150-2 迷い込んだ世界
「醍醐! あんたねえ」
宮崎愛華は怒って、自分を突き飛ばした彼に対して罵声を浴びせた。
だが霧の中から応えはない。
「醍醐?」
次第に彼の事が心配になってきたものか、宮崎愛華は痛みを堪えながら起き上がり、肘と膝に出来た軽い傷を押さえながら彼女は不安そうにその霧を見守った。
不思議な霧だ。
最初の頃は凄まじい勢いで囲まれてしまったのだが、今はまるで霧自身にその場へ留まる意思があるかのように滞り、ぴくりとも動かない。
その濃密さは、霧ではなくまるで何か別の物質のようにも見える。
「醍醐、そこにいるの?
あんた、大丈夫なの?」
何度も呼び掛けたが返事はない。
彼女は不安そうにそれを見守っていた。
次第に他の人も集まってきていた。
「ミヤちゃん、どうしたの。
怪我したの?
大丈夫?」
「あ、うん。
ありがとう、麗佳。
傷は大した事ないよ。
ちょっと擦りむいただけ。
でも、あの中に醍醐が」
彼女も心配そうにそれを見つめているが、あれの中へ入る勇気はないのだ。
それは、それ自身が何か禍々しい物であるかのような、また威嚇するような、そんな雰囲気というか粒子を周囲に放っているようだった。
人には、そういう気配が紛れもなく通じるものなのだから。
「え? あいつが?
霧の中から出てこないの?」
「うん。
あいつ、何か物凄く慌てていたのよね。
それに、この霧は何か様子がおかしいし」
そう言いながらも、彼女宮崎愛華はその霧から目を離せない。
「うん、おかしいよね。
何でこんなところに濃霧が発生して居座っているのかしら。
ありえないよ、山の中じゃないんだから。
しかも、何この濃さ。
とても普通の霧には見えないんだけど。
まるでミルクじゃないの。
あたし、親と一緒によく山へ行くけど、こんな物は見た事がないよ。
これ本当に霧なの?
ここには霧の発生条件がまったく存在しないよ」
それは辺りを包んでいたが、なかなか晴れていかない。
「ねえ、ミヤちゃん。
先生、呼んでこようか」
「うーん、警備の人の方がいいかも」
そう言いながらも彼女はその場を動かない。
まるで自分はこの顛末を見届けないといけないとでもいうように。
友人も、そんな彼女の傍についていて、同じく不安そうな表情で互いに手を握り合っていた。
だが十五分は経った頃だろうか。
徐々に霧は晴れてきた。
やがて急激に薄れた霧の中の様子が見えた時、複数の悲鳴が上がった。
もちろん、その内の一つは彼女宮崎愛華のものだった。
そこは、まるで爆弾でも落ちたかのような大惨事だったのだ。
そう、それは爆発というよりも、むしろ何か巨大な刃物で抉り取られたかのような。
まるで巨人が鋭い刃を持った巨大なアイスクリームサーバーで、道を挟む鉄筋コンクリート製の校舎ごと丸々削り取ったかのような、直径三十メートルにも及ぶ凄惨な、彼女には直視出来ないような厳しい現実だったのだ。
その鋭利過ぎる滑らかな抉り口は、見る者の脳裏に有り得ない存在としての恐怖を植え付ける。
まるで空間ごと削り取ったかのようだ。
両側に削られた校舎があったため、円状ではなく球状に削り取られているのがはっきりとわかる。
「あ、あたし。
もし、あの中にいたら。
だ、醍醐が咄嗟に助けてくれたの。
なんでか知らないけど、あいつは霧の中にいたらこうなる事を知っていたみたい。
でも、でもそのせいで、あいつが……」
泣きじゃくる山崎愛華を緑山麗佳は抱え、もう片方の手で頭を撫で摩った。
「大丈夫。
大丈夫だよ、ミヤちゃん。
あいつなら、きっと大丈夫」
そう慰めの言葉を口にしながらも、目の前の惨状を目の当たりにして、そういう彼女自身もとてもそうは思えないのであったが。
相川醍醐と山崎愛華の共通の友人である緑山麗佳も、思わず俯かずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆
ふっと目を覚ましたら、そこは小山のような場所の上だった。
いや違う。
地面とコンクリートの建物で出来た瓦礫の山のようだ。
上面が斜めに傾いた、それの上を滑り落ちて、たまたま大きなコンクリートの破片に引っかかっていたのだ。
慌てて体の具合を確かめたのだが、特に怪我はしていなかった。
端の方にいたので、コンクリ塊が無ければ数メートル下の地面に落ち大きな怪我をしていたかもしれない。
いや打ち所が悪ければ、それで御陀仏になっていたかもしれないほど酷い状況だった。。
だが目に入った、そのコンクリートの断面が、まるで何か鋭利な刃物で抉り取られたように滑らかな断面になっているのに気が付いて思わずゾッとした。
「もう少しで俺もこうだったのか?
ふう。
あ、ミヤちゃん。
彼女はどうなったかな」
俺は慌てて見渡したが、そこには元は校舎の一部であったと思しきコンクリートの破片達と、通路の地面だったものだろう、ずぐずぐになった土の山があるだけだった。
スマホを見たが見事に圏外だった。
そして周りの風景に目をやれば、そこはなんと荒野のど真ん中だった。
いわゆる砂漠と呼ばれる地形だ。
なんというか、砂だらけの砂丘ではない。
見渡す限り、デザートと呼ばれるような不毛な荒れ地のようだった。
ここは岩くれさえも、あまり見当たらない場所のようだ。
飲み水を提供してくれそうな川なども見えない。
特に草地も見当たらないので、付近に水源が無いのかもしれない。
こんな地形で行動の仕方を間違えると、あっさりと渇き死にする運命が待っている。
周りに民家はなさそうだ。
少し心細かったが、今はそれどころではないのだ。
「ミヤちゃん、ミヤちゃん」
呼んだが返事はない。
彼女が瓦礫の下で生き埋めになっている可能性もあったので、よく調べる事にした。
「おっとっと、落ちないように気を付けてっと」
おっかなびっくりで、斜めになった瓦礫の山の天面を這いずりながら探したが、この瓦礫の上に彼女はいなそうだ。
少し土を除けつつ、丹念に声掛けしていく。
やはり返答はない。
「降りてみるか」
またしても、蛙のような無様な格好で這いずりながら少しずつ降りていく。
人に見せられないくらいには十分にみっともない格好だ。
まあ、ここは安全第一という事で!
「ふう、なんとか無事に地面に降りられた。
さて。
ミヤちゃん、ミヤちゃーん」
しばらく探し回ったが、彼女はいないようだった。
だが彼女が生き埋めになっていない保証はなかった。
仕方がないので再びサイコメトリをマニュアルモードで使用した。
こいつは大学にいた好事家の教授が、単位を盾にして劣等生どもを無理やり超能力実験に付き合わせた時に、何故だか知らないが俺は人一倍強力に使えるようになったものだ。
アメリカの大学でもそういう胡散臭い話はあったという。
世界中どこへ行っても、こういう事を考える奇天烈な人はいるっていう事だな。
どうやら俺には、人並み外れたサイコメトリの適性があったものらしい。
いや、一際単位に自信が無かっただけなのかもしれない。
御蔭で教授は大歓喜していて俺は重用されたのだが。
結構いいデータが取れたらしい。
残念な事に日本の学界からは相手にされなかったらしいが。
これも普段は特に役に立たない物なのだが、こういう非常時には役に立つ物なのかもしれない。
最初に霧に触れた時は、それが危険な物だったので能力が自動で起動したのだが、こいつは意図的に起動する事が出来る代物だ。
俺は、その瓦礫の山に手を触れて確認した。
現在の時間をゼロタイムとして過去に含め、現在以前の過去を視るというやり方だ。
これが正規の手段なのかどうか知らんが、俺にはそれが出来る。
あの霧の中で理解した数秒後の未来も、別に未来視をした訳ではない。
そんな事は、少なくとも今の俺には出来ない。
あの霧が持つ記憶とか知識というと、少しおかしな表現だが、そういう情報から理解した未来なのだ。
PKとかESPのような分類の大まかな系統の中に在る能力は互いに繋がっている物だから、やろうと思えば未来視もやれるのかもしれないが、ESPは一種のユニークスキルのような物なので、特に精神力が物を言うESPにおいて基本的な能力は己の在り方などから、どういう方向に強く能力を使用出来るか自然に適性が決まっているんだと思う。
俺はどんなに力を入れて頑張っても机の角に叩きつけてもスプーン曲げが出来ないほどPK特性が皆無な人間だし、同じ系統であるはずの他のESPもまったく使えない。
故に強く適性のあったサイコメトリが強力に使えるのだろう。
いわゆる一芸に秀でるという奴だな。
視えた。
この中に彼女はいない。
彼女は、無事にセーフティゾーンへ辿り着いたのだ。
この瓦礫が見ていた記憶というか、瓦礫を構成する地面の部分が、駆け抜けた彼女の踏み締めた足跡をすべて記録しているのだ。
幸いな事に、それは途中で途切れており、再度侵入した痕跡は認められなかった。
瓦礫全体の記憶を見たので間違いないだろう。
喜ばしい事に、俺の現在優先順位一番であった懸念は払拭された。
「やれやれ。
そうなると、あとはこっちの身の振り方を考えないといかんな」
現在の俺が持っている装備。
今日は十一月十八日で、少し冷え込んだのでコートを着込んでいる。
下は厚手のジーンズで、上はトレーナーとセーター。
足元はデザイン重視のトレッキングシューズなので、ここを歩くには向いているかもしれない。
まだ新品同様なので、しばらくの間は持つだろう。
問題は飲食物だ。
水が深刻だな。
五百CCのペットボトルに入った飲みかけの水が一本、そしてその残りは半分以下。
心理テストでは、ここで楽観的か悲観的か分かれる部分なのだが、俺的には「あってよかった」っていう感じかな。
根は楽天家なんでな。
そうでなかったら、モブな俺があの超美人のミヤちゃんを口説かないぜ。
他には、ちょっと昼休みに買い過ぎて残した、構内のコンビニで購入したオニギリが一つ。
おやつのチョコレートが一箱に、そしてポケットにあった開封済みのガムが残り四枚。
それだけだ。
うーん。この近くに街はあるのか?
そもそも、ここに人間はいるのだろうか。
さすがに楽天家の俺も、少し途方にくれるような絶望的な状況だった。




