第三十四話 水の精霊と大魔法使い
――遡ること二日前。
アルテリスは真夜中にマリベラの滝壺まで空間移動をした。
天から貫くような瀑布の轟音は留まることを知らず、冷ややかな湿気を闇に纏わせていた。水の音に紛れてキュロロロロと高い鳴き声が盛大に聞こえる。
「夏の蛙か……」
彼は空を見上げた。月はなく、代わりに吸い込まれそうなほど美しい満天の星空がそこに広がっていた。
「ふっ。真夜中の森も楽しいものだな」
彼は背丈ほどの長い杖に光を灯した。その光を上に向けると、至極真っ直ぐな美しい白滝を目にした。その荘厳な佇まいにため息をつき、アルテリスは話しかける。
「先程から、こちらを伺っているのは分かっているのだ。出て来てもいいのでは?マリベラの主よ」
しばらく間があった後、真っ直ぐな白滝が揺れたかと思えば、カーテンのように左右二手に分かれた。
そこからすっと、白い衣を纏った銀髪の女性が現れた。
アルテリスは足元まで真っ直ぐ伸びた長髪の女を見たことがなった。それは美しくもあり、異様でもあった。白衣の袖から見える肌は半透明な肌艶をしている。
その女は綺麗な微笑を浮かべたが、何となくだが憎悪のような気配がする。
《我が名を呼ぶ、お主は誰じゃ?》
滝の轟音も聞こえるのに、その声はクリアに耳へと響いた。
「私は、黒龍魔法城の主、アルテリス・ヴォル・ヘイム。貴方様に話があってここへ来た」
《魔法使いか。なるほどな。だがお主……、エルフと人間のハーフか?中途半端な風の匂いがする》
一瞬、目を見開いたが、微笑んで胸に手を当てた。
「私をエルフのハーフと見破ったのは貴方様が初めてですよ。嬉しいですね」
マリベラは首を横に振った。
《皮肉を言ったのだ。バカ者め。早う要件を言え》
「では……。この前、貴方の滝に小さな男の子が落ちただろう?あの子をどこへやった?」
抑揚のない低い声で、彼女を問い詰めた。
《なぜ、かようなことを聞く?》
「知らないとは言わせないよ。この滝には貴方の幻影魔法がかかっている。その子は確かにこの滝へ落ちたが、私の部下が撮影した復元映写機には映っていなかった。川下まで復元映写機で撮影をしたが、子供の姿はどこにもなかった。と、すれば滝の主がその子をかどわかしたのであろう。違うか?」
《幻影魔法をかけていたことに気が付くとは、さすが城主殿だ。……だが、『かどわかした』という言葉はどうしても気に食わぬ》
「早く教えろ。ケガを負った人間の子供の居場所は?」
マリベラは片手を前に出した。
《その前に。なぜ傷だらけの童が、滝から落ちてきたのだ?》
圧のかかった冷ややかな視線に、大魔法使いであるアルテリスの背すじが強張る。
「……それは、部下の監督不行き届きだ。私がそれなりの罰則を与えるつもりだ。それより、我々は今、あの子を探している。あの子は、この国にとって将来有望な魔法使いの原石だ。保護し、育て、魔法という力を授ける必要がある」
《ふん、原石扱いか。まぁいい。あの童がどうしているか、気になるか?》
「ああ、もちろんだ」
《それでは、見せてやろう……》
彼女は表情一つ動かさずに、指先を真っ直ぐ上に向けた。すると、滝がぼんやりと青白く光りはじめると、映写機のようにジェイドが滝に映し出された。
ジェイドはおでこに薬草を貼り付けられて、木のベッドで静かに眠っている。頭や腕の包帯がとても痛々しくもあるが、ちゃんと治療を受けているようにも見えた。
「マリベラ様。改めて礼を言う。で、そこは医者の家か?どこの村なんだ?」
《なぜ、かようなことを聞く?》
「もちろん、引き取るためだ。こちらで神官に治療をさせる」
《……ならぬ》
静かで重いその一声に、アルテリスの表情は険しくなった。
目の前にいる滝の主の態度は堂々としており、微動だにもしない。水神であるが如く。
彼の喉仏が動く。
「なぜ、『ならぬ』のだ?理由はなんだ」
《お主のような、傲慢な魔法使いにはやれぬ》
(傲慢だと?)
「マリベラ様は、あの子が高度な魔法知識を持っていることはご存じないでしょう?それに誤解をしている。我々は彼の天性の能力を伸ばし、生かそうとしているのだ。傲慢?いや、私は魔法使いをもっと増やし、魔法使いの地位向上を目指す指導者だ。決してあの子を悪いようにはしない」
勢いよくまくし立てたが、頑として首を横に振った。
《すまぬな。あの童は水の精霊のものだ。精霊に愛された、稀有な水の印の童。おいそれと魔法使いになどやれぬ》
アルテリスは目を見開いた。
「水魔法を使えることは知っているが、水の印など知らない。そんな報告はなかった」
《当たり前だ。水の印は精霊にしか目に映らぬ。水の印のある人間は、水の精霊に愛され、生涯の友となるのだから》
「精霊使いなど、とっくに消滅した都市伝説かと思っていた。今でも精霊使いは存在するのか?」
《いる。火、土、風、水、闇、光、雷、氷の精霊使いのほとんどが、己の正体を隠しているのでな。そうでなければ、国やお前達のような強欲魔法使いに捕まってしまうだろ?》
「だが、こそこそ正体を隠し、精霊に縛られながら生きるよりも、魔法使いとして堂々と人の役に立つ方があの子にとって健全で有意義なはずだ。違うか?」
マリベラはその話を聞いて、肩を震わせ笑い出した。
《その童は、魔法使いの村から迫害を受けて逃げてきたのであろう?どこが、健全なのだ?》
反論する余地がない。まさにそれが事実なのだから。
「確かにあの子は酷い目にあった。だが、それは魔法使いに限った問題ではない。人間社会は元より厳しい世界なのだ。理不尽もあれば、嫉妬も足の引っ張り合いもざらではない。弱き者、正直すぎる者は、傷つき、時に居場所を無くしてしまう。だからこそ、【魔法】なのだ。魔法を学び、己を防衛し、図太く強く生き抜かなければならない」
《…それは、己の実体験がこもった言葉にも聞こえる》
「そうだ。実体験だ。なんせ、半端者のハーフエルフだからな。だが、魔法が私をここまで強くさせた。今では馬鹿にする人間すらいなくなった。力があれば、居場所など自分で作れる」
《……。お主は諦める気はなさそうだな》
「そうだと言ったら?」
《では、お主がいう【魔法】とやらを我にも見せてみよ》
「やはり、そう来たか。これは貴方から仕掛けたのだ。手加減しないがそれでもよいか?」
水面に立つ彼女は、白衣の裾から真っ白な扇子を取り出した。扇子で口元を隠し、翡翠色の瞳を細める。
《手加減などしなくてもよし。我はこの滝の主で水の中級精霊だ。だが、下級精霊でもあり、上級精霊でもある。葉から滴る朝露から広大な海原まで全て我が一部。舐めては困るぞ。半端者よ》
(……本気を見せろということか)
「では魔法使いが放つ水龍を、篤と見てもらおうか」
彼女の眉間がピクリと動いた。
アルテリスは瞬間移動をすると、夜空に浮かんだ。杖を天に指し、響くような声を発した。
「第八層重力術 【流転奔翔】」
すると、滝壺へと流れる落ちていた水が、逆再生をしているかのように上へ昇り始めたのだ。
《ほほう……面白い》
上流の川までもが、引っ張られるように上空へ昇っていく。
「水圧均衡展開術【極】」
「魔力制御展開【調】」
杖を中心に三重の巨大魔法円陣が複雑に絡み回り出した。
星空の下、大量の川の水が上空へ螺旋状に流れると、今度は青白く輝き出した。そして幻想的な水龍へと変貌を遂げたのだ。
《なるほど、水龍を作り出したのか。なかなか器用だな》
反応が薄いマリベラに対して、アルテリスは杖を強く握りしめ、矛先を彼女へ向けた。
「魔法使いの叡智の一端を見せてやる。味わえ【魔道気音波!!!】」
天を駆け巡る水龍が突如進路を変え、マリベラに向かって降りてきた。鋭い爪を剥き出しにして大きく口を開く。
「ゴゴォォォォォーーー!!!!」
咆哮と共に圧縮された魔力音波を放った。
衝撃波は目に見えるほど、空気を歪ませながら一直線に彼女へ襲い掛かる。
大気は巨大な太鼓のように震え、森を覆う木々は激しくしなる。眠っていた鳥たちが鳴き声を上げ、群れで飛び立つ。
真正面から攻撃を受けたマリベラの身体は、衝撃とともに水飛沫のように弾け飛んだ。
「やったか!?」
アルテリスは、マリベラがいた滝壺まで瞬間移動した。
だが、そこには彼女の姿はなかった。杖に光を宿し辺りを見渡すが、気配すらない。
(まさか……死んだ?)
《見事な魔法であった。……見事ではあったが、夜はやはり静かでなければならない》
「はっ!!」
その声色に驚き振り返ると、霧と化したマリベラが現れた。
《寝ている者を起こすな。半端者》
不安定に揺らめく彼女は、半透明な手を前にかざすと、ゆっくりと拳を握りしめた。
突如襲いかかる体のだるさ。
アルテリスは岩場に膝をつけた。息苦しさに、手足のしびれ、頭が重く目眩がする。
――ザブン!!
魔力が途切れたせいで天空にある水龍は崩れ、一気に崩壊し始めた。
(このままだと、上空にある大量の水がこちらへ落ちてくる!!)
だが、マリベラは焦る様子もなく片手を上にあげた。すると、不思議なことに上空の水がピタリと止まる。
さらに彼女が手をゆっくりと下ろすと、大量の水はあるべき場所へと戻っていったのだ。
滝壺は何もなかったかのように、轟音を立てて水飛沫をあげている。
その様子を見届けたあと、アルテリスはマリベラを見上げ、睨みつける。
「貴方……私の身体に何をした!?」
彼女はふわりと回り、元の姿へ戻ると目を細め、クスリと笑った。
《先に言うたではないか。葉から滴る朝露から広大な海原まで全て我が一部。そして、我は自然そのものであり、お主もその自然の一部に過ぎぬと》
「!!!」
《我ら精霊はこの世そのものなのだ。お主は類稀なる努力と知識欲でここまで来たのかもしれぬ。だがな、人なら人の心を忘れてはならぬぞ?》
「くぅ…!!」
アルテリスは急に耳が熱くなってきた。自分自身が自己顕示欲の塊のように思えてきたからだ。それをマリベラに諭されたような気がした。
アルテリスの体はすっかり元の調子に戻っていた。
「こんな夜更けに騒がせてしまったのは、悪かった」
ばつが悪くなったので、マリベラに背を向けさっさと帰ろうとした。
《あの童に会いたい者がいるならば、ここへ訪れるがよい。ただし、接触は許可しない。見守るだけだがな》
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「そんなことがあったのですか……」
ダグラスは手の甲を強く握りしめた。
「遠くから見守るだけならいい。だが、接触はするなということだ」
アルテリスは長い黒髪をかきあげ、額に触れる。
「いくら、魔法城の主になったとて、精霊には敵わなかった。奴らは自然そのものだ。そして私も……その一部だということを忘れかけていた」
「……」
広い執務室に重い沈黙が続いた。
アルテリスは椅子から立ち上がると、窓辺のカーテンを引いて、窓の外を覗き込んだ。
空には重たい雲が立ち込め、庭先の楓が揺れている。外にいる職員が頭を手で覆い、建物へと駆けていく。
「夕立かな?」
窓ガラスを雨粒が叩き始めた。二人のいる執務室は徐々に暗さを増していく。
「あの子を見に行くのか?」
「……。分かりません。でも、行くかもしれません」
「そうか。ただし、お前の娘には嘘をつけ」
「えっ?私に嘘をつけと!?」
「そうだ。ジェイドは、水の精霊使いになる可能性がある。精霊使いは存在自体を知られてはならないらしのだ。マリベラがそう言っていた」
「そんなこと……」
アルテリスは振り返り、表情を変えずに言い放つ。
「あの子は親切な木こりの世話になった後、ご両親に迎えにきてもらったと言え。これは命令だ」
彼は赤い髪を掻きむしると、両手で顔を隠し深いため息をついた。
「はぁ……。レイアにはジェイドを連れてくると約束したのに。娘があの子に謝罪する機会はもうないのか…」
その一言にアルテリスは眉をひそめた。
「やはり娘が可愛いのだな」
「はい?」
彼は不思議そうに顔を上げた。
「今から厳しい事を言うぞ」
「何でしょうか?」
「お前は娘が傷ついているかのように語るが、事の発端は娘の未熟さが故のこと。罪悪感で心が傷ついたからといって、『謝罪』で傷を埋め合わそうなど、利己的な考えを捨てるのだな」
「アルテリス様……」
「お前はこれから娘のために嘘をつく。決して、本当のことを話してはいけない。それが親であるお前への罰だ」
「罰……ですか」
「そうだ。墓場まで持っていく罰だよ」
「アルテリス様!!」
ダグラスは訴えるかのように椅子から立ち上がった。だが、アルテリスはゆっくり首を横に振る。
彼は唇をかみしめながら、敬礼をした。そして肩を落として無言で公務室を出ていった。
(仕方ないのだ。許せ)
アルテリスは部屋を明るくするため、指を鳴らした。
すると、天井のシャンデリアや卓上のランプに明かりが灯り、部屋が暖かな色に染まった。
目の前にある山積みの書類に、彼は深いため息をつくも、再び通常業務へと戻るのだった。
遅くなりましたが、たった今、投稿しました。来週は一話のみかもしれません。でも、読んでいただきありがとうございました。




