1.
東京都 八王子市 中心部
その男は、オフィスビルが建ち並ぶ都心ではなく、あえて郊外の都市である八王子に、自らの仕事場を構えていた。というのも、自分の子供を、自然の近くで育てたいから、だという。なるほど、仕事場のあるビルこそ、JR八王子駅と京王線の京王八王子駅の両方にアクセスのいいところにあるが、その住居は高尾に構えている。
「おはよう」
「おはよー!」
「おはようございます」
「わんわん!」
「みゃお」
その男――川島遼は、親切にも程がある。僕、野島千春は、この仕事を紹介してくれた、高校時代の友人――瀬戸田海斗の家に居候しているが、八王子の隣の日野市にあるその家まで、毎朝迎えに来てくるのである。しかも、職場に、愛犬や愛猫を連れて来てもよいことになっている。その男は、僕たちを迎えに来たときに、友人の愛犬の狆、「ラン」と、僕の愛猫、ノルウェイジャンの「みい」をも、その車に乗せている。そしてその車には、いつもその男の愛猫である、ロシアンブルーの「レイナ」もいる。
「なーお」
ケージに入れられておとなしくしている「レイナ」は、すっかり僕たちのところの二匹と打ち解けていた。「みい」は僕が買った猫ではなく、前の飼い主が亡くなって譲り受けた子だが、最初はケージに入れられるのを嫌がっていた。「ケージに入れられる」イコール「動物病院に連れて行かれる」というのが身に染みついていたからのようだが、「ケージに入れられる」イコール「仲良くしている友達に会える」と認識するようになってからは、すんなりとそれに入ってくれるようになった。
「じゃ、発車しまーす」
「お願いします」
オフィスまでの道のりは、それほど長くない。それでも川島が僕たちを迎えに来てくれるのは、きっと僕たちの心配よりも、犬や猫の心配をしているという側面が大きいのかもしれない。
二十分ほどでオフィスに着くと、三人の従業員はいつも既に来ている。僕たちは、猫と犬の入ったケージを、それぞれ床に置いてそれを開き、彼らを自由にさせる。それから、二人はそれぞれのデスク、あるいは外回りに出るのだが、僕はすぐには着席せず、川島の横、彼のそれよりも一回り小さな机に着席している、一人の女の子に声を掛ける。
「おはよう、恵里菜」
「おはようございます、千春お兄ちゃん」
川島恵里菜――川島遼の一人娘。父親とは血の繋がりがなく、彼が特別養子縁組で乳児院から引き取ったという。いわゆる「赤ちゃんポスト」に入れられていた子で、実の両親は全く不明。父親は女性と結婚していたが、二年前にその妻と離婚し、以来彼女を男手一つで育てている。
「はい、今日のお弁当」
「ありがとう!」
そう、僕は前の仕事を生かして、出勤する日は彼女のために昼食を作ってあげているのである。父も料理はできるのだが、代表で仕事が忙しいので、僕が来てからは僕が代わってやっている。
少し、彼女のことを話しておこうと思う。
彼女は学年で言えば小学三年生だが、不登校で二年生の途中から学校には通っていない。彼女には発達の偏りがあり、それでクラスメイトからも、先生からもいじめられていたという。文系の科目はずば抜けてでき、父は不登校になってから、彼女の学習の進むままに教材を買い与えているが、算数は極端に苦手で、学校で学ぶスピードに追いつけず、時折父か僕が教えている。
運動もできず、話し方が年相応ではなく、さらに男の子を言い負かすようなこともあり、結局ダメだったという。「おとこおんな」、「勉強できるのにどんくさい」、先生からは「どの教科も満遍なくできたらもっといいのにね」、国語のテストで百点を取ると「頭が良くても友達ができない子は悪い子ね」、と、クラス全員の前で公然と言われた、等々。今は週に一度、午後二時間だけ、そのような子供向けに特別な教育をしてくれるというクラスに通っている。




