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41 中学三年六月・渋谷名美子と藤沖勲との語り合い

41 中学三年六月・渋谷名美子と藤沖勲との語り合い


 佐賀さんから見限られ、私はもう、何も残っていなかった。

「渋谷さん、お願い。書記の仕事を全うすることで、耐えて」

 生徒会長になりたくて、すべてをなげうってきた私だった。青大附中に合格したことにより、やっと私のほしいものをすべて手に入れたはずなのに、すべてを失ってしまった。それも、人のせいではなく、自分の過ちによって。

 悔しいと泣きたくとも、どこも助けてくれる場所なんてない。

 私はひとり、ぼんやりと青大附中から抜け出した。外にも救いの場所はない。せいぜい、大学図書館くらいだ。そこならみんなでおしゃべりの語り合いをしている最中、中学生でも出入りOK。それならば大丈夫。


「渋谷か」

 顔をゆがめて歩いている私に声をかけてきたのは、藤沖先輩だった。

 すでに高校に進学し、それきり一切連絡をとっていなかった。この人に私はとことん嫌われていたし、私も男尊女卑主義のこの人とは不必要にかかわりたくなかった。ぶつかり合うほどの喧嘩をしたことはなかったけれども、それは向こうが私を避けていたからだ。女子は無能で頭が悪い、そう決め付けていたくせに、佐賀さんや風見さんとはうまくやっている。私のように懸命に努力している人間を評価しようと思えないのだという。

 悔しい想いをしてきたけれども、引退してから私がのっとればそれでいいと思っていた。

 でも、だめだった。

 あんなことになってしまわなければ。

 そうだ、せめて私が霧島くんよりも上の地位にいれば。

──お言葉ですが、自分の過ちをきちんと認められずしかも人に押し付けようとするような人と、僕は仕事をしたくありません。僕は、渋谷先輩と一緒に生徒会室にいることに耐えられません。もしこれから先、共同作業を一緒に行いたいならば、自分の立場を反省して、その上でこれからのことを考えてください。先輩であることと、能力の差とは、関係ありません。

 耳に響く。すべてこらえてきたものが、あの時わっとあふれ出た。あれ以来私は生徒会室に近づいていない。生徒会書記である以上は逃げられないとわかっていても、霧島くんに露骨に物笑いにされた言葉が痛すぎる。心配顔で教室に追いかけてきた風見さんを追い払い、私はずっとひとりでいた。クラスでは浮いたわけではないけれど、やはり修学旅行以来みなあたらず触らずの気持ち悪い静けさが漂っている。私の行動すべてが全校生徒に知られ興味の的となっている現実を、私はどうしても受け入れられない。

 そして今日も。また、藤沖先輩にざまみろとののしられるわけか。

 今の私にはお似合いだ。とことんののしられるがいい。隙間ひとつもなく、すべてを埋め尽くせ。

 私は一礼すると、藤沖先輩を見返した。

「授業はサボりか」

「はい。何か御用ですか」

「それなら、ひまだな」

 むっつりした顔で、冷たい声。身構えた。

「つきあえ。俺もひまだ」

 ──何考えているんだろう?

 ちらっと最初考えたが、やはりすぐに気がついた。

 きっと佐賀さんや風見さんあたりに頼み込まれているのかもしれない。私を説得してくれとか。いくら男尊女卑の藤沖先輩でも、お気に入りの佐賀さんや風見さんの頼みでは断れなかったのだろう。風見さんはともかく、佐賀さんにこれ以上嫌われるのはいやだ。それとも、霧島くんから情報を仕入れて、この機会に私の鼻をへし折ろうとたくらんでいるのかもしれない。私にもう、これ以上戦うすべはなかった。物笑いにされても、軽蔑されても、受け入れるしかない。

「どちらに付き合うんですか」

「誰も居ない方がいいだろう。外だ」

 私は意思を完全に捨てた。勝手にすればいい。藤沖先輩は私にちらと視線を走らせると背を向けて校門を出て行った。追いかけるしかなかった。


 すでに雨もやんでいた。だいぶ夏の暑さも厳しくなりつつあり、肌には汗がにじんでいる。汗の匂いが気になる。いつもならばこまめに汗をふき取るのだけれども、今の私はどうでもよかった。

 藤沖先輩はまったく口も利かず、そのままいきなりカラオケボックスに向かった。

 ──本気かしら。

 信じられなかった。あの堅物藤沖先輩が、なぜ、そんなところに向かおうとするのだろう。

 英語科に進んでから、何か心境の変化でもあったのだろうか。

「来い」

「はい」

 素直にうなだれるしかないのだ。私はもう誰にも勝てない。

「とにかく座れ」

 案内された暗い一室で、私はソファーに腰をおろした。真上にはミラーボールがぐるぐる回っている。周囲はまだそれほどうるさくない。時間帯が早いからだろう。

「飲み物は」

「オレンジジュースで」

「そうか」

 拍子抜けしたといった顔で藤沖先輩はじっと見た。すぐに注文を入れ、

「コーラとオレンジジュースを」

 しばらくうつむいていたが、藤沖先輩は特段何か歌おうとは思っていないようすだった。私も歌いたいなんて思っていない。

 すぐに飲み物が届いて、またふたりきりになった。

 ──どうして私はいつもこうなんだろう。

 暗い中、私はうつむいていた。

「渋谷、そろそろいいか」

 なにがそろそろ、なのか。私は返事をしなかった。

「なぜ呼んだかは、わかっているな」

「はい」

「一週間も、生徒会室に来ないというのはどういうことだ」

「申し訳ありません」

 また、藤沖先輩は言葉を留めた。

「そうか」

 口に飲み物を運びしばらく沈黙が続いた。

「霧島には俺からきちんと話をしてある。もう戻れ」

 思わず顔を上げた。横顔だけがはっきりくっきりしている。

「霧島側の条件を飲むだけであとは問題ない」

「霧島くんの」

「書記としての仕事をまっとうしろ。それだけだ。霧島は副会長の仕事をまっとうする。それだけだ」

 ──書記としての仕事をやり遂げることって、つまり私はもう仕事をするなってこと?

 ひがみたくなる。泣きたくなる。

「お前は青大附中生徒会の書記だから、書記としての仕事を完璧にやり遂げろ。それ以外のことに口出しをしなければ、霧島も文句言わずに協力するだろう。同じことは霧島にも言える。あいつは副会長としての百パーセントを求めればいい。あとは佐賀がまとめるだろう」

「私は、ただ、筆記しているだけでいいということですか」

 言葉がつかえそうになる。暗くてよかった。涙があふれそうになる。こんなところで泣いてはいけない。藤沖先輩の前なんかで。

「そうだ。お前にはそれが一番合っている」

 藤沖先輩はまた飲み物を口にした。

「悔しいだろうが、それが現実だ」

 こらえきれなかった。これが現実。そうだ。私は何もない。

 

 完璧になりたかった。

 誰もに好かれたかった。 

 願わくば、私の力で手に入れたかった。

 でも、結局集めてきたのは風見さんだった。

 私が本当にほしいと望んだものは、とうとう手に入らなかった。

 ──生徒会長への夢も。学年トップを取ることも。そして、霧島くんからの尊敬も。

 

 泣いていることを気付かれたくなかった。息を殺してしゃくりあげるのを防いだ。

「去年のことを覚えているか」

 いきなり藤沖先輩が声音を和らげた。

「生徒会役員選挙の立候補受付最終日のことだ」

「はい」

 こらえて返事した。

「あの時、当時評議委員長だった立村が風見に罵倒されたことがあっただろう」

「はい」

「今思えば、お前はあいつにそっくりだ」

「風見さんとですか」

「立村とだ」

「どうしてですか」

 屈辱を浴びせて、私を痛めつけようとしているのだろう。思い出したくもなかった。あの日、私が計画していたことすべて、崩されてしまったのだから。ひそかに心積もりしていた夢、生徒会長への路が断たれ、悪意がないにせよ佐賀さんが立候補してしまったこと、さらに霧島くんとのやり取りがもとで私は書記に格下げされてしまった。仕事は別のものなのだから、と回りからは慰められたけれども格下の仕事だと思っていたことをやらねばならないのは惨めだった。せめて、一年上としての自分を認めてほしかったのに、霧島くんからは見下された。どんなにベストを尽くしても、認めてもらえなかった。

 藤沖先輩はさらに、私を惨めにしてやろうと思っているのだろうか。

「俺は現在、英語科の評議をやっているわけだが」

「はい」

「あれ以来、立村の凋落振りは目を覆うほどだ。いまだにその状況は変わっていない」

「変わっていない、のですか」

「そうだ。立村にとってあの日が人生のターニングポイントだったろう」

 評議委員会が生徒会に吸収された事実上の戦犯であり、青大附属評議委員会始まって以来の最低レベル評議委員長と呼ばれた立村先輩のことだろう。過去に傷害事件を起こしておきながら隠し切って入学し、嘘に嘘を塗り固め、最後は救いようのないくらいの恥をかかせて卒業していったという人だ。決して問題児のようには見えないのだが、杉本さんを追い掛け回し、いきなり誘拐未遂みたいなことをやらかしたり、わけのわからないことを叫んだり、とにかく非常識きわまる行動を繰り返していた。非常識という点でいけば、その前の評議委員長・本条先輩の方が上だとは思う。でも、生徒たちの信頼を得ていたかどうかという点で、すべてはひっくり返る。

 風見さんがたまたま、小学校時代の立村先輩を知っていたことから、とことん叩きのめし再起不能の傷を負わせることができた。

 それに関しては間違っているとは思えない。

 思えないけれども。

「あいつをなんとかしなくてはならないと、評議としては思っているところだ」

「なんとかってどういう風にですか」

「最低、クラスの連中と普通に会話が成り立つ状態にすることだろう。とにかく女子たちに総すかん買っている。やったことはやったことだが、過去のことは過去のことだろう。

「過去のことって言っても、許せないことがあるというのは先輩のお言葉ではないですか」

 確か、藤沖先輩は立村先輩の過去を知った段階で、絶交したはずだ。

「俺は青かった」

 きっぱりと答えた。

「隠すにしても、それぞれ口に出せない事情があることを、俺は気がついていなかった」

 気の抜けたコーラを先輩は飲み干した。


 ──あの馬鹿の代名詞、立村先輩と私が、似ている?

 これ以上の屈辱があるだろうか。

「私、そこまで嫌われてましたか! 立村先輩なんかに比べられるくらい!」

 もうこれ以上何もいえなかった。私は顔を覆った。押さえていた涙が溢れ出した。

「似てるから、嫌うんだろう」

「そんなに私が落ちぶれたのみて、楽しいですか! ざまみろと思ってますか!」

「いい薬だとは思っている」

 気持ちを逆撫でするような言葉を浴び続けていると、もう涙が押さえられない。頭を押さえて、私の家族たちと同じように軽蔑の視線を向けさせるそれだけなんだろう。

「でないと、気付かないだろう。どれだけ霧島がお前のやり方を嫌っていたかもわからなかっただろう。でしゃばりすぎることが男のプライドをずたずたにしていることも気付かなかっただろう。それに、いつまでたっても風見の力を借りてものを片付けるのでは前に進めないだろう」

「私、風見さんの力なんて借りてません。借りてません!」

「現実を見つめろ」

 いきなり怒鳴られた。身体がびくんと動いた。

「ひとつずつ考えてみろ。なぜ渋谷、お前は修学旅行の時、風見に連絡を入れたんだ? 風見ならなんとかしてくれるという甘えがあったからだろう?」

「そんなんじゃ、そんなんじゃ」

「風見にも問題があるが、それは別の話だ」

 一度言葉を切った後、

「霧島は、お前の失敗を嫌ったのではない。前からお前がしつこく絡んでくるのが不愉快だっただけだ」

「私が不愉快?」

「そうだ。あいつもまだ子どもだから何もわかっていないが、結局はそういうことだ。これから先、渋谷が霧島にあまり干渉せず、自分の仕事だけをしっかりしていけば、あいつはこれ以上何も言う気はない。男とは、そういうものだ」

「結局私は能無しだからということですね」 

 藤沖先輩は言葉を発しなかった。イエス、の答えに聞こえた。

 ──役立たずな私、何にもできない私。

 

「泣くな」

 しかりつけるような声が耳元に響いた。泣きたくない。でも涙だけがあふれ出る。誰も認めてもらえなかった惨めさ。

「さっきも言っただろう。お前は書記としてなら評価されると」

「そんな格下だなんて」

「立村とそのあたりまったく同じだな」

 また、傷に塩を盛り込むようなことを言う。

「あいつも、結局評議委員長としてではなく、天羽の補佐に回ってから真価を発揮した。人にはそれぞれ役割がある。上にたつのが向いている奴も居れば、陰で支えていく方がいいタイプもいる。渋谷、お前は影で支える方が向いている。本来ならば、生徒会よりも評議か規律か、そのあたりに居るべき人間だったのじゃないか」

 私は首を振った。生徒会役員としての器がないということをののしられてもどうしようもない。

「生徒会役員になってしまった以上は任務を果たすにしても、高校以降は少し自分に向いたものを選んだ方がいい。むしろ風見のようにちょこまか動く奴こそ、生徒会にふさわしい」

「そうですね、わかってます」

「だから泣くな」

 藤沖先輩はさらに叱りつけた。

「運がよいことに、お前にはこのままだとどうなるかのモデルケースを見る機会がある。すなわち、立村の現在過去未来を追いかけることによって、お前も決して同じ轍を踏まないように心がけることができるわけだ」

「そんなの、そんなの」

「いいか、観るんだ。俺はこれから、立村をなんとかしてクラスの一員としてもう一度立ち直らせるために、俺のできることをする。それを横からお前は見ているがいい。必ず、そこに答えがあるはずだ。いいか」

 

 ひどすぎる。私には能力がないということなのか。 

 生徒会役員としての名誉も、すべて幻というわけか。

 しかも、風見さんよりも、下。

 何もできない馬鹿。

 

「とにかく、今は自分のできることだけしろ。ここだけの話だが、おそらく霧島は、佐賀に惚れている」

「霧島くんがそういったのですか」

 しゃくりあげながら私が尋ねると、藤沖先輩は頷いた。顔が動いていたからたぶんそうだ。

「口にはださんだろう。だが、最初から霧島は佐賀以外、女子を受け入れる気はさらさらない」

「佐賀さんは、でも、新井林と」

 相思相愛の恋人がいるはずだ。勝ち目はない。動揺している自分がみっともない。藤沖先輩は頷きながらつぶやいた。

「それは佐賀と霧島の問題だ。今言った通り、渋谷はひたすら書記として任務を全うしろ。佐賀と霧島が恋愛沙汰をやらかしたとしても、それはその時、あいつらに任せておけばいい。同時に、関心をもたれていないという現実を見つめろ。言いたいことはわかるな」


 もう立ち直れなかった。私はとうとう、声をあげて泣きじゃくりつづけた。

 ──なんで、こんな醜くなってしまうんだろう。

 ──なんで私はこんなに、馬鹿だったんだろう。

「霧島は、姉にそっくりな女子を嫌っている。おそらく、お前の態度は霧島の姉を思い起こさせるのだろうな」

「どういうことですか」

「霧島は、頭の回転が速いタイプが好みだと話していたが、おそらくお前はタイプではないだろう」

 ──だから勉強したのに、一生懸命努力したのに。

「努力の方向がまったく違うところも、霧島の姉と同じだ。だがな、彼女は」

 その後しばらく、無言になった後、

「命がけで惚れてくれている男がいる。霧島本人は、姉の価値をまったく見出していないようだが、別の奴にはたまらなくいとおしいものなんだ。果たしてそれがいいか悪いかはわからないが、お前は霧島の姉と同じである以上、ちょっかい出すのをいいかげんやめたほうがいい。あいつにこれ以上嫌われたくないのなら、そうすべきだ」


 ──そんなに私は価値がないのでしょうか。

 おねしょがいまだに治らない私。仕事もろくすっぽできない私。生徒会長になれなかった私。霧島くんに尊敬してもらえなかった私。

 

「とにかく、今の自分にできることだけやれ。がんばれ」

 藤沖先輩はぶっきらぼうに、私の方を見ずにつぶやいた。

「あとは佐賀と風見に任せて、今は、青大附属の議事録をこしらえることに専念しろ。霧島にまた何か言われたら、その時は高校の英語科に来い。口は出さないが、言いたいことだけは聞いてやる。いいか」

 もう一度、私が顔を上げるのも待って、

「逃げるな、今が、正念場だぞ」

 繰り返した。首を振りながら私はひたすら泣きじゃくった。

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