二話
日曜日の朝九時。
約束通り街の平原に現れた『剛腕のダグラス』率は、自慢のオーク精鋭部隊を展開していた。
ダグラスの表情は晴れやかだった。昨日の土曜日、予定通り一切の邪魔が入ることなく至高の燻製チーズを完成させることができたからだ。
「フハハハ! 約束通り来てやったぞ勇者ハルト! 昨日は世話になったな! おかげで最高のチーズが仕上がった!」
「それはよかった。では約束通り、本日は全力で貴様らを討伐させてもらう」
ハルトは聖剣を構え、隣に立つ男に視線を送った。
本日より勇者パーティに新しく加入した新メンバー——回復魔法の専門家、僧侶のルークである。
「ルーク、準備はいいか。前衛のガルドと俺に補助魔法を頼む」
「承知いたしました、ハルトさん」
清潔感のある白い法衣に身を包んだイケメン僧侶ルークは、爽やかな笑顔で頷いた。そして懐から銀縁の懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開けた。
「現在、午前九時五分。私の所定労働時間は十七時までとなっております。休憩一時間を除き、本日の実労働時間は七時間。十七時を1秒でも過ぎた場合、私は即座に魔法の発動を停止し、速やかに帰宅いたしますのでご了承ください」
ガルドが即座に首を絞める勢いで突っ込んだ。
「おい待てぇ!! 決戦の最中に時間来たからって帰る奴があるか! 命がかかってんだぞ!?」
「ガルドさん、労働基準法の精神をお忘れですか?」
ルークは真顔で眼鏡の位置を直した。
「命の危険があるからこそ、過重労働による集中力の低下は命取りになります。過去の統計によれば、事故や死亡トラブルの八割は超過勤務時間帯に発生しているのです。残業を前提とした戦闘計画など、プロとして失格ですよ」
「ぐ、ぐぬぬ……! 言ってることは正しい気がするのが腹立つ……!」
「素晴らしい心がけだ、ルーク」
ハルトが満足そうに頷く。
「我がパーティは完全定時退社主義だ。十七時までに討伐を完了させる。もし長引きそうなら、明日への『繰り越し』とする」
「戦闘を翌日に繰り越すな!!」
ガルドの叫びが響き渡る中、対峙していたダグラスがドッと汗を吹き出させた。
「な、なんだアイツらは……? 戦闘前に勤務時間の話をしているだと……!?」
ダグラスの後ろに控えていた副官のオークが、震える声で囁いた。
「隊長……あの僧侶の言っていること、めちゃくちゃ羨ましくないですか……? 俺たち、先月から休み無しで三週間連続で前線基地に泊まり込みですよ……」
「バカ者! 余計なことを言うな! 魔王軍に労働時間などという概念はない! 上からの命令は絶対だ!」
「でも隊長! 今回の街侵攻だって、上層部から『予算ゼロで今週中に成果を出せ』って言われて、俺たち食費すら自腹じゃないですか! 昨日の隊長の燻製チーズだって、部隊の貴重な食料になったんですよ!?」
「それを言うな!! 俺のチーズは趣味だ!!」
ダグラスは悲痛な叫びをあげた。
実は魔王軍内部は、過酷なノルマ、ゼロ手当の残業、休日返上が当たり前の「超ウルトラブラック組織」だったのだ。
ハルトはそのやり取りを聞き逃さなかった。
「……ダグラス。お前たちの惨状を聞いて黙っていられないな」
「黙ってろ! 敵に同情される筋合いはない!」
「お前たちは勘違いしている。魔王のために命を削り、無給で働き、休日すら奪われる……そんなものは忠誠心ではない。ただの搾取だ」
ハルトは聖剣を地面に突き立て、懐から一冊の分厚い本を取り出した。
「これを見ろ。『労働組合の作り方と団体交渉の手引き』だ」
「な、なんだその怪しい本は!?」
「お前たちが今やるべきなのは、俺たちとの戦闘ではない。魔王軍本部に対する『ストライキ』と『労働環境改善要求』だ!」
「ストライキ……!?」
ダグラスとオーク部隊に衝撃が走る。
「そうだ。お前たち前線部隊が全員で業務をストップし、休日手当の支給と適正なシフト配置を要求するんだ。労働者の権利を主張せずに、どうしてまともな悪の組織が運営できるというのか!」
オークたちがざわめき始めた。
「た、確かに……! 俺たち、残業手当なんて一魔石ももらってねえぞ……!」
「有休申請したら『死ねば永遠に休める』って上司に言われた……!」
「労組を作れば、週休二日制になるのか……!?」
「騙されるなみんなーっ!!」ダグラスが頭を抱えて叫ぶ。「俺たちは魔王軍だぞ!? 邪悪なる侵略者なんだぞ!? なんで勇者に労働組合立ち上げの指導を受けてるんだよ!!」
「ダグラス」
ハルトが真剣な目で言った。
「自家製燻製チーズをもっとゆっくり作る時間、欲しくないのか?」
「……ッ!!」
ダグラスの胸に、勇者の言葉が深く突き刺さった。
「欲しい……! スモークチップの香りを楽しみながら、ゆっくりワインを飲む休日が……欲しい……!!」
ダグラスは涙を拭うと、手にしていた大斧をドスンと地面に置いた。
「野郎ども!! これより本任務をストップし、魔王城前線労働組合を結成する!! 要求が通るまで、人類への侵攻は全面ストップだ!!」
「「「おーっ!!!!」」」
オークたちの歓声が平原に響き渡った。
呆然とするガルド、拍手を送るハルトとマリア、そして時計を確認するルーク。
「よし、ちょうど十二時ですね。昼休憩に入ります」
ルークが弁当箱を取り出した。
こうして、魔王軍の侵攻は「内部ストライキ」という前代未聞の事態によって、一時完全にストップしたのであった。




