第21章 遙かな暗雲
馬から飛び降りた二人は、それぞれ左右に散った。火球などの攻撃魔法の発動を警戒したのだ。が、土煙の向こうからは、火の玉も魔法の矢も飛んでこなかった。その代わり……。
「……なんだ、ありゃ?」
長剣を構えて立ち上がったストラグルは、目を見開いた。
くすぶる火のひとつから、細い火柱が立ち上ったかと思うと、それが空中で渦を巻き、徐々に定型化していく。
「炎の精霊だ!」
ヴォルトレイドが叫び――終えると同時に、渦巻く炎はその姿を定めた。炎そのものが、人の姿と化して。
「精霊だと?」ストラグルも、人のシルエットを作る炎の塊を見て、「それって、確か……」
「ああ……」ヴォルトレイドは、つがえていた矢を下ろすと、「普通の攻撃は通用しない。あの、死霊のように――っ!」
――横に跳んだ。炎の精霊が地面を滑るように接近し、鞭のように腕を振るってきたためだ。直撃は免れたものの、その腕から放たれる熱風が黒髪の先を焦がした。
走り込んだストラグルは、背後――そもそも顔がないため、どちらが“背面”か判然としないが――から長剣で斬りつけたが、その刀身は炎の体を無抵抗に通り抜けただけだった。振り向かずとも、炎の精霊はそのままの姿勢で腕を振るってきた、が間一髪、ストラグルは飛び退いて炎の鞭を躱した。炎の先端が舐め、胸鎧の表面を焦がす。
「どうすりゃいいんだ?」
「また、ディーダが魔法の巻物を持ってるのに期待するか?」
炎の精霊の繰り出す腕――鞭のようなそれは、振るうたびに通常の倍以上に伸び、著しく射程を広げる――をストラグルとヴォルトレイドは、かろうじて躱していく。そこに、
「無事か――?」エリィの馬がようやく追いついた。彼女の前に乗っていたディーダは飛び降り、後ろに乗るアルサスは鐙を踏んで降馬した。
「……あれは」二人の戦士と交戦している相手を見て、アルサスは、「炎の精霊……なんで?」
エリィも馬上から降り、馬に下げていた鎚矛と盾を装備する、が、
「待って! ディーダも!」
アルサスに呼び止められると、逆手持ちに二刀流の短剣を構え、走り込もうとしていたディーダと一緒に振り返った。
「あいつは、炎の精霊だ。普通の攻撃は通用しない」
「なんだって?」
「どうすれば? 私、もう魔法の巻物、持ってないよ……」
ディーダは不安そうにエリィを見上げる。
「僕も、今は何の呪文も記憶していない……けど――」
アルサスは走った。半壊した屋敷に向かって。
「どこへ!」
「師匠が、魔法の剣を持ってたはず。ディーダも探すの手伝って!」
「うん!」
短剣を鞘に収めたディーダはアルサスを追う。
「私は、あいつを引きつけておく」
「頼む!」
屋敷と交戦中の仲間のもとへ、それぞれは走った。
「加勢する!」
二人の戦いに、エリィも加わった。
「待ってたぜ……」ストラグルは笑みを浮かべ、「と言いたいところだが……」
「分かってる。今、アルサスとディーダが魔法の剣を探している」
「それまで、こいつを引きつけておけばいいんだな」
ヴォルトレイドの声に、
「そういうことだ!」
エリィは、突き出されてきた炎の拳を盾で防いだ。
「屋敷が派手にぶっ壊れてるおかげで、一直線に物置まで来られた」
「良かったね」
「決して良くはないんだけど……」物置に辿り着いたアルサスは、「魔法の剣を探して。刀身に魔法の紋章が刻んであるから、すぐに分かるはずだ」
「よしきた!」
「それと、魔法の剣以外にも……」
ディーダとアルサスは、手当たり次第に箱や棚を開けていった。
防戦一方――そうならざるを得ない――の三人の顔に、疲労の色が浮かんできた。
「昨夜、狂戦士とやったばかりだってのに……」
「ああ、この連戦はきついぜ……」
ストラグルとヴォルトレイドは、自らを狙ってくる炎の突き、なぎ払いを躱しつつ――あるいは、完全に躱しきれず鎧や服、皮膚に焦げ目を作りつつ――言い合った。
「昨夜は私はほとんど戦ってない。だから、ここは任せろ……」
エリィは盾を巧みに使って攻撃を防ぎつつ、二人より前に出ようとする。
「馬鹿、無理すんな!」
「そうだぜ。実戦経験じゃ俺たちのほうがずっと上だ。ここはお兄さん方に任せて……とは言っても、こっちから攻撃できないんじゃ、さすがに――うっ!」
ヴォルトレイドが炎の拳の直撃を受けた。炎が一瞬、その上半身を包む。咄嗟に地面を転がり、ヴォルトレイドは浴びた炎を鎮火にかかる。
「ヴォルトレイド!」
鎧や服、髪を焦し、横たわるヴォルトレイドを見てエリィは叫んだ。
「エリィ! 治療を――」
「ああ、少しの間、頼む」
戦闘を抜けたエリィはヴォルトレイドのもとに走る。
「少しの間、だけならな……」
ひとり、炎の精霊と相対することになったストラグルも、肩で息をし、その体力は限界に近づきつつあった。神聖魔法の外傷治癒は、傷を癒やしはするが、疲労の回復まではしてくれない。狂戦士との戦いの疲れは、確実に蓄積されていた。
敵の注意を、負傷したヴォルトレイドと彼を治癒するエリィに向けさせないために、ストラグルは可能な限り間合いを詰め、「来いよ!」と――精霊に対してそれが効果的かどうかは分からないが――挑発を繰り返す。
ごうごうと炎が燃え立つ音を発する精霊は、両腕を大きく振りかぶって、二本の炎の鞭を振るってきた。両腕分の幅があるため、横に躱すよりは、二本の腕の間に留まったほうが良いと判断したストラグルは、盾を構えた体勢のまま、その場に中腰になった――が、敵はストラグルの頭上で、両腕を交差させてきた。
「――しまったっ!」
横に飛び退いたが、判断が遅かった。直撃こそ免れたものの、ストラグルは二本の炎の鞭を浴びた。炎に包まれた瞬間、呼吸が遮られ、苦しみからストラグルは片膝を突き、構えていた長剣を取り落とした。一気に勝負を決めようというのか、精霊は地面を滑るように突進してきた。そこに――
「ストラグル!」
ディーダが飛びついてきた。軽量とはいえ彼女の全体重を乗せたタックルをくらえば、さすがのストラグルも地面に引き倒される。一瞬前までストラグルの体があった空間を、精霊が飛び抜けた。
「お前――無茶を――」
上半身を起こしたストラグルは、目の前に迫る精霊と……ディーダが抱え込んでいるものを目にした。それ――魔法の剣を手にしたストラグルは、半身をずらしつつ剣をなぎ払う。魔法の紋章が刻まれた刀身が精霊の体に接触する。先とは違い、その刀身が炎の中を通り抜けることはなかった。生身の体を斬りつけたときと同様の手応えを、ストラグルは感じとった。そのまま剣を振り抜くと、精霊の体は弾き飛ばされた。燃えさかる炎の体が、数回地面を転がり、芝生に焦げ目を作った。
「……これは……行ける!」
魔法の剣を両手持ちに握ったストラグルは、力を振り絞って突撃を仕掛けた。精霊が起き上がる瞬間を狙い、その脳天に剣を振り下ろす。またも確かな手応えがあった。精霊は体をのけぞらせる。その身体を構成している炎が、前よりも若干弱まったようにも見えた。
勝機――だが、ストラグルはまたも片膝を突いてしまった。疲労と炎のダメージの蓄積が、彼から追撃させる体力を奪っていた。突進してくる精霊――その体のど真ん中に、ストラグルの背後から飛んできた魔法の矢が命中した。振り返ると、数フィート先にアルサスが立っていた。彼が手にしている巻物が、塵と化して消えていく。精霊の体を形作る炎は、さらに細くなった。ストラグルは剣を構えようとするが、手に力が入らない。
「くっ、こんなときに……」
「――ストラグル!」
柔らかな手が、ストラグルの手を覆い被すように掴み、握っている右手ごと魔法の剣を振らせた。エリィだった。下から上に振り上げられた刀身は精霊の体を裂き、返す刀でもう一撃。精霊を形作る炎は、急激にその勢いを弱め、そして完全に消え去った。
剣を持つストラグルの右手を、包み込むように両手で握っていたエリィは、その手を離すと、ストラグルの体をゆっくりと地面に横たわらせた。
「待ってろ」
かざしたエリィの手から放たれる淡い光が、ストラグルの傷を癒やしていく。
「おいおい……」と、数フィート離れた向こうから、「こっちが途中だぞ」
同じように横になったヴォルトレイドが、顔だけを向けてきた。
「今はストラグルのほうが重傷だ。待ってくれ」
「はいはい……」
エリィの声に、ヴォルトレイドはため息をついて笑みを浮かべた。
「なあ、お前……」
「喋るな。礼ならあとでいい」
治療中に口を開いてきたストラグルに、エリィは言ったが、
「そうじゃなくて。エリィお前、見事に剣を使ったな。僧侶は刃物を武器にしたらいけないのに……」
「何も問題はない」
「緊急避難的措置、ってわけか?」
「いや。実際に剣を握って振ったのは、あくまでお前。私はお前の手を掴んでいただけだ」
「そんなのありかよ」
「ありだ。ほら、じっとしてろ」
アルサスと、彼に助け起こされたディーダも、二人のそばに歩いてきた。
二人の傷の治療を終えると、五人は全壊した屋敷を捜索した。が、
「……やはり、ダンバルフ老の姿はないな」
辺りを見回してエリィが言った。
「ああ」とヴォルトレイドは、「それに、あいつもな」
「あいつ?」
「いたんだよ。俺たちが戦った炎の精霊を召喚した……魔法使いが」
「魔法使い?」
「やっぱり!」
アルサスが叫んだ。
「やっぱりって、どういうことですか?」
エリィに訊かれると、アルサスは、
「炎の精霊なんて、自然に生息している魔物じゃない。そいつがいたということは、誰かしら召喚したやつもいたってことさ」
「そうだ」と今度はストラグルが、「俺たちは見たぜ。その魔法使いが杖を振ったと思ったら、燃えていた火から、あの精霊野郎が出現したんだ」
「ああ」ヴォルトレイドが続き、「呪文も詠唱してたんだろうが、距離があったし、炎の音で俺たちには聞こえてこなかった」
「もしかして、その魔法使いというのは……」
「ああ」エリィの顔を見て、ストラグルは、「ここまでの道中、俺たちを執拗に狙ってきたやつだと見て、間違いないだろうな」
「……」
「アルサスくん?」
黙り込んだアルサスは、エリィから声をかけられると、
「そいつ、かなり手練れの魔法使いだと思う。そもそも、“精霊召喚”自体が高度な魔法だし、それを、二人が駆けつけて、すぐに詠唱し終えたなんて、相当な使い手だよ……」
「その、魔法使いは、逃げたのでしょうね」
「うん。瞬間移動を使ったんだと思う。精霊に二人を襲わせている隙に」
それを聞いたストラグルが、
「あの野郎が、そんなに強力な魔法使いだったならよ、精霊を呼び出すなんて胡乱なことはしないで、いっそ火球でもぶっ放して、俺たちを一気に葬り去ったほうが早かったんじゃねえか?」
「ああ」とヴォルトレイドも頷いて、「実際、俺たちはあいつが杖を振ったのを見て、火球なんかの攻撃魔法が飛んでくるのを、真っ先に警戒したからな」
「それは、たぶん、火球はもう使ったあとだったからなんじゃないかと。連発できる魔法じゃないから……」
「あっ! それが、この惨状……」エリィは、全壊し瓦礫の山と化した、かつてのダンバルフ邸を見回して、「それじゃあ……ダンバルフ老は……」
「いや……。師匠のことだから、そんな簡単にやられるはずがない。実際、死体は発見できなかったし」
「そう……ですね」
「恐らく、師匠も瞬間移動でどこかに避難したのか……。でも、それなら、もうそろそろ戻ってきてもいいはずだ。師匠くらいの使い手なら、瞬間移動クラスの高度魔法を連続して使うなんて、わけがないし……」
「まさか、連れ去られた?」
ストラグルの言葉に、アルサスは沈痛な表情を見せた。
「あの書簡ごとか?」
ヴォルトレイドが言うと、エリィは、
「だろうな。我々を襲ってきた魔法使いの狙いは、それだとしか考えられないからな。……申し訳ないことをした。アルサスくん」と頭を下げ、「我々が、あの書簡の解読をダンバルフ老に頼んだりしなければ、こんなことには……」
「いえ、それは、師匠が決めたことだから。あんた方が責任を感じる必要はないよ」
「はあ」ストラグルはため息をついて、「相変わらず、かわいくねえガキだな」
「悪かったね。とにかく……僕は、もう少しここを捜索してみる。まだ何か手がかりが残されているかも知れないし」
「我々も手伝おう。あの書簡に何かあったとしたら、我々の問題でもある」
エリィたちは再び捜索を開始した。「俺は関係ないんだけどな」「俺も」とぼやきつつも、ストラグルとヴォルトレイドも瓦礫の山を調べていった。
「あ! ちょっと! それ!」アルサスは、ディーダが拾い上げた布きれを目にすると、「見せて!」
その手から布を受け取った。
「何か見つけたのですか?」
エリィが訊くと、
「これは、セントリアネス所属の王宮魔導師の証であるローブの切れ端だ」
「王宮魔導師? かつて、ダンバルフ老もその職の長に就いていたとか――」
「違うんだ。王宮魔導師のローブは、今年からデザインが一新されてるんだ。師匠がその職を退いたのは去年で、そして、このデザインは、今年から採用されたものだ」
「えっ?」
「だから、このローブ切れ端は、師匠のものではありえない」
「ということは……」
「うん。これは、ここを襲った魔法使いの遺留品と見て間違いない。つまり、犯人は、現職の王宮魔導師の誰か……」
「まじかよ」
ヴォルトレイドは目を見開いた。
「だが」とストラグルも、「相手が王宮魔導師っていうなら、あんなに高度な魔法を使ってきたのも納得できるな……」
ローブの切れ端を握り、唇を噛みしめたアルサスは、
「……僕、行きます」
「行くって、まさか?」
エリィに頷いたアルサスは、
「ええ、セントリアネスへです。そこへ行って王宮魔導師たちに会えば、師匠の行方も掴める可能性があるし、何より、こんなことをした犯人も分かるはず……」
「でしたら、我々も」
「えっ?」
「先ほども言いましたが、これは我々の問題でもあります。行きましょう、一緒に、セントリアネスへ」
「おおー」
隣でディーダも拳を突き上げた。
「しかし……危険ですよ。相手は王宮魔導師だ」
「だからこそ、仲間は大勢いたほうが良いでしょう」
「仲間……」
アルサスは、エリィをはじめ、ディーダ、ストラグル、ヴォルトレイドの顔を順に見回した。
「正直、気乗りはしねえが……」ストラグルは、頭をかいて、「このままやられっぱなしってのも癪だしな。俺も行くぜ」
「同意」とヴォルトレイドも、「どこの宮廷魔導師か知らんが、このまま引き下がれん」
「そ、そうか……」
「ん?」ストラグルは、視線を逸らしたアルサスに、「何が『そうか』だ。こういうときは素直に礼を言うもんだろうが」
アルサスの金髪に手を入れ、くしゃくしゃとかき回した。
「やめろ!」その手を振り払って、アルサスは、「じゃ、じゃあ、旅の支度をしよう。幸い、僕の部屋の棟は全壊を免れてるから、僕の呪文の書とかは無事のはずだ。あと、屋敷から何か使えるものがあれば、遠慮なく持って行っていいよ」
「うわー! やったー!」
飛び跳ねたディーダは、さっそく瓦礫と化した屋敷に向かって飛んでいった。
「こいつも、俺が持ってていいか?」
ストラグルが、魔法の剣を掲げると、
「うん。いいよ。他にも、さっき僕が使った魔法の巻物とか、役に立つ品物が色々あるはずだ。金もあるだけ持っていこう。ここに残していっても仕方ないし」
「そっちは俺に任せろ」
「あっ! てめえ」
駆けだしたヴォルトレイドを、ストラグルが追った。
「この屋敷のことや、ダンバルフ老がいなくなったことは、どう説明しますか?」
エリィに訊かれると、アルサスは、
「魔法の実験に失敗して屋敷を燃やしてしまって、失意のもと旅に出た、とでも言っておくよ。瓦礫の撤去やその後の屋敷の管理は、警備騎士団に頼もうと思う。狂戦士事件で少しは恩を売ってるから、何も言わず引き受けてくれるはず」
「そうですか……。それじゃあ、改めて」
「……えっ?」
エリィから手を差し出され、アルサスはきょとんとする。
「今から我々は、旅の仲間ですから」
「は、はい……」
さらに伸ばされた手を、アルサスも握り返した。
「それと、もう仲間なんだから、堅苦しい喋り方はやめるよ」
「そ、それは、別に……」
「名前も、アルサス、って呼ぶからね。アルサスも、そうして」
「わ、分かった。エリィ……」
「よろしく」
笑顔でエリィは、握った手を上下に振った。
「おっ、さすが元宮廷魔導師長。この本はかなりの値打ちものだぞ」
「こっちは、爺さんが“ジャスティスオーダー”時代に使ってたらしき短剣を見つけたぞ!」
「見て見て、エリィ! この指輪、すっごくきれい!」
「――あ! ちょっと! お前ら!」瓦礫の中を物色する三人に、アルサスは、「少しはわきまえろよな! まるで盗賊じゃんか!」
「そだよ」
「じゃなくて!」
ストラグル、ヴォルトレイド、ディーダのもとに走って行くアルサスを見て、エリィは笑みを浮かべると、視線を――目指すべきソルスタロン連邦国の首都、セントリーア州国の方角、遙か東の空に転じた。旅の前途を表しているかのような、どく黒く重い雲が、そこには垂れ込めていた。
ここで「第一部 完」とさせていただきます。続きは掲載の目処が立ち次第、活動報告でお知らせいたします。




