3:『オギノメ分岐点』
カントリーロード・3
『オギノメ分岐点』
わたしの旅はとりとめがない。
取りあえずの目的地と、そこへの道が決めてあるだけ……。
でも、ごくたまに、はっきり目的を持って旅に出ることがある。
これは、そんなごくたまに目的を持って旅をしたときの、有る意味取り返しのつかない事件だった。
初夏というのにも、少し間のある時期だった。バイトが休みだったので、わたしは、目が覚めても起きるのがもったいなく、昼までまどろみを楽しんでいた。
寝返りを打った拍子に、ベッドにオキッパにしていたテレビのリモコンが体の下敷きになった。それでスイッチが入ったんだろう、唐突にテレビが点いた。
そして、わたしは初めて目的をもって旅にでることになった。
駅に着くと、目的地まで行く足が無かった。
テレビの番組でとりあげるくらいなんだから、その近所まで通うバスぐらいはあると思っていた。唯一あるバス停で、逆方向へのバスしか無いことが知れた。
奮発してタクシーと思ったが、あまりに小さな駅なので、タクシーの姿もない。初老の駅員さんに聞くと、それなら、そっちの方に行くトラックがあるからと、わざわざ駅舎から出てきて話をつけてくれた。運ちゃんは快く引き受けてくれた。
「帰りはどうするんだい?」
トラックの助手席を降りようとして、運ちゃんが声をかけてきた。
「あ……ここにいる人と、相談して……多分送ってもらうことになります」
「そうか、オレ夕方、また通から、よかったら声かけてくれや」
「はい」
「じゃあな、グッドラック!」
ここに着くまでの四十分余りで、わたしは運ちゃんにアラアラのことは喋ってしまった。ほんの世間話のように喋ったけど、わたしは、自分の気持ちを鼓舞するために喋った。
『濡羅里牧場』
テレビで見たのと同じ看板が、地面から生えたような自然さで立っていた。
すぐに入って行く勇気は……さすがに無かった。少し道なりに戻って、牧場全体が見渡せる小高い所に行った、白樺の間に適度な灌木があり、身を隠しながら牧場の全景を見るのには、うってつけだった。
旅行慣れしたわたしは、小さな双眼鏡を出して、斥候のように牧場を偵察した。テレビで見たのと同じサイロや牧舎、直営の生キャラメルの工場などが目に映った。
そして……奴を発見した。牧舎の脇からトラクターみたいなのが出てきて、運転席から降りてきたのが奴だった。
荻野目忠一。それが、奴の名前。テレビに奴の顔が出てきたとき、わたしは運命を感じた。
オギノメは、中三から高三までいっしょだった。いっしょに特別な意味は無い。偶然中三で同じクラスになり、進学先の高校も同じで、たまたま三年間同じくラスだった。互いに呼ぶときは苗字、それも感覚としてはカタカナだった。それが二人の距離だった。
二年の修学旅行のクラスレクリエーションのゲ-ムに負けて、罰ゲームをやらされた。大きなポッキーを両方から囓って、どこまで耐えられるかという他愛ないもので、罰ゲームになった五組のカップルのほとんどが、途中で吹き出して陽気に脱落していった。わたしとオギノメは最後までいって唇が重なってしまった。わたしは大げさな悲鳴をあげ、オギノメは真っ赤になった。思えば、あれがオギノメとの距離が自然に縮まるきっかけだった。周りも、旅行中は、そんな風に囃し立てた。でも、修学旅行が終わって学校に戻ると、お互いカタカナの苗字で呼び合う仲に戻ってしまった。
もう一度だけ、きっかけがあった。
卒業式予行の帰り、下足室を出たところでオギノメが、わたしを下の名前で呼び止めた。四年間で初めて、オギノメはフライングした。
「なによ……」
「これ……」
伏せた顔の真下に、制服の第二ボタンが差し出された。
「こんなの今時はやんないわよ」
それでおしまい……。
あの時、カタカナの苗字で呼んで「メルアドの交換しようぜ」ぐらいのノリでやってくれたら、わたしは素直に、ワンステップ前に出られた。で、結局そのままになってしまった。
今朝のテレビは、モーニングショーで濡羅里造六という大俳優がやって、大成功した『濡羅里牧場』の紹介をやっていた。で、わたしが寝返りをうってテレビが点いた時にオギノメがドアップになっていて「ボタン持ってるぞ! まだ勝負ついてないからな!」と、わたしの苗字を言いながら叫んで、みんなに受けていた。
このテレビを見て、言葉の意味を正確に理解できたのは、わたし一人だろう。
オギノメは、タブレットを出して何やら真剣に操作していた。ときどき牛や羊の顔を見ているところを見ると仕事のことなんだろう。
と、そこに生成のシャツにオーバーオールという出で立ちの可愛い子が現れて、なにか親しげに話している。双眼鏡なので、完ぺきな3Dで見える二人は、単なる仕事仲間のそれを超えているように感じられた。
「バカじゃない、わたしって……」
わたしは灌木林を抜けて道に出て、石に腰掛けた。どす黒い後悔が胸を満たし始めた。
初夏に近い日差しは、じっとしているとジワジワと汗が噴き出し、一瞬クラっときた。自己嫌悪の頂点。
その頂から降りるようにして、わたしは立ち上がり、道を歩きはじめて行く……そう、わたしは歩き去っていく自分自身の後ろ姿を見ている。ドッペルゲンガーという言葉が浮かんだ。
「そんなバカな……」
わたしのナリは、赤いギンガムチェックにブルージーン。どこにでもある恰好だ。ましてここは牧場、そんな子がいてもおかしくは無い。
その子は、数百メートル先の緩いカーブを曲がるまで見えた。その間、わたしは呆けたように、その後ろ姿を見続けていた。
背後から、トラクターのような物が近づいてくる気配がした。直感的に、それにオギノメが乗っていると感じ、わたしは灌木林の中に身を潜めた。
しばらくすると、それが目の前数メートルのところを走っていくのが見えた。運転していたのは、やっぱりオギノメだった。生活が充実しているんだろう。口笛なんか吹いて生き生きしている。
「~さん!」
直ぐ後ろで声がして、びっくりした。いつのまに現れたんだろう。双眼鏡で見たオーバーオールの女の子が息を切らして立っていた。
「あなた……」
「そう……さっきあなたが双眼鏡で見ていた」
「わ、分かってたの!?」
「わたしはね。荻野目君は分かってないわよ」
「あなたは……?」
「ぬらりひょんの孫娘」
思い出した、濡羅里造六は芸能界の妖怪と言われて、この牧場の経営を含め、奇行の多いことで有名だ。しかし、孫娘は、いたってまともで可愛い印象。でも……双眼鏡で覗いていたことに気づいていたなんて、やっぱり変だ。
「わたしたちは気づいていたよ、~って言うのは、彼女のことだって。あのタブレットもね、あなたに会ったときになんて言うか、言葉を考えていたのよ。高校の時、直球過ぎて失敗してるから。ここで出会うと安心していたんだけど。あなたが、いつまでたっても動かないものだから、心配になって、裏道から直接登ってきたの」
「わ、わたし……」
わたしは立ち上がって、オギノメを追おうとした。
「もう、遅いわ」
「だって、たった今……」
「あなた、自分の後ろ姿を見たでしょ」
「あ、あれは……」
「ここはね、人生を分岐させる場所なの。もう一人のあなたは、この道をトボトボ歩いて、後ろから来た荻野目君に声をかけられるの。ほら……」
彼女は、タブレットを見せてくれた。わたしとオギノメがトラクターみたいなのに乗って、楽しげにこの道をやってくるのが写っていた。わたしはタブレットを持ったまま、道に飛び出した。あたりの風景から、ここに違いない。わたしは、タブレットの視点を変えたりして、牧場の入り口まで来てしまった。でも写っているわたしたちは、どこにも見えない。
「そこに写っているのは、分岐したパラレルワールド」
「じゃ、この世界の忠一は……」
「居なかったことになるでしょうね」
タブレットに写っていた、忠一とわたしの姿は、だんだん姿が薄くなり消えていってしまった……あたりを見回しても、カントリーロードが南北に延びているだけだった。
その後、フェイスブックで、この世界の忠一を発見した。放送局に勤め、可愛い婚約者もいるよう。わたしたちは、高校時代に甘い思い出を共有するオトモダチになった。
で、いまもオギノメと呼んでいる。