118-3 待ちかねた日
その日、フェルドは朝から落ち着かなくて、離宮中をそわそわと前の晩から歩き回っていた。
夜中に何か気配がすると思って寝室の外に出たら、奴が廊下を忙しなく歩いていった。
そうかと思ったら、またすぐに帰ってきて。
しばらく観察していたら五十往復くらいしていて、立ち止まると少し困ったような顔で俺を見ていた。
自分でも数えていたらしい。
「あのなあ」
何か吼えたいらしいが、夜中に吠えると他の人の迷惑になるので、それは気持ちごとゴックンと飲み下したようだ。
幸いにして、フェンリルは滅多に足音なんぞ立てたりはしないから館の住人の安眠妨害にはならずに済みそうだ。
そして、また奴はうろうろと歩き回っている。
五十往復するまで数えながら見守っている俺も俺だが。
まるで瑠衣が生まれる時の山本さんのような有様だが、俺の時はもっと酷いだろうと今から自覚がある。
理屈でなくわかる。
若い頃から自分が子煩悩な男なのは知っていたし。
そして、そういう奴に限って独身だった。
日本じゃよくある話だ。
少なくとも計算高い日本の女は、男が子煩悩かどうかだけで結婚相手を選ぶ事は絶対にない。
「俺って、世界一クラスの子煩悩」
そうでなかったら、こんなところで幼稚園の魔王園長などやってはいないのだからな。
そして冬眠に失敗した熊のようなフェンリルなんかも飼っていないのだろうから。
「フェルドなの?」
「ああ」
「男親も大変ねえ」
ガウンを羽織ったシルが目を擦りながら欠伸をこらえている。
「はっきり言って、俺もあいつを笑える自信が今からまったく無いよ」
奥さんは、眠そうにしながらも俺の背中に頭の先を付けながら声もなく笑ったが、その俺達の目の前を四足獣の『山本さん』が所在無げにうろうろと通り過ぎていった。
「さあ、あなた。
落ち着かない熊さんは放っておいて寝ましょ」
「そうだね」
俺はベッドで寝こけている愛娘を見ながら、奥さんの肩に手を置いてそっと寝室のドアを閉じたのであった。
翌日。
介添え役の侍女さん達に見守られながら、メルは可愛い混血の魔物の赤ちゃんを六匹産んだ。
生まれるところを俺も見ていたかったのだが、女共に父親のフェルド共々追い出されてしまった。
「旦那様。
男がいるとメルが落ち着きませぬが故、日本のパチンコ屋にでも行ってきなさいませ」
シェルミナさんが、そんな無体な事を言う。
いや、全長十メートルもあるフェンリルを連れて入れるパチンコ屋なんていうものは、如何にサービスのいい日本といえども存在しないんだがな。
パチンコ屋は入り口も中も広いから、裏ダンジョンの入り口とは違って物理的には入れるはずなのだが。
「どうするね」
俺はパパさんに聞いてみたが、彼は次の瞬間に首輪を操作して俺と一緒に異世界地球へ転移した。
すかさず滑り込んできたファルも一緒だ。
フェルドが転移した先、そこはドッグハウスだった。
目の前には可愛らしいチワワの長老とポメラニアンのオババ様がいた。
傍には若犬のグレートデンがゆったりと控えている。
「長老様。
今、うちのカミサンが出産中なのですが追い出されてしまって」
しょんぼりとする巨大な犬神様が、小さな長老チワワの前でこぼした。
「ほっほっほっ。
まあ、そういう事もありますのう。
ですが、人間に飼われておれば避妊手術をされて子供が出来なくされてしまう場合とてあるのです。
まあ、そこにいる魔王様は、そんな無粋な真似はなされないのでしょうけれども。
そんな事をしたら、彼が大好きな可愛いもふもふな赤ちゃんが生まれてこなくなってしまいますからなあ」
ファルが自動翻訳機として通訳してくれているので、その犬が何を言っているのか俺にもわかる。
うわ、ドッグハウスの長老チワワにまで見透かされている俺のケモナーな性癖!
まあ特に否定はせんがな。
「ふう。
その幸せはわかっているつもりなのですがねえ。
なんとも落ち着かないものです」
そして落ち着かなくて、その場でまたうろうろしだすフェルド。
それを見てドッグハウスの犬達も楽しげに見ていた。
みんな、『犬神様二世』の誕生を楽しみにしているのであった。
だが、あまり関係ないくせにドタバタする奴というのはいるものだ。
「ただいまー!
ねえ、沖田ちゃんいる~?
もうメルの赤ちゃんは生まれちゃったかな~」
「お帰り、ジョゼ」
「あら、園長先生。
っていうか、フェルドパパもいたのね」
「クオーン」
そう寂しそうに鳴いて、ジョゼに鼻面を寄せるフェルド。
「あらあら。
もしかして追い出されちゃった?」
「ああ、出産の邪魔だってさ」
「うちのパパも私が生まれた時は、待望の女の子の誕生に騒ぎ過ぎて産室から追い出されたらしくて。
今でもその話はママの十八番よ」
そう言ってコロコロと笑うジョゼ。
世界一の名家の主のくせに、最愛の奥さん絡みの話だと案外と残念な感じのジョゼパパ。
しかし、その事を絶対に笑えない俺とフェルドだった。
その時、俺のスマホが鳴った。
シルからだ。
「あなた。
生まれましたよー。
いらしてくださいな」
「えー、どんな子なの~」
ジョゼも食いついてきたし、フェルドがグイグイと鼻面で押してくる。
電話口でメルが軽く鳴いて、小さな子供達の泣き声も聞こえてきた。
フェルドはジョゼをそっと咥えてポイっと背中に乗せると、ファルを抱いた俺を鼻面で押しながら異世界転移していった。
ドッグハウスの犬達に生暖かく見送られながら。
別れ際にこんな会話をファルの能力が通訳してくれた。
「楽しみですわねえ、長老」
「ああ、本当になあ」
「ええ、早く犬神二世様に遊びに来ていただけると嬉しいです」
視界いっぱいを、千切れんばかりに振られたアキレスの尻尾が占めている中を、俺達は離宮へと戻っていった。




