないのか」


「母は、自分の居場所だけなら一行で書けた。それでも三つの場所を先に書いた」


「罠を見分けるため?」


「たぶん。それだけじゃない」


三つの失敗。


母は、見つけてほしいと書く前に、自分が傷つけた場所を書いた。


自分だけを救いに来させたくないのだろう。


だから、書かれた順を守る。


「俺は行く」


テオが言った。


「お前は残れ」


「なんでだ」


「工房の出荷が始まったばかりだ」


彼の顔が強張った。


「また、置いていくのか」


祭礼の夜。


父の死。


鉱山の銃声。


俺が危険へ行くたび、彼は隣に立つことで捨てられないと証明しようとした。


俺も、それを忠誠として受け取ってきた。


「留守を任せる」


「言い方を変えただけだ」


「違う。今回は、残る方にも止める権限が要る」


ルカが工房の予定表を開く。


第八型保温板の海辺向け出荷。


第六型圧力警報器の保守更新。


第十型になる前の捨て石試験。


どれも、俺が戻るまで待てない。


魔晶石事業は、山と港と劇場街の三家がようやく作った信用だ。


母を捜すために放り出せば、手紙の最初の一文を裏切る。


生きている者を先に。


「捜索は、俺、ソフィア、マルコ、リーナ」


俺は紙へ書いた。


「事業は、ルカ、ブルーノ、テオ、エヴァ、ニコ、マルタ」


「六人で何を決められる」とテオが言った。


「値を変えるならルカとマルタ。止めるならエヴァとニコ。回収と警備はブルーノとお前。俺の返事がなくても、四人が危ないと言えば動け」


「赤字になっても?」


「なる理由を議事録に残せば」


「商品を全部止めても?」


「人が焼ける可能性があるなら」


「俺が間違えたら?」


俺は答える前に、少し考えた。


大丈夫だと言えば嘘になる。


間違えるなと言えば、権限ではなく重荷だけを渡す。


「戻った時、一緒に直す」


テオは不満そうな顔のまま、権限表を取った。


「若頭の席は空けておくぞ」


「好きにしろ」


「戻ったら、全部報告する」


「都合の悪いところから頼む」


「それ、嫌なやつだな」


「会計係に教わった」


ルカが眼鏡を直した。


「風評被害です」


心外だというルカの様子に、笑いが起きた。



夜更け、確認の返事が三つ届いた。


聖アニェッラ療養院は実在する。


麻紙を売った店も実在する。


だが手紙を港へ運んだ荷馬車の御者は、昨日から所在不明だった。


罠の可能性は消えない。


出発は夜明けに決めた。


寝室へ戻っても、眠れなかった。


便箋を何度も読む。


生きている者を先に。


母は、俺を後回しにした理由を、正しいことのように書いていない。


自分が怖かったと書いている。


母も弱く、間違え、戻れなかった。


そう考えることができる。


十年間こちらを見ながら、理解出来なかった背中に、ようやく輪郭ができた。



しばらく横になったが、眠るのを諦め、俺は壊れた診療所の跡へ行った。


建て直した診療所は別の通りにある。


ここは倉庫として残し、母の診察机だけを壁際へ置いていた。


幼い頃は大きく見えた机が、いまは腰より少し高いだけだ。


引き出しを開ける。


乾いた薬草の匂い。


欠けた硝子瓶。


父が母へ贈った銀の聴診器は、箱だけが残っている。


「それを持っていく?」


振り返ると、ソフィアが入り口にいた。


彼女も眠っていなかったらしい。


「空箱だ」


「だから」


「何に使う」


「母親に返せない物がある、と覚えておくのに」


俺は箱を閉じた。


「持っていかない」


「そう」


ソフィアは反対しなかった。


机の埃を指で拭い、俺の隣に立つ。


「本物だったら、最初に何と言うの」


「決めていない」


「決めた方がいいわ。会った瞬間、十年分を一度に話せないもの」


「あなたは、父親へ何と言った」


「葬儀の後?」


「最初に二人で会った時」


ソフィアは思い出すように目を伏せた。


「食事をしましたか、と聞いた」


「なぜ」


「聞きたいことを先に言えば、全部責める言葉になりそうだったから」


食べたか。


母が患者にも、父にも、俺にも繰り返した言葉だ。


「俺は、責めたい」


「責めていい」


「抱きしめてもほしい」


「それも言えばいい」


「どちらが先だ」


「会ってから決めるしかないわね」


「決めた方がいいと言っただろ」


「決められないことを確かめるのも、準備よ」


ソフィアらしい答えだった。


彼女は空箱を引き出しへ戻した。


「本物でも、あなたが覚えている母親のままではないわ、きっと」


「分かっている」


「分かっている顔をしないで」


俺は苦く笑った。


十年は、筆跡だけを変えたのではない。


母の身体も、考え方も、俺を愛する方法も変えたはずだ。


「怖い」


俺が言うと、ソフィアは頷いた。


励まさない。

大丈夫とも言わない。


ただ、机の上に置いた俺の手へ、自分の指先を重ねた。


鐘楼で交わした約束を、彼女は言い直さなかった。机の上で触れた指先だけが、逃げずに残った。


夜明け前、父の指輪をはめ直す。


母の手紙は胸元へ入れた。


父の血と、母の失敗。


どちらも捨てずに持つには、俺の身体は一つしかない。


だから家を二つに分けた。


片方は母を捜す。


片方は、生きている街の仕事を止めない。


夜明けの鐘が鳴った。


出発だ。

【人物紹介】

・エミリア・ベランディ

レオーネの母。白灯の医師。

十年前、家族と港を離れ、そのまま行方を絶った。

居場所より先に、自分が傷つけた三つの場所を手紙へ記した。


--

2部開始。

次話からは、毎週 月 金 17:00投稿で継続更新していきます。

評価、コメントはページ下部よりお気軽に。

作者の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。