11ー1:信仰が揺らぐ時
ニウェンに案内された場所で野営を張った後、クロトールは皆のもとを離れ、近くの水辺へ足を運んだ。水を汲みにいくついでに、戦いで使った剣の手入れをしようと思ったのだ。
今回、手入れすべき剣は二本ある。自分の<誇り>と、怪我で休養中のイヴォから託された剣だ。
イヴォ——ノガタスとの戦いに敗れたあの青年は、本来の居場所には戻らず、黙ってこちらについて来た。彼とは、いずれじっくり話さなければならない。役立つ情報をいくつか知っていそうだし、本人も何か言いたいことがあるに違いない。
「作業は順調?」
水辺で剣を磨いている最中、暗がりから誰かが声をかけてきた。その幼い声の主は、先ほど仲間に加わったばかりのカイだった。彼はたまたま近くにあった倒木に腰かけると、剣を磨くクロトールの姿を興味深そうに見つめた。
「すごく手際がいいんだね。<永遠の夜明け>は、まさしく世慣れした人たちの集団なんだね」
「いや、がっかりさせてしまうかもしれないが、私は<永遠の夜明け>の一員ではないんだ」
カイの姿をちらりと見た後、クロトールは答えた。
「私はただの居候だ。エイレナたちとは偶然が重なった結果、一緒にいるだけさ」
すると、言葉を受けたカイが、驚きに両目を丸くした。その際、彼の元々大きな瞳に、松明の揺らめきが映りこんだ。
「そうなの? そう言う割には、すっかり打ち解けているように見えるけど」
これを聞いたクロトールは、思わず苦笑いした。今の言葉を素直に喜んでいいものか。黒魔術師と仲良しの審問官か。正直、悪い気分ではないが。
「確かに、首都にいた頃よりは上手くやれているかもな。自分でも驚いているくらいだ。たぶん、ここには私の嫌う陰謀めいたものがないからだろう。エイレナもその種のものは好まないようだしな」
文明社会で目にする陰謀や計略といったものは、<黒鉛の森林>では鳴りを潜める。代わりに存在するのは荒々しい駆け引き。力の純粋な押し合いだけだ。
そう、”力”だ。原始の影響が残る<黒鉛の森林>において、最も確かで絶対的なもの。それはルキウス・アルコニウス・ノガタスを捕えるのに必要不可欠な要素でもある。奴はドラゴンと森の戦士たちを伴って、要塞の中に隠れている。奴と戦って勝利するには、さらなる”力”が必要だ。
その時、考え事をしていたクロトールの目の前を、突然、光る何かが横切った。淡く丸い形をしたそれは、一見すると蛍のようだが、実際は砕けた霊魂の破片——すなわち死んだ森の神の成れの果てだった。数十の色調異なる魂が宙を漂い、水辺の周囲に集まっている。
「魂はどうしてここに集まるんだ?」
水辺に浮かぶ霊魂を眺めながらクロトールが尋ねると、
「空に近いからだよ」
とカイは答えた。
「水面に映る星を求めて、彼らは集まるんだ。星座は神々の力と密接につながっているから。ぼくも時々空を見上げて、自分の星を探すことがあるよ」
話の内容はいまいち理解できなかったが、クロトールは黙ってうなずいた。そもそも分かるはずがないのだ。帝国人である自分に、異教の神々の性質が正確に理解できるわけがない。それに、この種のものは全て暴こうとせず、多少の謎を残しておいた方が美しいように思う。
「ここに集まった魂の中に、ヤンクログのものはあるだろうか?」
「たぶんね。でも、生きていた頃みたいにお喋りはできないよ。死ぬ前の記憶はいくらか残っているかもしれないけど、それもだんだん薄らいでいくんじゃないかな」
カイは暗い面持ちで見解を述べた。
「そして、最後は消えてしまう。肉体の後は魂が滅びるんだ。ぼくもエイレナがいなければ、そうなっていたと思う。彼女には改めてお礼を言わないとね」
「わたしの話をしているのか?」
声に驚き、振り向いた先にはエイレナが立っていた。知り合った当初もそうだったが、気配もなく唐突に現れるのは、彼女の得意技なのだろう。
「何の話だ? まさか陰口ではあるまいな」
「まさか。むしろあなたに感謝しているって話さ」
カイはこちらに歩いてくるエイレナを、目で追いながら答えた。
「霊魂にならずに済んだことに、礼を言いたいってね。ほら、今目の前を飛んでいるでしょう?」
エイレナは、カイの言葉につられて辺りに目をやった。いつも通りの涼しい表情からは、何を考えているのか見当がつかない。それから間もなく、彼女は次のように言った。
「カイ、お喋りを楽しんでいるところすまないが、席を外してくれるか? わたしはクロトールとじっくり話し合う必要があってな」
「ぼくをのけ者にして、何を話し合うつもり?」
カイは訝しげに首を傾げたが、その最中、不意にひらめいたように目を見開いた。
「ああ、そういうことか。それなら、すぐに退散するとするよ。二人の大事な時間を潰しちゃ悪いからね」
「ちょっと待て、カイ。私たちは別にそういう仲じゃないぞ」
カイの考えを読んだクロトールは、慌ててその場で否定した。
「さっきも言っただろう。私はただの居候に過ぎないんだ」
それでも、カイは最後にからかうような笑みを残して去っていった。エイレナと二人きりになる頃には、水辺に集まる霊魂はさらに増え、周囲は月明かりに負けない明るさになっていた。今後もきっと増えることだろう。森に夜明けが来るまでは。
エイレナは、先ほどまでカイが座っていた場所に腰を下ろすと、不意にかすかな笑い声を立てた。
「お前は自分を”居候”と言ったのか? 間違いではないかもしれないが、それにしてはずいぶん長い時間、いっしょにいた気がするな」
「そういう話はまた今度にしよう。これ以上、妙な誤解をされたら困るだろう?」
クロトールは、浅からぬ気まずさを覚えながら言った。
「それで、何を話しに来たんだ? イヴォのことか?」
すると、元々、冗談の程度をわきまえているエイレナは、態度を切り替えてすぐさま本題に入った。
「あの男より、もっと重要な問題があるだろう? 我々の最終的な目標についてだ。ノガタスとドラゴンは、奥地にある要塞に隠れている。これが何を意味するか、お前なら分かるはずだ」
クロトールは、エイレナの言葉に深くうなずいてみせた。
「私もちょうど同じことを考えていたんだ。我々は小規模の集団には対応できるが、要塞の大軍を相手にするのは難しい。ノガタスを捕え、ドラゴンを倒すには、さらに多くの味方が必要だ。それも、ある程度の質を伴った味方が」
その後は、しばし沈黙が流れた。エイレナは夜に漂う無数の霊魂を眺めながら、やがて次のように言った。
「わたしは<黒鉛の森林>に住む神々の助力を求めてこの地へ来た。だが、その多くがすでに消滅していて、実際に契約を結べた神は少ない。湖の貴婦人、エルゲオン、ニウェンにカイ——これ以上見つけるのは困難だろう。探そうにも、森の戦士が幅を利かせているせいで、森を自由に移動できない」
クロトールは再びうなずいた。神々の強さについては、先の戦闘ですでに経験しているが、これ以上の探索は諦めるべきだろう。欲張って森を進み続ければ、いずれは運が尽きて敵に殺されてしまう。
つまり、神々の力を頼るにも限界がある、ということだ。足りない部分は、我々人間で補うしかない。
「クー・ファディルの村から、兵を借りるというのはどうだろう?」
とクロトールは提案した。
「あの村のガロン隊長は、正しい判断ができる男だ。事情を話せば、兵をいくらか融通してくれるかもしれない」
「それしか方法はなさそうだが、そう素直に事が運ぶだろうか?」
エイレナは懸念に顔を曇らせた。
「クー・ファディルは、襲撃を受けて間もないはずだ。あの男は兵力を割くことを嫌がるだろう」
「確かに、そうかもしれないな。これについては、直接相談するしかなさそうだ。近いうちに隊長と話をしてみよう」
剣を磨き終えたクロトールは、手入れ用の布を絞りながら、水辺で光る霊魂に再度目を向けた。死した神々の残渣であるそれは、自分の幼い頃の記憶と重なって、懐かしさと同時に恐怖を生じさせた。
恐怖。そう、自分は恐れているのだ。これまで抱えてきた悪い予感が、真実に変わる瞬間を。




