第18章 狂戦士現る
酒場を出たエリィたちは、街の目抜き通りを歩いていた。
「さすがのベッケニアも、晩課の鐘(約午後六時)を過ぎると人通りは少なくなるんだな」
エリィは薄暗くなった街を見回した。
「狂戦士のことがあるからだよ」とアルサスが、「いつものベッケニアなら、晩課の鐘なんて宵の口だよ。ほとんどの酒場もまだ開いているしね」
現在、道沿いに店を構える酒場は、どこも扉を閉ざしていた。
「街の平穏を取り戻すためにも、早く狂戦士を何とかしないと」
勇んで歩くエリィにディーダが並び、その後ろにアルサスが続く。さらに、数歩ほど遅れて、ストラグルとヴォルトレイドが並んでいた。アルサスを除く全員が、鎧を着込み帯刀もし、装備を調えている。
「なんで俺まで……」「まったくだ」
二人の戦士の口から漏れるのは、不平不満ばかりだった。
「ここまで来たんだ。覚悟を決めろ」
盾を背負い、鎚矛を腰に提げたエリィが振り向く。その隣を歩くディーダは、主武装としている二本の短剣は常時身につけており、鍵開けなどを行うために使う、商売道具の盗賊道具も肌身離さず持ち歩いているため、心臓などの急所を守るだけの簡易な皮鎧を新たに装備し、大きな背負い袋をしょっているだけだった。
「あちこちから、鎧の音が聞こえる」
耳を澄ませたディーダが呟く。
「騎士たちが捜索を行っているんだろうな」
そう言ったストラグルも、戦士としては軽装の鎧を身につけ、盾は両小手に取り付ける小型盾を使い、腰には長剣と小剣の二本を提げているため、歩行の際に金属音を発しはするが、甲冑を装備している警備騎士のそれには遠く及ばない。ヴォルトレイドは盾は持たず、鎧もストラグルと同じような軽装だが、背負った長弓がひときわ目立つ。他には腰に矢筒と、近接用武器として小剣を提げている。そんな中、ひとり普段着のアルサスは、
「見えてきた、警備騎士団の詰所だ」
街道の向こうに建つ建物を指さした。
「騎士が二人残ってるけど、裏口から入れば気付かれないと思う」
詰所を偵察してきたディーダが報告した。
「よし、行こう」
エリィたちは裏口に回った。
「……神よ、お許し下さい。これも狂戦士の災厄から人々を守るため……」
聖印を握ったエリィが懺悔の祈りを唱える横で、
「宿代を余計に払わないためにもだ」
ストラグルが呟いた。その間、裏口扉の鍵穴と格闘していたディーダが、
「……開いた」
カチリ、という解錠音と同時に言った。ディーダは続けて油差しを取り出し、摩擦音を抑えるために扉の可動部に油を差したうえで、ゆっくりとノブを引く。扉は滑るように、音もなく開かれた。
屋内に滑り込んだディーダは、ランタンを振って素早く辺りを見回す。裏口を入ったすぐは広いスペースになっており、正面に廊下が延び、左右それぞれに扉があった。まず、右の扉に飛びついたディーダがノブを握ると、それは何の抵抗もなく回った。そのまま開けた扉の隙間から室内を覗き込むと、長机と多くの椅子が並べられた室内の様子が見通せた。ディーダは今度は反対側、左の扉に移動する。こちらのノブは回らなかった。施錠がされているらしい。ランタンのシャッターを閉じて明かりを閉ざし、裏口に戻ってきたディーダが、アルサスにそのことを報告すると、
「右の部屋は、たぶん食堂だな。廊下を進むのは危険だから、まず左の部屋を確かめよう」
「わかった」
再び屋内に入ったディーダは、盗賊道具を取りだして、左の扉の鍵開けにかかる。裏口扉を開けたのと同程度の時間を要して、この扉も解錠された。
廊下に見張りのためディーダひとりを残し、エリィたち四人は室内に入った。ランタンを振って、室内に明かりを投げかけたアルサスは、
「幸先いいみたいだ。ここは会議なんかで使う広間だ。たぶん、事件の資料も置いてあるはず」
「探そう」
エリィの声で、四人は部屋の四方に散った。棚の中や、机に積まれた書類を漁っていると、
「あった。これじゃないか?」
小声を発したヴォルトレイドのもとに、三人も集まった。ランタンをテーブルに置き、その書類に目を通したアルサスは、
「……間違いない。狂戦士事件の資料だ。けっこう事細かに記録してくれている」
しばし、アルサスは書類に目を通し続けた。
「……どうだ?」
読み終えた最後の一枚をテーブルに置いたアルサスに、ストラグルが声をかけた。が、アルサスは何か考え込むように、無言のまま表情を硬くしている。そこに、
「誰か来る」
ディーダから声がかけられ、ディーダも加えた五人は急いで部屋を、さらに裏口を出た。居残っていた騎士のひとりが廊下の角を曲がって姿を見せたのと、最後尾のディーダが裏口ドアを閉めたのは、ほぼ同時だった。
詰所を離れた五人は、人家の少ない区画の木陰に移動して、ランタンを囲み芝生の上に腰を下ろした。
「で、何か分かったのか?」
水筒で喉を潤したストラグルが訊くと、アルサスは、
「……ああ、分かった」
「分かったって、何が?」
「狂戦士の正体が」
「そうか……って、なにぃ?」
ストラグルは声を上げ、水筒に口を付けていたヴォルトレイドは含んでいた水を吹き出した。
「お前! 汚い!」
水を浴びてしまったディーダが首を振って水滴を飛ばすと、「すまん、すまん」とヴォルトレイドは、濡れた青い髪をタオルで拭いてやる。
「アルサスくん!」エリィは身を乗り出して、「本当なのか? 狂戦士の正体が分かったって?」
「俺も、さっとだが中身を見たけどよ……」とストラグルも、「あの書面には、被害者の詳細と、騎士団の動きくらいしか書かれていなかったぜ。お前の読むのが速いから、全部に目を通せはしなかったけど……」
「あれで十分だよ。騎士団が細かい記録を付けてくれてたおかげだ。僕は宿で、あの騎士団に狂戦士の討伐なんて出来ないみたいなことを言ったけど、訂正する。少なくとも、あの記録を付けた騎士には感謝だ」
「それで、どこのどいつなんだ? 狂戦士は?」
「そいつは今、どこにいる?」
ストラグルとヴォルトレイドの質問に、アルサスは、
「この街の、城壁内の、どこかにいる」
「そりゃ、そうだろうよ」「漠然としすぎだ」
二人の戦士が同時に言った。
「今回の場合……」とアルサスは、二人だけでなくエリィと、タオルを被ったディーダも見て、「狂戦士が狂戦士化する“切っ掛け”が問題なんだ」
「切っ掛け?」
「そうなんだ」アルサスは、エリィを見て、「これまでに四件も狂戦士化は起きている。もう、そうそう同じことが起きるとも考えにくいけれど……楽観視は禁物だ」
と言うと立ち上がった。
「どこかへ行くのか?」
見上げたストラグルに、
「ああ、詰所へ戻ろう」
「はあ? たったさっき、間一髪のところで脱出してきたばかりだろ」
「いいから」
アルサスに促され、五人は詰所へととんぼ返りすることになった。
星と月の光だけを明かりとした街の一角で、二人の若い男女が体を寄せ合い、左右に並木の立ち並ぶ細い街道を歩いていた。
「ふふ」と女性のほうが笑みを漏らして、「まさか、城門が封鎖されるなんてね」
「そのおかげで、こんな夜分に君と会えている」
男性も、横を向いて微笑みかけた。その腕に、女性が自らの腕を絡ませる。
「お父さん、今頃城門の外に駐めた馬車の中で寝ているでしょうね」
少し歩くと二人は、どちらからともなく立ち止まり、ゆっくりと向かい合った。雲が月を隠す。目を閉じ、その顔が少しずつ近づいていく。二人の唇が、触れあおうとした、そのとき――
「……なに?」
女性が、次いで男性も横を向いた。ガリガリ……という音が近づいてくる。長剣の切っ先が、石畳を引きずられる音だ。雲が動き、再び降り注いだ月光に照らされたものは……。
「……な、なに?」女性は長い黒髪を揺らし、
「あ、あれは、も、もしかして……」短い金髪の男性はたじろいだ。
二人の目に映ったのは、狂気に紅く瞳を染め、裂けるほどに上げた口角から、はっ、はっ、と荒い息を漏らしている狂戦士の姿だった。
エリィたちは馬を飛ばしていた。アルサスが詰所に戻ったのは、機動力である馬を借りるためだった。空いている馬が三頭しかなかったため、エリィとディーダ、ヴォルトレイドとアルサスがそれぞれ同乗し、ストラグルは、ひとりだけしか乗らない単騎の機動性を活かし、二頭を追い抜いて、狂戦士が出現する可能性が高いと思われる場所へと先行している。
「アルサス、“引き金”って、どういうことだ?」
馬上からヴォルトレイドが訊く。アルサスは、併走するエリィとディーダにも聞こえるよう、声を張り上げて、
「詰所の記録には、狂戦士事件の被害者の容姿性別はもとより、どんなふうに殺されたかまで、詳細に書き込まれていた。それで分かったんだ。今までに起きた四件の事件では、被害者の人数は三人から八人までと幅があるけれど、そのどれにも、若い男女が含まれていた」
「若い男女って、そんなの大勢いるだろ。全ての事件の被害者に入っててもおかしくないと思うが、それがどうかしたか?」
ヴォルトレイドが言うと、アルサスはさらに、
「死体に残った傷の記録からは、全ての事件で、まず、その若い男女が真っ先に殺されていることが読み取れる」
「そんなことが分かるのか?」
「分かるよ。被害者の衣服には、どれも余計な血――自分の傷口から噴き出たにしては、おかしな場所に付着している血――が付いていた。まあ、当たり前だよね。狂戦士が殺戮を繰り返せば、凶器にしている剣の刀身は被害者の血で濡れていく。そんな剣を振り回して人を斬れば、傷口とは全然関係のない場所に血を付けてしまうことになる。被害者自身のものでない、狂戦士の刀身から移った他人の血がね」
「だな……あっ、ということは?」
「そう、被害者のうち、被害者自身のもの以外の血の付着がなかったか、極端に少なかった死体が、必ず二体あった」
「それが、若い男女……」
「そうなんだ。だから、この狂戦士は、まず、若い男女の二人組を真っ先に狙って殺したということになる。つまり……この狂戦士が狂戦士化するための引き金は、若い男女にあると思うんだ」
「だとしたって……若い男女の二人組なんて、この街だけでもごまんと見かけるだろ。条件が緩すぎるぜ。そのたびにいちいち狂戦士化してたら、事件の件数は四件なんて数じゃ済まないはずだ」
「うん。だから、切っ掛けはそれだけじゃない。もっと詳細な条件があって、それら全てがそろったとき――それを目にしたとき、この犯人は狂戦士化してしまうんだ」
「その“切っ掛け”って?」
「まず、男性のほうは、若いというだけで特に条件はない。問題なのは、女性のほうなんだ。事件で真っ先に殺された女性は、全員が黒髪だった。でも、それが条件の全てだとは考えにくい。ヴォルトレイドも言ったみたいに、それだけじゃ、あまりに切っ掛けが発動する条件が緩すぎる。四件どころじゃなくって、もっと事件が起きているはずなんだ」
「その、さらなる条件っていうのは?」
「これは、僕の推測だけど……たぶん、その二人が、体を寄せ合うとか、キスをするとか、何か“二人が恋人同士であることを明確にする行動”を起こした場合、それを“切っ掛け”にして、犯人は狂戦士化するんだと思う……」
悲鳴を上げて、黒髪の女性は崩れ落ち、男性もまた、恐怖に表情を引きつらせながら、その場に尻餅をついた。
人間のものとは思えぬ、まるで獣のような咆哮を放つと同時に、狂戦士は石畳を蹴った。振りかぶった剣に、月と、二人の男女が映る。空気を切り裂くその刀身が、女性の黒髪に向けて振り下ろされようとした、その刹那――「があっ!」という呻き声を漏らし、狂戦士は地面に転がった。
「逃げろ!」
駆ける馬上からストラグルが叫ぶ。彼が投擲した小剣が狂戦士に命中したのだ。立ち上がった男性が、半ば引きずるように女性を連れて走り去る。長剣を引き抜いたストラグルは、馬の最大戦速を維持したまま、狂戦士に向けて突進をかける。起き上がった狂戦士は――甲冑を着ているとは思えぬ、人間離れした跳躍力で――その場を跳び上がり、馬上に位置するストラグルの、さらに上から、長剣の一撃を振るってきた。ストラグルは剣を頭上に構え、その一刀を受ける。擦れ合う両者の刀身から火花が散り、バランスを崩したストラグルは落馬した。馬上から投げ出される瞬間、ストラグルは鐙を蹴り、固い石畳の上に落下することは免れた。嘶きを上げた馬は、そのまま走り去っていく。芝生を数回転して起き上がったストラグルは、狂戦士と相対した。その距離、約十六フィート(五メートル)。右手に長剣を軽々と持ち、対照的に何も持たない左手は、弛緩したようにだらりと下げられている。両足を広げ、極端な前屈みの姿勢。月明かりが、その狂気に歪んだ顔を、身につけた鎧を――青く銀色のラインが入った鎧を、照らし出している。
「てめえ……」
ストラグルは長剣を構え直すと、目の前に立つ、狂戦士と化した、ベッケニア警備騎士団第一分隊隊長リッジレイを見据えた。
次回、ついに狂戦士との戦いが始まった。その圧倒的な力に対し、エリィたちは……。
第19章「月下の死闘」




