21 中学三年初夏・佐川雅弘のひと時
21 中学三年初夏・佐川雅弘のひと時
「佐川くん、これからどこか行くの?」
なんでさっきたんは「行くの?」なんて言い方をするんだろう。
「うん、でも家に帰ってから行く」
こう言って置けば、うちの配達手伝いだと勘違いしてくれるだろう。
「もしよかったら、うちに遊びにこない? お母さんがいるし」
「ごめん、もう約束してるんだ。また今度」
「そう、だったら今度ね」
さっきたんとふたり、帰るようになってからもう三ヶ月が経とうとしている。最初のうちは、さんざんクラス連中に冷やかされたけれども、さっきたんがちっとも隠し立てしないことと、僕もうまく他の連中の弱みを握っておいたりして、今はだいぶ静かに過ごしている。
唯一、おとひっちゃんの顔だけは真正面から見られないけれども。
今日もいつものように、仲良く一緒に帰っているのだと、みんな思っているだろう。
僕がさっきたんと一緒に帰る日は、必ず約束があるのだと、誰も気づいていないだろう。
コンクリート塀の上に、白地に黒斑の猫が黙って座っていた。ちょうど僕とさっきたんを見下ろす格好でいた。撫でてやりたそうにさっきたんが手を伸ばすと、うるさそうな顔して立ち上がり、位置を変える。でもやっぱり座りなおすところみると、動く気はなさそうだった。
「じゃ、明日またね」
「うん」
さっきたんを門の前まで送った後、僕はちょうど猫が座っている位置まで黙って歩き、そこから先ダッシュで駆け出した。家に戻るのは本当だ。だって、制服のままで行くわけいかないじゃないか。
だって、これから、佐賀さんに会うんだから。
「佐川さん」
いつも僕を「さん」付けで呼ぶ。たったひとりの人だった。今日もエレクトーンのお稽古帰りだとかで、白いブラウスに水色のカーディガンを羽織っていた。スカートは薄めの青。六月っぽい、なんとなく大人っぽく見える格好だった。
いつもの待ち合わせ場所、郷土資料館の長いすに腰掛けて、両手をきちんとひざに乗せて待っている。
「ごめん、遅くなっちゃったよね」
「大丈夫です」
いつもながら人のいない資料館。ここ、本当に、閉館にならないといいんだけどな。
「あめ、なめる?」
僕はポケットから、家でくすねてきたフルーツあめをふたつぶ佐賀さんに渡した。
「ありがとうございます」
口に放り込み、ちょっとおちょぼ口にする佐賀さん。観たことのない表情だった。
僕が今日、なんで佐賀さんと会う約束をしたかというと、最近いろいろと青大附中評議委員会の動きが気ぜわしいとの情報が流れてきたからだった。正式な情報源は健吾くんなのだけど、やはり男としてかっこいいとこしか教えてくれない。気持ちはわかるんだ。おとひっちゃんだって同じだし。みっともないとこなんて、見せたくはないだろう。
ただ、僕としてはどうしても、公平な目で読まないといつぞやのようにとんでもないしくじりをやらかすかもしれない。たとえば立村評議委員長を甘く見すぎたために手厳しいしっぺ返しを受けたとかなんとか。
だから、佐賀さんから、公平な目でみた意見を聞きたかった。ほんと、それだけだ。
最近だと、水鳥中学生徒会と青大附中評議委員会との交流会でいろいろあったらしいとかなんとか。おとひっちゃんも三月の出来事以来、僕に詳しい情報を流してくれない。もちろん総田がうまくフォローしてくれているから情報には困ってないけども。
「一応、先輩たちは二年中心の話し合いでまとめられるつもりだったようです。そちらの会長が同じ二年生だし」
頷きながら聞いていた。それは、確かに、そうだ。
「そのあと、打ち上げを喫茶店で行いました。そのあたりは先輩たちが用意してくれたのですけれども。盛り上がりました」
「そうなんだ、ふうん」
なんだか佐賀さんの口調が冷めているような気がした。もしこれが健吾くんから流れてきた情報だとしたら、もっとエキサイトしたものになっているだろう。佐賀さん、正直なところどうなんだろう。あまり、楽しくなかったのかな。
「けど、無事に終わってよかったよね」
「はい、関崎副会長を近づけないですんだので、ほっとしてます」
「杉本さんのこと?」
「はい」
詳しくは聞かなかった。おとひっちゃんがおびえてなかったこととか、総田が特に何も言っていなかったところみると、たぶん顔を合わせなくてもよかったんだろう。めでたしめでたしだ。
「あのさあ、佐賀さん、ひとつ、聞いていいかな」
「なんですか?」
佐賀さんが小首を傾げ、耳元のほつれ毛を指ですくった。
「なんだか、佐賀さんはあまり交流会に乗り気じゃないのかなってなんとなく、思ったんだけどさ」
「え?」
息を呑むように、またおちょぼ口を一瞬。
僕は畳み掛けることにした。
「はっきり言って、出来がよくなかったんじゃないのかなあ。交流会って。健吾くんたちからは成功していると思っているだろうけど、佐賀さんにとってはいまいちだったとか」
佐賀さんの顔が今度は眼もまん丸。ちょっぴり面白い顔になる。でも、観てて飽きないからいい。
しばらく口篭もっていたけれど、僕がもう一粒あめを渡した頃から言葉が流れ始めた。
「私の感じ方が変なのかもしれないんですけど」
一呼吸置いて、
「なんだか、みんな、赤ちゃんみたいって思えるんです」
「どこが?」
「みんな、こんなどうでもいいことに、なぜみんな情熱をかけていられるのかなって」
僕がおとひっちゃんに感じたものと同じだろうか。
「私、ずっと健吾……新井林くんの側でお手伝いしてきました。三年の先輩たちが必死になって準備している様もちらっと見てきました。でも、なんだか小さなことばっかりに夢中になっているみたいで、もっと他にやることあるはずなのに、なんでだろうって思ってました」
「言いたいことは大体わかるよ」
素早く言葉の意味を読解した。
健吾くんから直接話を聴いた感じでは「とにかく、絶対、二年が中心となって成功させますよ! 三年の人たちはみんな修学旅行に行っちゃって実際活動できるのは俺たちだけですから!」なんて気合十分だったけれども。おとひっちゃんと同じく、ひとりで熱くなっていただけなんだろうか? いや、おとひっちゃんと違い健吾くんは人望もあるし、孤独にはならないと思う。ただどうしても、しらっとしてしまう奴がひとりかふたりはいるだろうな。そんな気はしていた。
でもまさか、「お付き合い」相手の佐賀さんにそう思われているとは思わないだろう。
佐賀さんはそういうの、隠せる人だから。
「せっかく生徒会の人たちも参加してくれたのですから、本来だったら生徒会同士の話し合いに持ち込んでいって、同じ立場として話し合いをすればよかったのにって思うんです。それの方が会長さんもやりやすかっただろうし。結局、水鳥中学の生徒会の人たちと、うちの学校の生徒会の人たちはほとんど会話を交わす機会がなかったんです」
「けど、話によるとさ、現評議委員長としては来年以降、力関係を生徒会に移行させようとしているとか」
健吾くんからの情報だ。
「もちろん、それはわかってます。けど、それは来年だったら遅すぎると思うんです」
佐賀さんのきっぱりした口調に、ちょっとびびった。
「それはどうしてかなあ」
「立村先輩はまだ、来年の三月まで評議委員長のままのはずです。だけど、生徒会の人たちは十月で改選されます。自動的に二年生が集まる形になります。でも、話し合いを評議委員会とする場合、どうしても三年の先輩相手だと勝ち目がないはずです。どうしても、生徒会には不利なんです」
「そうだね、そう言われてみれば」
「だから、立村先輩に結局は押さえ込まれたままなんです。そんなに早く生徒会の方に移行させたいんだったら、後期に二年生の委員長にしてしまうとか、そうしないと、つりあいが取れないと思うんです。来年以降健吾がどういうことするかわかりませんけども。それに」
「うん、大体飲み込めた」
僕はまとめてみた。
「つまり、佐賀さんとしては、立村を後期の委員長からおろしたいんだろ?」
黙った。きっと、その通りなんだよね、きっと。
僕もその考えを頭によぎらせなかったわけではなかった。
青大附中という特殊な環境下の中、委員会活動が生徒会よりも上という信じ難い状態は、僕も正直頷けない。その点、立村が主導して、評議委員会よりも生徒会の方へと権力を移行させてつりあいをとらせたいというのはわかるような気がする。健吾くんは複雑かもしれないけれども、これから先、本当の意味でいろいろな交流会を開きたいんだったら、委員会よりも生徒会の活動の方がうまくいくと思うのだ。だって、おとひっちゃんたちだって、本当は委員会よりも生徒会同士の情報を交換したかったはずだから。
でも、まさか、佐賀さんも同じことを考えていたとは。
「あのさ、佐賀さん。ひとつ聞きたいんだけど、青大附中の委員会って、前期と後期にわかれているんだよね。ちゃんとクラス内で選出されるような形なんだよね」
「はい。クラス内では、でも決まっているようなものです」
「じゃあもしもだよ、後期の委員長が変わった場合、何かトラブル起きるのかな」
佐賀さんは頷いた。
「今までの顧問の先生だったらたぶん、そのままで通させたと思うんです。でも今の顧問の先生は、民主主義にのっとってないから今のやり方がおかしいんでは、ってたまに言います。私もそう思います。みんなの挙手投票だったら、変わってくるかもしれません。前委員長の指名というやり方に疑問の声、あがってもおかしくないのに、なんでか誰も言わないんです」
「まあ、部活と一緒だもんね」
僕はひとつひとつ、ゆっくりと指を折って行った。
「佐賀さん、まだ後期まで間があるだろ。俺も佐賀さんの意見、これからじっくり考えてみたいんだ。少し待っててくれるかな。今は内緒にしようよ」
「え?」
「二期制のことに気が付いたのはきっと、今のところ佐賀さんと俺だけだよ。たとえばさ、仮に健吾くんを後期の委員長に選んだとするよね。そうすると、生徒会長も二年になるかな。うちのように一年をわざと選ぶって手もあるけど、それはおいといて。そうすると佐賀さんの言う通り、対等になると思うんだ。けど、せっかく生徒会にもう少し下駄履かせたいんだったら」
僕は言葉を切った。続けた。
「思い切って誰か、評議委員の二年が、生徒会に立候補しちゃえばいいんだよ。生徒会長でもなんでも全部関係なく。今まで評議委員会に偏っていたものが生徒会に流れるわけだから、ちょうどとんとんとなるし。それにたぶん、生徒会って全部人が変わるなんてことないから、持ち上がりの人たちの手助けも借りれればいいし。一気に秋の段階で権力交代だよ。そうだ。健吾くん、思い切って生徒会長に立候補すればいいじゃないかな。それがベストだよ!」
僕は思わず飛び出した名案に拍手したくなってしまった。
そうだ、健吾くんが生徒会長になっちゃえばいいんだよ!
佐賀さんはいまひとつ腑に落ちないようすで、
「そうですか、健吾を」
慌てて
「新井林くんを」
言い直した。
しばらく別のことをしゃべったあと、僕は佐賀さんと別々に資料館を出た。ふたりで歩いているところが、うっかりさっきたんの眼に触れるのだけはさけたい。いや、一番怖いのはおとひっちゃんかもしれない。決して悪いことをしているわけではないのだけれども。
帰り道、さっきたんの家の前を通ったとき、斜め左上の方に光る物体がちらりと見えた。
見張られたんじゃないかって、どきっとした。
近づいてみると、さっき見かけた黒ぶちの猫だったらしい。毛並みはあいまいにしか見えないけれども、闇に光るちっちゃな光がちろっと掠めていった。
さあて、どうしようか。
わざと僕は、猫に聞こえるようつぶやいた。