第1四半期「時間溶解アプリ『AKUBI』」
「なぜなら皆さんの一人一人が、かけがえのない存在なのですからね」
諸見戸実雄『就活生に贈る40の言葉』
木からリンゴがおちるのをみてニュートンが――あまりによく知られた逸話である。
木からリンゴがおちたとき、ベータは思索に熱中していた。なんとかの最終定理がどうだとか、ホニャララ予想がこうだとか。
気づけばリンゴはコンポートになっていた。知らぬまに何日もすぎていたのだ!
それで悟った。
――時間は、溶ける性質をもっている!
だれも異論を呈さなかった――なにしろ二時間の発表も、ゲームしながらきいてるとほんとうに五秒くらいにかんじられたのだ。
これならいままで四日は要した月までも、箱根や伊豆並みの体感時間で行けるだろう。
熱中、夢中、それがカギだった。
なにかにのめり込み、われを忘れているそのような状態は「ドップリ」とよばれ、そのドップリの熱量がつよければつよいほど、多くの時間が溶けることになる。多くの時間を溶かせるものほど、遠くの宇宙へ行くことができる。
暴動がおこった。
それは「溶解格差」だ。ドップリ上手ばかりが得をする。不正だ不平等だ。
しかたなくベータは、だれでもかんたんにドップリできるものとして、時間溶解アプリ「AKUBI」――Attoiumani KoUseikanmo Byu-nto Idou――をつくった。
起動すると、くだらなすぎも、おもしろすぎもしない、絶妙な動画やゲームなどがつぎつぎ表示されつづけ、ぼけっと見たり、スワイプしたりしてるまに、だれでも時間を溶かせてしまう。
平等性、それはこの宇宙でいちばんたいせつなもののひとつだ。
だれも傷つけず、だれにも驕らせないため、「AKUBI」以外での宇宙飛行は禁止される運びとなった。
それでも人類は水星へ金星へ、火星へ木星へ、土星へ、天王星へ、海王星へ、到ってきたのだ。
ところが――。
「――ところが、冥王星だけは未踏の地なのでございます。ですから、ぜひとも弊社が先陣を切り」
超一流IT商社先端産業コンサルティング小売卸売教育通信水産農産運輸製薬出版広告代理店民間団体家電量販店軍需産業メガバンク中央省庁メーカー、無限会社・ZAKUROでは、聴く価値のないプレゼンをすると部屋の外にワープさせられる。
気づけばカイトは小便小僧に力説していた。今回は中庭か!
とぼとぼ歩く。廊下を歩く。フレッシュな気持ちを維持するため、あるいは、運動不足解消のため、このビルは、つねにつくりが変わりつづける。
カイトはドアを開け、ドアを開け、ドアを開け、ドアを開けたところでダイクに出くわした。
とたんに表情があかるくなる。さっとレジュメはかくされる。
「よう、カイト」
かくされたものをダイクはひったくる。あっ、とカイト。
「なになに、冥王星到達の必要性について――」
読みあげられているその紙を、腕をのばして取りかえそうとする。
だが本気じゃない。
読んでほしくもある。
ダイクは途中から黙読にきりかえて、しまいまで目を通し終わってカイトの右肩をぽんとたたいた。
レジュメは返される。
「カイト」
ダイクはこちらの目を見ていった。
「お前の考えは……わからん。だが、気持ちならわかる、ような気がする。もう、これで何度目だ」
「四度目です」
ほんとうは五度目だったことにすぐ気がついた。このひとの前ではとっさに正解をいえないことが多い。
「最後まで話しきれたことは」
「……一度も」
「それがなによりのフィードバックだよ」
カイトの後ろに突如あらわれた黄金の扉をみながら、ダイクはいった。
「冥王星にこだわるのはやめろ。カイト。先輩としての……。いいや、お前の兄さんの、親友としての忠告だ」
そういわれるとなにもいえない。
「おれの話が信じられないのか?」
「いえ……」
「カイト。ベータはな、たしかに天才だったよ。それゆえに……。いいや、それにもかかわらず……傲慢なところもあった。侮辱しているわけじゃない。人間は、だれしもときどきは傲慢になるんだ。おれは何度も忠告したよ。危険な旅はやめておけ、と。あんな星に執着するのはやめろとね……。だがやつは、この太陽系に、未踏の惑星のあることがゆるせなかった」
そしていなくなった。
「たしかに、やつが無事でないとはいいきれない。もしかしたら、ほんとうにあっちまで行けてしまって、しかし帰れまではせず、そのまま居ついちまったのかもな。お前が信じたがっているように。だが……。いいじゃないか。そう考えてみるだけで。それでじゅうぶんなぐさめになるだろう」
カイトは、じぶんがぶすっとしているのがわかった。ダイクが苦笑しているからだ。
「死者であれ、生者であれ、べつのだれかに囚われるのは賢明な態度だとおもえないな。おれは……。カイト。人生はみじかいよ。それこそが、兄さんの理論からわれわれの得られるいちばんの気づきじゃないのかね」




