第108章 魔法番長・織原 108-1 夢に見た日々
それは傍から見れば、素晴らしい朝と言えない事もないだろう。
「先輩、おはよう」
「おはよう、先輩」
「織原先輩、チース」
可愛い女の子達が、入れ替わり立ち代りで朝の挨拶をしてくれる。
なかなか悪くない光景と言えなくもない。
こんな朝は、ずっと夢に見ていたんだ。
あのベルンシュタイン帝国で残虐な扱われ方をしていた最中にだって。
きっと日本に帰るんだと固く心に決めていた。
あの日常の光の中へ、この学校に帰ってくるのだと心に固く誓っていたのだ。
だが、隣を歩いている俺の彼女はそんな風景に脇腹を抓るどころか、くすくすと笑いを堪えているだけだ。
こいつも連中から見たら先輩なのであるが。
いや、今の俺の立場から見ても。
「お前ら、いい加減にしろ~。
俺は先輩じゃなくって、お前らの同級生だ~」
「きゃあ、織原先輩が怒った~」
「あははは、おっさんが怒った~」
俺を揶揄っていた何人かの同級生の女の子達が、笑いさざめきながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
みんな、ついこの前まで中学生だった子供なのだから、受験を無事に突破し晴れて進学して心も弾けている時期に、こんな風に子供っぽい真似をするのは無理も無いのだが。
くそう。俺はあいつらにとって、いいツマミっていう事だよな。
「あはは。
よかったね、先輩。
モテモテじゃないの!」
「うるせえ。
遥だってもう二年生なんだから『先輩』だろうが」
そう、去年は僅かな期間だけ同級生だったこいつは、今年は晴れて俺の先輩になったのだ。
同級生として同じクラスにいた御蔭で、今こいつと付き合えている訳なのだが。
ああ、俺にあの魔王が持っているような治外法権でもあればなあ。
強権発動で強引に二年生に上がったというのに。
言うだけ虚しいがな。
少なくともこの俺にとり、彼女と一緒に修学旅行に行くという憧れのシチュエーションは永遠に失われた。
「その通りよ~。
この一年坊主ー、先輩をもっと敬いなさい。
来年度は成人式だったっけ」
「あ、ああ。
そうだった。
あれ、その次の年だったかな。
はあ、同級生達と成人式会場で顔を合わせたくねえなあ」
「あははは。
よくある話だねえ」
考えただけで頭が痛くなるわ。
少なくとも、一人だけブレザーで成人式に参加する羞恥プレーは絶対にしないぞ。
その件に関しては今から考えても埒が明かないので、俺は考えるのをやめた。
出来れば、復帰した高校生活でこれから迎えるだろう『性人式』の方に、その思考力はとっておこう。
今の所、それはまだ妄想の域を出ていない。
だが俺達カップルは、もう双方共に法的に結婚出来る年齢に達しているのだ。
機会はそのうちに、きっとあるさ。
と日記には書いておこう。
「じゃあ、勇人君。
また御昼にね~」
あ、と思って名残惜しそうに送った俺の視線は置き去りにして、遥は二年生用の下駄箱の方へ行ってしまった。
この学校は未だに靴箱ではなく下駄箱と称している。
思いっきり田舎だもんなあ。
俺も靴を上履き履きに替えてからボーっと突っ立って、またもや名残惜しげに遥を見送っていると、いきなり誰かが目の前に立ち俺の視界を塞いだ。
それは、むさくるしそうな男子生徒三人組だ。
だらしなく制服をはだけ、悪そうな、ついでに頭も悪そうな顔をこっちに向けている。
「どけよ、彼女の後ろ姿が見えないじゃないか!」
「ほお『おっさん』、中々色男やないけ。
だけんどもちょっと、わしらの挨拶を聞いてもらおやないか」
何か怪しい喋り方をするヤンキー風の三人組が立ち塞がっている。
なんだ、こいつらは。
そして『おっさん』だと。
この十八歳の俺が、あの五十代魔王園長と同じ扱いなんだと⁉
そりゃあ、もうすぐ十九歳になるんだけどさ!
俺の同級生達は、俺を置き去りにして晴れて卒業していったのだ。
ちょっとでも連中と同じ学校生活を送れたので、まあよしとしよう。
それだけを夢見て、あの帝国での監禁地獄を廃人同様の有様となっても生き抜いてきたんだからな。
異世界で凄まじく頑張った甲斐はあったぜ。
特に終盤の王国騎士団の訓練とかな。
しかし、あの糞忌々しいケモミミ園児どもからさえ、おっさん呼ばわりされた事など一度もないというのに。
西田遥の後姿を見送るのを邪魔されたのと、先ほどの成人式の話題と相まって、少々俺もブチ切れた。
「スタン」
俺も腕輪に秘められた魔法を遠慮なく解き放った。
その馬鹿どもは、一瞬にして糸が切れたように床に崩れ落ちた。
あの魔王はこう言った。
「いいか、織原。
地球でおかしな動きもあるから、お前にも魔法の腕輪は持たせたままにしておく。
お前も元々魔力は大量に持っているから、時折こっちに転移すればMPの補充には困らないだろう。
一応、オリハルコン製の超大型サイズ魔力バッテリーも持たせておこう。
なるべくなら非殺傷の魔法から使えよ」
いけねえ、ついカッとなってあの魔王みたいに暴れちまった。
魔法なんていう厄介な代物は、日本での平和な生活においては本当なら要らない物なんだからな。
実を言うと、俺も魔力はかなり多いらしい。
向こうの世界で試しに海の真ん中へ連れていってもらって、フレアを最大威力でぶっ放してみたら核兵器の爆発かと思うような巨大な火球が生まれてビビった。
あれは確かに「きのこ雲」だった。
あれを食らっては、たとえドラゴンといえども無事には済むまい。
気を付けないと、ぶっ放したこっちまで吹き飛んでしまいそうな威力なのだし。
まるで米軍が開発していた、最大射程距離に撃ち込んで爆発させると自分も一緒に吹き飛んでしまう『核バズーカ』のように危険な代物だ。
こいつは決して人前では使わないようにしようと心に決めたのだった。
何気に俺も魔王となるのに相応しい才能があるのかもしれない。
全然嬉しくはないのだが。
この四月から新任で入った教師で、やたらと俺を監視している奴がいるのだ。
多分、政府筋の人間だろう。
あまり暴れると学校にいられなくなってしまうかもしれない。
自粛、自粛。
俺は、見事に俯せになって両手をダラリと後ろに延ばしたまま膝をつき、尻を突き出した間抜けな格好で舌を出して転がっている御馬鹿三人組にチラっと視線を這わせると、そのまま足早で駆け抜けた。
今日も楽しい学校生活が始まるのだ。
あの異世界の地獄の中で憧れまくった、平穏で退屈な、それでいて愛おしい日々が。
だが、そんな俺の想いを打ち砕くかのように、授業中に遠慮なくこんな指名がかかった。
「よし、次は先輩、お前だ」
教室に軽い笑いが響く。
今は数学の授業中だ。
俺は若干怒気を込めて言い返した。
「先生、俺には織原勇人という立派な名前があるのですが?」
「まあ、いいじゃないか。
みんな、そう呼ぶんだし。
しかし勿体無いな、織原。
お前は本当に頭が良かったのに。
あと少しだけ出席日数さえあれば二年生に上がれたかもしれないのになあ」
やれやれ。
この教師は俺の一年の時の担任だった先生で、俺も別に嫌いじゃない。
そういう事情で、彼はこの俺のいるクラスを担当してくれているのだ。
四十歳という父親のような年齢で、若干頭の方が寂しくなりつつあるのだが、フレンドリーなタイプなので生徒達にもよく慕われている。
だから授業中にもこんな軽口を叩いたりしてくれる。
俺が年下の集団の中で孤立しないように気を使ってくれているんだろう。
何しろ、俺は極めて特殊なケースだからな。
伊達に特殊失踪者だなんて呼ばれてはいないのだから。
へたな不登校児なんかよりも数倍性質が悪い。
俺は本来なら精神を病んで、日本へ帰ってから精神科に入院したまま一生出られなくなっていたとしても、まったくおかしくないほどの酷い目に遭ってきたのだ。
だがあの物騒な異世界で、あんなにも暢気に暮らしている人達と一緒にいたり、あれだけの異常な経験を次々と積まされたのでは、そんな柔な事は言っていられないのだ。
あの激烈極まる王国騎士団で訓練させられたのも精神的に大きいのかもしれない。
そもそも、悩むのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
特にのんびりしまくっている山本さんとかを見ているとね。
あの人の在り様は、あの世界にあっては却って異常に映る。
きっと何か特殊な加護みたいな物があるのだろうなあ。
そして、俺が異世界で毎日拷問されるような日々を送っていた事も学校サイドは把握している。
だからあれこれと配慮みたいな事をしてくれたりもするのだ。
それは、あの魔王からの余計な気配りだ。
あのおっさんから見たら、俺も『子供』のカテゴリーに入れられているようだ。
なにしろ三十七歳も年上なのだから無理も無い話なのだが。
俺なんか限りなく孫に近い感覚なんだと思う。
あの人って、俺の爺さんより十一歳下なだけなんだぜ。
だから俺が学校へ復帰早々に早速彼女を作ったのには先生方も呆れたらしいが、いい傾向だと思って教師陣は生暖かく見守ってくれているらしい。
俺にとって将来は教師になる選択も悪くないな。
将来の進学する大学の選択肢にも加味しておこう。
家の仕事を継がないといけないような気もするんだけどな。
会社の社長も悪くないと思っている。
俺には充分にその能力はあるつもりだ。
そんな、ある意味で温かい授業を終え、御楽しみの昼休みの時間になった。
「勇人君、一緒に食べよう~」
遥が俺の分の弁当も作って一年の教室まで来てくれているのだ。
まるで夢のような生活だ。
あの頃、ベルンシュタインでは。
いや、もう思い出すのは止めよう。
あれはもう俺にとっては過去の物語なのだから。
今の皇帝はあの園長の舎弟で、おまけに結構人柄もいいから、俺はあの帝国からはもう絶対に苛められたりはしないのだ。
むしろ、アルバトロスの王国騎士団あたりが危ない!
「ねえ。
もう異世界の事っていうか、勇人君の事を苛めていた奴らの事は忘れようよ。
あの園長先生みたいな人もいるんだよ。
あの人が助けてくれなかったら、勇人君の首なんかとっくに飛んでいるんだからね?」
俺は思わず苦笑いせずにはいられない。
女って、何で男の考えている事がわかるのだろう。
まだ体を合わせたわけでもあるまいに。
確かにそうなんだけど、異世界ではあの人に一番苛められていたような気がするのだが。
ただ、ああやって鍛えられてダンジョンへ行っていなければ、あのロックされていたダンジョンは解除出来なかっただろう。
そして日本へも帰れず絶望に押し潰されて、あの手酷い経験によるフラッシュバックに悩まされ続けて、精神の平衡も保てなかったかもしれない。
今頃こうして念願だった高校生活の続きを楽しんでいる事も出来なかったのだ。
それに関しては紛れも無く、あのおっさんに感謝している。
「そうだな。
どれ、今日のおかずはっと」
「ふっふう。
このカボチャの煮つけと、こっちの卵焼きは超自信作なんだよう。
まだまだ勇人君の腕には敵わないけどね」
俺は文字通り幸せの味を噛み締めながら、彼女と過ごすGWの予定を頭の中でシミュレートしていた。




