第七話 旅立ち
烏衣鏢局から提供された五人乗りの大型荷馬車に乗ったあたしたちは、一路西の山岳地帯、蜀を目指した。とりあえずの目的地はその中心都市である錦城。そこには空児たちの師娘が住んでいる。かつて霊薬の呪縛に苦しんでいた二人を助けた奇人。そして新たに剣術や調薬の知識を授けた彼女。その名を紅線といった。
空児の勧めに従って、あたしたちは旅芸人の一座に扮していた。烏衣鏢局の助力があるので路銀の心配は全くないが、空児としてはあたしたちに社会勉強をさせたいらしい。人としてこの広大な世界で生きていくために、それは必要不可欠ということだった。
ふと織女星のことが頭をよぎった。
織女星は天界に住む不老長生の神仙だった。しかし牽牛との恋が彼女の心を狂わせた。ただの人間だった牽牛を見染めた織女星は彼を天へ昇らせ、自身と同じ不老長生を与えたのである。そして牽牛星となった人間の男は織女星と天界で暮らすが、地上への未練を捨てることができず、織女星の制止を振り切って――不老長生の異能を返上して地上へと帰った。
嘆き悲しんだ織女星はあろうことか自身も不老長生を捨てて下界へと下り、一人の人間として牽牛とともに生き、そして朽ちることを選んだ。ところが悲劇はすでにその幕を上げていた。牽牛には既に妻子がいたのである。
織女星は絶望した。牽牛の不実を恨みもした。しかし最早後戻りのできない彼女が選んだのは、自身の魂を、心を後世へと継承しながら、牽牛の一族を見守り続けることだった。
でも。
牽牛はもういない。彼を愛したかつての織女星ももういない。
もしかすると牽牛派とは、繰り返される融合の中で織女星の残滓が作り出した幻影のようなものなのかもしれない。
あたしには、なんとなくそう思えた。
秋晴れの旅の空に、空児の笛の音が流れてくる。彼女の提案では、あたしは綺麗におめかしをして、笛に合わせて歌うことになっていた。芙蓉姉さまと芳槿姉さまもおめかしはするそうだけれど、歌ではなくて小型の弦楽器を演奏する。昨夜は芙蓉姉さまの下手っぴな練習のせいでなかなか寝付けなかった。
そのことを思い出すと、ふと頬が緩むのを感じる。
昔、島で過ごしていたころ。幼かったあたしが思い描いた想像。
断機島織女派四大剣仙。
以前のあたしがなりたかったもの。みんなと一緒に作り上げたかったもの。それは大切な人との絆を形にしたいと熱望していたから。大好きな人たちと別れたくないと思ったから。
今、あたしは五人で旅をしている。これは妄想でも願望でもなく、確かな現実。
旅の目的はもちろん精児と姉さま方の治療だ。錦城に住んでいる空児たちの師娘、紅線を訪ねて解決方法を示してもらう。あたしが受け継いだ「織女真経」に載っている霊薬の調合方法を紅線に教えれば、きっと大きな進歩が見えるはずだと空児が言っていた。
少し胸の中が落ち着かない。治療に向けて新しい展開が待っていることもその一因だが、ドキドキするのは他に訳があった。
実は、今夜。あたしたち一座は初舞台を踏む。
まるで家畜を締め殺すかのような音色を奏でる芙蓉姉さま。
芳槿姉さまはさすが繊細な感性で、慣れないはずの楽器を今では自在に操ることができていた。
あたしも決して上手くはないけれど、上達している手応えはある。
緊張しながらも、少しワクワクする自分がいる。それがどうにもくすぐったくて仕方がなかった。
「隠娘ちゃん。私たちの新しい一座の名前はもう決まったかい」
「え。……ううん、まだよ」
「そう。ま、初舞台までにはまだ十分時間があるから、慌てなくて大丈夫だからね」
「へーえ。またぞろ五大何とかって微妙に講談チックで恥ずかしい名前を考えてるんじゃないでしょうね」
「ふふ。芙蓉もよく覚えてるわよね。何だか微笑ましくなってくるわ」
自然と笑い声が漏れた。心の奥から何か温かいものが溢れてきて、それがゆっくりと全身を巡るような、そんな不思議な感覚。
あたしはそれを持て余して少しドギマギしたが、
「あはは、隠娘ちゃんもいい笑顔をするようになったね」
目の前には澄み切った青空。音もなく流れていく白い雲。旅の行き着く先にはどんな運命が待っているのだろう。それが素敵なものだったらいいな。あたしはそっと祈りを込めた。




