14 中学三年六月・清坂美里の記憶
14 中学三年六月・清坂美里の記憶
「その言い方は、立村に対して失礼だろう」
目の前では真赤な顔をして新井林くんがうつむいている。隣でおそろしいくらい静かに佐賀さんが立村くんと、発した言葉の相手を見つめている。
他の子たちはみな先に喫茶店から出ていた。私と立村くんが最後に支払いをしようというところで、突然新井林くんが立ち上がったのがきっかけだった。もうテーブルのグラスもみんな片付けられていて、あとは帰るだけなのに。水鳥中学生徒会の副会長さんひとりだけ、立村くんに何かを話し掛けようとしていた時に割りこんだ。もともと新井林くんは立村くんのことをあまり好きでないようだし、「評議委員長のくせに遅れてきた」だけではなくて、また別の何かをしでかしたとかで腹を立てていた。その理由については確かに私も、ちょっと立村くんやりすぎだと思ったけど、しょうがない、あとでこっそり責めればいいのにって思っていた。新井林くん、佐賀さんからきっと全部話聞いたのね。
「いや、関崎さんに対してなんでそんな余計なことをしようとしたか、俺はそれが言いたいだけです。なんで余計なことするんですか。評議委員として関係ない奴を」
言いかけた新井林くんをさえぎったのが、最初の言葉だった。
「別に俺は腹立てていないし、迷惑もかけられていない。立村にも何もされていない。それだけだ」
もう一度、副会長さんは唇をまっすぐにして言い放った。放ったって表現はふさわしくないかも。投げ出したって感じだろうか。立村くんが慌ててその副会長さんに何かを言おうとしたけれども、そちらもさえぎり、
「とにかく、今日は本当にありがとう。成功、感謝します」
ちょっと変な言い方をして、副会長さんは深く一礼した。本当に九十度、かくっと。
「じゃ、また今度な」
立村くんも間抜け。もっときちっとかっこいいこと、どうして言えないんだろう。
二年生の後輩たちに完全に尻に敷かれているってことが証明されちゃった、今回の「水鳥中学」との交流会だったのに。ちっとも、評議委員長らしくない。一緒に手伝っていた私の方が情けなくなってしまうくらいだった。あとでふたりになった時、もっとはっきり言っちゃおう。なんかここに二年生ふたりと立村くんといると、とんでもないこと言ってしまいそうだった。
「私、バス停まで送ります」
とっさに口走ってしまった。
立村くんが一瞬にらんだのをしっかり見てしまった。
きっと、かっとなってるに決まっている。
新井林くんが、
「清坂先輩、あの、俺後輩だし、俺が行きます」
口をはさんだ。立村くんには決して使わない「先輩」を、私にはくっつけてくれる。
「いいえ、私が」
本日の一番の立役者、佐賀さんが首を振った。どちらにも私は答えなかった。
「とにかく、先に帰ってていい。立村くん、あとで電話するから」
きっぱり言い捨てて私は、副会長さんの背中を軽く押した。いきなり硬直して「きょーつけ!」のポーズを取った彼に、ちょっと驚いた。
外に出てみるとだいぶ日も落ちていた。あんなに明るかった空が、雲に覆われて真っ白け。喫茶店から一番近いバスターミナルを調べておいた。たぶん立村くんが案内したらまた馬鹿正直に遠回りして案内するだろうけど、私ならちゃんと裏道近道知っている。喫茶店裏に白い四階建てのビルが建っていて、その隙間をするする抜けるとすぐバス停に出られる。
「ここを通ろうよ」
つい、ため口。
「え?」
さすがにこれは失礼だった。言い直した。
「ここを通ると近いですよ」
「あ、はい」
片腕程度の幅しかないけど特につっかかることもなくすり抜けられた。
コンクリートの待合室付バス停にたどり着き、私と副会長さんはまず、どかっと腰を下ろした。
「あの、今日は最後の最後にほんっと、ごめんなさい」
誰も待合客がいなくて、言葉に戸惑う。横目で副会長さんの姿を見やる。けどこういうのって私らしくない。すぐ身体ごと副会長さんに向けて、真正面から見つめた。
「いや、俺はすごくよかったと思います。立村のおかげだと」
なんで私にいきなり立村くんを呼びつけるようなこと言うんだろう?
確か、副会長さんとは一度、水鳥中学の生徒会室で会ったことがあるんだったっけ。
言葉をとつ、とつと落としていく、無口なんだけど男っぽいなって感じの人だった。
ただ杉本さんがあんなに夢中になるような人だろうか、とは思ったけども。
葉牡丹もらってこの副会長さん、何思ったのかな、といろいろ想像してみた。
「立村くん、一生懸命なんだけど、どうしても目立たないんだよなあ」
このあたりは独り言っぽく。だって、丁寧語使うと変にひっかかってしまいそうだった。もちろん会の間は「です」を使っていたけど、ふたりっきりだとなぜか、同い年を意識してしまう。
「でも、新井林くんたちが怒るのも無理ないと思うんですよね」
「いや、それはない」
違う、副会長さんは何も気付いていないんだろう。ここで言っておかないと。
「杉本さんのことになると、立村くん理性失ってしまうんです。本当に、こっちでも見ていて腹立っちゃうくらいに。そうなんですよ! 立村くん、杉本さんのことをほんっと可愛がってるから。でも約束は約束です。立村くんの余計なお世話については、私もあとできっちり怒っておきますから大丈夫です」
意味不明、脈略なし。けど言わずにいられない。
「いや、言わなくても、俺はすごくよかったし」
「いいえ、今日の会みたいに、評議委員長らしくないとこばかり見せすぎて、三年の威厳がなさ過ぎます! もう、二年のみんながいなかったらどうなってたかって思うと、もう」
「あの、清坂、さん」
──私の苗字、覚えてる? 副会長さん、私が立村くんと付き合ってること、知っているんだろうか?
不意にのどがこわばった。私は副会長さん、としかこの人を呼んでいないのに。
「立村はすごいいい奴だと思う。清坂さん、一番知ってると思ったんだ」
評議委員長でありながらほとんど存在感のない形で会を終わらせてしまった立村くんに、なんとなくいらいらしていた。最初から予定していたこととはいえ、二年生の新井林くんとあと佐賀さんを中心にまとめてしまったことについては、三年女子としてもかなりむかっとくるところがあった。三年が主役でなぜだめだったんだろう? なぜ、ゆいちゃんや近江さん、琴音ちゃんよりも、水鳥中学生徒会の人たちはみな佐賀さんに視線を集中させてしまったんだろう? 私だってまともな発言一杯したかったのに立村くんにさえぎられ、二年と一年、その他の人たちに振られてしまった。
二年ばっかり目立って、ずるい!
水鳥中学の人たちだって、最後に頭を笑顔で下げたのは、みんな佐賀さん相手じゃない。名前を覚えてくれたのは新井林くんと佐賀さんの二人だけ。
けど、副会長さんは、私の名前を覚えてくれていた。
佐賀さんじゃなくて、私を。
立村くんと私のことを、見ていてくれていた。
私はうつむき衿のボタンをひとつはずした副会長さんの、胸の名札をのぞき見た。
もうこの人を、「副会長さん」と誰にでもつけられるような呼び名で呼びたくない。
「関崎」と、金色のプレートに黒く掘り込まれていた。
「あの、関崎くんでいいの?」
ちょっときつめなまなざしと、戸惑った口元、彫りの深い鼻筋。全然立村くんと違う。
何も言葉を出さないで、こくっと頷いたところだけは似ているかもしれない。
「ありがとう、関崎くん」
私はもう一度、はっきりと名前で彼のことを呼んだ。