八 インドと、インドで知ったこと
コーリカットの港は、世界の終わりではなかった。
ヤスフは以前、インドというのは世界の端にある場所だと思っていた。子供の頃にそう教わった。誰に教わったかは忘れた。しかし実際に来てみると、インドは端ではなかった。別の世界の、中心だった。港には見たことのない形の船が溢れ、聞いたことのない言語が飛び交い、嗅いだことのない香辛料の匂いが空気を満たしていた。アレクサンドリアとも、アデンとも、全然違う種類の賑やかさだった。
煙子は、コーリカットに入った瞬間から、落ち着かなかった。
港の景色をきょろきょろと見回し、行き交う人を目で追い、どこかから漂ってくる食べ物の匂いに鼻を動かした。板を胸に抱えたまま、首だけが忙しく動いていた。子供が見知らぬ祭りに連れてこられたときの動き方だった。あの、目が全部を追いきれなくて困っている感じ。
ヤスフはその様子を見て、少し安心した。
理由は自分でもよく分からなかった。ただ、この子供がこういう動き方をするのを見るのが、悪くなかった。何かを背負った子供の顔ではなく、ただの子供の顔をしているときの煙子を見るのが。
カマルッディン老人は、コーリカットに知り合いがいた。
港から少し入った場所に、香辛料商を営む男がいて、老人はそこへ真っ先に向かった。商人は老人の顔を見て驚き、抱擁し、奥に通した。その家で一夜の宿を借りることになった。
商人の家には子供が四人いた。
一番下はまだ歩き始めたくらいで、上の三人は煙子と同じくらいの年頃だった。三人は煙子を見て、最初は警戒していた。言葉が通じないことが分かると、今度は好奇心に変わった。煙子の着ているものを触り、髪の結い方を指差し、何かを言い合った。
煙子は最初、硬い顔をしていた。
知らない子供たちに囲まれて、どうしていいか分からない顔だった。板をより強く抱えた。一歩だけ後ろに下がった。ヤスフはそれを見て、声をかけようとした。
その前に、上の子供の一人が、煙子の手を引いた。
引かれるままに、煙子は連れて行かれた。家の奥の、中庭に面した部屋に連れていかれた。ヤスフは少し離れたところから見ていた。中庭に、鶏が数羽いた。子供たちが何かを投げると、鶏が集まってきた。煙子は最初それを遠くから見ていた。それから少し近づいた。鶏の一羽がそちらに向かってきた。煙子が固まった。鶏は煙子の足元まで来て、靴を突いた。
煙子が小さく叫んだ。
それから自分が叫んだことに気づいて、手で口を押さえた。他の子供たちが笑った。悪意のない笑い方だった。煙子はしばらく固まっていたが、やがてその笑いが伝染したのか、自分も笑い始めた。口を押さえたまま、肩が揺れた。
ヤスフはそれを見て、また笑いそうになった。
こらえた。こらえたが、顔に出た。ザイナブが横から見ていて、何も言わなかった。しかし口元が動いた。
夕食は商人の家のものを全員で食べた。
米と、煮込んだ豆と、強い香辛料で炒めた野菜だった。ヤスフには辛すぎた。水を何度も飲んだ。ハジブは平然と食べていた。この男が辛さに顔を顰めるところは、ヤスフは見たことがなかった。そういう部分が、ヤスフには不思議だった。痛みや不快を感じない人間は、悲しみも感じないのではないかと思うことがあった。そうでないことを、ヤスフは経験上知っていたが。
煙子は一口食べて、止まった。
目に涙が浮かんだ。辛くて泣くのかと思ったら、違った。もう一口食べた。また止まった。また涙が浮かんだ。それでもまた食べた。辛いのに食べ続ける子供の、意地になった顔だった。商人の子供たちが見ていたから、止まれなかったのかもしれなかった。
水を差し出すと、首を横に振った。
ヤスフはもう一度差し出した。今度は受け取った。一口だけ飲んで、また飯に向かった。目がまだ潤んでいた。
食事が終わった後、商人とカマルッディン老人が長い話をした。
ヤスフは言語が分からなかったから内容は聞き取れなかった。しかし話の質から、重要なことが話されているのは分かった。老人の顔が途中から真剣になった。商人の顔も変わった。
ハジブは離れたところに座って、聞いていた。内容が分かるのかどうかは、ハジブの顔からは読めなかった。
話が終わってから、老人がヤスフを呼んだ。
「三年前にこの港を通った船の話を、この男が知っていた」と老人は言った。
「どんな船だ」
「東から来た船だ。乗っていたのは一人だけだった。子供を連れていた」老人は言葉を選んだ。「子供は今ここにいる子供と、よく似た格好をしていたと言っている」
ヤスフはハジブを見た。ハジブは老人を見ていた。
「一人とはどういうことだ」とヤスフは言った。「船というのは一人では動かせない」
「だから不思議だったと、この男は言っている」老人は続けた。「動いていたのに、一人しかいなかった。その人間は子供をここに置いていこうとした。しかしこの男は断った。関わるのが怖かったと言っている」
「子供はどうなった」
「船がまた出た。子供を乗せたまま」老人は静かに言った。「それきり消えた。どこへ行ったかは誰も知らん」
沈黙があった。
煙子は商人の子供たちと中庭の隅に座って、地面に何かを描いていた。棒切れで、砂の上に、線を引いていた。向こうの子供が真似をして線を引いた。煙子がまた線を引いた。順番に線を引いていくうちに、それが遊びになっていた。言葉がなくても遊びにできるものを、子供は本能的に知っていた。
ヤスフはその遊びを見ながら、三年前の船のことを考えた。
東から来た、一人しか乗っていない船。子供を連れた、誰かあるいは何か。コーリカットで降ろそうとして、断られた子供。
その子供が煙子かどうかは分からなかった。
しかし板のことを考えた。三層の文字を持つ板。月の光でしか見えない文字と、水に濡れないと見えない文字。そこに書かれた、かつての名前の場所。そして家に帰ると言った子供。
線が、少しずつ繋がってきていた。
繋がってくるほど、その先が見えにくくなった。
夜が深くなり、商人の家が静まった。子供たちは眠り、大人たちも横になった。煙子は毛布に包まれて、板を胸に抱えて眠った。この旅で最初に覚えた体勢だった。どんな場所でも、板だけは手放さなかった。
ヤスフは眠れなかった。
天井を見ていた。見知らぬ家の天井で、模様があった。植物を模した模様で、繰り返し繰り返し、端まで続いていた。どこが始まりでどこが終わりか分からない模様だった。
東には、まだ先があった。
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