プロローグ
寒空の下、一軒の平屋がぽつんと建っていた。
月夜に照らされた物静かな場所で、時折、風で靡く草木の葉が擦れ合う音が聞こえてくる。
敷地は、子供達が走り回れる広大な芝生の庭に、木々が弧を描いて周りを囲んでいる。
家にちょっとしたベランダと煙突も有り、一階建てにしては造りが洒落ている。これが今時のデザイン、と言ったところか。
裏手は、湯煙のような薄い霧が漂う一本道があった。何処へ続いているのかは分からない――。
平屋の一室では、明かりを点けないまま一人掛けのソファに居座る人影が在った。
白い月の光が窓から差し込むと、その姿は男性だと分かった。
彼は腕と脚を組み、ピクリともしない。その姿はまるで、大御所のベテラン俳優かと思わせるほどの座り様である。
ピクリともしないのも訳があった。
彼はすやすやと寝息を立てている。そう、眠気に襲われ寝てしまったのだ。
別の部屋で待機している女性が、ウフンオホン、とやや大きめの咳払いをするが、目覚めない。
同じ事を繰り返しても起きないので、挙げ句の果てに「おい」と叫ぶ彼女。
すると彼は、ハッと驚くように目を覚ました。
読者に気が付くと、もう始まってたのか、と言わんばかりの顔つきをする。寝起きは決して悪い方ではない。寧ろ良い方だ。
彼は「ああ、すいません、寝てました」と言うなり、両手を上げて背伸びをしながら、気持ちよく欠伸も一つする。
そして、彼が指パッチンをした。けれど何も起きなかった。きっと鳴らすことで、どこぞの物語りの主人公が、真っ暗なオープニングからスポットライトを当てられ姿を現す。といったシーン同様、明かりが点くとでも思ったのだろう。
生憎そういった仕掛けは無い。
仕方なく立ち上がると、目の前のテーブルに置いてあったシーリングライトのリモコンを手に取り、天井へと向けて、点灯ボタンを押した。
目映い小さな円盤の光が、室内を一気に照らす。
すると、彼の容姿が明らかになる。
顔は一見普通。彼の立ち姿は、スラッとしている割りに体つきが良く、運動神経も良さそうだ。顔の若さや雰囲気からして、まだ二十代と見られる。
ライトのリモコンを置く際、左手の甲に何かの紋様が刻印されていた。
彼は再び、ソファに座り込んだ。
「えっと、まずは――おはようございます?こんにちは?こんばんは?ええい、全部まとめよう……やっほー」
こう言い終えるや否や、別室で待機していた女性が、彼の傍に直ぐ様駆け寄り、頭を叩いた。
「痛っ」彼は反射的に振り返った。
そこには、顔だけが売りの女優と遜色ないほどの美人が居た。
肩まで伸ばしている髪は、毛先にパーマをあてている。茶髪だが、彼女の性格とは真逆の落ち着いた色をしていた。
スタイルもそれなりに良く、着ている服はお洒落。
見た目からして、年齢は大学生と同じくらいだろう。
「やっほーじゃねえし、読者さんに失礼よ。挨拶くらいちゃんとしましょうか」彼女は語気を強めて言った。
「やっほーだって挨拶になるじゃん。この前家に来た、チャラついた女子高生だってやっほーってしてたし」と彼が言い返した。
「なりません。それにチャラついた女子高生って何?間違ってるよそれ。チャラついた女子高生と読みましょうか」彼女は不敵な笑みを浮かべながら言った。
「ええっ、あの娘に対してそう思ってたの?」と彼が聞くと、彼女は「うん」と頷いた。
「へえ……あはは」彼は苦笑いした。
彼女はコーナーソファに腰を下ろした。
「そんな事より早く自己紹介してあげないと。このままじゃ『彼』と『彼女』で続きますよ」と彼女は言った。
「ああ、忘れてた。では」軽く咳払いをした彼。
「おっす、おら――」と言いけると、横から鉄拳が飛んできた。
彼が頭を押さえる。「うう、酷い、痛すぎるじゃないか」
「パクらず真面目にやろうか」彼女は圧力をかけて言った。
「ごめんなさい。じゃあ改めて……初めまして、僕は仙石澪八です。趣味は筋トレ。そしてこちらが――」
「はい、一から始まり五、六、七。七と言えばラッキーセブン。皆のラッキーセブンはだれ?そう、ななみーん。ななみんこと、一ノ瀬七奈美です」
「……」
一ノ瀬のアイドルじみた自己紹介が終わると、時を止めたかの様にその場は静まり返る。
仙石は一瞬こう思った。(あれ、家にアイドルなんていたっけ?)
とりあえず見なかった事にしよう、と心のポケットに仕舞い込もうとした。が、一ノ瀬に「ちょっと待って」と言われ仕舞うのを止めた。
「なに?」
「なに?じゃないよ、仙石さん。リアクション、何か反応してよ」
「特に……もう眠いから寝るね」仙石はソファから離れ、部屋を出ようとした。
「待て、仙石」一ノ瀬が仙石を引き留めた。「これじゃあ読者に説明しようがないじゃん」
「別にいいよ。読者はきっと、ななみんがアイドルに憧れてるんだって思ってくれるよ。もうそろそろ第一話に行かないと。じゃあ、おやすみ」
仙石は廊下を歩き、家の玄関から見て左手の奥の寝室へと向かった。
「ちょ、ちょっと、仙石さん」
困り果てる一ノ瀬は、ため息をついた。
「あの、読者いいですか?別にアイドルに憧れてないですからね。一度だけあの自己紹介をやってみたかっただけ、では」
一ノ瀬も同じ寝室へと向かい、ドアノブに右手をかけると、再び読者を見た。
「ご心配なく、ベッドは別々です。一緒に寝たり、あんなことやこんなこと、なんて一切ありませんから」一ノ瀬は左目でウインクをすると、部屋の中へと消えた。
ベッドの上で目を閉じていた仙石は、ある事を思い出す。
(やっべ、どういう物語なのか説明するの忘れたな。まあ、明日になれば分かるかな)
仙石澪八は布団で顔を隠して、朝を待った――。




