第140話:無血の殲滅戦 〜南蛮諸国の恐怖と、策士の執念〜
天竺西海岸、古里。
かつて「黄金の国」と謳われたその地は、今や異臭と絶望が渦巻く巨大な墓標と化していた。
「……麦をくれ! 頼む、この黄金の杯と交換でいい! ほんの少しの麦を!!」
泥にまみれた旧大陸の兵士が、港の片隅で干からびた声を上げている。
彼の手には見事な装飾が施された純金の杯が握られていたが、周囲の兵士たちは誰一人として見向きもしない。
彼らの命綱であったメディチ家からの秘密裏の兵糧支援は、マキャヴェッリの失踪を機に突如として完全に途絶えてしまったのだ。
「もう水すらないんだぞ! 黄金なんか食えるか!」
「おのれ、ヴェネツィアの海商どもめ! 奴らが兵糧を隠し持っているに違いない! 奪い取れ!!」
極限の飢えと渇きに狂った兵士たちは、もはや理性を失い、同じ連合軍の仲間同士で血みどろの殺し合いを始めていた。
港を埋め尽くす二千隻の船も、疫病と飢餓によって次々と無人の幽霊船と化していく。
ジパングは、大砲の火の雨を降らせることも、刃を交えることもなかった。
ただ「商船を近づけず、完全に無視する」という決定を下しただけで、二十万もの大軍勢は自重に耐えかね、内側から凄惨に崩壊していったのである。
***
「ジパングが指一本触れずに、我らが二十万の軍勢を殲滅させただと……!?」
西の果て、旧大陸の強国であるスペインの宮廷。 報告を受けた国王は、玉座から転げ落ちんばかりに震え上がった。
武力によって国を奪い、富を簒奪することこそが王の誉れであり、世界の真理だと信じてきた彼らにとって、この結末はあまりにも理解の範疇を超えていた。
「あの未曾有の大艦隊が……一滴の血も流させずに、ただ『干上がらされた』というのか!」
国王の脳裏に、恐るべき未来の図が浮かび上がる。
もし、このままジパングの不興を買い、スペインの港から彼らの商船が完全に姿を消したらどうなるか。 自国もまた、天竺で餓死していった二十万の兵士たちと同じ運命を辿るのではないか。
「へ、陛下! 国内の貴族や商人たちの中には、未だに天竺の奪還軍を支持し、ジパングを敵視する『反日派』が多数おりまする!」
側近の言葉に、国王は血走った目で立ち上がった。
「直ちに彼らを捕らえよ! ジパングに勘付かれる前に、一人残らず異端審問にかけて火あぶりにしろ!!」
「なっ……! し、しかし、彼らは由緒ある貴族で……」
「ええい、黙れ! 奴らの時代遅れの強欲が、我が国を滅ぼすところだったのだ! ジパングの商船が戻ってこなければ、我々は皆飢え死になのだぞ!!」
***
恐怖に駆られた手のひら返しは、スペインだけではなかった。
モスクワ大公国、ヴェネツィア共和国、そして日和見を決め込んでいた旧大陸のあらゆる国々が、一斉に自国内の「反日派」を徹底的に弾圧し始めたのである。
「我らは永遠に、偉大なるジパングの忠実なる友邦である!」
「ジパングの商い網こそが、我らに命の糧をもたらす光である!」
各国の為政者たちは、我先にとジパングへの絶対的な恭順を示す使者を放った。
かつて十字軍を気取り、日本を「異端の猿」と見下していた誇り高き旧大陸の国々。 彼らは今、剣や大砲よりも遥かに恐ろしい「経済」という見えない兵器の前に完全に屈服し、自らの手で同胞の首を差し出すまでに成り下がったのである。
***
同じ頃。
はるか東の巨大帝国、大明の巨大港町。
日本の産物で埋め尽くされた活気ある異国の市場を、ボロボロの南蛮商人の服に身を包んだ一人の男が歩いていた。
「……これが、ジパングの力」
深くフードを被ったその男――ニッコロ・マキャヴェッリは、市場に並ぶ極上の絹織物や、堺の職人が作った精巧なからくり時計を見つめながら、ギリッと奥歯を噛み締めた。
彼が扇動した二十万の軍勢は、見事に壊滅した。
祖国であるフィレンツェにも戻れず、彼は今、世界中から追われる孤独な逃亡者となっていた。
だが、その落ち窪んだ目には、未だに不気味な光が宿っていた。
『私は間違えていた。武力で海を塞ぐなどという旧時代的な発想では、奴らには一生勝てない』
マキャヴェッリは、巨大な商船から次々と荷が降ろされる様子を、穴のあくほど見つめた。
『ジパングの強さの根源は、あの圧倒的な『商いの繋がり』を生み出す、底知れぬ技術と、それを統制する国家の仕組みそのものにあるのだ』
彼は、懐に隠し持った手帳を強く握りしめた。
『……私はまだ諦めない。必ずや、あの国へ潜入し、奴らの力の源泉のすべてを解き明かしてみせる』
天才官僚の矜持は砕け散ったが、彼の中に燻る狂気のような探求心は、決して消えてはいなかった。
世界を包み込む日本の巨大な商い網。
その中心にある、謎に満ちた島国へ向けて、一人の策士の執念が静かに燃え上がっていた。
七章完結です。
次回更新は未定なので、一旦完結とさせて頂きます。
ご愛読、ありがとうございました。




