86-3 幸せ
やや気まずい間を漂わせながら、俺達は喫茶店で対面していた。
『稀人風茶店』という触れ込みで、このスタイルが各国に流行しつつあるのだ。
残念ながらコーヒーは俺が持ち込んだ『カップに一式入ったアレ』しかないんだけどね。
インスタントの奴とドリップのと二種類あるけど。
ドリップの方はモカとキリマンジャロがあるな。
俺はモカが好みなのだが、この世界の人達も同様の御意見であったようだ。
コーヒー豆も、またどこかで探さないとなあ。
たぶん、この世界の何処かにはありそうだ。
案外と異空間なんかにコーヒー・ドライアドがいたりして。
はあ、今はそれどころではないのだけれど。
「まあ、そう困った顔をなさらないで。
あなた様の人となりは存じ上げておるつもりです。
今日、あのレミが幸せに暮らしていられるのはあなたの御陰であると、国の父もよくわかっておるのです。
運が悪ければ、レミも今頃は消息が我らの耳に届くまでもなく土に返っておったやもしれません。
ですが、あの父も妹の事は大層気に病んでおりまして。
父もそれなりに高齢で、そのうちには兄に在位を譲ろうとしているところでしてね。
歳を経てから思う事も多々あったようで。
どうして、あのような結末になったのかと悔やむ事頻りでして。
まあ、色々とね。
なんといいますか、まあその。
やはり親子ですから」
「そうですか」
俺はポツリとそう一言を返すだけだった。
このレミの叔父という人と実際に会ってみてわかった。
理屈抜きでわかった。
悪い人達ではないのだろう。
俺にはわかる。
それが悲しいほどに。
競馬の結果の話ではないのだが、俺はそういう人間なのだ。
あの子を国に帰せば、故郷の国で血の繋がった人達と一緒に御姫様暮らしが待っているんだろうな。
ちょっと心にぽっかりと穴が開いたような、そんなような苦しいような空虚なような、そんな気持ちだった。
テーブルの上に揺らめくコーヒーの湯気のように、地球から持ってきて今日まで駆け抜け続けてきた心までもが揺らいでいくようだ。
それを感じ取り、またそれを慮るかのように、彼は穏やかに俺を気遣うかのように語ってくれた。
「私どもも、あの子の幸せを願っております。
影からそっと見ておりましたが、本当に幸せそうだった。
その幸せを無理に引き剥がしたいと思ってはおりませぬ。
しかして、肉親の情もまたわかっていただきたい。
そういうお話なのです」
そうなんだろうな。
それが家族っていうもんなんだ。
「わかりました。
具体的には、どのような事になっていますか?」
俺はコーヒーを胃袋にただ流し込むような感じで尋ねた。
あの子の幸せを考えたら、どのような結末がいいんだろうな。
「父はあの子を引き取りたいと。
しかし、私としてはそれもどうかと思っているのです。
他にも国の事情でどうこうと言う向きもおりますので。
園長先生、それでも私は貴方の味方でありたいと思っております。
エレーミアも、あの子もきっとそう願っておりますでしょうから」
エレーミア。
それが、あの子の母親の名前か。
うん、名前の中にちゃんとレミが入っているよな。
「私は、あの子の思う通りにしてあげたかった。
ですが、私にも王子、しかも国の諜報活動を担う立場というものもありました。
結局は見殺しにするような形になってしまいました。
それは、あの子が出ていってしまった日以来、なんとも切なく心苦しく、この身の内に蟠っております。
レミ、あの子を見ていると幼い日の妹を思い出す。
いつも、あんな風に明るく笑ういい子でした」
アルンスト王子は、そうポツっポツっといった感じに、その胸の内を切なそうに話してくれた。
「あの子が一番いいような形にしてあげたいと思います」
俺もポツリっと放心するかのようにそう言って、短い会合は終わりを告げた。
店を出てからも、俺はただ空を見上げて突っ立っていた。
おかしいな、今日はこんな天気がいいのになあ。
まるで土砂降りの雨が降っているみたいだ。
俺は滝のように流れ落ちる涙をどうする事もできずに、ただただ嗚咽を堪えていた。
これから、どうしたらいいのだろうか。
この世界へ初めてやってきた日よりも、もっと心細いような、死んだ母親に傍にいてほしいような、そんなどうしようもないような気持ちで俺はアル・グランド王国へ跳んでいた。
「園長先生、そんなところにいらっしゃらずに、入っておいでなさいな」
ヘレンは引き戸を開けて暖簾を片手で押し上げると、彼女の店の前でただ立ち尽くしている俺に向かって暖かい笑顔でそう言ってくれた。
「あ、ああ。
済まない」
「いいえ、園長先生ならいつでも大歓迎よ」
ヘレンはにっこりと笑って、まだ涙の乾かぬ俺の手を取って店に招き入れてくれた。
彼女は俺をカウンターに座らせると小鉢を出してくれて、日本酒の冷やを、なんでもないような日本なら普通に家庭にあるようなコップに注いでくれた。
それは元の世界での生活を懐かしく思って、俺が自分で作った代物なんだった。
「ごめんなさいね、取り急ぎだからお冷で」
「いや、いきなり来てしまってすまない」
「いーえ、大丈夫よ。
気にしないでちょうだい。
良かったら燗をつけましょうか」
「あ、うん。
頼むよ」
俺はコップ酒をやりながら、ぼんやりと小鉢を突いていた。
しばしの間、敢えて齎される沈黙が、今の俺にはむしろ心地よかった。
「アルスがね」
ヘレンが燗をつけながら、何事もないような感じで唐突に話しかけてくる。
それは自然体で俺の心に染み込んできた。
「あの子が王様になって国へ帰る時に、『ああ、これで私の役割は終わったんだな』って思ったのよ。
でもね、そう思った時に涙が止まらなくなっちゃって。
私はハイエルフみたいなものだから子供は作れなくて。
だから本当の子供はいないんだけれども、親ってこういうものなんだろうなって思ったわ」
そうか、もしかしたらシルから俺が来るかもと電話があったのかな。
さすが奥さんはよくわかっているなあ。
「きっと何もかもよくなるわ。
だって誰も不幸な結末なんて望んではいないのだもの」
ヘレンは、いつもの特製飛龍頭を出してくれて、俺はそれを突きながら聞いてみた。
「ヘレン。
今、幸せかい?」
「ええ、とっても」
俺は早めにヘレンの店を御暇して家に戻った。
なんとなく歩きたい気持ちで、離宮から少し離れた場所へ転移した。
「お帰りなさい」
短いが心の篭った言葉で出迎えてくれた奥さんが、離宮の玄関口で待ってくれていた。
思わず何も言わずに彼女を抱き締めてしまった。
それから一緒におチビの顔を見にいって、その幸せそうにしている寝顔を見て思った。
「この子の一番いいようにしてやろう」
「ええ」




