第65話:究極の兵器『活版印刷機』の爆買い
リスボン港の特等席を占拠した日本の巨大船団は、瞬く間にヨーロッパの富を飲み込みつつあった。
室町商事が持ち込んだ精巧な漆器、絹織物、そして陽光に透ける色鮮やかな切子ガラス。
それらはヨーロッパの王侯貴族たちの虚栄心を激しく刺激し、言い値の金銀や香辛料と次々に交換されていった。
旗艦の船室では、細川勝元と山名宗全が、積み上がっていく利益の帳簿を見ながら祝杯をあげていた。
「笑いが止まらんのう、勝元殿。この南蛮の地は、我らにとってまさに黄金の山じゃ」
宗全が豪快に杯を干すと、勝元も満足げに頷いた。
「全くだ。しかし、我らの目的は単なる物売りではない。薫子殿が申しておった『南蛮の役に立つからくり』を見つけ出し、日ノ本へ持ち帰ることじゃ」
勝元は立ち上がり、護衛の武士と通訳の禅僧を連れて、リスボンの活気ある市街へと視察に出た。
彼らは異国情緒あふれる市場を歩き、ガラス細工や時計の部品などを細かく吟味していったが、どれも堺の職人たちの技術を凌駕するものではなかった。
「ふむ、南蛮の職人技も大したことはないのう。これならば我が国の水力旋盤で作った部品の方が、よほど精度が高いわ」
勝元が退屈そうに呟いたその時、同行していた禅僧が、ある書物売りの屋台の前で立ち止まった。
「……提督。少々、奇妙なものがございます」
禅僧が指差したのは、店先に並べられた何冊もの分厚い書物であった。
勝元が手に取って開いてみると、そこには見たこともない細かい南蛮の文字がびっしりと並んでいる。
「ただの書物ではないか。それがどうしたのじゃ?」
「提督、これをご覧くださりませ。こちらの本と、こちらの本……文字の形、行の乱れ、かすれ具合に至るまで、完全に『同じ』なのです」
禅僧は二冊の本を並べ、勝元の目の前に突きつけた。
「写本職人が筆で書き写したものであれば、必ず筆跡に揺らぎが出ます。しかし、これはあまりにも正確すぎます。まるで、印鑑を巨大にしたような……」
勝元はハッとして、書物の文字を食い入るように見つめた。
「通訳よ。この書物は、どうやって作っておるのか、店主に聞け!」
禅僧の通訳を介し、彼らは裏通りにある薄暗い工房へと案内された。
そこでは、数人の職人たちが油と煤の匂いにまみれながら、巨大な木製のプレス機を動かしていた。
小さな鉛の『活字』を組み合わせて版を作り、それにインクを塗って、紙に強い力で押し付けている。
ガチャン、という鈍い音と共にプレス機が持ち上がると、真っ白な紙に何百という文字が、一瞬にして、そして完璧に刷り込まれていた。
グーテンベルクが発明し、ヨーロッパ全土へ普及し始めていた『活版印刷術』であった。
職人たちは、この技術を使って神の教えを記した聖書を大量生産していると誇らしげに語った。
だが、勝元がその光景を見て感じたのは、宗教的な感動などではなかった。
「……宗全殿。これが見えるか。このからくりは、とんでもない『兵器』ぞ」
勝元の背筋に、ゾクッとした冷たい悪寒が走った。
「これがあれば、幕府の掟や布告を、一瞬にして何千、何万という紙に刷り込み、全国の民草へ寸分違わず配ることができる」
「商いの帳簿や契約書も、偽造の隙を与えずに量産できるということじゃな……!」
宗全もまた、目の前のからくりが持つ『情報の複製と拡散』という恐るべき力に気付き、目を見開いた。
物理的な鉄砲など目ではない。
人の思考と社会の形そのものを一瞬で塗り替えてしまう、究極の内政兵器がここにあるのだ。
「おい、通訳!この工房の主人に伝えよ!このからくりと、鉛の字を作る職人を、そっくりそのまま我が船団で雇い上げると!」
勝元は目を血走らせ、圧倒的な熱量で命じた。
しかし、通訳から話を聞いた工房の親方は、血相を変えて首を横に振った。
「馬鹿なことを言うな!これは神の言葉を刻むための神聖な技術だ!異教徒になど、絶対に売り渡すものか!」
親方の強固な拒絶を聞き、勝元はフッと冷酷な商人の顔になった。
「……神聖な技術、か。ならば、その神の重さを量ってみようではないか」
勝元は背後に控える随員に顎でしゃくった。
ズンッ、と重たい音を立てて、工房の薄汚れた机の上に木箱が置かれた。
勝元が無造作に蓋を開けると、薄暗い工房の中に、暴力的なまでの黄金の輝きが満ち溢れた。
新大陸から持ち帰った、最高純度の純金と金貨の山である。
「な、なっ……!」
親方と職人たちは息を呑み、金貨の山から目を離せなくなった。
「異教徒だの神だのと言うが、この金貨に宗派の文字は刻まれておるか?金は金じゃ。お主らが一生、聖書を刷り続けても稼げぬ富がここにある」
勝元は親方の肩にポンと手を置き、悪魔のように囁いた。
「さあ、選べ。神への忠誠を抱いてここで煤にまみれて死ぬか、我らと共に富と名誉を手に入れるかじゃ」
親方は震える手で金貨の山に触れ、やがて力なく膝をついた。
「……プレス機は、解体すれば船に積めます。鉛の活字は、道中で新しく鋳造しましょう……」
「契約成立じゃ!さっさと荷をまとめよ!この国にあるありったけの紙とインクも買い占めていくぞ!」
数日後、日本艦隊の巨大な船倉には、ヨーロッパの知識と情報の根幹を成す『活版印刷機』と、それに魅了された職人たちが厳重に積み込まれていた。
日本の歴史を劇的に加速させる「情報革命の種」が、太平洋を逆横断して極東へと運ばれていくのであった。
***
「……くそっ!あのからくり、何としても我が国の文字で作らせねばならん!」
帰路の船内で、勝元は職人たちに日本の文字(ひらがなと漢字)の形を教え込み、木を削って活字の試作を命じながら、狂ったように熱中していた。
暴力ではなく『情報』で国を統べるという、近代国家の扉を自らの手でこじ開ける喜びに、歴戦の猛将はすっかり憑りつかれていたのである。




