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16 大学一年六月中旬・和風喫茶にてふたりの会話

16  大学一年六月中旬・和風喫茶にてふたりの会話


 なにせ、彼女の外見に惹きつけられて声をかけた男子連中がみな、第一段階の喫茶店ですぐに、

「もう少し女性に対してのマナーを身に付けたらどうかしら、男だからといっていつもふんぞり返っているような相手とは、これ以上同じ空気を吸いたくないの」

 もちろん相手に全部払わせて、さっさと消える。

 僕からするとその男子連中も決して「マナー違反」をしたわけではない。男らしく振舞ったはずだろうし、もちろん洗練されたレディーファーストなんぞできるわけもないけれども、それなりに「男気」を出していたはずだ。他の女子たちには受けのいい、男らしさというものが彼らには確かに存在した。それが彼女には気に食わなかったらしい。ひとり、ふたり、三人と、切りつけるせりふであっさりと振られる男子の屍が積み重ねられるのを、僕は他人事のように眺めていた。別の世界の物語として受け止めていた。

 ──僕には、最初からその「男らしさ」もなければ、プライドもなかったから。

 十八歳の、まだ大学に入学して三ヶ月の僕には手に入らないものばかりだった。


 だから、あの彼女が僕に興味を示し、

「立村くん、どこかおいしいところでも連れて行ってもらえない?」

 と声をかけてきた時には、正直どうやって断るべきか迷った。彼女が好むようなお上品な店をそれほど知っているわけでもないし、それ以上に「レディーファースト」なんぞできるものでもない。椅子を相手の女性のために引いてあげることくらいは知っているけれども、それ以上に何ができるだろう? 話もそれほど盛り上がるようなネタを用意しているわけでもない。

 幼い頃から日本伝統文化の稽古事に通い、茶道と華道では師範級だとか、黙っていれば気品のあるお嬢様なのに、歯に物着せぬ物言いで周囲から遠巻きに眺められている女子学生。もちろん成績も優秀だという噂は耳にしている。他の女子学生がジーンズにTシャツというラフな格好をしているのに対し、彼女はいつもシンプルなスーツ姿にシュークリーム風のアップした髪形だった。大学生というよりも、OLといった感じだろうか。明らかに学校内では浮いた存在ではあった。

「でも、僕もあまりしゃれた店など知らないし」

「いいのよ、立村くんが普段好んで使っている店とかあるでしょう。喫茶店でも」

「本当に、いいんですか」

 結局僕は言われるがままに、親の行き着けだった和風喫茶店へと彼女をいざなうことにした。他の女子学生に、そんな地味な店へ連れていっても「立村くんって陰気」と、僕のイメージをさらに強化するだけのことだろう。もともと僕は中学高校を通じて、女子と口を利いたことがほとんどなかった。流行していた派手な歌謡曲とは縁もなく、小唄や三味線の世界にほんの少し心の安らぎを感じていた程度のことだった。一般的な大学生とは言えない僕を、なぜ彼女は誘うつもりになったのだろう。


 いつ席を立たれるか、今度は何を言われるか、びくびくしながらも彼女とのひと時はほっと落ち着くものがあった。噂にたがわず彼女の言葉は、一般的女子学生のものとは違っていた。」メニューを手にするなり、すぐに「抹茶と和菓子のセットね」と声高らかに告げた彼女の態度を見ると、おそらく男子連中もおごる気にはなれなかったのではないかと思われる。そうだ、この段階で、彼女を恋愛対象としてみる気がしなくなるのだろう。

「立村くんってずいぶん、クラスでは地味にしているじゃない?」

「え……?」

「言いたいことがあるくせに、いつも飲み込んでしまっているって感じよ。で、他の男子たちに全部言われてしまって、しかたなくおとなしくうつむいているって、そう見えるんだけど、どう?」

 ──どうって言われてもさ。

 僕は答えるのに迷った。目の前に届いた二人分の「抹茶と和菓子」のセットをうつむいて眺めた。表面がかすかにあわ立った黄緑の液体と、隣にちょこなんと飾られている琥珀羊羹。ひょうたんの形で、かすかに小豆が透けて見える。そういえばそろそろ夏なのだ。

「本当は、いろいろと仕切りたいことだってあるはずなのにね、どうして?」

 ──どうしてって言われてもさ。

 僕は彼女が言うだけ言ったあと、ゆっくりと黒文字を扱い口に運ぶのを見つめていた。やはりしぐさひとつひとつは、しつけの行き届いた家の娘といった風だろう。あの口調さえなければ、少しでも黙っていられれば。

「あまり僕は、目立つの好きじゃないから」

「ふうん、自分が馬鹿だってばれるのがいやだから?」

 かすかにぴりりときたけれど、口元をもぐもぐ動かしながら呟く彼女に文句なんていえるわけがない。

「そうかもしれないな。もともと僕はあまり、頭のいい方じゃなかったからさ」

「あら、そう思ってるの」

 ──思うしかないじゃないか。

 ほとんど会話を交わしたことのない女子に対して、僕がどう返事できようか。僕の通っていた高校のレベルでは、決してこういう学校へ進学することなどできなかったはずだ。たまたま小論文の試験で高得点を取ったのがきっかけで、国語の教師からお墨付きを受けて指定校推薦を受け合格しただけのことだ。授業のレベルが高すぎるのと、クラスの連中が今はやりの政治および哲学的議論を交わしつづけるのについていけず、いつのまにか無口になったそれだけのことだ。もっとも今目の前にいる彼女も議論では負けていなかった。彼女に言い返すだけの論理を持っている男子がいたとは思えず、当然僕も無理だとわかっていて、だから近づかなかっただけのことだった。

「君もそのあたりはわかっているだろう? クラスの男子たちは決して君に勝つことができないけれども、僕よりはるかに高校時代勉強もしてきた、本も読んできた。そういう奴がほとんどだよ。そんな中で僕がでしゃばったとしても、それこそ『馬鹿がばれる』ことになってしまうだろう? そこまで僕も、自分をさらけ出したいとは思わない」

「ふうん、そう、そういうわけなの」

 結局僕が手をつける前に琥珀羊羹は、「ね、私がもらっていい? あまり甘いもの好きでないんでしょう? 立村くんは」と決め付けられ、彼女の口へと飛んでいった。


 きっと、男尊女卑の価値観を持つ男子連中を打破する一環として、僕に近づいてきたのかもしれない。会話をしているうちにそんな気がしてきた。さすがに抹茶までは僕から奪う気もなかったのか、彼女は両手でガラスの茶碗を持ち、

「立村くんがどう思っているか知らないけれども、私は別にあのおろかな価値観を持つ男子たちを馬鹿にしているわけではないのよ。さぞかし高校時代は成績もよかっただろうし、サルトルやカント、ニーチェくらいはさらさら読んでいたでしょうよ。立村くんは誰が好きだと話してたかしら。太宰? それとも漱石? 鴎外?」

「まあ、そんなところ」

 日本文学全集をたまたま親が持っていたから、それを読みあさっただけのことだ。自慢できることではないので黙っていた。彼女は大きくため息をつき、真正面から僕を射た。らんらんとした、つややかな瞳が薄化粧の顔から光ったように見えた。キャッツアイという宝石はきっと彼女の瞳にそっくりだろう。ぼんやりと思った。

「そう、それも人それぞれよね。でもいくら日本の改革をと学生が叫んだところで、大人たちにあっさり踏み潰されるのもまた定めというものよ。それが正しいかどうかは別として。それよりも私たちは、これから生きていく上で次の世代に対しての教育を意識していくべきじゃないかしらん、と思うのよ」

 ──何言いたいんだ、彼女は。

 他の男子たち相手に論破する厳しい口調ではない。クラスの女子たちをぴしぴしとしかりつけるような風でもない。今まで彼女が、他のクラスメートに対して見せたことのない口調だった。まだなじめないけれども、いやな感じはしなかった。

「つまり、今後の日本の行く末を語るひまがあったら、あんたらの身近な男女たちをきっちりと教育しなさいよ、ってことよ。いい、立村くん。君は将来、結婚したいと思っている? はっきり答えなさい」

 ──この人、絶対変だ。

 だんまり決め込むのは危険だ。僕は頷いた。

「将来的には、まあ」

「まさかと思うけど、三つ指突いてお迎えしてくれるような、時代錯誤の良妻賢母なんて求めていないでしょうねえ」

「それは求めてないと思う」

 このあたりは断言できた。というのも、僕の家庭はもともと共稼ぎだった。だからというわけでもないが、結婚の際に「女性は家にいろ」などという発想はもともとない。第一いられたら鬱陶しいじゃないか。

「そう、珍しいのね」

「普通はそうじゃないのか?」

「なあに馬鹿なこと言ってるのよ立村くん。今まで私と交際を求めてきた男子連中みな同じこと言うのよね。『もっと女らしくしろ』ですってよ。勘違いするのもいいかげんにしろって言いたいわよね。ドアを開けて待っているような礼儀のしっかりした男にだったら、こちらも少しは考えてあげないこともないけど、なんで高飛車にそんなこと言われなくちゃならないのよねえ。どう思う、立村くん」

 ──どう思うったって。

 目の前の彼女は、らんらんと輝く瞳をまた僕にぶつけた。

 なんで僕なんだか、わからない。

「私はね、できるだけ早く結婚したいと思っているの」

 話が飛んだ。追いついていけなかった。

「できるだけ早く子どもを作って、女の子だったら礼儀作法とたしなみはもちろんのこと、男女同権の認識をしっかり持ってしなやかに社会の波を渡っていく、そういう子に育てたいのよ。必ずしもウーマンリブの思想に与するものではないけれども、日本の伝統文化や営みはきっちりと伝えていくのが常よ。でも、だからといって男子学生たちに『女らしくしろ』と文句を言われて素直に頷くような教育はしたくないの。礼儀知らずではないけれども、人間らしい扱いを求めることのできる、自分の思ったことをきちんと言える子に育てたいの」

「はあ……」

 なんでそれを僕に話すのだろうか。茶碗で抹茶をすする。ここちいい苦味が広がる。幼い頃から茶の味には親しんでいた。

「ただ子どもを作るには、相手が必要よね。もちろん必要だとは思うけれども、子どもがもし、親の言う建前の理想と実際の夫婦間の繋がりとギャップを感じたらどうなるかしら。社会の流れが相変わらず男女差別の厳しいものであるならば、なおさら、教育なんて効果なくなるわ。もちろんよ。だから、そのあたりをしっかりと理解し、子育てがある程度終わったら女性がきちんと社会に復帰できるような家庭にしたいのよ」

「あの、ひとつ聞いていいかな」

 立て板に水。なんとかせき止めた。

「生まれた子が男だとしても、同じなのかな。男子にはやっぱり男子なりの教育方針が必要だと思うけれども」

「そうね、男の子だったらね」

 答えを用意していなかったわけではなさそうだ。彼女は唇を軽くハンカチで押さえるしぐさをした。下を向くと、かげりがほわっと浮かぶ。漆器の艶のようなものだった。

「残念ながら私は女性の教育しか受けてきていないから、百パーセント男子向けの理想的子育てができるかどうかわからないわ。ただ、母親があまりべったり息子に張り付いているというのは、不自然だと思うわ。ある程度、そうねえ、中学入学までは母性をたっぷり与えるけれども、色気づく頃になったら一度完全に手放す必要があると思うのよ。父親に教育させるというのかしら。完全に男の手で男の教育を行うというのかしらね。その時に母親がべったりしていると、女性に対して勘違いした認識を持ちそうよ。だからこそ、父親が男尊女卑の思想から逃れていることが大切なのよ。そのあたりを私は、きちんと見極めたくて」

 言葉を切った。また、うるっとした瞳で僕を見つめた。

「立村くん、ずっと気になっていたのよね、下の名前はなんていうの?」

「……和也、だけど」

 彼女はゆっくりと僕の名前を繰り返し「和也、ね」、そう呟いた。

「じゃあこれから、悪いけど君のこと、和也くんと呼ぶわ」

「え?」

「私の名前も、覚えていないなんて言わないわよね」

 メニューをもう一度店員さんに要求し、彼女は「野点珈琲を二人分、お願いします」と注文を入れた。


 まだ整理しきれていない情報を処理するため、まだ飲み終えていない抹茶を黒いお盆の上に置いた。珈琲を注文してくれたのはありがたかった。たとえ二人分すべて僕が支払うことに……おそらくなるだろうが……今から僕は彼女を目の前にして確認すべきことがひとつある。

 ──下の名前、「さなこ」さんでいいのかな。

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