一話
「おい勇者、大変だ! 魔王軍の精鋭部隊がこの街の門まで迫っているぞ!」
戦士ガルドが息を荒げてギルドの扉を叩き開けた。彼の顔は蒼白で、手にした大剣はガタガタと震えている。
「落ち着け、ガルド。大声を出すな」
ギルドの奥、窓際の席で書類に向き合っていた男——『光の勇者』ハルトは、視線すら上げずに静かに言った。
「落ち着いていられるか! 門の外にはあの『剛腕のダグラス』率いるオーク軍団が来てるんだぞ!? 今すぐ出撃しないと、この街は一晩で火の海だ!」
「ガルド」
ハルトはゆっくりと羽ペンを置くと、深くため息をついて手元の紙を掲げた。
「それよりも重大な問題が発生している。これを見ろ」
「あ? なんだその紙は……『月間労働スケジュール兼シフト管理表』……?」
「そうだ。今週の土曜日、俺のシフトとマリアのシフトが被っているんだ」
ガルドは一瞬、ハルトが何を言っているのか理解できなかった。
「……は?」
「土曜日の昼だ。俺とマリア、双方の予定欄に『週刊少年ジャンプ立ち読み(優先度:極高)』と記載されている。どちらかが譲らなければ、今週末の我がパーティの労働環境は著しく悪化する。最悪の場合、労働基準監督署に訴えられるレベルだ」
ガルドの血管がピキッと浮き出た。
「知るかーーーーーっ!!!!! なにが労働基準監督署だ! ここは異世界だぞ! 労基なんてねえよ!」
「だからこそだよ、ガルド」
ハルトは至って真面目な顔で、人差し指を立てた。
「法による保護がない世界だからこそ、我々労働者自身が労働環境を死守しなければならない。無制限の残業、休日出勤の常態化……そんなブラックな環境で世界を救ったとして、その先に待っているのは燃え尽き症候群だ。俺は定時で帰り、週休二日を確保し、有給休暇を全消化した上で魔王を倒す」
「お前本当に勇者か!? 聖剣選定の儀式で絶対に何か手違いがあっただろ!」
「失礼ね、ガルド」
ギルドのカウンターでパフェを食べていた魔法使いのマリアが、冷たい視線を送ってきた。
「ハルトの言う通りよ。今週のジャンプは、あの『魔法少女マジカル☆まもる』の連載100回記念号なの。表紙&巻頭カラーよ? 世界平和なんて明日でも守れるけど、初版の表紙を見る感動は『今』しかないの」
「お前もかマリア!! 魔法使いのくせに魔導書の解読よりジャンプの懸賞ハガキ書いてる時間の方が長いだろ!」
「失礼ね。懸賞ハガキを書くのは集中力と精神力を極限まで高めるトレーニングよ。立派な魔法修行の一環だわ」
「絶対違う!!」
ガルドが頭を抱えて叫んだその時、ギルドの大扉が爆音とともに吹き飛んだ。
ボカンッ!!!!
木くずと煙が充満する中から、身の丈3メートルを超える巨漢のオークが姿を現した。漆黒の鎧を身に纏い、身の丈ほどもあるバトルアックスを担いでいる。
「ハハハハ! 哀れな人間どもめ! この俺様こそが魔王軍激闘幹部の一角、剛腕のダグラス様だ! 本日、貴様らの街を粉砕し、血の海に変えてやるために……って、おい」
ダグラスは一歩踏み込んだものの、あまりにも冷ややかな視線を一斉に浴びて言葉を詰まらせた。
ハルト、マリア、そしてギルドのマスターまでもが、「せっかくの書類整理中に邪魔をするな」と言わんばかりの嫌悪感を露わにしていた。
「……なんだその目は」
「おい、豚」
ハルトが静かに立ち上がり、ダグラスに歩み寄る。
「豚だと!? 俺は剛腕のダグラスだと言っただろうが!」
「ダグラス、お前に聞く。今週の土曜日の予定は?」
「はあ? 予定?」
ダグラスは毒気を抜かれたように首を傾げた。
「土曜日は……非番だが? 家で自家製の燻製チーズを作ろうと思って、さくらのスモークチップを買ってある」
「よし、採用だ」
ハルトはすばやい手つきでシフト表に書き込みをすると、ダグラスの胸元にその紙を叩きつけた。
「土曜の12時から15時まで、街への侵攻作業を『保留』と規定する。要するに、その時間は誰も攻めてくるな。代わりに日曜日、俺たちが全力でお前の首を狩りに行く」
「はあああ!? なんで敵の俺がスケジュール調整に協力しなきゃいけないんだよ!」
「いいかダグラス」
ハルトはダグラスの巨大な肩をガシッと掴み、熱い眼差しで見つめ返した。
「お前にも『譲れない休日』があるはずだ。自家製燻製チーズの燻製作業中、もし勇者パーティが突然襲撃してきたらどうする? スモークの温度管理が狂い、せっかくのチーズが焦げて台無しになるぞ」
「……ッ!?」
ダグラスの顔色が変わった。
「な、なぜそれを……! そうなんだよ! 燻製は温度管理が命で、特に最初の1時間は目を離せないんだ! 去年も部下の報告書を読んでる間に焦がしちまって……!」
「だろう? 人間も魔族も、休日の尊さは同じだ。だからこの土曜昼の3時間、お前が軍を止めてくれれば、俺たちはジャンプを買いに行ける。お前は極上の燻製チーズを完成させられる。……完璧なウィンウィンの関係だ」
「うぐぐ……! 悔しいが……めちゃくちゃ理にかなっている……!」
巨漢のオークが、シフト表を握りしめながら感極まった表情を浮かべている。
ガルドは呆然と立ち尽くしていた。
(おい……魔王軍の幹部が、敵のシフト調整に完全に納得してるぞ……)
「決まりだな」
ハルトは満足そうに頷くと、ギルドのカウンターに向かって手を挙げた。
「マスター! ダグラスさんにアイスコーヒーひとつ! シフト調整協力費として経費で落としておいてくれ!」
「勝手に経費で落とすな! そして俺は敵だと言っているだろ!!」
こうして、世界の危機は「徹底されたシフト管理」によって、無事に日曜日以降へと延期されたのだった。




